第16話 三年次の課題
もう通い慣れた魔法学院への道を歩き、ちょっぴり緊張しながら三年次クラスの教室に入ると、……誰もいなかった。
ええぇ、なんで? 私、教室間違った?
それとも時間を間違っただろうか?
ユピテル共和国では精密な時計はまだ存在しない。だから日の出や太陽の高さでざっくり動くのだが、それにしたって無人はないわ。
しばらく誰もいない教室で寂しく待機してみた。30分くらい待ったけどやっぱり誰も来ない。(付け加えておくが、「30分」はあくまで私の感覚ないし脳内翻訳。ユピテルの時間の単位もあるが、分かりにくいので前世単位に換算している。)
仕方ないのでオクタヴィー師匠の研究室を訪ねた。魔法学院は教育機関というより研究所の意味合いが濃いので、職員室などはない。教員はみんな研究職との兼任だったりする。
幸い、師匠は部屋にいた。
「教室に誰もいない?そうでしょうね。三年次は講義がほとんどないもの」
ええー!? 聞いてないよ。
何でも、三年になると講義ではなく自主研究が課題になるんだそうだ。
曰く、何でもいいので魔法に関する論文を一本書いて、担当教員から合格をもらえば晴れて卒業となるとのこと。ふむ、大学の卒業論文みたいなものか。
「そういうことなら、ちゃんと前もって教えて下さい」
私のしごく真っ当な抗議に、師匠は涼しい顔で答えた。
「あら、言ってなかったかしら。ま、今伝えたから問題ないわね」
なお担当教員は当然と言うか何というか、師匠であった。だからそういうのは先に言えと以下略。
ていうかこの前、三年になったら三年の教師に聞けとか言ってたよね。あれは何だったんだ。師匠特有のツンデレなのか?
しかし、ここで喧嘩しても仕方ない。気を取り直そう。
「どんなテーマで取り組めばいいでしょうか」
「魔法に関連があれば何でもいいわよ。オーソドックスなところだと、新魔法の開発や既存の魔法の新しい活用法などがあるわね」
ほほう。
確かに、魔法の呪文はある種の定型文である。一定の形式に則って発動させたい効果を魔法語でうまいこと織り込めば、自分だけの魔法も作れるのだろう。うわ、わくわくする!
「新魔法は、どんなものが開発されてきたんですか?」
「図書室で資料を読みなさい……と言いたいところだけど、まあいいわ。今までで一番印象に残っているのは、お尻から水を出す魔法ね」
はい?
今なんて言った? お尻? ただし魔法は尻から出るってやつ?
それ、単にお腹を下しているだけじゃなくて?
「どういうことですか……?」
「そのままよ。通常は手から出す水を、お尻から出すの。呪文も『手』の部分を『尻』に変えただけね」
「はあー? それ、合格出たんですか?」
「もちろん。発想の勝利よ。でももう、真似しても遅いわ。基本魔法の発動部位を変えるだけでは、新魔法と認められないよう規則が変わったから」
真似しないよ!
しかしよりによってなんでお尻なのよ。もっとこう、他に足とか頭とかヘソとかあったんじゃない?……うーん、手以外だとどこでもただの大道芸にしか思えない。
「あとは、そうね。小石を粉々に砕く魔法」
「お?」
「発案者はきみと同じような農家の出身でね。畑を耕す際、小石が邪魔だから処理するために考えたの」
おお、いいじゃないか。石ころ処理はいい土作りに必須だからね。
「でも、小石に指で触れないと魔法が発動しないから、結局、小石を選り分ける手間は変わらなかったわ」
だめじゃん!!
師匠はなんでさっきから、参考にならなさそうな例ばかり出すの?わざとなの?
「実用的なところだと、インクを乾かす魔法。これは今ではすっかり普及しているわ。温風を発生させて、書いたばかりの文字を乾かすの」
地味だな! あれ、でも待てよ。
「温風を発生させられるなら、応用も効きそうですね」
「サウナとか?」
「それもいいけど、洗った髪を乾かすのに便利そうじゃありません?」
ドライヤーの魔法である。ユピテルの成人女性は髪を長く伸ばすので、需要はありそうだ。
「あら、いいわね。ただ風が弱いのが難点ねえ。呪文の改良で何とかなればいいけど」
「呪文の改善と適切なイメージで実現できますよ、きっと」
「そうね、じゃあ私が取り組んでみるわ」
あれ?
なんかおかしな流れになったので、確かめてみる。
「師匠、今のアイディア、私の卒業課題に使えませんか?」
「だめよ。私がやるんだから」
「え、ひどい、横暴!」
「あのねえ、ゼニス」
師匠はにっこりと笑った。うさんくさいくらい愛想のいい笑顔だった。
「本家は分家に助力するわ。でもそれは一方的に施しをするのではなく、分家もまた本家に尽くすものなの。相互扶助が大事なのよ。私はきみを教え導く。きみは私に尊敬の念を忘れず、礼を尽くす。そうでしょ?」
「え、え、でも……」
「そういうものなのよ。まあ、この調子ならすぐに課題のテーマも見つかりそうね。頑張って頂戴な」
強引に背を押されて研究室を追い出された。
えええ。納得いかねえ。
いやでも、最近の師匠はちゃんと教えてくれるし、そもそも本家に大変お世話になっているのは事実だ。文句を言える立場ではない。
でもさあ、8歳の子供のアイディアを横から掻っ攫うか、ふつう? そりゃあ中身は40歳だけど、40歳だけど!
しょんぼりしながら学院の廊下を歩く。
けれどよくよく考えたら、師匠にもフェリクス本家にもお礼らしいことは何もしてなかった。実家からワイン樽が送られてきたけれど、私自身としては本気で何もない。
ドライヤー魔法のアイディアもぱっと思いついただけで、労力は発生していないし。いつまでも落ち込んでいても仕方ない、さっきのは授業料だと思って献上しよう。
著作権だの特許だのの制度も思想もユピテルにはなさそうだ。だったら自分のアイディアは自分で守らなきゃ。
そういう意味でも授業料かもね。
卒業課題はもっとすごいのをやり遂げて、見返してやる!
そう決意して見上げた窓の空はどこまでも青く高くて、秋の訪れを予感させていた。
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