第13話 水の魔法

「魔法は、魔法語の特定の言葉を特定の形式で発話することで発動するわ。今日は一番基本の水の魔法をやってみましょう」


 二年次クラスの先生は、なんとオクタヴィー師匠であった。そういえば、彼女は研究職として魔法学院に在籍していると前にちらっと聞いたっけな。教員も兼ねていたのね。

 同じ家に住んでいるのにほとんど接点がなくて、弟子としてはちょっと寂しかったのだ。でもこれで、師匠から学べる!

 私はうきうきして教壇の上の彼女を見つめた。その視線に気づいたかどうか、一瞬だけ目が合ったんだけど、なんか露骨にそらされた。なんでや。


『清らかなる水の精霊よ、その恵みを我が手に注ぎ給え』


 師匠が呪文を唱える。歌うような朗々とした魔法語の発音だった。

 最後の言葉センテンスが終わった途端、彼女の手のひらから水がほとばしった。見えない蛇口を捻ったように、何もない場所から唐突に水が流れ出る。

 水流は7秒ほど流れ出た後、始まりと同じように前触れなく、ふっと止まって消えた。後にはこぼれ落ちた水が残るばかり……って、教室が水浸しになっちゃった?

 と思ったが、よく見たら教壇にタライが置かれており、水はちゃんとそこにたまっていた。あぁびっくりした。


 学生たちが席を立ち、わいわいとタライの中の水を覗き込む。中には手を入れて触っている人もいた。皆、魔法を間近に見て興奮気味である。

 私も年上のクラスメイトたちをかき分け、タライを見た。洗面器くらいの大きさで、半分程度が水で満たされている。うーん、これは前世で言えば500ミリリットルのペットボトル容量くらいか?

 水は透き通っていてきれいだった。試しに触ってみたら、ちょっとだけ冷たい。


「この水は問題なく飲めるわ。旅人や軍の行軍の際に重宝される魔法だから、必ず習得するように」


 はい、はーいと返事が上がる。

 ほほう、飲用できるのか。

 私は手のひらをタライに入れて、水をすくって飲んでみた。

 んー?あんまりおいしくない。無味無臭だ。水だって多少の味(風味?)がすると思うんだけど、本当に何の味もしないよ。

 他の学生たちも代わる代わる水を口にしている。


 ゲームに出てくるような派手な攻撃魔法に比べれば地味だけど、なんとも不思議である。この水はどこからやって来たんだろう?どこかの水源に時空を曲げてアクセスしたのだろうか?それとも、空気中の酸素と二酸化炭素を分解結合させるとか?


「師匠!質問です」


 気になったら聞いてみるべし。私は手を上げてオクタヴィー師匠を見た。彼女は一瞬だけ微妙に嫌そうな顔をしたが、それ以上は態度に出さず「何かしら」と言った。


「このお水、たまに一緒にお魚が出たりしませんか?」


 水源アクセス説であれば、水の他に魚や水草なんぞが一緒に出てくる可能性もあるのでは?そう思って聞いたのだが、師匠は首を振った。


「ないわ。少なくとも私は、そんな例を聞いたことがない」


 ふむ。では、水源アクセス方式ではないのだろうか。それとも、アクセスはしているが「水」だけをきちんと選んでワープさせている?


「この水はどこから来るのですか」


 別の学生が質問した。


「不明よ。魔法は発動する方法こそ分かっているけれど、その背景はほとんど明かされていないの」

「水の精霊とは何ですか?」

「精霊は魔法の力を司る存在とされているわ。水や風、火や大地といった自然の要素に宿り、呪文を唱えることで力を貸してくれる」


 おぉ、ファンタジー!

 この世界は魔法以外はあんまりファンタジーじゃないのだが、精霊はいるんだ。

 私はもう一度質問してみる。


「精霊はどんな見た目なんですか?召喚したりできますか」

「精霊の姿は色々よ。後の授業で絵姿を見せるから、その時に確認しなさい。……召喚はできないわね。試している人はいるものの、まだ誰も成功していない」

「ということは、精霊はどっかその辺でたまたま出会わないと見られないってことですか?」

「そもそも精霊の姿をしっかりと見た人はいないわよ。絵姿も想像上のものね。見たと主張する人はいるけれど、私からすれば眉唾ものね」


 えええ?精霊、きちんと確認できてないの?

 うーん確かに、故郷の田舎で毎日外遊びをしていたけど、山でも森でも川でもそれっぽいものを見た覚えはないんだよなあ。私は魔力がけっこう高いから、そういうのが寄ってきてもいいと思うんだけど。全くなかった。

 なんか精霊の実在が怪しくなってきたなぁ。


「じゃあなんで、呪文で精霊がどうのって言うんですか?」

「さあね?仕組みは分からないけど、その言葉の組み合わせで魔法が発動するのは確かよ。そんなに気になるなら、自分で解明なさい」


 えーっ。いきなりぶん投げられた。そりゃないんじゃないですか、師匠?

 しかし師匠は私が不満を口に出す前に、両手をパンパンと打ち合わせて言った。


「質問の時間は終わり。次は各自で魔法を試してみるわよ。席に戻りなさい」


 がやがやとみんなで席に戻る。着席して呪文を唱えてみようとして、ふと気づいた。

 私の隣のクラスメイトが手を上げて言う。


「先生、僕たちの分のタライはないんですか?水がこぼれちゃいますが」


 私と同じことを気にしていたようだ。


「ま、やってみなさい」


 彼の言葉を、オクタヴィー師匠は鼻で笑った。

 なんか釈然としないが、やってみるしかないか。周囲を伺うと、クラスメイトたちは深呼吸したり指を曲げ伸ばししたりした後に呪文の詠唱を始めている。


『清らかなる水の精霊よ、その恵みを我が手に注ぎ給え』

『清らかなる水の精霊よ、その恵みを我が手に注ぎ給え』


 たどたどしい魔法語が教室に何度も響いた。でもどういうわけか、誰の手からも水が出ない。

 何かコツがあるのか?

 なんやよう分からんが、これは単なる練習だ。とりあえずやってみようと思い、私も呪文を唱える。

 ええと、魔力は血流に乗せて指から放出するんだったね。この場合は手のひらか。

 それに水。あの水、もしかしたら純水というやつかもしれない。純度の高い水、H₂Oに限りなく近い水。水に味があるのはミネラルなんかが溶けているからで、H₂O自体は無味無臭だと前世の何かの本で読んだ記憶がある。


『――清らかなる水の精霊よ、その恵みを我が手に注ぎ給え』


 ハンドパワーならぬ魔力を手のひらに集めて、水の分子構造を思い浮かべながら魔法語を口にした。

 すっ……と、集めた魔力がほんの少しだけ、引き出されるのを感じる。


 次の瞬間、私の手のひらから勢いよく水が吹き出た。


「やった、成功!?」


 思わず興奮して叫んだが、その高まった気持ちは長続きしなかった。

 だばだばと流れ出る水は思いっきり机を濡らし、私の膝をびしょ濡れにして、あっという間に床に水たまりを作った。


「ひえぇぇ、どうしよう、水、止まって!止まらない!」


 焦って腕を振り上げたせいで、さらなる惨事を引き起こしてしまった。頭から水をかぶって悲鳴を上げる。

 水が止まったのは6秒か7秒後、さっき師匠が実演して見せたときと同じくらいだった。

 辺りはもうビショビショでえらいこっちゃである。

 誰か気の利いた奴がタライを差し出してくれればいいものを、みんなあっけにとられて眺めているばかりだった。

 クラス中の視線を集めているのに気づいて、濡れネズミ状態の私はいたたまれない気持ちで縮こまる。うぅ、派手に水を撒き散らしてごめんなさい。でもこれ、私のせいじゃなくない?


「はぁ……。まったく面倒なことを。ゼニス、今日はもういいから帰りなさい」

「えっ。で、でも、授業時間はまだありますけど」

「濡れたままで風邪でも引いたら、私の責任になるじゃない。さっさと帰ってお風呂に入るように」


 魔法学院に子供サイズの着替えはないらしい。そりゃそうだ、子供がいるのを想定してないもん。

 残りの授業は魔法発動の際の魔力操作やイメージについての講義だそうで、一発成功させた私には不要だからと教室を追い出された。

 とぼとぼと使用人控室に行くと、濡れそぼった私を見てティトがびっくりして言った。


「ゼニスお嬢様!また変なことやったんですか」

「違うよ、違わないけど、私のせいじゃないよ!」

「どっちですか」


 などと埒のあかない会話をしつつ、急ぎ足で帰った。なお付添いはティトの他にフェリクスの大人の使用人の人がいたのだが、めちゃくちゃ呆れた顔をしていた。恥ずか死ねる。

 魔法学院からフェリクスのお屋敷までは徒歩で30分くらいかかる。今が夏で良かった。冬だったら確実に風邪引きコースである。

 そういやあのびしょ濡れの教室の掃除は誰がやるんだろうか……。私がやるべきじゃないだろうか?

 なんかもう、申し訳ないやら理不尽な気持ちやらになりながら、夏の風に吹かれたのであった。

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