第4話

『ガチャ』

玄関の鍵が開く音がする

焦っているのか、少し乱暴な音だ

足音がこちらに向かってくる

わたしが顔を上げられないでいるとずっと前から大好きな安心する匂いがふわりと香る

「夏帆…!」

ーお母さんだった

出張で家を空けていたお母さんが事情を聞いて帰ってきてくれたようだ

1週間ぶりだろうか

久しぶりに見たお母さんの顔には心配と疲れが滲んでいた

「ま、ま」

止まったはずの涙が再び溢れ出す

もう他に言葉がでない

わたしはもうずっと久しぶりにお母さんの胸に顔を埋めて泣いた

もうどうしたらいいのかわからなかった

お母さんは何も言わずに背中を摩りながら胸を貸してくれた

しばらくして先に声をかけてくれたのはお母さんだった

「ココア飲む?」

なんとも季節外れなそれはわたしの好物だった

「うん」

「じゃあ作るね」

そういって立ち上がったお母さんと離れるのが嫌で私も後ろを歩きキッチンの横でココアを作るお母さんの顔をぼーっと眺めていた

(こんなふうにちゃんとお母さんの顔見るのいつぶりだっけ)


しばらくすると2つのマグには暖かそうなマシュマロの入ったココアが出来上がっていた

エアコンをつけるも、ついさっきまで誰もいなかったリビングはまだ蒸し暑い

こんな部屋でココアを飲むなんておかしな話だ

でもそれでよかった

淹れたてのココアに口をつける

降り続ける雨が窓にポツポツと当たる音が少しだけ気持ちよかった

お母さんが少し寂しそうに笑った

「なんか、こうやって話せるのも久しぶりだね」

お母さんも同じことを思っていたのか


ーわたしの家は片親だった

お父さんはわたしがまだ小さかった頃に交通事故で亡くなっている

生まれてからお父さんと過ごした時間は4年

記憶の中に残るお父さんはもうぼんやりとして曖昧に形をなしているだけなのに

それでもお父さんの写真を見ると“懐かしい”なんて感じてしまうのだから不思議なものだ

そんなこともありお母さんはわたしのためにも、お父さんと暮らしていたこの家に住み続けるためにもよく働いていた

そんなに仕事ばかりして大丈夫なものかと心配になったこともあった

通勤には車で1時間以上の時間をかけていたし、出張も多かった

それでも守りたいんだと言っていた

この家も、この暮らしも、

お父さんとの思い出を

そんなことをお母さんが零したのはわたしが中学に上がったばかりのころだった


「そうだね」

ぽつりと言う

なんだかいろんなことを思い出した

お母さんと小学生の頃行ったディズニーランドの楽しかった思い出、あの時人生で初めてジェットコースターに乗ったんだよな

夏休みになると決まってお母さんが休みをとってくれて海まで手を繋いで歩いた記憶、砂浜で大きな砂のお城を作ってわたしはお姫さまで、絵日記にしたっけ

学童で終わりの時間までお母さんが帰ってこなくて、みんながが帰っちゃって寂しくて、でもお母さんが迎えにきてくれた瞬間そんなことどうでも良くなるくらいに嬉しくて

中学生になると小学校の頃よりもお母さんといられる時間が短くなって寂しかったな

でも大人みたいに扱ってくれるのがほんの少しだけ嬉しくて

「ママ、、」

声が震える

視界が涙で滲んできた

なんでだろう、前を向けない

「ごめん、、なさい…」

なぜかわからないけど謝らないといけないような気がした

「なんで夏帆が謝るの?」

優しい声だった

「大丈夫だよ、夏帆

今はゆっくり休んでいいんだよ」

「ママはいつ、戻るの?

もう戻らなくちゃいけない?」

お母さんは「大丈夫」とでも言うように目を細めてから言った

「夏帆が大丈夫になるまではここにいるよ」

でも、でも、、

わたしは罰を受けるんだ

だめ、お母さんに甘えちゃだめ

急に現実に戻ってくるようだった

依鈴の死をきっかけに今わたしはこんなふうにお母さんと話せているのか

なんだかこの状況すら皮肉に思える

自分が、憎い

「ママ、大丈夫

もう戻っても大丈夫だよ」

涙を拭ってからしっかりとお母さんの目を見る

にこりと微笑んでみせるとお母さんは心配を滲ませながら悲しそうに微笑んだ

「1週間はこの家にいるよ、絶対

荷物も持って帰ってきちゃったし」

「ううん、いいのほんとに

もう今日には戻りなよ

ママと少しお話ししたら落ち着いた」

「それにわたしには水瀬くんがいるし!」もう一度笑顔を見せる

それでも家に残ると言いそうな顔をするお母さんにわたしは畳み掛けるように言った

「相澤さんに連絡入れておくよ、わたしからも

わたしはほんとに大丈夫なので!って」

お母さんの会社の人の名前を出すとやっと少し意志を曲げてくれたようだ

「じゃあ出張はやめにしてお母さん毎日早くに帰ってくるから

夏帆はひとりでいる時間が欲しいのかもしれないけど、お母さんも心配だよ

夜は一緒に過ごそう?」

仕方なく頷くわたしを見た後「少し電話してくる」とお母さんが席を立った頃には、もうすっかり窓の外が暗くなっていた

背中に付き纏う泥のような疲労感と心を埋め尽くす真っ黒な感情に向き合うこともできずにわたしは机に突っ伏した

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明日の君に会いに行こう そらゆきまめ @_rosapink76

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