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三島の文章に比べこちらの太宰の作品の方が色々と考えやすいなと思う。文体が優しいからか、もしくは僕の根本的な性格がどこか太宰のネガティブ思考と似ているからか、どちらがそう思う要因なのかはわからない。(もしかしたら両方かもしれない)今回のトカトントンは最後の大半が嘘だという盛大な暴露は驚いた。書いていることが必ずしも本当のこととは限らず、小説では作者が絶対的な唯一神であり全てをコントロールすることができる。なんだか昔読んだ推理小説を思い出した。最後の暴露までは、私はネガティヴ思考の人物でで、規定以上の感情の動きが行われると、自我を保つためか思考、感情のオートロックのような機能が脳内で生み出されている少し痛い人物なのかと思っていた。しかし暴露後、私は覚醒剤の中毒反応のような幻聴、幻覚、そして想像力豊かな感性を持っている人物なのだろう。

「トカトントン」というなんとも奇妙な音は私の感情や強い意志を水をかけられた火のようにシュンと消し、灰のような虚無感と燃えかけの火種のような書き途中の原稿用紙だけをのこす。なぜそのようなことが起きるのか無理やりだと感じるところもあるが一つ案が浮かんだ。トカトントンのなる前の心情の変化は外部的要因を起源とする。そんな私を本能的にか身体が「ひとの(意見の)おもちゃになる」と認識し、それを回避するため、トラウマのあるトカトントンを鳴らして、私の行動と感情の抑制を行っていたのではないかと思う。と言うのも、「ひとのおもちゃになるな!」は花江さんに私が伝えたかった言葉で、私のような野暮な田舎者には、とても言い出しえないセリフであるが、でも私が大真面目に、その一言を花江さんに言ってやりたいと思うくらい、私が本当に信じていた心理だと思われる。そんな心理が自己防衛の一種として、戦中にまだ取り残されている戦後を生きる私に発現したのではないだろう。人間の脳は主人を守るため、もう一つの自分(多重人格)など多くの別のものを生み出す。私のこれもそれの一種なのだろう。





*『トカトントン』太宰治を読んだよきのものになります。

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