第9話 川の流れと共に

「あ、起きましたか」


 ウロ坊が目覚めると、頭の上からそんな声が聞こえてきた。

 ゆっくりと目を開く。


 視界には、真っ青な空とそこにたなびく白い雲。視界の端には黒い絶壁。

 なんだか昨日も似たような光景を見たような。そうではないような。奇妙な既視感を覚えた。

 異なるのは。そう、昨日目覚めた時と明確に異なるのは、かけられた声と視界の黒。今日の声は昨日より柔らかく穏やか。視界の黒は昨日より小さい。


 まるで、対比のようだと。


「……モエカ」


「はい、モエカですよ」


 声の調子から、自身を膝枕しているのがモエカであるのだとすぐに気づいた。目を開く前から気付いていた。数年とはいえ、声だけで彼女だと分かるくらいには長い付き合いだ。


「……濡れてるな、ワシ。めっちゃ寒い」


「川に流されてましたからね。ビックリしましたよ、もう」


「髪も濡れてる。服、濡らしたんじゃねぇか? 悪い」


「いえ、気にしないでください。元からワタシも全身ずぶぬれだったので」


 見ると、彼女の黒いセーラー服はぴっちりと彼女自身の肌に張り付いている。

 状況から推察するに、どうも流されていた自身を彼女が泳いで救出したらしい。着衣で。


「服、着たまま泳いだのかよ」


「いけませんか? これでも花も恥じらう乙女ですから。野外で露出なんて、そんなはしたないことはよっぽどでなければしませんよ」


「人命救助はよっぽどの事だろ。それに、そういうやり方はフツーに危ない。一介の女子高生がすることじゃねぇよ」


「助けられた側の言葉とは思えませんね。いえ、ワタシの身を案じていることは分かりますけれど」


「ワシの命よりもアンタの命の方が価値がある、モエカ」


「いけませんよ、命の価値を測ろうだなんて」


「価値、重さに違いはあるだろ」


「あったとしても、人の身でそれを類推するのは傲慢が過ぎます」


「アンタ、クリスチャンだったのか?」


「いえ、無神論者です。発展した文明社会をもって神秘、並びに神の死は成されたと考えていますよ」


「……ありがとな。借りが出来た、のか?」


「いえ。借りだなんて。アナタの命を救うくらい、借りにもなりません。なにせ、ウロ坊くんの命は軽くて安いので」


「これは強烈な皮肉だな」


「これでも知能が高いので、ワタシ」


「自分で言うか」


「言いますとも。優れた者の謙虚さは時にその他の人を貶めるに等しい行いですから。それは悪徳と言っていいでしょう。具体的には、テストで満点だった方がそれを大したことないなどと言っていたら、それ以下の点数だった人は努力していて成した結果だとしても間接的に貶められる、みたいな」


 ――現実だったのだろうか。それとも空想だったのだろうか。


 どうにも、記憶が曖昧だ。


 推測するまでもないことだが。

 ウロ坊は、自分が川で溺れていたのだろうと考えた。これはほぼ、確定した現実だ。


 しかし。


 あの、強烈な個性を持ちながら極めて遠望な人類絶滅計画を立てていた自称妖精の侵略者は、はたして現実だったのだろうか。それともそうではないのだろうか。


 ほんの些細な拍子で川へと落ち、溺れながら薄れる意識の中で夢想した、自分の妄想だったのか。否定は出来ない。

 昨日の記憶はある。あの侵略者に、今モエカにされているように膝枕をされながら語り合った、なんてことないつまらない記憶。侵略者でありながら、上位者でありながら、知性の中に幼稚な情緒を垣間見えさせた彼女の記憶が。


 だが。さながら世界三分前仮説の如く。

 『昨日という出来事があったという前提の夢』を見ていたという可能性をウロ坊は否定できない。仮に夢であった時、その終わりがあの幕切れであったことは不自然だが、夢とは不自然なものだ。少なくとも、現実で妖精が人類を滅ぼしに来るよりはずっと自然だ。


 溺れる中見た夢。

 世界の滅亡を遠回しに願う今際の夢。

 無意識下にて世界を恨んでいた自分が夢見た、世界よ滅べという願い。しかし死にたくない自分が夢見た、滅びるなら自分の死後であれという願い。

 メルヴィレイ・リヴァイアサンという女性は自分の根源たる欲望の具現ではないのかと。

 そう自分が願っていないと、どうして断言できようか。


 文字通り、泡と消える泡沫の夢。川の飛沫にて生まれた空想、幻想、妄想。


 そして、付け加えるならば。

 その夢が現実で。あの不可思議な彼女が実在していて。


 だとして。


 彼女は、メルヴィレイには棘のようななにかが刺さっていた。

 狩人に狙われていると言っていた。


 ……それに関して、ウロ坊に何が出来るというのか。

 彼は、10前後の普通より劣悪な環境で育っただけの少年未満の誰かでしかないのだ。ヒロインを救う物語の主役でもなければ、世界を滅ぼそうとするヴィランでもない。普通未満の無辜の誰かだ。


 ――たとえ現実だったとしても、夢幻だったのだと思い忘れた方が良い。そうに決まってる。


 それなのに、どうして。


「……どうしたのですか?」


 彼の異変に。様子のおかしいウロ坊に気付いたモエカがそう声をかける。


「妙な、夢を見ていた気がすんだよ」


「夢、ですか」


「夢だ。夢に決まってる。合理的に、論理的に、理性的に考えて、あれはフィクションだ。空想で幻想で妄想の産物だ……そのはずなのに、どうにも現実感が、消えない」


「起きたばかりだからでは?」


「かもしれない」


 でも。


――――


 あるところに、とても強い妖精さんがいました。


 彼女は今の地球の状態に対して嘆いていました。それはもう、とても嘆き悲しんでいました。

 というのも、今の地球にはとある生き物が覇者として君臨していて、その生き物に他の生き物たちが支配されてしまっていたからです。


 妖精さんは思いました。この支配している生き物を駆除したら、地上の生き物たちは自由になれるのではないか、と。


 彼女はそのことを他の妖精さんに話します。否定はされません。けれど、肯定されることもありません。

 なぜなら、妖精さんのご先祖様もかつて地球の支配者として君臨していたからです。自らのその支配者としての在り方を良しとしなかったご先祖様がその立場を捨てた結果が今の地球だからです。


 今の支配者たる生き物の駆除は、地球へ干渉することを止めたご先祖様の行動を否定することになるのでは? たとえ少しでも地球に干渉することは、都合良く介入することは身勝手なのでは?


 他の妖精さん達は。いえ、その妖精さん自身も心の奥の方ではそう考えていたのです。


 ですが、そんな矛盾した考えを持ちながらも妖精さんは決意します。

 やっぱりその支配している生き物は良くないと、滅ぼそうと。


 他の妖精さん達も彼女を止めません。妖精さんが矛盾した心を抱いていたのと同じように、彼女達もまたそうであったのです。

 妖精さんとの違いは、きっと、ほんのちょっぴりの考え方の違い、価値観の違い優先順位の違いだけだったのでしょう。


 妖精さんは地球へとやってきました。


 地球は、そのとある生き物で満ちていました。

 妖精さんは彼らを滅ぼすべく、彼らのことを知ろうと行動し始めます。


 彼女は事前にその生き物の鳴き声……言語を学んでいたため、彼らとコミュニケーションを取ることが出来ました。


 その生き物は、妖精さんよりもとっても弱く、脆く、儚い生き物でした。見た目も妖精さんに似ています。違う所といったら尻尾と羽根がないことと、あとは耳の形くらいでしょうか。


 その地上を支配する生き物は。残虐で異常なその支配者は。

 妖精さんから見たらとても――とても愛らしい生き物だったのです。


 さて、そんな妖精さんですが。

 地球へとやってきてすぐに、悪い妖精さんを狩る狩人に見つかってしまいました。


 先ほども言ったように、妖精さん達の間では地球への干渉は基本的に御法度。妖精さんはすぐさま狩人の標的になってしまいました。


 逃げる妖精さん。ですが、彼女はその逃走の最中に弓で撃ち抜かれてしまいました。

 撃ち抜かれてしまったのは、きっと。


 腕で抱えていた生き物を。愛らしい支配者の幼体を、狙撃から逃がそうと動いたからだったのでしょう……


――――


「…………そんな、絶対ありえないような夢。ま、話として聞きやすいように少しばかりワシが脚色したけど。そういう変な夢」


「……そう、ですか」


「なぁ、モエカ」


「はい」


「この妖精さん、どうすりゃ幸せになれると思うか?」


「幸せに、ですか?」


「あぁ。不幸には簡単になれる。バッドエンドの要素はたっぷりだ。まず何もしない。これじゃ地球の不自然さと妖精さんの嘆きと、その自己矛盾で妖精さんは一生苦しいまま」


「……そうかもしれません」


「次に、なんやかんやあって支配者の生き物を滅ぼす。これは妖精さんの祖先の行動と矛盾するし、妖精さん自身がその生き物に愛着を持っちまってるからきっと苦しい」


「……はい」


「それ以前に、妖精さんは撃たれてる。狩人に狙われてな。ここで討たれたらそもそもおしまいだ」


「…………」


「どう紡げば、彼女は幸せになれるんだ」


 両名、しばし押し黙る。2人の間には何もなく、沈黙の中には風音と川の流れだけが取り残される。

 黙っていようと風は吹く、水は流れる。何もせずとも、時間だけは等しく過ぎていく。


 その静寂の時を先に破ったのは。


「……思うに」


 モエカだった。


「ワタシの私見ですけど、ハッピーエンドは贅沢だと思うんです。現実は過酷、資源は限られていて座れる席は足りなくて、でも人数だけは無駄に多いのが現実です。幸せになれるのは、それこそおとぎ話の中だけでしょう」


「……嫌いか? ハッピーエンド」


「えぇ。やるせない現実を突きつけられるみたいで。空想でしか幸せになれないと、そう宣告されるようで。であれば、物語も現実と同じように不幸に染まってしまえと、そう時折思うのです。傷のなめ合いを空想としたいと、そう願ってしまうのです」


 ワタシ、悪い子ですから。

 不良娘ですから。


 そう言って、でも、と言葉を続ける。


「でも、同時に物語の中くらい幸せになって欲しいとも思うんです。矛盾してますよね。妖精さんの葛藤程ではないでしょうけれど」


――――


「何をやってるんでしょうか、ワタシは」


 ずぶぬれ、とはいかずとも未だ乾ききっていない襤褸を纏った少年の、走り征くその背を見やりつつ、そうぼやく。

 視線はすぐに彼の背中から外れ、川の流れへと向かった。


 止まることのない川の流れ。時間の経過を感じさせる川の流れ。


「彼の話に……物語に当てられて、柄にもなくヒロインしてしまいましたか。仮面もここまで来ると一つの本音、でしょうか」


 そのエクソシストはため息を吐くと銃を取り出した。


 拳銃――否。拳砲とでもいうべき超大型ハンドガン。


 静かな川辺に、乾いた音が響いた。

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クロステイル チモ吉 @timokiti

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