第16話
地面を押し固めて作った街道を、女性が逃げていた。
背後には倒れた馬車。牽引する馬は血を流して倒れ、とうに息絶えた。
連れ添った男の末路は、馬車の
不意に、前方の茂みから影が飛び出して道を塞いだ。握った手斧で空を撫でて、歩みを止めた女性に歩み寄る。
いつの間にか野党に囲まれてしまった女性が、どうしようもなく立ち尽くして、
「誰か、助けて」
〝何か〟に救いを求めたとき、
「とうっ!」
〝誰か〟は現れた。
「悪を
酒場の主人がカッコイイポーズをキメて口上を述べると、周囲から歓声が上がった。
脚光を浴びた主人が
「ハハッ! どうだい、私のクリムゾンレッドはサマになっているだろう!?」
目の前のカウンター席に座っている男女三名に感想を求めた。
「…………」
流し目で一部始終を見聞きしていたウィプの口に繋がっていたストローから、ずごご、と退屈そうな音がして、
「そうかそうか! 感動のあまり声も出ないか!」
主人は満面の笑みを浮かべて頷いた。
次に、エルゥを一瞥すると、
「真に迫る、いい演技でしたねェ。いやァ、すごいなァ」
のぺっとした笑顔と共に感想が飛び出て、
「そうだろう、そうだろう」
主人は満足そうに頷いた。
最後に、ウィプとエルゥの間に挟まっていたミイシュが、
「すごい! カッコイイ! ねえ、正義の味方だって! クリムゾンレッドだなんて、とっても強そうな名前! 僕会ってみたいよ!」
三人の中で一人、席から立ち上がって鼻息を荒くしていた。
「はっはっは、私のクリムゾンレッドがナンバーワンだという声もあるくらいだからね!」
気をよくした主人が豪快に身を仰け反らせて笑ったところで、
「ああ。こちらも――〝キサマのクリムゾンレッド〟を紹介されたから来てみたんだ」
力なく、ウィプが言った。
反面、力強く、主人が繰り返し頷いていると、
「失礼、ご主人。つかぬことをお伺いするのですが」
エルゥが口を挟んだ。
「そのクリムゾンレッドは、どちらに?」
※※※
目の前に立ち並ぶ峻険な峰とは裏腹に、牧歌的な雰囲気を纏う村だった。
燦々照らす太陽の光を浴びて輝く緑の原。外れにある牧草地では家畜が気ままに草を食んでいる。
普段ならば無機質な石造りの建造物を飾るのは、赤の装飾。
一軒や二軒だけではない。ほぼ例外なく――、雑貨屋から飲食店、果ては診療所らしき物件まで。人々を寄せるためか、入り口には多種多様な〝クリムゾンレッド〟の姿があった。
「かわいらしく接しやすいようにデザインしたおかげで、子供達が注射を怖がらず、
ずいぶんとお年を召したお医者さんが笑顔で言ったときは、さすがのウィプでさえ、口を噤んだ。
そう――、
この村には今、空前絶後の〝クリムゾンレッド旋風〟が吹き荒れていた!
「ふざけるな」
出店で買ったクリムゾンレッドの仮面をつけてポーズを取っていたミイシュを、ウィプが冷たい言葉のナイフで刺した。
「どうして? かっこいいのに。〝別の〟がよかったかな」
「謎の種が答えだ。……ややこしいことを言わせるんじゃない」
「ちぇ」
不服そうに仮面を外したミイシュを横目に、ウィプは大きな、大きな溜め息を吐いた。
「どうなっているんだ、これは」
「わからねェが、何かが起きてるなァ」
さくらんぼやリンゴといった〝赤い果実〟のペーストがかけられた餅を楊枝で刺して、エルゥが口に運んだ。
続けて差し出された餅に食いついて、咀嚼しながらウィプは目を細める。
広場には、村の住人が手作りの物品を売買する光景が広がっていた。そのどれもが〝クリムゾンレッド〟に関連するもののようだった。仮面や洋服、飲食物から独自の解釈を物語にした本を並べる店まで。
ハッキリ言って、異様の一言に尽きた。
「これは、わたしの分野か?」
疑問を口にしたウィプに、
「さァな……。オレは今回の話、旅商人から聞いたんだ。〝自分で足を運んでみるといい〟って言われて、詳しくは教えてもらえなかったんだが……。〝こういうこと〟だとは思わなかった」
エルゥが言って、困ったように後頭部を掻いた。
「…………」「…………」
二人が同時に沈黙して、
「帰るか」
ウィプが口にしたところで、
「えーーーーーーっ!」
少し離れていたミイシュが、慌てたように帰ってきた。
「そんな! 帰っちゃうの?」
「アテが外れたということだ。わたしたちには関係ない」
「クリムゾンレッドは!?」
「知らん。聞き込みをしても独自の創作話を鼻高々に語られるだけなんだ。踏み込んだことを訊ねると〝自分は本物のクリムゾンレッドを語っている〟と憤慨する者だっているし〝よりよい完成度〟を持った人間のもとに案内する者もいる……」
「創作話って決めつけ、よくないよ!」
「本人の居場所を誰も知らないし、見たことがないんだ。漠然とした噂話が人々の中で話題になって生まれた、架空の存在だろう」
「誰かが困ってるわけでもなさそうだしなァ……。介入する理由もない。〝楽しそうで何より〟ってヤツだな」
「じゃあ、正体は謎のままってこと!?」
「住民がクリムゾンレッドを語る際に共通認識としているのは、彼が人助けをすること。〝正義の味方〟であると自称していたこと。そして、誰も素顔を知らない、というところだ……。あまりにも謎に包まれていて不確かだ。ばかばかしい」
「謎などない。私は正義の味方だ。それだけで十分だろう?」
「十分なわけ――」
誰のものでもない男の声。
咄嗟に振り向いたウィプの目に映ったのは、鎧だった。
驚き、後ずさる。そして全形を瞳に映した。
全身を鉄鎧で固めた人型の実体。赤を基調としていて、縁取るのは金と黒。
ウィプの全長をゆうに超える長剣を背負い、右手には意匠を凝らした円形の盾を握っていた。
改まって自分を見つめられた鎧が、咳払いして体を揺らした。赤い衣が揺れて、がしゃり、鎧が音を立てる。
「あ、そうだ! ねえ、見てよ二人とも! この人すごくカッコイイでしょ!?」
ミイシュが鎧の腕に抱き着いた。
「はっはっは、少年。あまりはしゃぐと危ないぞ」
まんざらでもなさそうにミイシュを宥める鎧を前に、ウィプとエルゥは絶句する。
「その鎧、どうしたんですか?」
「どうもこうもない。目覚めたときからこの格好だ。私はクリムゾンレッドだからな」
「すごい、役になりきってる!」
「役ではない。私は本人だ」
「だってさー、ウィプ。おもしろい人だね」
「……やれやれ。信じてもらえないようだな」
肩を竦めて見せた鎧の男に、ウィプが深刻な表情で歩み寄る。
「クリムゾンレッド。……本当にキサマが本物だというのなら、しゃがんで、顔を見せてくれ」
その要請に、一瞬、鎧は動揺したように硬直したが、
「……いいだろう」
重々しく膝を突き、兜に手をかけた。
「待て」
制止して、ウィプが他の二人に呼びかける。
三角形で囲むように位置取り、周囲の視線を遮断してから、
「いいぞ」
ウィプの声掛けに応じて、鎧の男はゆっくりと兜を外した。
「どうだ? 私はカッコイイだろう?」
苦い顔をして、ウィプは口を開く。
「――さて。あいにく、わたしは外見で中身を判断しない主義でな」
深淵を見つめ返しながら、つぶやいた。
観測者、ウィプーラニア 東堂 天井 @toudo_amai
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