第19話 特別の国
お屋敷での生活に、ラス王子とヨハネさんが加わった。
私は学友ということだったが、特別に何かをするわけでもない。
5才児向けのかんたんな勉強は、私の時と同じようにおじいちゃん先生が教えている。たまに授業に同席することもあるが、別に私が教えるわけでもないし。まあ、遊び友だちくらいの感覚か。
ラスことランティブロス王子の祖国、エルシャダイ王国はちょっと特殊な国だ。
ユピテル共和国の東の国境に位置するこの国は、規模としてはそんなに大きくない。
東の大国、アルシャク朝とユピテルの間に挟まれた小国という位置取りである。
エルシャダイがユピテルに併合されず、名目だけでも独立を保っているのは、アルシャクとの緩衝地帯の意味合いが一つ。
もう一つは、宗教事情である。
自然崇拝から発展した多神教がほとんどを占めるこの世界において、エルシャダイは一神教なのだ。
おじいちゃん先生から習った歴史と地理、その後に自分でいろいろ書物を読んだりして得た知識に照らし合わせると、一神教の国はエルシャダイ以外に存在していない。
エルシャダイの民はおしなべて信仰に篤く、結束が固い。独自の価値観を持ち、排他的な傾向もある。
この国をユピテルが完全に併合しないのは、これらの事情が絡み合って、エルシャダイ人の王を立てた方が統治が上手くいくと判断したからだ。力ずくで組み入れれば頑固な抵抗にあうだろう、それならば親ユピテルの現地人を王座に就けた方がよい、と。そういう判断を元老院がしたと、ティベリウスさんが教えてくれた。
現エルシャダイ国王でラス王子の父である人は、もちろん元老院の意を汲んだ親ユピテル派だ。
ラス王子の二人の兄もユピテルに留学経験があり、他の占領地の子弟と同じくユピテル式の教育を受けている。今のところ、王政は安定していて政情不安などはないらしい。だからラス王子の身に危険が及ぶようなことはない。
そういった話をリウスさんから聞かされ、私は安心していたのだが。
それとは別に、いくつか問題があった。
「天におられます我らが主よ、今日もまた、日々の糧をあたえたもうことに感謝します……」
夕方の食堂にかわいらしい声で祈りの言葉が響く。
ラス王子とヨハネさんはそろって両手を胸の前に組んで、食前の祈りを捧げていた。
同席した私はお祈りはしないけれど、それが終わるまで待ってから食事を始める。ユピテルにはない習慣で、使用人や奴隷の人たちが奇異の目で眺めていた。
なお貴族の身分で同席しているのは私だけだ。ティベリウスさんは不在、師匠はたぶん在宅だけど顔を出さない。
「――豚肉が入っていますね。シャダイの民は豚は食べられないと、申し上げたはずですが」
食事の皿を指さして、ヨハネさんが給仕係の使用人に文句を言っている。使用人のおじさんは、すみませんと頭を下げながら皿を厨房に持っていった。
「食事の制限が厳しいんですね」
沈黙が気まずかったので、私は頑張って喋ってみた。ヨハネさんは首を振る。
「そんなことはありません。ここは異国ですから、厳格な律法が適用できないのは承知しております。我らとしてもずいぶんと妥協をしているのです」
厳しい表情のヨハネさんに、ラス王子はうつむいたままだ。
ヨハネさんはエルシャダイの国教、シャダイ教の聖職者。故国では尊敬される立場の人らしい。
ダークグレーの髪に同じ色の瞳をした、30代はじめくらいの厳格な雰囲気の男性である。
やがて代わりの皿が運ばれてきて、食事が始まった。
「本来であれば」
ヨハネさんが言う。
「豚肉を調理した厨房で作った料理は、シャダイの民は口にしません。厨房は神によって聖別され、清められた場であるべきなのです」
「ははあ……」
「しかしこの国でそんなことを言えば、食べるものがなくて飢えてしまう。心苦しいことですが、神はシャダイの民が苦境に追い込まれているのならば、律法にそぐわない行為も見逃して下さいます」
学友役をおおせつかって半月くらい経つが、なんか、いつもこんな調子なのである。おかげで使用人や奴隷の人たちからの評判はすこぶる悪い。何をするにも制限があって、それから外れると何度もやり直しをさせられてしまうので。
ユピテルは宗教的にゆるい国だし、前世の日本だってそうだった。だから正直、どう接していいか分からない。
「そもそも、異教徒と晩餐を共にするなど……」
言いかけて、さすがにヨハネさんは口をつぐんだ。まぁここには異教徒しかいないからねえ。私もおっちゃん(ヨハネさん)のお説教聞きながらごはん食べるの嫌なんだけど、ラス王子にはなるべく楽しく過ごして欲しいから。
そのラス王子は、下を向きながらもしょもしょと食べている。私自身も弟のアレクもよく食べる方なので、こんな小さい子の食が細いと心配になってしまう。
宗教上の決まりに関しては、私は別に「そんなもんか」としか思わない。使用人たちと違って仕事に影響が出ているわけじゃないってのも大きいだろう。
シャダイの歴史は迫害の歴史だと、ヨハネさんが言っていた。異質な一神教は色んな国で偏見の目で見られて、苦労に苦労を重ねた末にやっと自分たちの国を建てられたのだと。
たぶん、その苦しい迫害の中で、結束と自尊心を高めるために色んな規則ができたのかな。今となってはなぜ? と思うようなこともけっこうあるけど、当時の彼らには相応の根拠があったのだろう。そこは尊重するしかないと思う。
問題は、ユピテルにおいてシャダイ信徒は少数すぎて、誰も配慮しようとか思ってない点だ。そもそも異文化を認めてそのまま尊重しようという概念があんまりない。ユピテルは寛容と融和を政策に掲げているけど、結局はゆるやかにユピテル化して支配、統治する方針だからなー。
「ゼニス殿はお小さいのに、よくわきまえておられる。ユピテルの民も貴方のような方ばかりなら、我らももう少し安心できるのですが」
「いえいえ、褒めすぎです。私はただ、ラス王子とヨハネさんのユピテル滞在が、楽しい思い出になって欲しくて」
彼らの色んな規則に口出しせず嫌な顔もしないでいたら、そんな評価になった。ヨハネさんの苦労がしのばれる。
なんかもう、郷に入りては郷に従え!で、ユピテルにいる間ははっちゃけちゃいなよと思わなくもないが、それはあくまで私の価値観。規則、戒律は彼らのアイデンティティに関わる問題だから。
ヨハネさんも強引に改宗を迫ってくるわけじゃないし、じゃあこっちもできる範囲で尊重するよってのが今のところの私の結論である。
微妙に気まずいままで食事を進める。
ふと見ると、ラス王子の手が止まっていた。お皿には半分以上料理が残っているが、もうお腹いっぱいらしい。
「ラス王子、もういいのですか?」
心配になって聞いてみる。
「はい。もうじゅうぶんいただきました。満腹です」
王子はまだ幼いのに、いつもきちんと丁寧に喋る。イカレポンチ幼女だった私とは雲泥の差である。
育ち盛りにこんなに少食でいいのかな。でも無理に食べさせるわけにもいかない。前世を思い出してみると、姪っ子の1人がかなりの少食かつ偏食だったっけなあ。あの子はどう対策していただろうか……。
やがてヨハネさんも食べ終わり、2人は食後の祈りを唱えてから席を立った。
一日の予定は終わっているけれど、眠るには早い。
私はもう少し、彼らに付き合うことにした。
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