第8話 ハンティング

 彼女がそんな困惑を口にした刹那。


「――――っ!?」


 首筋に氷の柱を突き刺されたかのような、血の凍り付くような、冷酷で冷徹で冷静な、一瞬前まで感じなかった殺気をメルヴィレイは感じ取った。

 今まで感じたことのない気配だった。強者として君臨していたが故に錆びついた生存本能が、防衛本能が警鐘を鳴らす。


 気付けば、彼女の胸元に鋭く長い棘が突き刺さっていた。


「がっ……こふっ」


 口から鮮血が溢れる。棘の刺さった周辺部位が熱を、痛みを広げていく。傷が治らない。妖精である彼女にとって明らかに異常な事態であった。

 その棘は彼女を地面に縫い付けるようにして飛来していた。


 周囲を見やる。誰もいない。一瞬前の喧騒と人間からの視線の嵐が嘘のようだった。


「今のを、避ける。淘汰され、摩耗して、疲弊した、『劣等種』の、動きじゃ、ない」


 静寂の中、幼い声が聞こえた。

 その声を聞いて、声の主が自らと同種であると彼女は察した。


「……はっ、拙い日本語だな。妖精の言葉でなくそれを何故用いる?」


「現地では、現場では、その場では、それに合った、言葉を、使うべき。我は、親からそう教わり、親の仕事を、継いだ」


「親持ちか」


 メルヴィレイの言葉に、風切り音が続く。

 次の瞬間飛来した棘が、彼女の右手に捕まれていた。


 『親持ち』。

 それは妖精の間で用いられる所謂蔑称だ。


 妖精は一般に親を持たない。その概念を持たない。だが、ごく稀に『親』を持つ者もいる。

 そんな彼女らは他の大勢から、親持ちと蔑まれるのだ。

 幼体である5年間を他者に保護されて育った軟弱者、と。


「その言葉を、次に吐いたならば、即、すぐ、直ちに、殺す」


「ふん」


 メルヴィレイは棘を投げ捨てると、体に突き刺さっていた一本目を強引に抜き取った。棘が刺さっていた箇所は穴が開いていたがそれもわずかの間の事。傷口は数秒程度で塞がった。傷の名残として血痕と服の損傷だけが残る。


「胸元がはだけてしまった。背中にも穴が開いている。何だったか……そう。確か人間の言葉でセクシーとかいう恰好だ。どうだ? ワタシは煽情的か?」


 ストロー状の尾を持つ目の前の少女はメルヴィレイの問いには答えず。


「我が名は、ハルキゲニア。我が親から、賜りし、受け継ぎし、ハルキゲニア。この意味が、分かるか?」


「あぁ……道理で。なるほど、それで『親持ち』」


 彼方より音速を超えて飛来した棘がメルヴィレイの心臓を貫いた。


「……痛いではないか。しかし、ふむ。不意打ちでなければ対処可能か。存外エネルギーの消費は激しいが、事態そのものは一応想定内だ」


「死なない。理解、した。分かった。汝は、裏側の、妖精で、劣等種では、ない」


「音に聞く『狩人』のハルキゲニア。ならばこれは隙間の世界、狩場という訳だな。しかし、それにしては貴様のこの……なんだ。棘か? それとも矢か? これは痛いな。だが獲物たるワタシを仕留めるには不十分だ」


「汝、名は」


「メルヴィレイ・リヴァイアサン」


「何故、この表側へ、来た」


「知れたことを……とは言えんか、ハルキゲニアの名を関する者には。確か貴様らの……なんだ、家族? 家系? はコチラ側へ漏れ出た落ちこぼれを狩る……えぇと、一族とでも言うべきか? そういうアレなのであろう?」


「答えろ。返答しろ。解答しろ。言葉を」


「そうか、やはりワタシも狩りの対象なのか。落ちこぼれではないのだがな。コチラで悪魔だとか呼称される『アレ』と同列に語られるのは、うむ。人間相手であれば無知故に許せるが、同種相手ともなるとどうも苛立つ。例えるなら、人間がサル扱いされるようなモノだろうか」


 人間はサルだが、と返答を返さず言葉を続けるメルヴィレイにもう一度棘が突き立った。


「うむ、痛いぞ」


 そして、それを受けても。

 彼女はなんて事の無いように二本のそれを体から抜き投げ飛ばす。


「して、理由か。簡潔に言えば、世界を滅ぼしに来た」


「世界を」


「あぁ。いや、この言い方は適切でないな。より正確にいうなれば、人類社会を、文明を、種としての存続を終わらせに来た。何、貴様が介入することではなかろうよ、ハルキゲニアの若き狩人。貴様の仕事はコチラ側に介入する落ちこぼれの駆除、それと似たようなモノだと思えば良い。ワタシの目的は地球上にて不自然な淘汰圧となる病巣の摘出のようなものだ」


「そうか。なれば、汝は、我が、標的、獲物、始末対象」


「ワタシを殺すのか?」


「そうだ」


「殺せるのか? 劣等種ばかりを相手取った『親持ち』に」


「……殺す」


「そうか」


 そのメルヴィレイの言葉のすぐ後、彼女が立っていた場所に複数の棘が突き立った。

 アスファルトを砕き埃を舞い散らせるそれらは――果たして。


「……いない。逃がした。狭間から、表へ」


 そこにメルヴィレイの姿はなく。

 ハルキゲニアと名乗った銀の髪の少女は小さくため息を漏らした。


「これが、落ちこぼれでない、妖精。手ごわい」


――――


 それは、一瞬の事だった。

 少なくとも、表側やコチラ側と呼称されるこの空間においてはほんの一瞬。


 その一瞬、ウロ坊にはメルヴィレイの姿が歪んだように見えた。


 そして次の瞬間、彼女が黒い衣装のいたる所――特に胸部を中心に――を破損させ血濡れとなった姿へと変化した。


「……おいおい、なんだよこりゃあ」


 見目麗しい姿から一転、妖し気な色気も感じなくはないが、それを上回るスプラッターな雰囲気となったメルヴィレイ。街往く人々は彼女に少なからず意識を割いていた。


 故に。

 静寂の後、喧騒渦巻く平日の街は別の色合いの騒がしさを帯びることとなった。

 悲鳴を上げ逃げる者、メルヴィレイの姿を写真に収めようとする者、どこかへ通報する者、多種多様。


 そんな中、騒ぎの中心たる彼女は平然と――否。

 頬に冷や汗を走らせながら、焦りを滲ませた声色で。


「貴様。少しばかり不味いことになった」


「……いや、それだけじゃ分かんねぇよ」


「狩人だ。落ちこぼれを狩る狩人がワタシを狙っている」


 謎の力で裂けた……というよりも穴を開けられた、と表現すべき衣装を修繕しつつ、メルヴィレイは平時よりも少しだけ張り詰めた声を出す。


「ハルキゲニア。奴とてコチラではエネルギーの損耗が激しいだろうに。可能性は考慮していたが、しかし。ワタシなんぞより他を優先すると楽観していた」


「何の話だよ」


「当然ワタシの話だ。今も狭間へ引き釣り込もうと力を行使している……これは、中々にキツイな。一体奴は何処からこれだけのエネルギーを……」


 そう言ってからメルヴィレイは周囲を一瞥すると。


「……えぇい。喧しい。人間め、何をそう騒いでいるのだ。煩わしい」


「アンタが原因だ」


 そのウロ坊の返しに彼女は鼻を鳴らす。


「先の血濡れか? 人間は随分と繊細だな、食い食われる自然においてあの程度の流血など日常だろうに、とうに野生を失ったと見える」


 騒ぐ民衆へと侮蔑の視線を注ぐと、メルヴィレイはウロ坊の服の襟首をぐいと引っ張った。


「ぐえ」


「場所を変える。あるいは移動しながらでも良いか」


 そして彼を掴んだまま、不可思議の揚力にて彼女は飛翔した。

 当然、その姿に街の騒ぎは大きくなる。


「空を飛ぶ生物がそう珍しいか? 鳥や虫も飛ぶだろうに」


「……人型が空飛ぶのは十分珍しいよ」


 そして街から離れ空を飛び、喧騒が聞こえなくなり少ししてからメルヴィレイは口を開いた。


「……ウロ坊。貴様、悪魔と呼ばれる存在に出会ったことはあるか?」


「今ワシを抱えてるヤツ以外にはいないな」


「誰が悪魔だ……だが、あながち的外れでもない。ワタシ達妖精の中の落ちこぼれ、淘汰されるべき劣等者。それらがコチラ側へ逃げたものが、人間には悪魔と呼ばれている」


「へぇ……ワシから見りゃ世界を滅ぼすアンタも大差ないように思えるがね」


 メルヴィレイはウロ坊の言葉を無視して続けた。


「妖精にはハルキゲニアと呼ばれる、そういった落ちこぼれを狩る個体がいる。妖精が世界を渡ったのはこの地上を不自然に変革させないためだ。だのに悪魔と呼ばれるその落ちこぼれはコチラで好き放題……飢えているが故の行動だ、一概にそう言い切ることは難しいかもしれないが」


 ともかく、と。


「それら悪魔の不自然を狩るのがハルキゲニアだ。そしてどうも、ワタシは狩りの対象となってしまったらしい」


 だろうな、とウロ坊は内心で思った。

 メルヴィレイ自身が言っていたことだ、人類を滅ぼすという行いは、地上には良いかもしれないがそれもまた妖精による不自然な淘汰圧だと。


「ワタシは落ちこぼれなどより優れている。故に標的として面倒だと見逃される期待もしていた。接触した際に交渉、対話によって説得も可能だと思っていた」


 さらに思った。

 このメルヴィレイとかいう妖精、ナチュラルで上から目線の選民思考があるな、そのきらいが強いな、と。

 ダーウィン主義としてはそれが正しいのかもしれないが、知性ある生命としてそれはどうなのか、と。具体的には倫理観とか道徳とか。


 もしかすると、妖精という生物は……というより彼女は、精神的に幼いのでは。


 思えば、こんな見た目だが14歳。妖精の発達速度や知性は人間で推し量ることは出来ないが、人生……妖精生だろうか、その経験の積み重ねによって形成される人格、彼女のそれが未成熟で幼稚であっても何も不思議ではない。

 なにせ、人間でも成人すれども幼稚な精神性の者がいるのだ。妖精がこれに当てはまらぬという保証はどこにもない。


「しかし、妙だ。不自然だ。今もこうしてワタシを狭間へと引き釣り込もうとし続けている。先の戦闘でも、あれだけの力を使っておいて。奴はコチラにいる存在だ、常日頃からエネルギーは枯渇していると踏んでいたのだが。それに秩序を守る存在だ、不用意な摂食は行わないはず……」


「……なぁ。どうでもいいけど、それにワシの存在必要か? 巻き込まないで欲しいんだが」


「何を言う。貴様は貴重なサンプルなのだ。ワタシが目を離した隙に死なれでもしたら困るではないか。貴様の生活環境は相当に劣悪だ、死の危険が無いとは言わせんぞ。死ぬならワタシの前で死ね、それも人間がどのように死ぬのかという貴重な情報だからな」


「絶対巻き込まれるとワシ危険じゃん。死の危険バリバリじゃん。相手も妖精なんだろ」


「ワタシの傍が世界一安全だ。貴様が自然死する確率の方がワタシの巻き添えで死ぬよりも高かろう」


「その根拠は」


「当然勘だ」


 ウロ坊は思わずため息を漏らした。

 この根拠なき、あるいは勘しか根拠のない自身は何なのだろうか。


「そもそもよ」


「ん」


「そもそも、なんでサンプルがワシなんだよ。絶対他のヤツのが良かっただろ」


「…………空気」


「は?」


「いや、雰囲気とでも言うべきか? 分からぬが、どうも貴様とは波長のようななにかが合う気がしたのだよ」


「なんだそ――」


 言葉を言い終えるより早く。


 何かを。そう、何かを察したかのような表情を浮かべたメルヴィレイが、丁度上空を通過していた燕子花新町を縦断する河川へとウロ坊を投げた。


 そして。


「ごっ……――」


 長大な棘に胴体を貫かれたメルヴィレイの姿が朧気に揺らめいた。

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