異世界
増田朋美
異世界
その日はやっと暖かい空気が日本にやってきてくれたかなという感じの気候になって、やっとホッとしたという感じの日だった。のんびりした日で、なんだか久しぶりに春らしいお天気になったから、それでは久しぶりに出かけてみるかという人がちらほら出てくるかなという感じのお天気であった。
そんな日に、私はなんで病院にいかなければならないのかなと、瀧田あかりは大きなため息を着いた。後部座席に座っている六歳の息子の瀧田道彦くんは、足が痛いと訴えるばかり。そんな日がいつまで続くのか、あかりは、先が見えずに不安ばかり感じていた。最近、道彦は、足が痛いと訴えるばかりではなく、立って歩くのも難しくなっているらしい。終いにはあかりが背負ってあげないと移動できないくらい痛がる様になった。
それでも、ここまで痛がるのに、病院では異常が見つからなかった。あんまり足が痛いというので、足のMRIも撮らせてもらったし、血液検査も行った。それでも結果は異常なし。足に腫瘍があるとか、骨が折れているとか、そういう物は一切なかった。逆にそれがあったほうが、かえって楽になれるのでないかと思われるほど、道彦の痛みの原因はよくわからなかったのである。
一ヶ月前であれば、そうなるなんて予測もつかなかった。道彦は、ランドセルを背負って、元気に学校に通っていた。授業がとても楽しいとか、体育の時間にドッジボールをしたとか、毎日うるさいくらい学校の事を話してくれたのに、それは数日しか続かなかった。ある日から、急に足が痛いと言い始めて、度々学校を休むようになったのである。その前に、大きな病気など何もなかったはずなのに、ここへ来て、足の痛みをしきりに訴えるようになり、今週に入ってからは全く学校に行っていない。学校の先生も、あまり手助けをしてくれそうにないし、誰か相談に乗ってくれる人も、頼れる人もいなかった。これから行く病院で、どんな診断がくだされるのだろうか、あかりは不安で仕方なかった。
「ほら着いた。降りるよ。」
あかりは、車の後部座席に寝転がっている道彦に行った。この車は座席をフラットにはできないので、道彦が後部座席に寝転がれる大きさであることが、なんだか良かったと思った。あかりは、立ち上がってほしかったけど、道彦は疲れてしまっているようで、立ち上がれなかった。あかりは、重たくなった道彦を背負って、車から下ろした。病院は、いわゆる一般的なクリニックとはちょっと違っていて、なんだか古い映画にでも出てきそうな建物で、玄関のドアに、漢方内科と書いてある貼り紙がしてあるだけの、普通の家と変わらない感じの建物であった。
あかりは、重い道彦を背負って、病院の中に入った。中は狭いけど待合室があって、そこには寝転がって待ってもいいように、畳ベッドが一つ設置させていた。どうぞ使ってくださいと受付係のおばさんに言われてあかりは、道彦をそこへ寝かせた。他に患者らしき人はいなかった。完全予約制でそうなっているようである。数分待つと、瀧田さんどうぞと受付係に言われたので、あかりは道彦をまた背負って、診察室に入った。
診察室には、着物を着て、白い被布コートを着た老人が座っていた。なんだか頭が禿げていて、メガネを掛けて、まるで河童みたいな顔をしている。もし、ガラッパ大王が実在したら、こんな顔しているんだろうなと思われるほど、個性的な顔した先生であった。それで、どうしましたかと穏やかに聞かれて、とりあえずあかりは、息子の道彦が、学校に行き始めて数日後に足の痛みを訴える様になったが、血液検査をしても、MRIを撮っても、何も異常が無いので、ここにこさせてもらったといった。先生は、にこやかに話を聞いてくれて、
「痛みは、ずっと、訴え始めた時と同じくらいの痛みですか?」
と道彦に聞いた。
「最近は前よりひどくいたがっているような気がします。ですが、怪我をしたとか、そういう感じの事は、ありませんでした。学校で怪我をしたという報告もありません。」
あかりが答えると、
「そうですか。この時点で決定ではありませんが、おそらく、線維筋痛症というものではないかと思います。」
先生は、しっかり答えた。
「それは、どんなものなんでしょうか?」
あかりが聞くと、
「ええ、全身に、激しい痛みが生じる、心の病気です。」
先生はそう答えた。
「精神疾患?では、息子がおかしくなってしまったということでしょうか?」
あかりは、思わず言った。
「いえ、そういうことではございません。親御さんはこういう病気というと、だいたい自分のせいにしてしまうのですが、でも、決してそういうわけではありませんよ。それに、これからはお母さんのほうが、治療者になってもらわなければならないんです。それでは、痛みによく効く漢方というものを出しておきましょうかね。それと、精神関係を整理するため、カウンセリングとか、そういうものが必要になることもありますし、もしかしたら、催眠療法などの、スピリチュアルと言われる世界も必要になる可能性もあります。逆にそういうものを使わないと、治らないという人もいますから、そこはしっかり覚悟しておいたほうがいいですよ。」
先生に言われて、あかりは、驚いてしまった。そんなもの、名前も知らない。ましてや、そのようなものに頼るなんて、なんだか自分の弱いところを見せびらかすような感じになってしまって、あかりは、非常に頭が混乱してしまった。
「もし、そういう治療を受けたいのであれば、紹介しますので、遠慮なくお申し付けくださいね。漢方薬は直接痛みに働きかけるというものではないけれど、体を楽にしてくれるという意味では、役に立つと思いますからね。他に相談したいことがありましたら、公的な機関に相談してもいいと思いますよ。」
「そんな事、、、。」
確かにそうだけど、公的な機関とかいのちの電話とか、そういう物は、いくら電話をかけても繋がらないことが、普通のようなものであった。それを頼れなんて、とてもできそうなものではない。
「わかりました。ありがとうございます。」
とりあえずあかりは、柳沢先生から処方箋を受け取って、また痛がる道彦を背負って、診察室を出た。幸いこの診療所は、医薬分業にしていない。数分待っていれば、薬も出してくれる。あかりは診察料を払って、薬ももらってかばんに入れて、とりあえず道彦を連れて、病院を出た。これから、自分たちの生活はどうなるんだろう。なんだか、道彦も、大変な病気になってしまったようだし。それではもしかしたらやっと道彦が学校に行き始めてくれて、自分も仕事ができるようになって嬉しいなと思っていたのであったが、それももしかしたらやめなければ行けないのだろうか。そうなったら、生活費はどうしたらいいのだろう。でもあかりは、再婚ということは考えたくなかった。だって、前にいた夫は、道彦のことを煙たがって、家に寄り付かなくなってしまって、それが嫌であかりは離婚を決意したのだから。もう男なんてものに頼りたくないという気持ちがあったから、もう一回同じことをするのはしたくなかった。
とりあえず、自宅に帰ろうと思ったが、ちょうど昼飯前だった。人間はどんなときでも食べ物を食べたくなるものである。そういうわけだから、あかりは車を走らせて、近くにあったマクドナルドでお昼を食べることにした。まあ足が痛いと言っても、道彦も食べ物を食べたくなると思ったので、マクドナルドへ連れて行った。他にオーダーしている人もいたが、小学校の一年生が、親に背負ってもらうのは、なんとも珍しい光景であったようで、その人達は彼女を変な顔をして眺めていた。
「いらっしゃいませ、こんにちは、ご注文は何にいたしましょうか?」
と、店員がにこやかに笑って彼女に声をかけてくれたのが、救いのような感じだった。
「ああ、あの、ハンバーガーとチーズのセットを2つください。」
あかりは急いでそう答えた。道彦に、何を食べたいかと言ったけれど、彼は痛みのせいで選ぶ余裕も無いらしく何も言わなかった。マクドナルドの店員は、彼女に番号札を渡して、お席でお待ち下さいといった。それならと、あかりは近くの席に座った。道彦も椅子に座っていたが、痛みのせいで、何も喋る余裕もなさそうだった。
あかりが待っていると、隣の席に、二人の着物を着た男性が座った。一人はたって歩いていたが、もうひとりは車椅子に乗っていた。でも、ふたりとも障害のある人なんだなとすぐわかった。そうでなければ今どき着物を着る人なんていないと思う。着物というものは、事情のある人や、特殊な職業でないと着るものではないから。
「よう、こんにちは。この時間に、この店にいるってことは、なんか訳アリかな?」
と、車椅子の男性に言われて、あかりはちょっと怖くなった。その人の喋り方から、なんだかヤクザのように見えたので。そういえばテレビドラマでもヤクザが着物を着ているシーンはあったなと思う。
「杉ちゃんそんな事言ってはいけませんよ。事情があって、学校にいけなくなってしまった子供さんは今は山程いるんですよ。それを訳アリといって責めてはいけません。」
と、隣の席に座っている男性が、そういった。そう言ってくれるのだから、ヤクザでは無いと言うことだろうか。そのふたりを、道彦は興味深そうに眺めている。確かに、今まで見ている服装とは違うので、興味があるのだろう。
「まあ、責めているとか、そういう気持ちでは無いよ。たださ、どうしても、こういう事は一人では解決できないってことは確かだからさ、意地をはるのはやめて、誰かに相談したほうが良いと思うよ。僕達の施設に、お世話になる前に、彼がいきいきした顔で、学校に戻れるように。」
杉ちゃんと呼ばれた男性は、できるだけ気軽にそういう事を言った。
「ああ、僕達は怪しいものではありません。僕達は、支援施設をやっているんです。問題のあるというか、居場所の無い若い方に、勉強をするとか仕事をする場所を貸すだけのことですけどね。ときには、カラーセラピーとか、そういう人を、招くこともあります。もし、そういう人が必要なのであれば、僕達が手配することもできます。」
隣の席に座っている男性がにこやかに言った。
「そうなんですか?じゃあ、うちの息子のような子供でも、利用させてもらうことはできるのでしょうか?」
あかりがそう言うと、
「ええ、可能ですよ。利用者さんは、子供さんでもいますからね。もし、利用したいとか、相談したいことがありましたら、ここに来てください。」
と男性は、手帳のいちページを破って、自分の連絡先を書いた。それには固定電話の番号と、理事長曾我正輝という文字が並ぶ。それに、杉ちゃんからもよろしくなと、車椅子の男性が言った。それと同時に、店員さんが、二人の前にハンバーガーとフライドポテトをおいた。何故か、道彦は食欲が出て、美味しそうにハンバーガーを食べていた。それを杉ちゃんたちは、よく食べる子だなと言って眺めていた。
その日は、それ以上彼らと話をすることはなかったが、その翌日も翌々日も、道彦は寝たきりのままだった。もちろんトイレとかそういう事は行くんだけど、それ以外はずっと寝ている。かといって痛みの原因なども話そうともしない。痛みのせいで、泣き出してしまう道彦に、あかりは、どうしようか迷う気持ちであった。こんな状態がいつまで続くのかわからないし、いい加減に自分も仕事をしなければならないのだが、道彦を家においておいたら、子供を放置していると言われてしまう可能性もある。もうどうしようかと悩んでいると、ゴミ箱の中に、丁寧な文字で電話番号が書かれているのが見えた。あああのときの、着物の二人連れかとあかりは思った。その時、言われた言葉、一人ではやっていけないという言葉を思い出して、あかりは、そこへ電話をかけてみることにした。応対したのは誰なのかよくわからなかったけど、女性の声で、いつから来られますかと優しく答えてくれた。あかりがこれからすぐに行きますと答えると、じゃあ来てくれますとあっけなく言うので、あかりはよろしくおねがいしますと言って、道彦をまた背負って車に乗せ、応答した女性が教えてくれた道順で、車を走らせたのであった。
到着したのは、日本旅館のような大きな建物だった。これが福祉施設というのは、ちょぅと高級すぎる感じのする建物であった。あかりは道彦をまた背負って、その中に入った。
「こんにちは、電話でお話した、瀧田ですが。」
と、あかりは、インターフォンの無い玄関先でそう言ってみる。
「いらっしゃい。お待ちしておりました。とりあえず、今日はお話を聞かせてもらいましょうか。どうぞこちらへお越しください。」
先日あった着物の男性が現れて、あかりを応接室と書かれている部屋へ案内した。あかりは、とりあえず道彦をソファーに座らせて、自分も隣に座った。
「おう、よく来たな。」
そう言いながら、車いす用のトレーにお茶をおいて、持ってきてくれたのは杉ちゃんだった。
「えーと、お前さんは、何の味がすきなの?りんごかな?それともオレンジかな?」
杉ちゃんに聞かれて、道彦くんは、りんごと答えた。杉ちゃんは、車椅子を動かして、りんごジュースを持ってきてくれた。あかりはありがとうございますと言って杉ちゃんに頭を下げると、
「何も心配いらないよ。僕もジョチさんも、ただ皆が幸せになってほしいと思ってる。それだけだからな。」
と、杉ちゃんはでかい声で言ったのだった。その後、ジョチさんが、自分がこの建物を管理していると言って、あかりに道彦くんが学校に行かなくなった理由を尋ねた。あかりは、それが全くわからないと答えるしかできなかった。でも、それをその二人は責めたり悪い親だと言うこともなく、預かる時間帯を決めたいのだがと言ってきた。あかりは、働いている介護施設に戻りたいというと、五時に迎えに来てくれれば、お預かりできるとジョチさんは言った。それだけでもあかりは嬉しかった。また仕事をすることができるから。ジョチさんはいつからお預かりしましょうかといったが、あかりはすぐに預かってくれと申し出た。ジョチさんはそれを快諾してくれたので、あかりは、やっと職場に向かうことができた。
道彦は、美味しそうにジュースを飲ませてもらって、とてもうれしそうだった。杉ちゃんに今は足はまだ痛むかと聞かれて、申し訳無さそうにウンと答えた。でも痛いながらも製鉄所と呼ばれている建物を見学したいといった。それならそうしようとジョチさんに言われて、道彦は、杉ちゃんと一緒に、それぞれの居室や食堂、中庭などを見学して回った。
そうしているうちに一枚のふすまの前へ出た。ふすまの向こう側には、何人かの男女が話している声が聞こえてきた。それと同時にピアノの音も聞こえてくる。道彦は、ピアノの音に興味があるようで、勝手にふすまを開けてしまった。ふすまの向こう側には、水穂さんがピアノの前に座っていて、その隣に、左腕を肩からすべて欠損している男性が、水穂さんとなにか話していた。二人は道彦がふすまを開けたことに気がついて、
「そういえば今日、新規の利用者さんが来られる予定でしたね。確か線維筋痛症の男の子だとか。なんだか、昔は一般社会に流布することはなかった病気だそうですが、今は子供さんでもかかるんですね。」
「ええ、なんだか、可哀想な子供さんですけど、それが今の子供さんというべきなのでしょうね。水穂さんが言うことが本当なら、世の中は本当に変なことが起きているということでしょうか?」
と、それぞれ発言した。水穂さんと呼ばれた映画俳優のように美しい男性が、道彦を見て、一緒に遊ばない?と声をかけてきた。そしてきらきら星変奏曲を弾き始めた。それを聞いて楽しい気持ちになったのか、道彦は二人の隙間に入り込み、真剣な顔をして音楽を聞いていた。どうやら道彦は感性が良いらしい。水穂さんのきらきら星変奏曲を聞いて、歌を歌いだす始末だからだ。
弾き終わると道彦は嬉しそうに拍手した。水穂さんが、どうもありがとう、というと、
「君は学校では何がすきなの?国語、数学?」
と、片腕の男性が聞いた。
「どれもすきじゃない。」
と、道彦は答える。
「どうして?」
と片腕の男性が聞くと、
「だって、いくら授業で手をあげても、テストの点数が取れないと、良い子だって言ってもらえないもん。だから学校は嫌だ。」
道彦は答えた。
「そうなんだ。それを、お母さんや、誰かに訴えたことはあるかな?」
とまた片腕の男性に聞かれて、道彦は首を横にふる。
「それは言わなくちゃだめだよ。君はまだ一年生でしょ。それなら、少なくとも大学までは学校に通わなくては行けないんだし。それが完成できないと、日本では本当に辛い人生しか生きられないんだよ。そうならないためには、変な先生がいる学校は、生きたくないってちゃんと親御さんに言ってご覧。親御さんもなにか答えを返してくれると思うから。試験の点数ばかりで、子供さんを評価してしまうのは、全くだめな教師だね。」
と、水穂さんが優しくそういうのだった。道彦は、思わず涙をこぼしてしまった。まるで自分が言えなかったことをそのまま水穂さんに言われてしまったので、驚きと喜び、そして不安も混じっているのだろう。
「今の時代だったら、何でも学校に行けばいいかというものでもありません。フリースクールとか、シュタイナー学校とか、特殊な障害を持っている子供さんを受け入れてくれる教育機関はいくらでもあります。そこへ逃げさせてもらって、ちゃんと適宜な教育を受けることは大事なことです。それは、君の一生を決める大事なことでもあるんだよ。」
「そうですねえ。僕も、単に作曲を子供に教えるだけではだめですね。こういう訳アリの子供さんを教えられるようにしなくちゃ。」
片腕の植松淳さんが、水穂さんが言ったあとでそういったのだった。
一方、仕事に戻った、瀧田あかりは、また職場の人に色々指示を出されながら、気ぜわしく働いていた。あかりとしては、もう子供を製鉄所にあずけてしまったのでもう良いと思っていた。その後で、またあらたな問題が発生するのも気づかずに。
異世界 増田朋美 @masubuchi4996
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