第14話 飛び級飛びまくり

 フェリクスのお屋敷に帰った私は、お風呂に入ることにした。

 ユピテル共和国にはお風呂文化が根づいていて、庶民から貴族までお風呂好きである。

 庶民は公衆浴場に行くけれど、大貴族のお屋敷ともなると立派なお風呂が備え付けられていた。ただ、ユピテルの公衆浴場はただのお風呂ではなくて、スーパー銭湯ばりの娯楽施設かつ社交場らしいので、そのうち行ってみたいなと思っている。


 お屋敷のお風呂は広い。大きな浴槽を満たすお湯は、ボイラー室で沸かされて素焼き焼き物でできた配管を通り、注がれている。

 まず、風に吹かれてちょっと冷えてしまった体をお湯で温めた。といっても今は夏、長湯すると暑いので、さっさと上がる。


 石鹸というものはない。垢すりは、なんかヘラみたいな変な道具でこすり取る。よく考えたら、石鹸がなければいまいちきれいにならないけれど、ゼニスとして生まれてこの方、この入浴方法に慣れ親しんできたので特に不満を感じない。

 そういやトイレもちゃんと水洗ではあるんだが、21世紀の日本に比べたら、臭い・怖い・汚いと三拍子揃ってるわ。ある意味転生で良かった。転移だったら慣れるのに相当に時間がかかったと思う。トイレに行く度に泣くほど怖い目に遭うとか嫌すぎる。


 さて、今回は軽く温まりたかっただけなので、垢すりはしない。垢すりは自分ひとりじゃできないから、ティトにやってもらうことになる。それも面倒くさいし。

 さっくりと上がって新しい服に着替え、晩ごはんまでの時間を過ごした。

 ユピテルの夏はなかなか暑くて、お風呂上がりにアイスが欲しくなる。かき氷でもいいな。そんなことを思いながら、井戸水に果汁を絞ったジュースを飲んだ。


 晩ごはんの時間になったので食堂に行くと、珍しくティベリウスさんとオクタヴィー師匠の2人が揃っていた。


 師匠はともかくリウスさんはフェリクス家の当主代行として、忙しい日々を送っている。たいていはどこかの家に招かれて不在だったり、この家で宴席を催していたりする。

 このお屋敷で宴席があっても、私はあんまり顔を出すことはない。時々呼ばれて挨拶するくらいだ。社交面はそんなに期待されていないらしい。コミュ障としては助かる。


 余談だが、私の基礎学問があっという間に終わってしまったせいで仕事がなくなったおじいちゃん先生は、宴席の余興として古典詩や歴史書の暗誦をやっているらしい。

 何でも、教養ある奴隷がいるとその家に箔が付くんだそうだ。この前彼と久しぶりに顔を合わせた時、誇らしげな顔で嬉しそうに言っていた。


「ゼニス、聞いたよ。いきなり魔法を成功させたんだって?」


 食卓につくと、リウスさんに笑顔で話しかけられた。


「はい。お水が手から出て、すごくびっくりしました」


 びっくりどころか軽くパニクって、教室を水浸しにしてしまったよ。


「すごいね。魔法語を学んだだけでは、魔法は発動しないと聞いているが」


「そうよ。あの授業ではまず、呪文を唱えるだけじゃあ魔法が発動しないことを確かめる意味合いもあったのに、きみのおかげで台無しじゃない」


 師匠の言い分、相変わらずひでぇ。さすがに抗議しようと口を開きかけたところで、彼女が重ねて言った。


「で、ちゃんとお風呂に入った? いくら夏でも体を冷やしてはだめよ。風邪を引かないようにしなさい」


 ぶっきらぼうな口調だったが妙に真剣に心配する気配があって、私は首をかしげた。


「はい、お風呂であったまりました。大丈夫です」


「そう、それならいいわ」


 目をそらして呟くように言われた。

 そんな師匠を見たリウスさんが、少し困ったような笑みを浮かべる。


「こんな調子ですまないね。オクタヴィーは子供が苦手なんだ」


「それは前に聞きました。何か嫌なことでもあったんですか?」


 思い切って聞いてみる。子供が苦手なのは知っているが、それにしても私、避けられすぎじゃないだろうか。別にうるさく騒いだりイタズラをしたわけでもない。ちょっと不可解に思っていたのだ。

 リウスさんは師匠を見た。すると師匠は「いいわよ、隠すことでもないし」と肩をすくめる。


「俺たちには末の妹がいてね。小さい頃に病気で亡くなった。ちょうど今のゼニスくらいの年頃だったよ」


「え……」


 予想していなかった話に、言葉が詰まる。


「オクタヴィーとは年が近くて、仲の良い姉妹だった。亡くなってショックが大きかったんだ。それ以来、子供が苦手になってしまった」


「それは違うわね。私はあの子が嫌いだったわ。しょっちゅう具合を悪くして、その度にうるさく泣いてわがままばかり。何度振り回されたか分からない」


 言葉だけを取ったらひどい言い方だと思う。けれどそれは昔を懐かしんでいるというか。あるいは、後悔を滲ませているというか。亡くなったという妹への思いが透けて見えるような、静かな口調だった。

 だから師匠は、風邪を引くなとあんなに言っていたのか。私と病弱だった妹さんを重ねて。

 少しの間、沈黙が落ちる。やがて師匠は我に返ったように、いつもの偉そうな態度に戻った。


「昔の話よ、気にしないで。それよりゼニス、今日の水の魔法だけど。まだ何も教わっていないくせに、どうやって成功させたの?」


「ええと、まず魔力を手に集めました。去年、師匠が最初に魔力石を教えてくれた時みたいに、です」


「なるほど、そういえばあの時に魔力の流し方を教えたわね。ごく簡単にしか言わなかったのに、よく覚えていたわねぇ。それから?」


「それから水の……」


 たぶん純水だろうと当たりをつけて、水の分子をイメージした。水素が2個に酸素が1個の、前世ではおなじみのあの形だ。

 ……とは言えないので、無難に言い換える。


「水をなるべく明確にイメージしました。そしたら魔力がちょっと引き出されて、お水が出たんです」


「明確に、とは、どんなふうに?」


「え? えーと、水の……何ていうか。本質みたいなものを?」


 それ以上突っ込まれると思っていなかったので、しどろもどろになりながら答える。

 オクタヴィー師匠は目を細め、次いでため息をついた。


「そう、本質ね。魔力を手に集めるやり方と、魔法で生み出すものの本質を強くイメージするのが、魔法発動のコツなのよ。二年次クラスはそれを学ぶためにある。ゼニス、きみ、もう三年次クラスに進んでいいわよ」


 ええーっ。今日が二年次クラスの初日だったのに? 飛び級にも程があるんじゃない?


「魔力を手に集めるのだって、普通はできるようになるまで何ヶ月もかかるの。去年のあの時は、まぐれかと思ったけど……。本当に才能があるのね」


 オクタヴィー師匠はちょっと拗ねたような顔である。そういう表情をすると、意外に子供っぽい。いつも仏頂面だったからね!

 師匠なんて呼んでるけど、彼女はまだ18歳。アラフォーから見れば下手したら娘世代である。そう考えたら急にかわいく見えてきた。


 あと才能に関しては、どっちかというと妄想力の才能じゃないかな。もしくはオタク力。

 だって「血の流れに魔力を乗せて」とか、チャクラとか体内経路とか丹田とか、霊力や気や小宇宙でもいいけど、とにかくそんな系列でしょ。それ系の妄想はばっちりだからね。

 むしろ前世もやってたし、イカレポンチ幼女だった時も、本気でかめ○め波を撃とうとして訓練してたぞ。主な被害者はティトとアレクである。ごめんなさい。


 師匠は口を尖らせたまま続けた。


「どうする? もう進級していいと思うけど? 魔力操作とイメージさえできれば、呪文なんて書物で学ぶだけでいいし」


「そういうものですか?」


「そうよ」


 じゃあいいのか……? なんかちょっと不安だが、さらに先に進めるのは願ったりだ。


「では、思い切ってそうします。分からないところがあったら、教えて下さいね」


「嫌よ。三年次に進級したら、三年の教師に聞きなさい」


 ええー! めちゃくちゃ自然な感じで断られた。

 というか師匠、私が二年次クラスにいたら面倒みないといけないから、めんどくさくて進級を勧めたんじゃないだろうな?


「こら、オクタヴィー。弟子の世話はちゃんとするようにと言っただろう」


 リウスさんがたしなめてくれる。


「でも兄様……」


「ゼニスがあの子と――妹と違うというのは、もうお前も分かったはずだ。必要以上に避けないで、きちんと責任を果たしなさい」


「……はい」


 ややしばらくの間を開けて、師匠は不承不承、うなずいた。

 私も二年次クラスを一日しか出席しないとか(しかも途中退出)いろいろ不安なので、師匠が師匠してくれるならとても助かる。


「今度こそよろしくお願いします、師匠!」


 私の言葉に、彼女はいつもの渋い顔をして、でもそれ以上は嫌と言わずにいたのだった。

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