ホワイトノイズ

輝響 ライト

ホワイトノイズ

 黒歴史、それは幼い頃の出来事を指す言葉である。

 いつものように辞書を見ていたセクトは、この一文を見つめていた。

 黒い歴史と書いて黒歴史、言葉の由来は言わずもがな、この世界では当たり前のことであるが、セクトにそのような歴史はない。


「今度はお前が鬼な!」


「お、おい! 先に捕まったのはお前だろ!」


 先ほどまで気にも留めていなかったはずの、子供達の声が意識に割り込んで来る。

 自身の集中力が切れたことを理解したセクトは、木陰を離れようと立ち上がり、子供たちが遊んでいる広場の方を一瞥した。


 黒い髪と黒い翼の子供達。同級生である彼らの事を眺め、やはり自分には黒歴史というものがないと再確認し、学び舎へと戻る。


「あいつ、また一人で本読んでるよ」


「神の子はいいよな、勉強しなくていいんだから」


「ったく、俺らは明日テストだってのに」


 嫉妬、誰かを羨ましく思い、妬む感情である。

 辞書に書いてあった言葉を思い出しながら、しかし言葉の意味をセクトは理解出来なかった。


「え、明日テスト?」


「そうそう」


「めんどくさいなぁ」


 面倒、手間がかかり煩わしい事を指す言葉である。

 辞書に書いてあった言葉を思い出しながら、やはり言葉の意味をセクトは理解できなかった。


「――あれが神の子供」


 学び舎に入っていった自身よりも一回りも小さい純白の少年を見て、そう言葉を漏らす少女は、未だに漆黒を纏っていた。



 ◇   ◇   ◇



「このように私達人間というものは、始めは黒い髪、黒い翼で生まれてくるのです。しかし、成長し、純白となったその身で神に心を捧げるのです」


 午後の授業が始まり、教壇に立つ白い髪、白い翼の先生が未だ黒い生徒たちに説いている。


「その為には自分を知り、世界を学ばなければなりません」


 真摯に、諭すように、優しいその声色は……生徒たちを夢の世界に誘うにはもってこいだった。


「――眠った者は放課後に補習を行いますよ?」


 そんな授業が行われている最中、セクトは一人違う教室にいた。

 もちろん、勉強をサボっているわけではない。


 その教室にはセクトともう一人、背格好がセクトの二回りほど上の人物がいた。

 その人物が、辞書を読み続けているセクトへ声をかける。


「セクトさん、何か質問はありますか?」


「……嫉妬って何ですか?」


 セクトは、生まれつき髪と翼が白かった。

 十年に一度生まれるとされている、神の子供と呼ばれる子供。それがセクトだった。

 白で生まれることは良い事である。それはつまり初めから完璧であるからだ。


「そうですね、自分ではどうしようもないもの、手の届かないものを求める時に抱く感情です」


「手が届かないのに、求めるのですか?」


「その通りですよ、セクトさんはどう思いますか?」


「……届かないなら、無駄です」


 淡々とそう言葉を返すセクトに、文句をを言うわけでもなく、「そうですか」と一言。

 灰色の髪と灰色の翼の教師は、セクトの対面で微笑んでいた。


「その通りですね、しかしそれが原動力になる事もあるのです」


「……それでも、無理な物は無理です」


「実際、そこから才能を見出すことが出来る人もいるのですよ」


 気が付くための土俵に立つきっかけの一つだと、灰色の教師は言う。


「誰も彼もが、目に見える明確な力を持っているのではありません。大体の才能は他の誰かよりちょっとだけ上手いだけなんです、私もそうですから」


「――半分くらい、理解しました」


「半分だけですか、教師としてまだまだ力不足ですね」


 自分の能力が平均かもわからないのに、不明瞭な基準で比較をしようとする。

 その行為は、やはり理解できないものだ。セクトは自嘲気味に笑う教師を見て、そう感じた。


「……自身より上の人間、それは自身の伸びしろになりうる、という事ですか」


「えぇ、その通りです。嫉妬は、憧れへと変えることが出来るのです」


 憧れ。他者を理想と、目標とする感情。

 他者を妬むのではなく、向上心を持ち、自らもそうあろうとするその心。

 それは自身をより良く成長させてくれるものだ。

 この点において、憧れとは、非常に生産性のある感情といえるだろう。


「しかし、これでは嫉妬の話ではなく憧れの話ですね」


「いえ、嫉妬とは未熟故の感情だ、という事は分かりました」


「……はい、そうですね」


 教師がセクトに向ける表情は、自嘲気味のそれではなく、ほっとしたような優しい微笑みに変わっていた。


「さて、そろそろ授業も終わりの時間ですね、他に何か聞きたいことはありますか?」


「……いえ、今日の所はありません」


「そうですか、では終わりにしましょう」


 そういうと、灰色の教師は自分の手荷物を手際よくまとめ、教室を出ていった。

 これ以上要件がないなら、他の仕事は職員室にある自身のデスクで行う方が効率がいい。

 非常に合理的な行動であるとともに、セクトは一つの疑問を抱いた。


 あの教師は、灰色なのだ。

 白であることが基本の世界で、教師は灰色のまま生きている。


 「大体の才能は、目に見えず、人より少し上手いだけ……」


 その言葉が本当であるならば、彼が灰色なのは目に見えていることで――


――キーンコーンカーンコーン


 授業終了を告げるチャイムが学び舎に響く。

 それに気が付いたセクトは急いで席を立ち、机の上に置かれた辞書を抱え教室の扉を開けた。


「わわっ!」


 驚くような声を聴き、自身より上を見上げる。

 そこにいたのは黒い翼に黒い髪の女性、制服の胸元にあるエンブレムは上級学年の物だった。



 ◇   ◇   ◇



「何か御用ですか?」


「え、えーっと……」


 自身を見てしどろもどろになるその生徒にセクトは尋ねるが、返事が返ってくるどころかさらに混乱して目線が反復横跳びしている。


「あ、あなたがセクトくんですか?」


「そうです、何か御用ですか?」


「え、えーっと……」


 どうやら自分に用があるらしいが、肝心の内容は彼女の喉元に突っかかっているようで出てこない。


「落ち着いて深呼吸をしてください」


「う、うん」


 数回ほど繰り返すと落ち着いたようで、こほんと咳払いをしてから用件を口にした。


「実は、来月末までに少しでもいいから白くならないと留年の可能性があって……」


 三か月後には進級の時期。この学び舎は、知識を学び、世界を学び、黒い子供達が白くなるためにある。

 初めから白く生まれているセクトも、学ばなければ社会に出るための土俵に立つことすらできない。

 そのための学び舎、進級の基準に白くなることが含まれているのは当然だが……目の前にいる彼女は漆黒という言葉が一番似合っていた。


「だから……お願いします、私を白くしてください!」


「受ける理由がありません」


 そのまま帰ろうとするセクトの腕を、彼女はがしっと掴んで来た。


 初めてのことに脳が混乱する。今さっき断ったばかりの相手に対し、無理を言うのは非合理的であり、叶う道理の無い願いであり、無駄であるからだ。


 この世界の大人は、そんなことはしない。


「……やめてください」


「本当に、後が無くて……真っ白の貴方から学びたいんです!」


 こと学習という面において、先人から学ぶのは大切な事ではある。

 しかし、迷惑。あまりにも迷惑すぎるのだ。


「僕以外でもできる事です」


「同級生からは避けられて先生達からも相手にされなくて……」


 こんなことをされたらそうもなるだろう、当然の結果だった。

 決してこれが悪ふざけなどではないという事は分かる。

 熱意があるないで事を図るのは数万年前の話と歴史書に書いてあるからだ。


 教えを乞うということは間違いなく熱意があるということ、その熱意の量で差別をするのは倫理観にかけている。それがの決めたルールである。

 この学び舎で勉強を、仮にも未だ漆黒でも勉強している彼女ならばその通りは分かっており、もちろん熱意があることは承知している。


 しかし、人に教えを乞うときの態度、状況として、現状はあまりにも不適切だと感じた。


「いいって言ってくれるまで離さないから!」


「わかりました、いいですよ」


 先ほどとは打って変わり二つ返事で答えたセクトに、彼女はポカンとした表情を浮かべている。

 この時、セクトは彼女の今までの言動に合理性を見出していた。


 現状に制約を与え、その制約を解除する事を条件に自分の案を飲んでもらう。

 自身の意見を通す際、きわめて合理的なやり方だった。

 しかしながら、当の本人がそれを狙ってやっていたわけではなく、セクトも「そこまでしないと通らない自分の意見は根本として合理性に欠けている」という問題点に気が付き評価を改めた。


「よ、よかった……」


「しかし、今日はもう終業時間です」


 廊下の向こう側からは、生徒たちのがやがや声が聞こえ始める。


「広場の隅にある木の木陰……昼休みは普段そこにいますから、学びたい時は来てください」


「うん! あ、私フレムって言うの。よろしくね!」


「……よろしくお願いします」


 セクトは、「面倒」という感情を理解したような気がした。



 ◇   ◇   ◇



 翌日、いつものように木陰に座り辞書を読んでいるセクトの元に、足音が近づいてくる。


「セクトくん、こんにちは」


「こんにちは、フレムさん」


 にひひと笑う彼女の事を、セクトは子供っぽいと評価した。


「……何読んでるの?」


「辞書です」


 露骨に嫌な表情をしたフレムを見て、セクトは『子供っぽい』という評価を『子供』という評価に落とした。


「辞書って読むものなの?」


「読んでますよ、今」


 様々な情報を手に入れるのに、一番手っ取り早く正確なので、セクトは普段から辞書を読んでいる。


「……面白いの?」


「そうですね、新しい知識を学ぶことを面白いと思うならそうなのでしょう」


 実際のところ、面白くて読んでいるわけではない。

 生きていくために、世界を知るために読んでいるのであって、言ってしまえばただの作業である。


「面白くは……なさそうだね」

「そうですか」


 気まずそうに視線を泳がせるフレムと、無言で辞書を読むセクト。その沈黙を始めに破ったのは、意外にもセクトの方だった。


「……座ったらどうですか?」


「え?」


「立ったままじゃ足が痛くなりますし」


「じゃ、じゃあ失礼します」


 そういうとフレムはセクトのに腰を下ろす。


「なぜ隣に?」


「な、なんとなく?」


「……そうですか」


 先ほどと同じように返し、また辞書へと視線を落とす……かと思いきや、セクトは辞書をぱたりと閉じた。


「それでは昨日のお話の続きをしましょうか」


「っ! はい!」


 昨日、授業後の放課後にお願いされたことを思い出す。


「まず、白くなるために必要な事は分かりますか?」


「えっと、勉強?」


「ニ十パーセントはあってます」


 白くなるという事は社会的に、合理的になる……大人になるという事である。

 つまるところ、卒業が視野に入る上級学年のフレムが未だ黒なのは大問題なのだ。

 先ほど、セクトがフレムを子供と評価したのもそれが原因だった。


「合理性、誰から見ても正しいと思えるような理にかなった行動をする……それだけですよ」


「うーん?」


 フレムは首をかしげて考え込む。考えるほどの問題でもないと思うが、人の認識能力に差があるのは当たり前であることを理解しているセクトは、説明を付け加えた。


「合理的な行動するためには、状況をしっかり分析することが大切です」


「うん」


「経験を積んだり、私情を抜いて考えるといいです」


 なおも首をかしげるフレムにセクトは言葉を続けようとしたが、とある人物にそれを遮られた。


「例として、フレムさんの目の前に大怪我をした二人の人がいるとします、助けられるのは片方のみ。一人はあなたの母親で、もう片方は名前も知らない子供。では、どちらを助けますか?」


 そこに現れたのは、セクトの専属教師である灰色の教師、ハルプだった。


「お母さんです」


 その答えを聞いたセクトは、心底疑問に思い、未だ彼女が黒いことに納得がいった。


「残念ながら不正解。が求める答えは子供を助ける方なのです」


「当たり前です、自身の母親を助ける理由がありません」


「そ、そんなっ!」


 ハルプとセクト、二人の言葉に異議を唱えるフレム。


「だってお母さんは私を生んで育ててくれた人で……とっても大切で……だから……」


「はい、


 生命の役割は種を続かせることであり、子を産んだ生命は使命を終えていると言っても良い。

 その点において、母親は用済みなのだ。

 対して子供を助けることは、種としてのメリットがある。子を産んでおらず、その点においてまだやるべきことがあるからだ。


「だって……そんな……」


「これがの定めた合理性です」


 セクトは俯くフレムにそう告げると、立ち上がった。


「そろそろ昼休みも終わります、教室に戻った方がいいですよ」


 そういってもフレムが動く様子はなく、セクトは木のそばを後にする。


「私は、貴女の思考が分かります」


 セクトを見送った灰色の教師は、ポツリとつぶやいた。


「でも、世界は感情を優先していたら回らない。これがの出した答えです」


 憧れのように、自己の中で完結する感情ならいざ知らず。

 私情により贔屓して社会的な損失になる事は許されない。

 それが、この世界の、神の決めたルールである。


 無慈悲にも、灰色の教師はそう告げた。


「……」


「辛いです、仮の話だとしても、肉親を切り捨てろと言われるのは」


「……そう、ですね」


「それを受け入れる、諦める、そういうもの・・・・・・だと認識する。それが白くなるという事なんです」


 普段の鎧のように纏った微笑みを自嘲に変え、強がるように、歯向かうように嗤った教師は「では」と告げて学び舎へと戻っていく。

 一人残された少女は、零れそうな涙を抑えていた。

 その涙は、現実を突きつけられた事が原因ではなく、自分に向けられた悔し涙だった。


 彼女も決して、これ・・を理解していない……なんてことは無かった。

 今までの五年間学んできたものを見て、合理性、社会性の何たるかを理解できない人間などまずいないからだ。


 それでも、それでも彼女は、信念にも似た疑問を持っていた。

 社会において、感情というものが無駄であるはずがないと。

 そのために、彼女は神の子供ともいわれる、自分より三つも年下の少年に声をかけたのだ。


 しかし結果はこうして、感情の入る余地もない合理性だけが勝っている。

 心の軋む音が……そんな幻聴を振り払う。

 そんなもの・・・・・は存在しない、軋むのではなくこれは成長である。

 自身の脳がそう考えることを拒まない。

 どうしても、脳は私ではなくハルプの言っている事の方が正しい、そう認識するのだ。


 だんだんと、始めの悔しいという感情も薄れていって。

 俯いて前に垂れた髪の毛先は、白く染まりかけていた。



 ◇   ◇   ◇



「失礼します」


 扉がノックされ、教室に一人の少女が入ってくる。

 純白の翼に純白の髪、見た目はガラッと変わったが、その顔立ちには心当たりがあった。


「フレムさん、久しぶりですね」


 ハルプのその声で、セクトは読んでいた辞書から視線をドアの方へと向ける。


「お久しぶりです」


「一か月ぶり……くらいかな、試験も終わったし」


 雰囲気は変わった者の、変わらないニコニコとした表情。

 そんな今の白い彼女を見れば、試験の結果は分かり切った事だろう。


「……その、セクトくん」


「はい、何でしょうか」


 いつかの時とは違い、目線はしっかりとセクトを見据えていて、言葉が喉につっかえる様子も無く。次の言葉はすぐに出てきた。


「ありがとう、そしてごめんなさい」


「いえ、特に問題が起きていたわけでもないので大丈夫です」


 実は、相談を受けた日の翌日。セクトはハルプに内容と出来事を伝えていた。

 昼休みにハルプがやってきて問題を出したのも、全て事前の打ち合わせ通りで、手間と言われてもそれだけの簡単な話だった。


「今思い返すと恥ずかしくて恥ずかしくて……」


「それは、フレムさんが成長したということじゃないですか?」


 ハルプの言葉に、セクトは頷いた。


 その通り、これは成長なのだろう。

 まだ黒い時の記憶、黒歴史・・・というものは、己の未熟さを理解するための大切な記憶なのだと、少年は理解した。

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