これについて

 有名企業出身同士、高学歴同士で作ったベンチャー企業。羽振りが大変良く、上役はの風通しもよく、ザ・実力主義ベンチャーっていう感じの会社に、大学中退というあまり綺麗ではない履歴書で転職させてもらった。

 大変幸運なことである。

 3月、そこを退職した。

 ブラックとホワイトのド中間。転職支援アドバイザーが言うなら「人によってブラックとホワイトの捉え方って違いますからね」と言いそうなレベルのグレーな会社。

 あまりよろしくない働き方をしていた部分もあった。ただ本当に痛めつけられ冷遇されたか?と言ったらそうではないと思う。自分でいづらくして首を絞めていったようなところもある。生活力の低さ、ストレス耐性の低さ、体育会系に迎合できない人を馬鹿にしたような斜に構えた態度、マイペース。

 思い返すと、なんて可愛くない部下だろう、と思って恥ずかしくなる。ただ自分である。おそらくまた苦しい思いをした時、自分を守るために同じことを繰り返す、そんな確信がある。

 だからこれを機に自分と向き合いたくなった。私ってダメだなと思っている。ダメと生きていく。ちょっとこんがらがって根深い「ダメさ」を理解するために過去を振り返るエッセイを書いている。



 嫌なことをすぐ忘れるという自己防衛機能を高めすぎた結果、これまでの人生をあまり覚えていない。10代後半から、ずっと何かに急かされるような感じがあって、ずっと頭を空にすることに必死で、過ぎ去った後のことを、「こんなこともあったな」と愛する気になれない。あまり思い出したくない、カスカスになった使い捨てのコンタクトのゴミが落ちているのを見下ろすような気持ちでいる。



 仕事を辞めて、実家に帰ってきた。太った小型の愛玩犬と、ゆっくり起きて、少しばかりの在宅でできる仕事をして、日がくれたら夕飯を作って、両親を待つ。真綿にくるまれたような生活をぼんやりと送って、一日一日の記憶がない。

 愛されてぬくぬくと日がな眠る太った愛玩犬が、自分に重なっている。

 なんだか怖くなって日記をつけ始めた。


 これまで記録をつけるのが怖かった。なんとなく、嫌なことが残ったり、後になって自分の自意識過剰や被害者ぶった言動を読み返すのが怖かったから。

 ただ意外と昔の自分のTwitterの言動を読み返すのは楽しかったので、案外平気かもしれない、と思った。

 だから、もう少し完全に、忘れてしまう前に、思い出せるだけこの人生の最悪でどうしようもないことを、読み返して後で「こいつ本当にどうなってんだろうな」と笑うために書き記しておきたくなった。



 仕事を始めてしまえばすぐに仕事人間に戻れることは知っている。忙しさの中で自分の悪いところやストレスや、泣きたいような気持ちや自分の中のしんどさを叫ぶ声を無視してひたすら仕事をし続け、その中で自分の肯定感を高め補填し安心できることを知っている。

 あまりの惨めさに、早く仕事がしたい、と思っている。ただ、それだと今までと変わらずまた爆発しそうな予感がしている。そうでなければいい、と思いながら、そうならないと言う保証はない。


 次の仕事を始める前の精算をする。大変愛されて不自由のあまりない家庭で育ったにも関わらず、カレーのじゃがいも程度の大きさの欠落のある自分のことを振り返る。


 思い返してもやはり、悲しいと思えない、自分をきずつけて蔑ろに扱った、10代から20代の私の話を。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

私小説(15分) @tabuchiozigi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る