第6話 玉音放送をつくった男たち

  昭和二十年(一九四五)六月十九日、関東軍陣に着弾……

 山下喜次郎らが爆撃の被害を受けた。

 ジュノーは白衣のまま、駆けつけてきた。

「………俺はもうだめだ」

 山下は血だらけ床に横たわっている。

「それは医者が決めるんだ!」

「……医療の夢捨…てんな…よ」

 山下は死んだ。

  野戦病院で、マルセル・ジュノー博士と日本軍の黒田は会談していた。

「もはや勝負はつき申した。蒋介石総統は共順とばいうとるがでごわそ?」

「……そうです」

「ならば」

 黒田は続けた。「是非、蒋介石総統におとりつぎを…」

「わかりました」

「あれだけの人物を殺したらいかんど!」

 ジュノーは頷いた。

 六月十五日、北京で蒋介石総統と日本軍の黒田は会談をもった。

「共順など……いまさら」

 蒋介石は愚痴った。

「涙をのんで共順を」黒田はせまる。「……大陸を枕に討ち死にしたいと俺はおもっている。総統、脅威は日本軍ではなく共産党の毛沢東でしょう?」

 蒋介石はにえきらない。危機感をもった黒田は土下座して嘆願した。

「どうぞ! 涙をのんで共順を!」

 蒋介石は動揺した。

 それから蒋介石は黒田に「少年兵たちを逃がしてほしい」と頼んだ。

「わかりもうした」

 黒田は起き上がり、頭を下げた。

 そして彼は、分厚い本を渡した。

「……これはなんです?」

「海陸全書の写しです。俺のところに置いていたら灰になる」

 黒田は笑顔を無理につくった。

 蒋介石は黒田参謀から手渡された本を読み、

「みごとじゃ! 殺すには惜しい!」と感嘆の声をあげた。

  少年兵や怪我人を逃がし見送る黒田……

 黒田はそれまで攻撃を中止してくれた総統に頭を下げ、礼した。

 そして、戦争がまた開始される。

 旅順も陥落。

 残るはハルビンと上海だけになった。

  上海に籠城する日本軍たちに中国軍からさしいれがあった。

 明日の早朝まで攻撃を中止するという。

 もう夜だった。

「さしいれ?」星はきいた。            

「鮪と酒だそうです」人足はいった。

 荷車で上海の拠点内に運ばれる。

「……酒に毒でもはいってるんじゃねぇか?」星はいう。

「なら俺が毒味してやろう」

 沢は酒樽の蓋を割って、ひしゃくで酒を呑んだ。

 一同は見守る。

 沢は「これは毒じゃ。誰も呑むな。毒じゃ毒!」と笑顔でまた酒を呑んだ。

 一同から笑いがこぼれた。

 大陸関東日本陸軍たちの最後の宴がはじまった。

 黒田参謀は少年兵を脱出させるとき、こういった。

「皆はまだ若い。本当の戦いはこれからはじまるのだ。大陸の戦いが何であったのか……それを後世に伝えてくれ」

 少年兵たちは涙で目を真っ赤にして崩れ落ちたという。


  日本軍たちは中国で、朝鮮で、東南アジアで暴挙を繰り返した。

 蘇州陥落のときも、日本軍兵士たちは妊婦と若い娘を輪姦した。そのときその女性たちは死ななかったという。それがまた不幸をよぶ。その女性たちはトラウマをせおって精神疾患におちいった。このようなケースは数えきれないという。

 しかし、全部が公表されている訳ではない。なぜかというと言いたくないからだという。中国人の道徳からいって、輪姦されるというのは恥ずかしいことである。だから、輪姦             

れて辱しめを受けても絶対に言わない。

 かりに声をあげても、日本政府は賠償もしない。現在でも「慰安婦などいなかったのだ」などという馬鹿が、マンガで無知な日本の若者を洗脳している。

  ジュノー博士は衝撃的な場面にもでくわした。

 光景は悲惨のひとことに尽きた。

 死体だらけだったからだ。

 しかも、それらは中国軍人ではなく民間人であった。

 血だらけで脳みそがでてたり、腸がはみ出したりというのが大部分だった。

「……なんとひどいことを…」

 ジュノーは衝撃で、全身の血管の中を感情が、怒りの感情が走りぬけた。敵であれば民間人でも殺すのか……? 日本軍もナチスもとんでもない連中だ!

 日本軍人は中国人らを射殺していく。

 虐殺、殺戮、強姦、暴力…………

 日本軍人は狂ったように殺戮をやめない。

 そして、それらの行為を反省もしない。

 只、老人となった彼等は、自分たちの暴行も認めず秘密にしている。そして、ある馬鹿のマンガ家が、

 …日本軍人は侵略も虐殺も強姦もしなかった……

 などと勘だけで主張すると「生きててよかった」などと言い張る。

 確かに、悪いことをしたとしても「おじいさんらは間違ってなかった」といわれればそれは喜ぶだろう。たとえそれが『マンガ』だったとしても……

 だが、そんなメンタリティーでは駄目なのだ。

 鎖国してもいいならそれでもいいだろうが、日本のような貿易立国は常に世界とフルコミットメントしなければならない。

 日中国交樹立の際、確かに中国の周恩来首相(当時)は「過去のことは水に流しましょう」といった。しかし、それは国家間でのことであり、個人のことではない。

 間違った閉鎖的な思考では、世界とフルコミットメントできない。

 それを現在の日本人は知るべきなのだ。


  民間の中国人たちの死体が山のように積まれ、ガソリンがかけられ燃やされた。紅蓮の炎と異臭が辺りをつつむ。ジュノー博士はそれを見て涙を流した。

 日本兵のひとりがハンカチで鼻を覆いながら、拳銃を死体に何発か発砲した。

「支那人め! 死ね!」

 ジュノーは日本語があまりわからず、何をいっているのかわからなかった。

 しかし、相手は老若男女の惨殺死体である。

「……なんということを…」

 ジュノーは号泣し、崩れるのだった。


  自然のなりゆきだろうか、ジョンとジェニファーは恋におちた。ハワイでのことである。マイケルを失ったジェニファー、オードリーを失ったジョン……

 愛の行為は、ジョンにもジェニファーにもいまだかってないほどすばらしかった。ジョンの疲れがひどく丁寧に優しく、おだやかにするしかなかったからか、それはわからない。 裸のままシーツにぐったりと横たわり、唇をまた重ねた。

「ふたりとも恋人をなくした」

 ジョンがいうと、ジェニファーは「そうね。でも、もうひとりじゃないわ」といった。 しかし、奇跡がおこる。マイケルが生還したのだ。死んではいなかったのだ!

「ぼくの恋人をとりやがった!」マイケルとジョンは喧嘩になった。ジョンは謝った。

 しかし、ジェニファーはマイケルとよりをもどすことはなかった。

「なぜ? ……もう一度やりなおそう!」

「駄目。わたし妊娠してるの……ジョンの子よ」彼女の言葉に、マイケルは衝撃を受けた。 

     8 原爆投下






  東京湾にも米国艦隊が迫っていた。

 沖縄の米軍も本土上陸の機会を狙っている。

 ハワイ沖の空軍らは軍儀を開いていた。

「あの男はどこにいった?!」

 マイケルはいった。あの男とは、同じく米国太平洋艦隊空軍のクロード・エザリーである。

 ……あの男が! 会議にも出ないで昼寝でもしてるのか?!

 ハワイ沖はほとんど米軍の支配化である。

「原爆か……」

 広島に原爆を落とすことになる爆撃機・エノラゲイの機長、ポール・ティベッツは興奮した。これからこの原爆を……ジャップめ!

 ジョンは「まだわかりません」という。

「大統領が原爆投下の動きをみせているのは本当なんですか?」

「まずは…」爆撃機・エノラゲイの機長、ポール・ティベッツは続けた。「まずは出撃の準備をしろということだ」

 昼寝から起きたのか、クロード・エザリー軍曹がやってきて、

「ジャップに原爆をとられたらどうする?」といった。   

 ポール・ティベッツは激昴して、

「このガキが! なにぬかしとる!」と喝破した。

 しかしエザリーも負けてはいない。

「この原爆(ドラム管ほどけっこう大きい)はリトルボーイといい、ウラニウム弾である」「それぐらい俺も知っとる!」

 エノラゲイの機長、ポール・ティベッツは声を荒げた。

 ……〝トゥ・ヒロヒト(裕仁に贈る)……

 エザリーやマイケルたちは原爆ミサイルにチョークで落書きした。

「これでジャップたちは降伏する。原爆落とされ、あたりはまっ黄色だ!」

 そういったのはエザリーだった。


  七月二十四日、広島などへの原爆投下にむけて、リトル・ホワイトハウスでバーンズは『宣言』をつくる。

 トルーマンは思う。

 ……米英だけで決めてよいものか。中国にも打電しよう。

 トルーマンは重慶の蒋介石に「二十四時間以内に返事するように」と打電した。

 その間も、スティムソンは「天皇制の維持を…」とバーンズ国務長官にうったえていた。 七月二十四日、記念写真。チャーチル、トルーマン、スターリン……

 トルーマンは原爆投下の命令書を出す。

 ターゲットは、広島、小倉、新潟、長崎に変更された。

 ……原爆は日本に対してつかわれるだろう。爆弾は子や女子ではなく軍事拠点に。ジャップは降伏しないだろうが、シグナルにはなる……

                 トルーマン回顧録より


 蒋介石は日本への原爆投下を受諾した。

 こうして、『ポツダム宣言』は発表された。しかし、サインはすべてトルーマンの代筆であったという。降伏せねば全滅する。

 しかし、日本はそれを黙殺していまう。


「よし! 黄色いジャップに原爆の洗礼だ!」

 マイケルは無邪気だった。

 それは当然で、誰も原爆の破壊力など知らないからだった。

「これで戦争も終わる!」ジョンもいった。

 雲がたちこめている。

  結局、エノラゲイは日本上陸を飛んだが新潟は見えず…しかし、広島だけは雲の隙間があった。

 マイケルたちはまだ若く、軍略も謀略もできない青二才だった。

 ジョンは双眼鏡で広島をみながらにやにやと、

「広島上空異常なし!」と仲間にいった。

「……原爆ってどれくらい死ぬんだ?」とマイケル。

「知らない。しかし、相手は黄色だぜ。知ったことか」

「国際法でも認められている立派な策さ」

 そして、一九四五年八月六日午前八時十五分、広島に原爆が投下された。

「目がつぶれるから直視するな!」ティベッツ機長は叫んだ。

 双眼鏡で覗いて見ると、きのこ雲があがっている。

「………やった!…」

「うひょ~っ!」

 エノラゲイ機内に歓声があがった。

 仲間は「これてジャップも降伏だ……」という。

 しかし、予想は外れる。

 日本は、黙ったままだ。

 ……〝原爆の洗礼〝だ!

「原爆! 原爆! 投下せよ!」

 トルーマンたちは動揺を隠せない。

  一九四五年八月九日長崎上空に、爆撃機ボックス・カーが接近した。そこにはマイケルたちは乗ってなかった。同時に爆撃機はプルトニウム爆弾を投下する。午前十一時二分。「くたばれ!」

 トルーマンの号令で、爆撃機にのっていた米軍兵士たちが原爆を二発もおとした。

 この原爆で二十万人もの民間人が犠牲になったという。



「斬り込め! 斬り込め!」

 日本軍は中国で次々と中国兵士を斬り殺していく。

 が、もはや時代は剣ではなく銃である。

 すぐに中国軍は回転式機関銃を撃ってくると、日本兵たちはやられていった。

 いわゆる初期のガドリング砲は、大砲ほどの大きさがあった。

 ガドリング砲の銃口が火を吹くたびに、日本軍兵士たちは撃たれて倒れていく。

「くそったれめ!」

 谷中はガドリング砲を撃つ中国軍たちの背後から斬り込んだ。そして、ガドリング砲を使って中国軍たちを撃っていく。が、戦にはならない。次々と米国艦隊がやってきて砲撃してくる。谷中小将はひととおりガドリング砲を撃ったところで、日本軍車に飛び乗った。 ……中国への進出(侵略)は失敗したのだ。

 日本軍は全速力で遁走した。

 日本は原爆を二発もうけて、大ダメージを受けた。アジア侵略が失敗したのはいたかった。が、それよりも貴重な兵士たちを失ったのもまたいたかった。

 東条は、

「こんなことなら戦争などしなければよかった」

 と悔がった。

 鈴木貫太郎は「なにをいまさらいってやがるんだこの男は!」と怒りを覚えた。

 とにかく原爆で損失を受け、大打撃であった。


  雀之丞の弟・大塚浪次郎が戦死した。

「浪次郎!」

 兄の大塚雀之丞は号泣し、遺体にすがった。

 榎本中将がきた。

「君の弟は優秀な人材であった。惜しいことだ」   

 とってつけたように、榎本はいって労った。

 涙で顔を濡らしながら、雀之丞は、

「弟の死は犬死にですか?! 中将!」と声を荒げた。

 榎本は戸惑ってから、

「戦は殺しあいだ。連合軍があくまでもわれら日本帝国を認めないなら、戦うしかない。これは〝義〝の戦ぞ!」

「……しかし…日本が血に染まりまする!」

「〝義〝の戦では勝つのはわれらだ。米英には〝義〝がない。勝つのはわれらだ!」

 榎本はどこまでも強気だった。

「……そうですか……」

 雀之丞は涙を両手でふいて、いった。

「義の戦ですね? 弟の死は犬死にではなかったのですね」

「そうだ! 大塚雀之丞……励め!」

「はっ!」

 大塚雀之丞は平伏した。


           

  若く可愛い看護婦と、日本脱走軍の兵士の若者・英次郎は李春蘭とデートした。

「君、今好きなひととかいるの?」

 英次郎は勇気をふりしぼってきいた。

 是非とも答えがききたかった。

 李春蘭は頬を赤らめ、

「えぇ」

 といった。

 純朴な少年の感傷と笑うかも知れないが、英次郎は李春蘭が自分のことを好きになっていると思った。

「それは誰?」

「…ある人です」李春蘭は顔を真っ赤にした。

 そして「あのひとはもう治らないとやけになってるんです」と吐露した。

「………治らない? なんだ……俺のことじゃないのか」

「すいません」

「いや!」英次郎は逆に恐縮した。「いいんだよ! そのひと病気治るといいね」

「……はい」

 李春蘭は可憐に去った。

「ふられたか? 英次郎」

 兄・恒次郎はからかった。弟は「そんなんじゃねぇや!」といった。

 ふたりは相撲を取り始めた。

 兄が勝った。

「元気だせ。もっと可愛い娘がいっぱいいるって」

「だから! ……そんなんじゃねぇって」

 ふたりは笑った。

 まだ恋に恋する年頃である。


  ダガルカナルの戦地では、若者たちが英雄をかこんでいた。

 英雄とは、米国兵士を何百人と殺した男・今井信助である。

「今井さんは鬼畜米英を斬ったそうですね?!」

「…まぁな」

「斬ったときどんな気持ちでしたか?!」

 若者たちは興奮して笑みを浮かべながらきいた。

「うれしかったよ。なんせ鬼畜だからな」

「鬼畜はどういってましたか? 死ぬとき…」

 若者は興奮で顔をむけてくる。

「なんもいわなかったよ。でも連中は頭を斬られて死んだんだな」

「へぇ~っ」

 若者たちが笑顔で頷いた。

 かれらにとっては米兵は明らかな〝敵〝である。



  木之内と伊庭八郎は、敗退を続ける隊員を尻目に、銃弾が飛び交う中を進軍した。森の中で、ふたりは「これは義の戦だ!」といいあった。

 伊庭八郎は、「木之内! 日本にすごい武器がおとされたって知ってるか?」ときいた。 しかし、木之内は「知ってる。しかし、おれは最後まで戦う! お国のためだ」

「そうか」伊庭八郎はにやりとして、「まだサムライがいるんだな」

 といった。

「その拳銃の弾はあと何発残ってる?」

「いっぱつ…」

「そうか」

 そんな中砲撃があり、爆発が近くで起こった。木之内は額から出血した。

 しかし、伊庭八郎は直撃を受けて血だらけで倒れていた。

「伊庭さん?! だいじょうぶですか?」

「………木之内…」

 伊庭八郎は脇差しをもって切腹した。「かいしゃくを!」

 木之内は動揺したが、「分かりました」といい銃口を伊庭八郎のこめかみに当てて引き金をひいた。

 砲弾が飛び交う。

「やあああ~っ!」

 木之内は進軍する米国軍に剣を抜いて叫んだ。

 しかし、米軍はかれを射殺して進軍していった。

 米軍絶対的優位で、ある。

  長崎にも原爆投下され、日本大本栄は動揺した。すぐに閣僚会議が開かれた。軍部はポツダム宣言など受け入れれば国体が壊れる…と反発した。大和魂が死ぬ…とまでいう。 鈴木貫太郎首相は穏健派で知られた。御前会議にもっていく。そこで裕仁の聖断を受ける。昭和天皇は「本土決戦では日本国そのものが滅亡する。忍び堅きを忍び…世界のひとたちを不幸にするのは避け、この地の日本人たちがひとりでも多く生き残って繁栄の道を進んでほしい。武装解除で、朕は別によいが指導者たちが戦犯として裁かれるのは辛いが日本国が滅ぶよりいい」という。8月10日、日本は条件付き降伏をする。しかし陸軍がいきりたっていた。しきりにクーデターで軍による政権をつくり世界と戦うなどと馬鹿げたことをくりかえす。そんなだから空襲はますます激しくなる。日本中火の海だ。

 8月12日、外務省は降伏状を訳していた。…〝サブジェクト トウ〝…『従属する』…陸軍や海軍ら軍部は「これでは天皇制が維持されず奴隷と同じである! 陛下のためにならない!」という。そこで鈴木首相は最後の懸けにでる。もう一度の天皇の聖断である。 御前会議が開かれる。天皇の前ではクーデターも文句もない。昭和天皇はいう。

「戦争はこれ以上は無理だと思う。ポツダム宣言を朕は受諾する。もう終戦である」という。こうしてすべて決まった。愚鈍だった天皇が、最後は役にたった訳である。


  そして、一九四五年八月十五日敗戦……

〝耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び…〝

 昭和天皇(裕仁)の声がラジオから流れてくる。日本軍敗戦、ポツダム宣言を受諾したのだ。やっと、泥沼のような戦争は終わった。

 日本国中、焼け野原だった。

 しかも、戦後は食料難がおそい餓死者まででた。

 日本を占領するためにきたのがマッカーサー元帥だった。パイプをくわえながらプロペラ機のタラップをおりてくる。「アイル・ビー・バック」……の宣言通り彼は日本に戻ってきた。連合国総指令部(GHQ)は、さっそく日本を統治しはじめた。

 憲法(いわゆる平和憲法)をわずか二週間でつくりあげる。

 マルセル・ジュノー博士は荒廃した中国の町で、「広島と長崎に原爆が落とされ、一瞬にして何万人ものひとが犠牲になった」というニュースをラジオできいた。

 ジュノーは思う。「広島へいかなければ…」

『戦争は悪で人殺しだ』……多くのひとたちはそう思っている。確かに、戦争は悪でありひと殺しである。ただし、その悪によってもっと強大な悪を叩き潰すこともできるのだ。 例えば、太平洋戦争で連合軍が帝国日本やナチス・ドイツを叩き潰さなければ今頃、ヨーロッパやアジア諸国はどうなっていただろう? 確かに広島長崎の原爆、東京大空襲、沖縄戦、シベリア抑留、学徒出陣、神風…それらは悲惨なことだ。しかし、被害者意識ばかりもってもらっては困るのだ。じゃあナチスや帝国日本はあの戦争で何をやったのか? 虐殺侵略したじゃないか! ヒトラーや帝国日本はなにをしたのか?

 なぜ日本人は被害者意識だけしかもてないのだろう。なぜ靖国に参拝し続けるのだろう。反日デモがおきたとき著者はそう問いつづけた。だが、日本人からの反応はなかった。

 改革を念じるしかない。ただこの拙著だけではかわらないかも知れない。しかし、信じるしかない。太平洋戦争が間違った、侵略戦争であったということを…日本人たちが誰もがわかるまで……。                        




        9 昭和天皇崩御





 ジュノー博士は、荒廃した中国の町で「広島に原爆が落とされ、一瞬にして数千万人が死亡した。これによって日本は降伏…」というラジオ・ニュースを聞くことになる。

 つねに平和を願っていた彼は愕然となり、それからこう思う。「広島にいかねば…」と。 ジュノーは日本軍に頼み込んで飛行機に乗り、日本に向かう。千島列島に侵攻してきたソ連軍のミサイルをかいくぐって。しかし彼は東京でとめられ、頼んでも「広島」には連れていってもらえなかった。「軍の機密だから」というマッカーサー総司令官につめよった彼は、無惨な子供の死体や焼け野原となった写真をたたきつけていう。

「これが広島です。いまも多くの人々が何の治療もうけられず外部から見捨てられたまま苦しんでいるのです。軍の機密は、人の命より大事なのですか?!」

 死体の山、砂漠のようながれきの町「広島」、薬は底をつき、人々はバタバタと死んでいく。そこに彼がやってくる。「薬がきましたよ」彼のはにかんだ表情がまたすごくいい。こうして何万トンもの薬が届けられ、多くの人々が救われていく。

 去っていくジュノーと日本人医師の別れは、夕暮れの空がとても美しく印象的だ。

「センキュー・ベリーマッチ、ドクタージュノー」

「ザッツ・オーケー」

 ジュノーは八時十五分でとまった駅の時計をみていう。「あれは新しい時代の始まりです。けして戦争をしてはならないという証しです」それはとても感動的な言葉だった。

 しかし彼の意思に反して、世界は、朝鮮や、ベトナム、中東でも、同じ様な過ちを繰り返してしまう。それがとても哀れで仕方がない気持ちを覚えたりもする。……「もし不幸にも戦争がさけられないのなら、せめて治療方のない兵器は使わないで下さい」「戦争がもし不幸に起こっても戦う両者とは別に第三の戦士がいなければならない」


  ジュノーは引退してミズーリー州に引き籠もっていたトルーマンと接見した。

 彼は、無惨な子供の死体や焼け野原となった写真をたたきつけていう。

「これが広島です。いまも多くの人々が何の治療もうけられず外部から見捨てられたまま苦しんでいるのです。軍の機密は、人の命より大事なのですか?!」

 トルーマンは「この戦争の全責任は私にある。しかし、米国人の犠牲を最小限におさえるために、戦争を早くおわらせるために仕方のなかったのだ」と頭を下げた。

「それは詭弁でしょう?!」

 ジュノーはトルーマンに迫った。

 しかし、トルーマンは同じことを繰り返すばかりだった。

「……日本人たちをどうする気かね?」

 ジュノーは迫った。

「裁判にかける」トルーマンはいった。

「殺す気かね?」

「……裁判次第だ」

 ジュノーは声を荒げた。

「人材の浪費は駄目です! 今日本国を思えば……たとえ敵軍だったとしても貴重な人材は残すべきです! 違いますか? 閣下」

 トルーマンは感銘をうけた。

 ……まさしくその通りだ!

「わかりました。ジュノー先生」

 昭和二十五年九月、東篠らA級戦犯は巣鴨の牢獄の中にいた。

 一番牢  東篠英機、木戸孝一、大島浩、武藤章、土肥原賢二、松岡洋石、永野修身

 二番牢  岸信介、重光葵、広田弘毅、賀屋興宜、東郷茂徳、小磯国昭、白鳥敏夫、

 岡敬純、南次郎、大川周明、佐藤賢了、星野直樹、橋本欣五郎、荒木貞夫、嶋田繁太郎、 畑俊六、鈴木貞一

 三番牢  笹川良一、板垣征四郎、木村兵太郎、平沼騏一郎、梅津美治郎、松井石根

 四番牢  児玉誉士夫………


「馬鹿野郎!」

 東篠英機の前の首相、近衛文麿は電話を受けてそういい、そして服毒自殺した。

 東篠英機は東京法廷で「自分には統帥権(軍の指揮権利)がなかった」という。つまり、天皇でも自分でもなく、陸軍がすべてを取り仕切っていたというのだ。

 彼等らは『A級戦犯』と呼ばれて東京裁判で裁かれた。

 しかし、A級戦犯とは『もっとも悪い戦争犯罪者』ではなく、『戦争を指揮した人間』で、BC級は戦争による虐待殺戮などをした戦犯だ。東篠英機らは死刑になった。       

 重光葵は戦後、副首相兼外務大臣になり、賀屋興宜は戦後、法務大臣になった。

 岸信介は戦後、首相になったのは有名だ。あの安倍晋三の母方の祖父だ。

 昭和天皇は戦争末期、防空壕内部で只、頭を低くして陸軍の暴挙を黙認していた。

  1945(昭和20)年、昭和天皇はマッカーサーと会見した。場所はGHQ本部…

 そして、例の写真を撮影した。戦争ではアジア人二千万人、日本人三十四万人が死んだ。マッカーサーはミス・インフォメーションを信じていた。〝天皇制を廃止すれば日本人は激怒して暴動になる〝というのだ。それで彼は天皇制を維持することになる。

 たった数週間で「平和憲法」がつくられた。

 極東裁判が開かれ、東条秀樹らは死刑となり、露と消えた。

 昭和天皇は『人間宣言』をする。           

「私は現人神ではない。ただの人間である」

 日本は敗戦により、ほとんど焼け野原となり、浮浪者やホームレス、孤児、餓死者、食料難があり、またパンパンと呼ばれる売春婦たちがアメリカ兵たちに体を売り、外貨を稼いだ。疎開地でも餓死者が出た。GHQではそれでも無視した。

 しかし、日本が破壊されたのは建物や工場や軍事施設といったいわばハードであり、ソフト……つまり人材は守られた。松下幸之助、本田宗一郎、井深大、盛田昭夫、田中角栄、吉田茂、岸信介、司馬遼太郎、山田風太郎、三島由紀夫、川端康成、美空ひばり、石原裕次郎、黒澤明、そして皇族たち……世界に冠たる人材は守られ、日本はパックス・アメリカーナ(米国の核の下の平和)により冷戦でも奇跡の経済成長を遂げることになる。

 それは昭和天皇の願いでもあった。

「私は夢は、日本国が平和な、経済大国・技術立国になることである」

  そして、昭和天皇は荒廃した地方を、日本全国を巡幸していった。どこでも歓迎と拍手の嵐である。しかし、沖縄にだけはいけなかった。巡行慰問予定の年に体調を崩し、そのまま崩御してしまったのである。ひめゆりの生き残った女性は悔しがる。「……昭和天皇には沖縄にきてひめゆりの塔におがんでほしかった……」

 朝鮮戦争、JFK兄弟暗殺、ベトナム戦争の泥沼、日米安保による学生デモ、大阪万博、中東戦争、イラン革命、日米貿易対立、プラザ合意、ウォーターゲート事件……

  昭和四十年には息子の現在の天皇(当時・皇太子明仁)と民間人・美智子との結婚の儀が行われた。孫も出来た。テレビも売れに売れ、日本経済は奇跡の発展を遂げた。

 東京オリンピック、日本の高度経済成長、それにともなう南北貧富の格差…

 田中角栄による中国国交正常化、電電公社、国鉄の民営化………

 昭和の間、天皇はすこやかに静かに暮らした。そして、昭和の暮れ、ガキどもがメルトダウンしだし校内暴力、学力低下があいついでホームレスをリンチで殺したりいろいろ犯罪を犯した。バヴル経済でみんなが浮かれ、株価の意味もわからぬ主婦までもが「財テク」などと称して湯水のように金を遣った。アグリーに不良債権だけがふえた。

 中東情勢が緊迫化して湾岸戦争が勃発、世界同時不況、株価下落……

 石原祐次郎、美空ひばり、田中角栄が、松下幸之助、井深大、本田宗一郎が死んだ。

  昭和天皇・裕仁は病に倒れた。

 多年の苦労と不摂生がわざわいした。病気は進み、喀血は度重なった。

 回復の望みはなかった。

 ……せめて世界が平和になるまで。

 世界平和の業が成るのをこの目でみたい。それが願いだった。

  肌はやつれ、痩せて、骨まで痛むようになった。

 ……沖縄にだけはいきたかった……

 昭和天皇は病の床にあった。

 一九八九年、一月九日、昭和天皇は死を迎える。

 彼が愛してやまなかった日本赤十字委員会の医師たちは「俺がかわってやりたい」と泣いた。

 昭和天皇の死は朝まで気付く者がいなかったという。

 一進一退の病魔が昭和天皇の躰を襲った。

 その夜、昭和天皇は目が覚めた。

 不思議と躰が軽い。

 ……もうおわりだから最後に軽くなったか。

 昭和天皇は気力をふりしぼってようやく起き上がり、負けじと気力を奮いたたせた。

 ……まだ死ぬ訳にはいかぬ。

 ……まだ世界平和をみてはおらぬ。みるまで死ねぬ。

 昭和天皇は不敵な笑みを浮かべた。壁をつたって歩いた。

 ……私はまだ…死……ね…ない。まだやることがある…

 ……まだせめてもう一度平和活動をさ…せてください…被害者への謝罪がまだです…

 窓を開けて夜空を見上げると満天の星空がみえた。

 走馬燈のように懐かしい顔が浮かんだ。

 大正天皇の顔。

 マッカーサーの顔。息子の顔。妻の顔。孫の顔。虐殺した無辜なアジアの民…

 その他の顔、顔……

 裕仁なくして、日本の平和はあり得なかったはずだ…この私が…まだ謝罪してません… 昭和天皇は喀血し、倒れた。そして、その血により溺れ死んだ。

 享年八十七歳……

 元号は『昭和』から『平成』にかわった。故・小渕恵三が『平成』の文字をかかげる。ベルリンの壁崩壊、ソ連崩壊、冷戦終結、同時多発テロ、学力低下、イラク戦争……

 時代は刻々と変わっていく。オゾン層の悪化で環境は破壊の一途を辿り、環境が悪化。 日本は深刻な不況にみまわれた。女性天皇も認められた。愛子ちゃんが天皇になる?

 04年には孫でもあった皇太子が「雅子のキャリアを否定するような発言があった…」と異例の会見をし、また高松宮喜久子(最後の将軍・慶喜の孫で昭和天皇の弟の妻)が十二            

月に他界した。また昭和天皇の孫娘にあたる清子は、05年黒田さんと結婚した。

 中国は世界の工場としてめざましい経済発展を遂げていく……

 イラクや中東、北朝鮮は『ベトナム化』していく、EU(欧州連合)拡大……

 日本の改革も往々として進まない。子供がひとを殺し、自殺率も失業率も高くなる…

 世界大恐慌で何百万人もの失業者が路頭に彷徨う…。平成(今上)天皇はよむ。           

……〝戦なき 世を歩みきて 思い出づ かの難き日を 出きし人々〝……

 太平洋戦争敗戦から七十年以上が過ぎた。すべてが終わった訳ではない。

 しかし、昭和天皇はどんな悪人だったのだろう? どんな善人だったのだろう?

 我々日本人にひとつに疑問をなげかけた。



1月7日・8日およびそれ以後のマスコミの動き

NHKでは、1989年(昭和64年)1月7日の午前5時24分から「容体深刻報道」を総合テレビ・ラジオ第1・FMの3波で放送。午前6時36分18秒から午前10時までの「危篤報道から崩御報道」と午後2時34分30秒から午後2時59分までの「新元号発表」はNHKのテレビ・ラジオ全波(総合テレビ・教育テレビ・ラジオ第1・ラジオ第2・FM・衛星第1・衛星第2)で報道特別番組が放送された。1989年(平成元年)1月8日午前0時5分40秒(平成改元後の最初のニュース)までラジオ第1とFMで同一内容(ラジオの報道特別番組)が放送された。ラジオ第2では1月7日に限り一部番組が音楽のみの放送に差し替えられた。教育テレビでは1月7日に限り一部番組が芸術番組や環境番組に差し替えられ、『N響アワー』は曲目変更をしたうえで放送された。

7日の新聞朝刊には通常のニュースや通常のテレビ番組編成が掲載されていたが、号外および夕刊には各新聞ほとんど最大級の活字で「天皇陛下崩御」と打たれ、テレビ番組欄も通常放送を行ったNHK教育の欄以外はほとんど白紙に近いものが掲載された。報道特別番組では「激動の昭和」という言葉が繰り返し用いられ、以後定着した。1月8日に日付が切り替わる直前には「昭和が終わる」ことに思いを馳せた人々が町の時計塔の写真を撮る、二重橋などの名所に佇み日付変更の瞬間を待つなどの姿が報道された。

1989年(昭和64年)1月7日の危篤報道(午前6時35分発表)以降翌1月8日終日までは、NHK(総合)、民放各局が特別報道体制に入り、宮内庁発表報道を受けてのニュース、あらかじめ制作されていた昭和史を回顧する特集、昭和天皇の生い立ち、エピソードにまつわる番組などが放送された。また、この2日間はCMが放送されなかった。

NHK教育テレビ以外の全テレビ局が特別報道を行ったため、多くの人々がレンタルビデオ店などに殺到する事態も生じたほか、NHKに通常の番組編成ではないことについての抗議の電話が1万数千件あった。また、この2日間は、ほぼ昭和天皇のエピソードや昭和という時代を振り返るエピソードを中心の番組編成が行われていたが、テレビ朝日は8日には、ゴールデンアワー時の放送について当初の内容を変更し、田原総一朗の司会による「天皇制はどうあるべきか」という番組に変更した。2日目を過ぎた後はフジテレビが「森田一義アワー 笑っていいとも!」を同番組の企画「テレフォンショッキング」の総集編に差し替えて放送するなど、自粛ムードに基づく報道をしていたが、新聞各紙などは昭和天皇の戦争責任に関する記事を掲載するなど、従来菅孝行などから天皇制批判が昭和天皇の死をきっかけに委縮、弾圧されるのではないかとの予想とは違った展開となった。




  侵略戦争の罪と罰 



 東条英機が戦犯容疑で逮捕されたのは昭和20(1945)年9月11日、元首相・東条英機大将宅は、進駐軍の車が囲み、外国人記者で騒然としていた。GHQたちが「玄関を開けなさい!」と命令する。

「逮捕状を持っているか?」禿げ頭の東条が窓を開けて訊いた。「拘引命令書を持ってきた。マッカーサー司令部に行く用意をしろ!急げ!」「すぐ行く。」といって東条英機は窓を閉めた。しばらくして銃声が鳴った。

 進駐軍の兵隊たちがドアを蹴り壊して屋内に入ると東条英機は心臓を狙ったのか銃を持ち胸からは血がしたたっていた。進駐軍は焦った。だが、東条英機はまだ息がある。この時、小林よしのり氏の漫画では米軍兵士が東条の服や私物を奪い合った、略奪があった、と描いているが事実ではない。そんな警察機関や軍組織はない。

「一発で死にたかった。……切腹も考えたがともすれば間違いがある。大東亜戦争は正しい戦いだった」東条は荒い息で言った。「天皇陛下万歳」

 開戦当初、勝っていた頃は〝我らが東条さん〝と、庶民の人気が高かった東条だが、この当時は日本一悪評の人だった。「自殺未遂」の報が流れた時も…「ホントは死ぬ気じゃなかったんじゃないか?」「陸軍大将なのに拳銃の撃ち方も知らないのか?」負けたとたんに国民は手のひらを返した。

 70年経ってもタカ派といわれる政治家までがテレビ番組でこう批判していた。「アメリカ兵は彼が手にしていた拳銃が決して致命傷に至らぬ最小の22口径なのを見て失笑したそうな(笑)。」(石原慎太郎談)。実際に東条英機が使ったのはコルト32口径。女婿の古賀少佐が玉音放送の後、自決に使った銃であった。古賀少佐は銃口をくわえて撃ったため、死体の顔は大きく損壊していた。東条は、米軍が自分の死体を見世物にすると予想し、心臓を撃ったのだ。


戦後賠償問題 「謝罪」と「賠償金」の問題(池上彰著作本参照引用)


古くから経済的にも深いつながりのある日本と中国、韓国。その一方で、政治的には冷めた関係が続いています。戦争賠償金の問題が発端となっています。

最近「徴用工問題」、「慰安婦(従軍慰安婦)」である「戦後賠償」に関して、戦争被害国と日本との間で、国際的な問題となっている。確かに謝罪の問題は「心の問題」で、足を踏んだ側が「謝罪」をし、足を踏まれた側が「賠償を求める」のは当然の心理である。

しかし、たしかに私も、昔、「日本は侵略戦争を起した被害国に謝罪をし、賠償金を払うべきだ」と煽ったのは反省をしています。

しかし、1972年、日本と中国が国交正常化したとき、戦争賠償金の問題が早期提起された。その後、1978年になって「日中平和友好条約」が結ばれました。このとき、中国は日本に対して「戦後の賠償金を請求しない」ということで合意しました。なぜなら日本が中華民国(中国国民党・現在の台湾)と「平和条約(日華条約)」を結んだとき、中華民国が、日本に対する戦争賠償金を放棄したからです。

つまり、中国共産党政権になる前の、中国を支配していた中国国民党の中華民国が、そのトップの蒋介石氏が、戦争賠償金を放棄したからです。これによって国共内戦で勝利した中国共産党の中華人民共和国が、その当時、当事者が「賠償を戦争賠償金を請求しない」といったので現在の中国が請求するわけにはいかなくなったという背景があります。

日本としては、中国から、「賠償金を請求しない」と言われたから、その代わりとして何らかの形で罪を償わなければならないと思いました。そこで、日本は 1978年から ODA(政府開発援助)という形で、 1978年から 2018年までの40年間で、中国に無償給与という形でODA総額 3兆6500億円ものカネを、中国に渡しました。

これが、日本からの戦後賠償金と同じことになります。しかし、日本としては中国が賠償しなくていいといったから賠償はしていないが、代わりに援助金を渡してきたという思いがあり、一方で、中国の若者は「日本は戦争の責任を取っていない! 賠償金を払え! 謝罪しろ!」という、経緯を知らない中国人の若者が、反日活動にいそしむようになりました 。

これは、歴史を知らないことへの教訓なんだと思います。

日本としては、戦後賠償という形でODAを3兆6500億円も払ってきたわけですが、その経緯を知らない中国の若者が、「日本は謝罪しろ! 賠償金を払え!」と言っているわけです。つまり、日本の戦後賠償ということを提起するならば、賠償金は、中国政府に払った ODA 3兆6500億円の中から、中国政府が肩代わりとして払えばいいだけの話なんです。

しかし、中国とは「戦略的互恵関係」で繋がっています。友好関係であり大事なパートナーといっても過言ではありません。ただし戦略的互恵関係といっても、要は、「嫌いだけれども、ビジネスで重要な関係にあるから、仲良くやっていこう」と云うような話しです。

また、尖閣問題で日中関係が冷ややかになったこともありましたが、今は落ち着いていると言いえます。

また、日韓関係もあまりうまくいっていません。「戦後賠償」の問題。「徴用工問題」「慰安婦(従軍慰安婦)問題」。これに関しても、中国の若い人たちと同じように、韓国の若い人たちも「日本は謝罪をしろ! 賠償金を払え!」というふうに主張しています。

つまり反日活動です。

しかし、日本と韓国は 1965年六月に「日韓基本条約」を締結。同時に「日韓請求権並びに経済協力協定」その後「日韓国交正常化協定」を結んでいます。これは、日本が韓国に経済援助することで、「両国間では請求権の問題が解決された」ことを確認したというものです。

「韓国が「戦後賠償」を個人的にも政府的にも請求しない」ということに伴って、日本は賠償しない代わりに 1965年にまず無償給与という形で 3億ドル(1080億円・当時)と、低金利での貸し出しという形で 2億ドル(780億円・当時)を韓国政府に供給しました。また、日本の民間企業が、韓国政府・韓国企業に 3億ドルの資金融通もしました。当時の価格で5億ドル(1860億円・現在の価値で約7500億円(韓国の国家予算3.5億ドル・約5300億円))また韓国は過去50年間の内で今、経済が一番低迷しています。反日の運動での被害は33億円くらいなのですが、文在寅政権(第19代2017年~)の失策『最低賃金の引き上げ』(2018年16.4%増2019年10.9%増)でです。経済学のイロハで、最低賃金を一挙に上げすぎると不況になる……という常識的な知識ですがそれがわからなかったという。それで韓国の若年層の失業率(15~24歳までOECDデータを元の算出)は10.4%、日本3.9%です。韓国の知識人層で、『反日種族主義』という本がベストセラーで、韓国人の中にも〝反日教育の間違い〟に気付きはじめたひとも多くなっているそうですが、現状はお寒い限りです。

この資金援助によって韓国は『ハンガン(漢江)の奇蹟』ともよばれる経済発展を遂げたのです。しかし、そうしたことを知らない韓国の若い人たちは「日本は謝罪をしろ! 賠償金を払え!」と、何度も何度も蒸し返し、ゴールポストをそのたびに移動してきたのです。

政治的には、1965年の「協定」において、日本は「完全かつ不可逆的に請求権問題を解決した」という立場です。

だが、韓国大統領府は強引に『慰安婦財団(2015年末の日韓慰安婦合意に基づいて、日本政府が10億円を拠出し、韓国政府が設立した「和解・癒やし財団」を解散するというのだ)』の解散を実行してしまいました。これは日韓首脳会談で合意して、(韓国国内の)慰安婦への賠償と謝罪という意味ですでに10億円も拠出していました。だが、また韓国が一方的にゴールポストを動かした、という事です。

また、韓国国民内でも、「請求権問題」「賠償金問題」というものが何度も何度も蒸し返されていますが、日本政府が韓国政府に渡した5億ドルのうちから、韓国政府が日本政府に代わって賠償金を 5億ドル渡したうちの中から、肩代わりして払えばいいだけの話しだと思います。また、竹島(韓国名・ドクト)領有権をめぐって対立しています。が、これは国と国との問題です。しかし、国際的には竹島は「韓国が実効支配」をしているのですから、外野から何を言っても「負け犬の遠吠え」と同じことです。また難しい「慰安婦問題」ですが、確かに、風俗業としての慰安婦、というのは存在したのでしょう。

しかし従軍慰安婦と呼ばれる、まるで「ナチスのユダヤ人狩り」のような、当時の日本軍人が、トラックで街に何度も繰り出して、美女や若い女性をトラックに詰め込み「従軍慰安婦」と呼ばれる「性奴隷」にした、というような事実はありません。

もし、そのようなことを行ったのであれば「証拠の資料」があるわけで。もちろん、すべて焼き払った、みたいな反論もあるでしょうが、「ナチスのユダヤ人迫害」のような「資料」が、「従軍慰安婦としての資料」がゼロであることは、おかしいとしか思えません。

確かに慰安婦・従軍慰安婦問題が本当におこったことであるならば、きちんと謝罪をし、賠償金を払うのは当然です。が、これもまた難しい問題です。確かに風俗業としての慰安婦は存在しましたが、「強制連行」という形の「従軍慰安婦」は信ぴょう性が低いのではないか? と。

またこの問題について「日韓基本条約などで解決」というのが日本の認識です。一方、韓国では、日本政府に謝罪と賠償を求める声が何度も何度も上がっています。

2015年「慰安婦問題に関する合意」がなされ、慰安婦支援の財団を設立することが決まりました。しかし、2018年になって韓国側が「2015年の合意は、真の解決にはならない」と表明するなど、問題はくすぶり続けているというわけです。また、北朝鮮の問題では「拉致問題」というのも大きな問題です。もちろん、北朝鮮の「核ミサイルの問題」「軍事独裁」

そういったものも問題なのですが、日本人が「人さらい」にあって被害を受けた「拉致問題」というものの問題解決が、まず第一でしょう。今から40年前、中学生の少女であった横田めぐみさんが、新潟県で拉致された事件なども、悲惨な、シンボリックな事件でありました。

この拉致問題解決も、日本政府にとって非常に重要な問題であることは間違いありません。

また、2019年8月、日本政府が韓国を『ホワイト国』から除外することを閣議決定しました。難しいことを簡単に説明すると、いままで自動車の免許がゴールド免許だったのが事故を起して、普通の免許になるようなものです。

韓国の〝ホワイト国〝認定は2004年の小泉政権のときで、北朝鮮のこともあるので日本との貿易を優遇するというもの。ですが、日本からの輸入品を第三国に流出させているのではないか? と、日本側は「第三国への輸出管理を厳格化してほしい」というお願いというか。

韓国が半導体メモリィ(サムスン電子・SKハイニックス)や有機ELパネル(サムスン電子・LGディスプレイ)などスマートフォンやパソコンやテレビをつくるとき、日本からの輸入品(レジスト JSR、信越化学工業、東京応化工業)(フッ化水素 ステラケミファ、森田化学工業)(フッ化ポリイミド JSR)の化学物を使用していました。

その化学物質は猛毒サリンやVXガスなど、化学兵器にも転用されるものなので、韓国には、「その管理を徹底して厳格化してほしい」というのが日本の主張なんですね。

それがなされていないから〝ホワイト国〝から除外する……ということなんです。

でも、東南アジアとか普通の国は〝ホワイト国(輸出管理の優遇対象国)〝じゃあないから普通に戻すだけなんです。実際は輸出規制ではなく、韓国の企業も国民もわかっています。

騒いでいるのは韓国や日本の政治家や文在寅大統領だけ。韓国人は日本が好きだし、日本製品も好き。日本に観光にいきたいんですね。徴用工問題や慰安婦問題……さまざまな課題はありますが、日本は『惻隠の情』で、対応して欲しいですよね。

1965年の日韓国交正常化協定・日韓請求権協定において、日本国は5億ドル(1860億円)を事実上の戦後賠償金として韓国政府に支払い、国家としての謝罪もおわっています。

何度も言いますが、韓国人が正しい歴史を学んでいないというか、韓国人に都合のいい歴史しか学んでいない。勉強不足だから、未だに1965年の事実も知らず、「日本政府は謝罪しろ! 賠償金を支払え!」みたいなトンチンカンな発言やデモになるんですよ。

韓国政府も協定を認めていたのに、大法院(最高裁判所)の判決で、また〝ちゃぶ台返し〝をする。その後の時系列を2019年だけで観てみると、*(1月3日)、韓国の最高裁で元・徴用工(当時、日本へ強制的に連れて行かれ強制労働をさせられた韓国人たち)の裁判で、賠償金の支払いが認められた。(日本企業の資産差し押さえ)。

*(1月10日)、文大統領「(最高裁の判決に)政府は介入できない。日本は大法院の判決に従え」と無責任発言。

*(1月21日)、韓国軍、日本の自衛隊機にレーダー照射問題。韓国は「照射していない」「照射は遭難船の捜索のため」「(日本の自衛隊機が)低空飛行で威嚇してきた」「日本が謝罪しろ!」

*(2月7日)、韓国・文喜相・国会議長「日本の天皇が謝れば問題解決」発言→辞任。

*(2月8日)、日本側「二国間協議提案」韓国応じず。

*(2月22日)、「竹島の日」を廃止しろ、と韓国。「独島は韓国領土」と。

*(5月1日)、日本企業の資産を現金化(元・徴用工裁判で)

*(6月19日)、韓国「両国の企業が資金を出し合って、問題解決を(1965年の協定無視)」日本側、「応じられず」拒否

*(6月28日)、G20大阪会議、文在寅大統領と安倍晋三首相、握手だけ。

*(7月3日)、慰安婦財団、正式解散(日本側が10億円を払って慰安婦問題を〝最終的克つ不可逆的に解決〝したのをすべてなかったことに。金は返さず)

*(7月4日)、日本製品の不買運動

*(7月24日)、日韓国際会議で泥沼化。日本側「もう愛想が尽きた」「相手にしてもいられない。馬鹿馬鹿しい」

*(8月2日)、韓国を「ホワイト国」から除外。日本製品不買運動。両国交流中止。

(グループA「ホワイト国」27ヶ国)(ベルギー・ブルガリア・チェコ・デンマーク・フィンランド・フランス・ドイツ・ギリシャ・ハンガリー・アイルランド・イタリア・ルクセンブルク・オランダ・ノルウェー・ポーランド・ポルトガル・スペイン・スウェーデン・スイス・イギリス・カナダ・アメリカ・オーストラリア・ニュージーランド・アルゼンチン・(韓国)*アジアでは一ヶ国だけであった)

(グループA「ホワイト国」アメリカ、イギリス、など)(グループB、トルコ、南アフリカなど。韓国ここに)(グループC、ロシア、中国、インドなど)(グループD、北朝鮮、イラン、イラクなど)

文在寅政権では「反日」を叫べば支持率があがるが、日本と悶着して経済が悪化したことで、「日本を敵視して、愛国を訴える前に両国の話し合いや関係改善を!」という世論がでてきた。これは大きい。韓国人もわかってきた層が増加したのだ。

2010年の中国の尖閣諸島領海侵犯では、中国を日本がWTO(世界貿易機関)で訴えて、中国が日本へのレアアース禁輸に踏切った。が、日本側が「中国以外の国からもレアアースを買おう」という行動で、結果的に中国のレアアース市場は減り、中国は大損した。

日本の〝フッ化水素〝の純度は9.99999999999%(トゥエルブ・ナイン)だが、中国の〝フッ化水素〝の純度はわずか9.99%(スリーセブン)と、純度が恐ろしく低い。

韓国が中国から輸入して、半導体をつくるのは無理。日本製が無い限り、品質のいい製品は出来ない。韓国人は「韓国だけでやっていける」というが土台無理な話だ。非現実的だ。

強く輸出規制をすると、制裁が制裁を呼ぶというのがセオリーとして過激化もする。

韓国は何度も何度もゴールポストを移動させますが、怒るのは大人げない。

もっと冷静にいきましょう。歴史的にも近い国同士ですから話せばわかり合えるはずなんです。

河野外相(当時)みたいな駐日大使を一喝するようなのが一番駄目ですね。もっと冷静に。

反韓活動で、「韓国が日本のためになっていると語るのは、韓国を認める行為、すなわち国益に反する行為だ」「韓国を否定しない者は敵だ」というのがある。他人にまでヘイトを強いる発想に、心が寒くなる。ネットや一部の雑誌には韓国を敵視して、ヘイトを煽る記事でいっぱいになっている。前に、愛知県での表現展で、「展示をやめろ!」と抗議と危害行為の恫喝や脅しが相次いだ。これは、日本国に対する名誉棄損(きそん)であり、国益に反するものだ。危害行為による脅迫自体が、威力業務妨害であり、放置しては法治国家の根幹が揺らぐことになる。

もちろん、「嫌韓」を声高に叫んでいるのはごく一部だろう。だが、黙認するひとも賛同しているのとかわりがない。「犯罪行為はいけないが、韓国の味方のような展示はいかがなものか」「最近の韓国は国際法を守らない。もう、反日デモは限界! 韓国に強く抗議し、容認すべきではない!」いじめを〝見て見ぬふり〝をする連中と、どこが違うのか?

「いうべきことを言う」というのは、相手を罵倒したり、馬鹿にしたり、憎み、ストレスを発散させるものではない。それはただのいじめでしかない。

他国を憎んで、罵倒しても意味がない。「嫌韓」を声高に叫んでいるもの、「黙認」しているもの、「共感」しているもの、すべて同罪だ。

交渉とは〝武器を持たない戦争〝〝スーツを着た戦争〝である。戦争に必要なのは、情報、であり、頭脳、であり、冷静な判断、であり、お互いの利益と意見を調整する調整力だ。

外交交渉は〝昨日の敵は今日の友〝ですよ。恨んでも憎んでも意味がない。

〝兵は詭道なり〝ですよ。



話を戻す。またここでは「いわゆるA級戦犯」について書きます。「A級戦犯って誰か?」と聞くとたいていの「小娘」や「若者」は「東條英機(とうじょうひでき)でヒットラーみたいなひとなんですよね?」というだろう。ならその東條英機のプロフィールを紹介します。

東條英機は明治17年(1864年)から昭和23年(1948年)までの人生である。旧盛岡・南部藩士を父に持つ。薩摩長州藩に敗れた南部藩出身の父は陸軍軍人だったが不遇なままだった。東條英機は陸軍軍人になりのちに首相として敗戦後にピストルで胸を撃って自殺を謀るがなれない銃だった為に胸を外れて、GHQ(連合国総司令部)の医者に救われてのちに東京裁判で死刑になった。東條英機は政治には関心がなく「政治は水商売」と嫌っていたという。父親の後を追って、軍人として陸軍に入った。東條英機達は長州閥一掃をするために改革派閥をつくる。それらが議会の統制を目指す「統制派」と議会を無視して天皇を掲げる「皇道派」に分裂します。東條英機はソ連と小競り合いを起こして「退役」となる筈だった。が、支那事変(侵略)で東條英機達の兵士団は活躍して東條英機は55歳で陸軍大臣(政治家)に推挙されます。昭和15年のことです。東條英機は事務的な官僚気質の政治家で何の野心も謀略性も

ない。その東條英機と対極の人物が満州事変(侵略)を起こした石原莞爾(いしわら・かんじ)だ。東条英機はメモ魔で事務処理能力が高い官僚型天才タイプ、石原莞爾は破滅型天才タイプ。石原と東条は水と油だった。それでいて二人とも自意識過剰といっていいほどプライドが高いことだけは共通していた。

 感情的にまで対立は深まり、東条が陸相の時、自ら指示して石原を予備役に追放してしまった。東条は自分に反抗する者には容赦しない狭量さがあった。その反面、従順な部下や弱者にはとてつもなく優しく、涙もろいという、極端な性格だった。謹厳実直、厳格、生真面目、几帳面、繊細、神経質な東条は、自らの地位を利用して私腹を肥やすなどもってのほかと、清廉で模範的な軍人であり続けた。だが、部下の些細な事でもいちいち論って批判するなどで嫌われた。

 東条英機が陸相時代に作成させたものが悪名高い『戦陣訓(せんじんくん)』である。だが、実はこれは東条の発案ではない。軍記・風土の研究をする今村均中将の発案である。〝死して虜囚(りょうしゅう)の辱めを受けず〝が戦争末期の玉砕戦法や住民まで及んだ自決の元凶だといわれる。しかし、もともと『軍人勅諭(ぐんじんちょくゆ)』があるのに暗記させられたので、『戦陣訓』は兵隊には不評で、精神主義に偏り過ぎた内容に異論もあったという。

 だが、『戦陣訓』の文章だけで兵隊が自決したというのは、少し短絡的すぎないか?実際の日本軍人の死者行方不明者は370万人だというがその90%以上は飢餓や病気による死亡で、銃弾による戦死よりよほど多かったのだ。但し、小林よしのりがいうような「ハルノートみたいなものをつきつけられればモナコやルクセンブルグのような国でも戦っただろう(パール判事談。侵略戦争を正当化するペテンで詭弁)」というのは訂正して欲しい。詭弁であり、統帥権=悪、という司馬史観もどうかと思うがあまりに潔くない。東条は太平洋戦争開戦でボロ負けすることがわかっており、開戦の深夜、皇居の方に向かって部屋でひとりで号泣していたという。

〝大東亜共栄圏〝などという「絵に描いた餅」を根拠に小林よしのりは侵略戦争を正当化するがおかしいのか?侵略戦争の詭弁だと何故気づかないのか?結局、近衛文麿(このえふみまろ)首相は米国のローズヴェルト大統領と会談できないことで政権を投げ出す(近衛文麿は敗戦後に服毒自殺した)。

後任は皇族の東久邇宮稔彦(ひがしくにのみやなるひこ)がいいとなるけど…「皇族が敗戦の責任を取らされるのは如何なものか?」ということで東條英機が突如として首相になる。「貧乏籤」を引かされた訳です。東條英機は何とか戦争回避を模索するが、コーデル・ハルのいわゆる「ハル・ノート」を日本は突き付けられて、軍部が暴走して真珠湾攻撃をしてしまった。まあ、東條英機はスケープ・ゴート(生け贄の羊)にされた感じはある。だが、私は小林よしのりのように東條英機を「英雄視」したりしない。彼は昭和天皇(裕仁)の代わりに死んだのだ。東条は「開戦は私の進言、それは「開戦の詔勅(しょうちょく)」」である。と天皇を守り抜いた。

死刑判決を受けたのは土肥原賢二(陸軍大将)、広田弘毅(こうき、外務大臣、城山三郎著作「落日燃ゆ」の主人公)、板垣征四郎(首相、陸軍大臣)、木村兵太郎(ビルマ軍指令大臣)、松井石根(いわね、上海軍指令大臣)、武藤章(陸軍省総司令)、東條英機(陸軍大臣、首相)である。

ちなみに「A級戦犯」とは「もっとも悪いことをした犯罪者」ではない。戦争を指導した責任者です。B級戦犯は戦場で命令する立場の兵士。C級戦犯は虐殺や強姦や泥棒行為をした兵士です。BC級でも1061人が死刑になっている(映画「私は貝になりたい」参照)。だが、「日本にはA級戦犯などいない」だの「東京裁判はペテン」だの「侵略戦争ではなく大東亜戦争は抑圧されたアジア人の解放の為の聖戦だった」等という大嘘を私はいうのではない。広島長崎の原爆投下は『人体実験』『破壊実証』のために必要であり、アメリカ人が学校で教わるような「戦争早期終結の為の原爆投下」ではないのも知っている。原爆実験をする前に敗戦されては米軍が困るので天皇制度の維持(いわゆる「国体維持」)をあいまいにしていた。原爆実験が済んだので日本側の「ポツダム宣言受諾」をOKしたのだ。歴史は戦勝国の都合のいいように替えられる。臭いものに蓋をして現在も戦争に明け暮れる米軍、中東、世界…これでは文句も言いたくなる。気持ちはわかるがもう少し考えてから発言しなさい。

  いわゆる東京裁判ではアメリカ人のふたりの弁護士、ブレイク二―とファーネスが「事後法で日本人は裁けない」と当たり前だがいった。日本国軍はナチスヒトラーのように世界征服を企んだわけではない。侵略戦争もある程度の虐殺もあったが、ナチスではない。ブレイク二―は法廷でこう発言した。「我々は広島長崎に原爆を投下した者の名を挙げる事が出来る!投下を計画した参謀の名も承認している。その国の元首の名前も我々は承知している。彼らが殺人罪を意識していたか。してはいまい!原爆を投下した者がいる!その者が裁いているのだ!」

 だが、この発言が始まると、(マッカーサー元帥の指示した)「チャーター」で定められたはずの同時通訳が突然止まり、日本語の速記録にもこの発言は記載されなかった。勝者の都合の悪いことは闇から闇へ! である。


ちなみに戦争の犯罪の定義があります。(1)一般住人非戦闘員に危害を加えてはならない(2)軍事目標以外を攻撃してはならない(3)不必要な苦痛を与える残虐な兵器を使ってはならない。(4)捕虜を虐待してはならない。確かに連合国軍人も虐殺をしたが日本兵士だって虐殺はしています。原爆投下は確かに許せない戦争犯罪です。が、だからといって「被害者意識丸出し」で世界に訴えても何もかわらないのですね。

1945年、日本はポツダム宣言を受けて「(無条件ではなく条件つき)降伏」をします。すべては少なくとも欧米は「天皇・裕仁こそムッソリーニ、ヒットラーだ」と見ていた。が、結果は天皇の罪を東條英機や広田弘毅がすべてかぶり、A級戦犯として極東軍事裁判(東京裁判)で死刑判決を受けて死んだのだ。彼らは処刑台に向かう前に花山信勝(しんしょう)という教誨師(きょうかいし、矯正施設や刑務所で受刑者・協会信者の為に祈る宗教者)にお経をあげてもらい「天皇陛下万歳!大日本帝国万歳!」と三唱して処刑された。

 

戦争犯罪者は時に「勝者の為に犠牲者」になる。彼らだっていい訳ぐらいあるだろう。が、だからと言って、被害者意識丸出しで世界に訴えてもかわらない。小林よしのりは「A級戦犯などいない」という。なら誰が戦争を始めたのであろうか?軍部か?天皇か?何はともあれ「いい訳」で歴史を改ざんされては堪らない。歴史から逃げるな!と言っておわりとしたい。「こうして最悪の泥沼の地獄の太平洋戦争はおわった。そして敗戦より70年あまり、この物語をすべての戦没者たちに捧げる」         大河小説 玉音放送をつくった男たち  おわり



 なお、ここからの参考文献はウィキペディア、小林よしのり『昭和天皇論』(幻冬舎)、工藤美代子『マッカーサー伝説』(恒文社21)、工藤美代子『香淳皇后と激動の昭和』(中公文庫)、工藤美代子『われ巣鴨に出頭せず』(中公文庫)、寺崎英成、マリコ・テラサキ・ミラー『昭和天皇独白録』(文春文庫)

 所功『皇室の伝統と日本文化』(広池学園出版部)、西鋭夫『國破れてマッカーサー』、西尾幹二『わたしの昭和史1―少年篇―』(新潮選書)、西川秀和『昭和天皇の巡幸(第1巻)』(アーカイブス出版)、半藤一利『日本のいちばん長い日』(文春文庫)、半藤一利『聖断』

 この作品の参考文献一覧をご紹介します。『東京裁判』(上)(下)児島襄(中公新書)、『東京裁判』(上)(下)朝日新聞東京裁判記者団(朝日文庫)、『私が見た東京裁判』(上)(下)冨士信夫(講談社学術文庫)、『秘録東京裁判』清瀬一郎(中公文庫)、『世界がさばく東京裁判』佐藤和男監修/終戦五十周年国民委員会編(ジュピター出版)、『日本の歴史30十五年戦争』伊藤隆(小学館)

『昭和史をさぐる』伊藤隆(朝日文庫)、『東京裁判 勝者の敗者への報復』新人物往来社戦史室(新人物往来社)、『別冊歴史読本 A級戦犯 戦勝国は日本をいかに裁いたか』(新人物往来社)、『東京裁判の全貌』平塚柾緒/太平洋戦争研究会編(河出文庫)、『看守が隠し撮っていた 巣鴨プリズン未公開フィルム』織田文二/茶園義男監修(小学館文庫)、『東条英機 大日本帝国に殉じた男』松田十刻(PHP文庫) 

『祖父東条英機「一切語るなかれ」』東条由布子(文春文庫)、『大東亜戦争の真実 東条英機宣誓供述書』東条由布子編(WAC)、『週刊日本の100人東条英機』(ディアゴスティー二・ジャパン)、『昭和の発見』花山信勝(朝日新聞社)、『秋霜の人 広田弘毅』渡邊行男(葦出版)、『黙してゆかむ 広田弘毅の生涯』北川晃二(講談社文庫)、『落日燃ゆ』城山三郎(新潮文庫)、『昭和天皇独白録』寺崎英成/マリコ・テラサキ・ミラー(文春文庫)

『秘録 板垣征四郎』板垣征四郎刊行会(芙蓉書房)、『秘録 石原莞爾』横山臣平(芙蓉書房)、『コンビの研究 昭和史のなかの指揮者と参謀』半藤一利(文藝春秋)、『秘録 土肥原賢二 日中友好の捨石』土肥原賢二刊行会編(文藝春秋)、『軍務局長 武藤章回顧録』武藤章/上法快男(芙蓉書房)、『南京事件の総括』田中正明(展転社)、『「南京大虐殺」はこうして作られた』冨士信夫(展転社)、『日本陸軍 指揮官総覧』新人物往来社戦史室(新人物往来社)

『松岡洋右 その人間と外交』三輪公忠(中公新書)、『その時歴史が動いた13』NHK取材班(KTC中央出版)、『東郷茂徳 伝記と解説』萩原延濤(原書房)、『時代の一面』東郷茂徳(原書房)、『危機の外相 東郷茂徳』阿部牧郎(新潮社)、『海よ永遠に 元帥海軍大将永野修身の記録』永野美紗子(南の風社)、『最後の参謀総長 梅津美治郎』上法快男(芙蓉書房)、『葛山鴻爪』小磯国昭(小磯国昭自叙伝刊行会)、『怒り宰相 小磯国昭』中村晃(叢文社)

『平沼騏一郎回顧録』平沼騏一郎(平沼騏一郎回顧録編纂委員会)、『大川周明 ある復古革新主義者の思想』大塚健洋(中公新書)、『決断した男 木戸幸一の昭和』多田井喜生(文藝春秋)、『木戸幸一関係文書』木戸日記研究会編(東京大学出版会)、『南次郎』御手洗辰雄編(南次郎伝記刊行会)、『忠鑑畑元帥』梅谷芳光(国風会本部)、『畑俊六 巣鴨日記』小見山登(日本文化連合会)、『橋本欣五郎一代』田々宮英太郎(芙蓉書房)、『荒木貞夫風雲三十年』有竹修二(芙蓉書房)

『駐独大使 大島浩』鈴木健二(芙蓉書房)、『佐藤健了の証言 対米戦争の原点』佐藤健了(芙蓉書房)、『鈴木禎一氏談話速記録』(上)(下)木戸日記研究所(日本近代史料研究会)、『完本・太平洋戦争』(上)文藝春秋編(文藝春秋社)、『嶋田繁太郎海軍大将裁判中参考資料』、『見果てぬ夢 満州国外史』星野直樹(ダイヤモンド社)、『評伝賀屋興宣』宮村三郎(おりじん書房)、『重光葵 上海事変から国連加盟まで』渡邊行男(中公新書)、『孤高の外相 重光葵』豊田穣(講談社)

『「勝者の裁き」に向き合って』牛村圭(ちくま新書)、『昭和の動乱』(上)(下)重光葵(中公文庫)、『共同研究パル判決書』(上)(下)東京裁判研究会(講談社学術文庫)、『パール判事の日本無罪論』田中正明(小学館文庫)、『國、亡ぼす勿れ 私の遺書』田中正明(展転社)、『平成22年版日本の防衛 防衛白書』(防衛省)、『海をひらく 知られざる掃海部隊』桜林美佐(並木書房)、『そのとき自衛隊は戦えるか』井上和彦(扶桑社)、『ホントに強いぞ自衛隊!』加藤健二郎・古是三春(徳間書店)

『別冊歴史読本 江田島海軍兵学校 写真で綴る江田島教育史』(新人物往来社)、『今こそ知りたい江田島海軍兵学校 世界に通用する日本人を育てたエリート教育の原点』平間洋一・市来俊男・雨倉孝之・影山好一郎・北澤法隆・齋藤義朗・中村梯次・左近允尚敏・長田博・手塚正水(新人物往来社)、『中国大虐殺史なぜ中国人は人殺しが好きなのか』石平(ビジネス社)、『TPPが日本を壊す』廣宮孝信・青木文鷹・監修(扶桑社新書)、『自由貿易は、民主主義を滅ぼす』エマニュエル・トッド(藤原書店)

『原発と日本の未来 原子力は温暖化対策の切り札か』吉岡斉(岩波ブックレット)、『原発のウソ』小出裕章(扶桑社新書)、『福島第一原発「放射能の恐怖」全記録』(FRIDAY6・29増刊号)、『偽善エネルギー』武田邦彦(PHP新書)、『日本は原子爆弾をつくれるか』山田克哉(PHP新書)、『国土学再考「公」と新・日本人論』大石久和(毎日新聞社)、なおここから数行はウィキペディア、『国防論』小林よしのり(小学館)と『昭和天皇論』小林よしのり(幻冬舎)から引用いたします。盗作ではなく引用です。あらかじめご容赦下さい。裁判とか勘弁してください。


 

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第二話 玉音放送をつくった男たち  長尾景虎 @garyou999

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