君と僕の超速世界一周旅行

月見 夕

そうだ、世界一周しよう

 GWゴールデンウィークに海外に行こう、と言ったのは梨花りかだった。


 まったく誰が決めたのか、世間の熱に浮かされるように大型連休にはどこの家庭も家族旅行に買い物にと出かけていくようだ。

 この春に中学二年生になったばかりの僕の家にもそんな浮かれた話が出たらいいのに、両親はこぞって仕事だ何だと忙しく、そして行き場のない僕は学習塾に放り込まれてしまった。


 同級生で幼馴染の梨花の家も同じような理由で、だから僕らは大して興味もない授業を人もまばらな教室で並んで受けていた。

 そんな時だった。彼女が長い髪の毛を指先でいじりながら、隣の僕を小突いて言ったのだ。


「ね、雄大ゆうだい。あたしと世界一周旅行しようよ」


 ちょうど授業の内容は古文だったから、「何を言へるなり、こは何を言ってるんだ、こいつは」なんて言葉が頭を巡ったのだけど、いつも突拍子もないことを言ってくる梨花のことだ。多分自分の理想と針の先程もない希望をごっちゃにして考えてしまうほどに、今この瞬間が退屈なんだろう。ついこの間は「サンタを捕まえる方法を思いついた」だったか。まったく13、4歳にもなってサンタとは、その発想にも恐れ入る。


「あー世界ね、行きたいな。自由の女神とか登りたい」


 だから僕は黒板に目を向けたまま、ありったけの適当さを滲ませてそう呟いた。

 ……のだが。


「本当!? いいよね自由の女神。多分すぐじゃないかな。行くと決まったら今! さあ行こう!」


 梨花はそう言って立ち上がり、授業中なんてお構いなしに僕の手を引いて教室を後にする。あまりに突然のことだったので僕はスマホだけを引っ掴み、背中に先生の呼び止める声を聞きながら塾を飛び出した。



 どこかへ駆けていく梨花に必死について行きながら、僕は戸惑いをそのままぶつける。


「梨花、行くってどこに――」

「言ったでしょ? 海外だよ海外!」


 前だけを見て走る梨花の瞳はまっすぐだった。

 こいつは海外をその辺の町境と勘違いしていないだろうか。

 日本は全方向海に囲まれた島国。僕らの住むここ東京からだと同じ国土の沖縄にだって1万円前後を引き換えにしなければ飛行機にだって乗れないし、そうでなければ船か。何にせよ先立つものなんて、中学生の僕らには何もない。

 ましてや海外だ。パスポートなんて作ったこともないし……と真剣に悩んだところで、僕の腕を掴んだままの梨花は街外れの小学校跡地に足を踏み入れた。


「ずーっと考えてたんだ。お金も手段もないただの中学生のあたし達が、どうやったらGWに華々しい思い出作りができるかって」


 もはや荒れ野となった校庭の雑草をかき分け、彼女は進む。


「まだ若いんだからさ、いっぱい楽しいことしたいじゃん? だからさ、協力してもらうことにしたの」

「協力って……何に」


 説明をやたら勿体ぶる梨花。いまいち話が見えない僕らの前に、それは現れた。

 人々に忘れ去られ苔むした井戸が、鬱蒼とした木陰に佇んでいた。

 古びた木蓋には落ち葉が降りかかり、より景観に物悲しさを与えている。

 大昔の小学校には校庭に井戸なんてあったんだなという感慨と、人間に打ち捨てられた遺骸のような不気味さも相まって、僕は身体を固くする。

 これが僕らにとって何の関係があるのだろう。

 まあ見ていろと言わんばかりに胸を張り、梨花は古井戸の蓋に手を掛けた。


「じゃじゃーん」


 シェフが自慢の一品を披露するかのように蓋を開けたその中には、やせ細った白髪の老人が縛られて吊るされていた。

 突如光の下に晒された青い瞳はぎょろりと怯え、荒れ放題の白髭に埋もれた口元は口角泡を飛ばす勢いで何かを口走っている。が、聞いたこともないような言語だ。

 そして何より匂いがすごい。ナマモノが腐ったみたいな臭いが井戸から立ち込めている。


「え……これって」

「そう。捕まえたの、サンタクロース」


 サンタクロース。12月に各家庭を回って子供に夢を配る、お伽噺の住人。

 そんなネット辞書みたいな解説が頭に流れる。今は5月だ。しかし確かに目の前で委縮しきる宙吊りの老人は、薄汚れてはいるものの赤い衣装を身に纏っている。


「いやー、大変だったよ? 今の時期ってサンタ的にはオフシーズンだから、世界中の子供を下見してたみたい。そこを捕まえたってわけ。特殊相対性理論だか何だか分かんないけど、とにかくすんごい早くてさ。一緒にいたトナカイは隠しきれなかったからバラして井戸に捨てちゃったんだけど、ほら、人間の方はそうすると殺人になっちゃうじゃん? だからこうしておんなじ井戸に入れてみたんだけど、鹿肉が底の方で腐ってんのか臭いのなんのって。これぞ『臭い物に蓋』って感じ? あはは」


 冗談のつもりなのか笑う梨花。僕はその笑顔を正面から見ることができなかった。

 ただの中学生は井戸に人を拉致したりはしない。トナカイも殺さない。

 背中に怖気が走る。どうしよう。すぐ隣にいる梨花が化け物のように思えて仕方がない。


「サンタクロースが速いのって別に特殊能力とかじゃなくて、そこのソリに乗れば誰でも行けるみたい。早速どこか行ってみようよ」


 新しい自転車でも手に入れたかのようなフランクさで、彼女は背の高い草に埋もれた木ソリに向かう。

 僕は井戸に吊るされた老人と目が合った。

 梨花の誘いに乗ってはいけない。

 そう彼の目も、僕の良心も告げていたが、


「雄大、どうしたの? 早く行こうよ」


 ソリに乗り込んだ彼女の一声で、僕ははっとした。


「ニューヨークってどっち? 西回り? 東回り? まあどっちから行っても数分くらいしか変わらないか」


 誘いに乗った時点で、僕が彼女の共犯になるのは決まっていたのかもしれない。


「いよーし、じゃあまずは自由の女神へレッツゴー!」


 狂った梨花と僕を乗せた木ソリは、周囲の風景を亜空間の如く歪ませて寂れた校舎跡を飛び立った。

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君と僕の超速世界一周旅行 月見 夕 @tsukimi0518

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