【肆】あるにもあらず消ゆる帚木
†
「数ならぬ──」
「ハァいッ!!」
「はい、お
「
「まだまだ若い
一月七日の夜は思いもよらず暖かかった。
なのでいつもは寒気にうち恐れて半ば病人の如くなる
今夜は若い人のようにカルタでも弄ろうと自身が若い頃に作った『源氏合わせ』を持ち出し、近所の女の子達を集めて楽しく遊んでいた。
「お
「
「
「お
「「「申し訳ございません!!」」」
「こらこら、失礼な事を言うもんじゃないよ。オバさんを怒らせちゃダメさ」
そんな和やかに
「確かオバさんがそのカルタ作ったのって
「「「アハハハハハハ」」」
「ギャヒー!!」
この夜は大いに盛り上がり、特に秀三郎の冗談が
†
夜の十時過ぎ、女の子たちが帰宅するというので秀三郎は皆をそれぞれの家に送り届けた。
戻る頃には時計の長針と短針が合わさり殆ど十一時となっていた。だが
火鉢の側にはお
キセルに一服火を付けて。
「オバさん、暖かいようでも寒中は寒中ですね。今少し風が出ていたものですから、外はめっちゃ寒いですよ」
「私の身体の所為かと思ったら、お前さんも寒いかね。早く暖かくなってほしいものだ」
「そうですとも、僕も冬は大嫌いだ。それと御二階なんですが
「そうかね、それはありがとう。でも今夜はなんだか眠くないから、もう少し起きていますよ。
「なぁに僕なんざぁ夜更かしは平気だから、野口君が帰るまでは起きていますよ。なぁに眠くはありません。何なら今から
笑い飛ばす秀三郎に対し、お
「それでは私ももう少しお話をしよう。秀さん、お前に聞いたら分かるだろうが」
「ハイハイ。内海クンが何でも聞きますよ」
お
「なんだか嫁の事で、
「…………」
今までこの事を一言一句口外していない、だのに何故……?
秀三郎はこの事実を知っている者として、
今朝雄が自らこの事を老母に言いふらす訳がない。そもそも彼はこの事を問題視していない。
それに彼は人を心配させる困った男であるが、人を心配させるような事をわざわざ言う男ではない。
どこで聞いたか分からないが、お
(どう……答えるべきか……)
本当の事を伝えたら、お
だからといって情けで嘘を言ったらどうなるか……秀三郎は一瞬だけ考えた。
今後の成り行きが予測しがたいし、誤魔化し続けなければならなくなる。情けの海の航海に勝手な指標を示したら、大騒ぎとなって沈まりかねない。後悔の藻屑になる。そうに決まっている。その後は恩義ある老母を騙して、親友をを
だからといって、わざと知らないと答えて思考を止めるのは、良心を捨ておいた恥をかく無能……。
既に質問から三十秒もかかっている、だが心中は今も非常に大慌てである。
お
もとより
秀三郎はキセルをはたと叩いて。
「あー、あのことですか、私も何でもはよくは知りませんがね。
秀三郎は"真実"を話す事にした。
おふきが
そんな危機的状況に陥っている、と秀三郎は
だが、今は決定的な証拠が無い、であれば伝えるべきは自身の憶測以外のことだ。
『下手な
「それでも先ほどの人物は知っていなさらない事はなかろう。その
そのような質問も一度素直になったのだから、安心して答えられる。
「
宿敵の情報を脳にまとめ、物語るかのように秀三郎は話し始めた。
「オバさんは知らないかもしれませんが、水口家って元々大久保にいた百人同心で、一時期は官手付になったお偉いさんだったらしいんですよ。そんで維新で瓦解した際に
江戸から明治に変わった頃、まるで戦乱の如く全国各地でそういうことがあった。だからこそ、場所は違えど似たような事をした過去を持つ
まあ、馬が合うかどうかは秀三郎の推測でしかないが。
「今はね、
これも確かな情報だ。金貸し同士であるのなら、むしろ繋がりたくない理由がない。
「その家の
ちなみにその
死人に口無し。鞭打つべからず。
「
浪費と悪く言っているが、実際は仲間に金を貸したり、地面の売り買いをしたりしているという財テクに長けた奴ではあるという。
兄弟揃って金目についてはお利口さん。
その話を聞き終わったお
……どちらに対して?
「それで潮多では
真実を切り込もうとする物言いに、秀三郎は黙るしかなかった。
お
意図して外した話を聞き出そうとしている。
「そりゃあ……」
そうかもしれない、と言うのを止めて、少し思案し。
「……まさか新富町の方だってそんなことはあるまいが。第一に僕の考えるにやぁ、よしんば御両親にはその気があったにしろ、おふきさんが承知をしなけりやァ仕方のない話で。今時に親が無理押しをする事は出来ないから。なぁにオバさん大丈夫だよ」
正直、この弁明は秀三郎の発言ではない。だが、嘘でもない。
――今朝雄の言葉を、そのまま伝えている。
だがその返答はお
「いや、あんまりそうでもあるまい。
それは、知っている。
人情が欠けてた者ではないが、金が無ければ人情は守れないと考える人だ。
「それに、どうも私の腑に落ちないのはね。明けて去年の六月に
確かに、秀三郎もあの時、あまりにも都合が悪すぎるタイミングでの物言いに疑問を感じていた。
……正直、潮多家が裏で手引きしたのではないかと疑ったぐらいだ。
だが、今も真実は分からない。
「秀さんも知っているだろう。こっちから言い難いを思いをして実はコレコレだからもう少し延ばして下さいと手の平擦って頼んだのになんという返事だろう」
『
「という意味があっての発言のものか、ないものか、大概にお察しなさい」
「いや、まあ。確かにそうですね」
相槌したが……実は、
あの人、言動が少ない割に自身満々だから悪い解釈をしようとすればいくらでも出来る、判断に困る相手だ。
「ねー、そういう奴だもの。よっぽどこっちからピシャリと断ろうかと思ったけど……まあ、少し金の拝借もあるし。
親は子に弱いからねぇ、と憂いつつ。
「いやいやもう少し辛抱してやろうと思い直して。なんとか頭を下げて
『
「だなんて人が
「噛みつけばよかったじゃない。オバさんは歯がないから大丈夫だよ。傷が付かないからねー。アハアハアハ」
と秀三郎は冗談で彼方への怒りを慰めようとするも、いつものような反応が無かった。
お
「…………」
やがてお
「ゲホン、ゲホ、ゲホ」
「オバさん。どうしたの。え。おばさん。え。苦しいかね」
「あーもう沢山。あーもういい。
すぐさま火鉢のすぐ傍にあるポットから、冷めたお湯をコップに入れた。
「よし来た来たサァ、お湯だ。さあ一気に飲むとむせるよ。いいかえ。オバさん。冷めてるよ。さあよ。オバさん」
「あい有難よ。はいもう沢山。あー苦しかった」
お
それからは、特に話も何も無かった。
秀三郎も座るのみで、腕をこまねいて静かにただ待つ。
心無い隣家の柱時計はキンキンとして午後24時を報じた。今朝雄からは何も連絡が来ず、死灰の如く音沙汰がない。
秀三郎は老母の身体を心配し、密かに様子を見て。
「オバさん。そんなにキナキナ思わないで、まあ長い目で見ておいでなさい。潮多さんだって根が御
それは自分に言い聞かせる意味合いでの言葉でもあった。
だが同時に秀三郎はこうも思う。
秀三郎は、色んな事を調べて根拠を並べた結果、おふきが親に従うのではないかと、疑っている。
今朝雄は、事を知ろうが知るまいが、おふきは親の言うことをただ従う人ではないと、信じている。
つまるところ、それだけの違いだ。
根拠なくとも人を信じているような人を、せせら笑い、見下すことはしたくはない。
そもそも今朝雄は楽観的と思われるが、向こうからしてみれば秀三郎は悲観的すぎると言えよう。
実際、秀三郎は似たようなことを今朝雄から言われたことがある。
「オバさんあまり起きていらっしゃるとまた御身体に障りますよ。もう十二時打ちましたからお休みなさい。
そう言って立ち上がるも、お
「でもねぇ。それより、
「悪い癖って何だい?」
「他でもない
それは、知っている。
内海秀三郎は誰よりもそのことを知っている。
「だから頼りに思うのが、秀さん、お前さん一人だから。……どうぞ癇癪の起こらないように慰めてやってくださいよ」
大きく頭を下げたお
「いいともいいとも! それはもう心配しなくていい! きっと今夜の帰りが遅いのは、
「ああ寝ましょう寝ましょう。秀さんも眠いだろうに心無い愚痴話をしておおきにお邪魔しました。さあお休みなさい」
二人は二階へと上がった。
秀三郎は下に戻ろうとした間際、お
「どうぞ今の事はくれぐれも頼んだよ。秀さん」
「ああ、良いですよ。
それだけは、根拠が無くてもはっきりと言えた。
なぁに、何かがあったら、僕がまた走ればいい。
そう前向きに想い、話を終えた。
――だが、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます