第11話 ティベリウス

「よく来たね、ゼニス。今日からここを我が家だと思って暮らしておくれ」


 執務机に肘を置いて座っている人は、まだ若い男性だった。20代半ばくらいじゃないだろうか。

 てっきり壮年くらいの人が当主だと思っていたので、私はちょっと固まってしまう。

 その様子に気づいて、彼は軽く苦笑した。


「俺はティベリウス、フェリクス現当主の息子だよ。オクタヴィーの兄だね。父は各地の荘園を見回って不在なので、今は俺が当主代行として屋敷を預かっている」


「そ、そうなんですね」


 あわあわと落ち着きなく喋ってしまった。前世から続いて、私はいつもこうだ。予想外のことが起きるとびっくりして、思考も行動もフリーズしてしまいがちなのだ。

 落ち着こう。今日のミッションはフェリクス本家の人たちへの面通しだ。当主が不在なのは私と関係のないことだから、この人にちゃんと挨拶ができればいい。

 筋道立てて考えをまとめれば、心は静まってくる。小さく頷いて、事前に練習した通りの礼をした。


「お初にお目にかかります、ゼニス・エル・フェリクスです。オクタヴィー様に引き立てていただいて、今日からお世話になります。こちらは使用人のティト。よろしくお願いいたします」


「うん。偉いね、まだ小さいのにちゃんと挨拶ができる。では、俺のことはリウスと呼んでくれ」


「えっと……」


 またもや試練が降り掛かってきた。偉い人が気さくに言ってきたことを、素直に言葉通りに取っていいものか。

 私、空気読むの下手くそなんだよ。だいたい空気読むって何よ。空気は吸うものじゃないか。

 とはいえ何かしらのアクションは必要だ。ひとつ可能性を考えてみよう。


1.言葉通り愛称で呼ぶ。

 彼に他意がなければオッケー。でも本当はそんな馴れ馴れしく呼んではいけない場合は、礼儀知らずとして私、ひいてはエル家の評価が下がる。


2.遠慮して正式名で呼ぶ。

 目上から親しげに言われても遠慮するのが礼儀なら、オッケー。彼が善意で愛称呼びを持ち出した場合は、機嫌を損ねる。


 ……うあー、わからん!初手で混乱するとか、なにやってんの私。

 この手の相手の言葉に素直に答えていいか悩む系の試練というと、前世で就職したての新人だった頃を思い出す。当時のお局様が「ねえ新人ちゃん。私、年いくつに見える?」と典型的地雷な質問をしてきたことがあった。世間知らずだった私は素直な感想として「40歳くらいですか?」と言った。すると彼女は般若を思わせる笑顔で「38歳だけど?」と答えたのである……。

 あの時は思ったままの素直な数字ではなく、サバ読みの35歳、なんなら30歳くらいにしておくべきだった。28くらいでも喜ばれたかもしれん。悲しいね。


 いや、そんなことはどうでもよろしい。とりあえず今をどうするかだ。

 不幸中の幸い、今生の体は前よりもハイスペックで、思考がけっこう速い。こんなに下らないことをぐだぐだ考えても全部でまだ3秒とかだ。

 よし……結論。

 分からんのなら聞くべし。だいたい今の私は対外的に7歳だ。完璧は求められていないだろう。


「本当にリウス様と呼んでいいのでしょうか。もし失礼でしたら教えて下さい。不勉強でごめんなさい」


 これでどうよ。いたいけな女児(中身はアラフォーだけど)が素直にこう言って、意地悪を返してくるなら根性悪認定してやる。

 するとティベリウスさんは柔らかく微笑んだ。


「本当にしっかりしている。リウスと呼んでくれていいよ。きみは魔法使い志望であって、行儀見習いや秘書候補ではないからね。今まで勉強の機会がなかったのも聞いている。あまり片肘張らずに楽にしてくれ」


「はい……」


 思ったよりいい人だった。根性悪呼ばわりしてすまなかった。なんならオクタヴィーさんより親切なくらいだ。

 そのオクタヴィーさんは仏頂面で腕組みしている。なんでや。


「さて、ゼニスはまず一般教養を学ばないとね。家庭教師の手配は済んでいる。いつから勉強、始められそうかな?」


「すぐにでも大丈夫です。明日からでも、今日からでも!」


 勢い込んで言ったのだが。


「ははは、今日からは無茶だね。旅の疲れもあるだろう。まずは屋敷を一通り案内させるから、ここの暮らしに慣れなさい。ああでも、熱意は買うよ。勉強は早めに始めよう。3日後でいいかい?」


「はい!」


 勇み足を反省しながら、私は答えた。度重なる失敗が恥ずかしくて、顔が赤くなる。


「よろしい。ではそのように」


 なんだか話がもう終わりそうだったので、聞いてみる。


「あの、他の本家の方への挨拶はいいのでしょうか? どなたがいらっしゃるのかも、よく知らなくて」


「フェリクス本家の直系で今、屋敷にいるのは俺とオクタヴィーだけだよ。父は地方荘園の見回り、母も同行。姉は嫁入り済み、それから弟は軍務で遠方に駐留中」


 あらま。


「分家筋や食客は数人いるが、彼らには数日以内に顔を通せばいいよ。その辺も案内させる」


「分かりました。ご配慮ありがとうございます」


「よし。じゃあオクタヴィー、案内をよろしく」


「え」


 話を振られたオクタヴィーさんは、鼻にしわを寄せた。


「なぜ私が。使用人か奴隷で十分でしょう」


「だめだよ。ゼニスはお前の初弟子だろう、大事にしてやりなさい」


 お? そういえば、魔法使いの卵としてお世話になるのだから、彼女はお師匠様になるのか。なんかいい響きだなぁ、お師匠様。魔法使いの弟子になった気がする。


「よろしくお願いします、お師匠様!」


 私が言うと、リウスさんは笑って、オクタヴィーさん改め・お師匠様はうんざりした顔でため息をついた。

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