ゴーストライダー

石花うめ

ゴーストライダー

 コロナ以降、タクシー運転手の売上げは下がったままだ。


 2020年のピーク時から三年も経ってるから、もう気にしている人は少なくなったとは思う。だが、その余波はずっと尾を引いている。特に、リモートワークが普及したのと、不要な飲み会の存在意義が薄れてしまったことで、タクシーを使ってもらえる頻度が少なくなっている——気がする。


 そんなこんなで、今日もお客さんが乗ってこない。


 車を流し続けるのも疲れたので、一旦路駐して休憩することにした。

 ちなみに昼ご飯はさっき食べたから、今は昼寝タイム。


 ツイッターをダラダラ眺めながら、睡魔が訪れるのを待つ。

 こうやってツイッターを見ながら、くだらないニュースの数々に対して自分なりの考えを持ってみることは割と楽しい。


 近頃は、「AIによって奪われる仕事一覧」なんてのが度々トレンドに載っているのを目にするようになった。


 まぁ、タクシー運転手は大丈夫だろう、少なくとも俺が死ぬまでは——なんてことを思いながらも、漠然とした不安はある。


 誰だって不安よな。

 例えば少し前までは、クリエイティブ系の仕事はその煽りを受けないだろう、なんて言われてたけど、chatGPTが登場したことによってそうはいかなくなった。

 そもそもこれからインボイス制度が導入されるみたいだし、そういう仕事をしている人には早く廃業してもらって人手不足のブラック企業の安い労働力になってほしいという、国としての魂胆もあるのだろう。


 案の定、AI関連のトレンドと同じ並びに、労働環境やら税制に関するニュースがいくつかあった。ニュースのリプ欄に並ぶ不満の声は、まるで肥溜めのようだ。

 どうせ、つぶやいても何も変わらない。いっそのことデモなんかが起きればいいのに。

 そうすれば、少しは俺の退屈が彩り豊かになるだろうから。


 俺は、面白い話に飢えているのだ。



 ツイッターを閉じたところで、何者かが窓ガラスを叩いた。

 慌てて後ろのドアを開ける。

 まだスマホでやりたいことがあったのに。間が悪くて少しイラついた。


 しかも男だ。こんな平日の昼過ぎには珍しい、比較的若めな男。

 細身にカジュアルな服装で、すり減った頬には薄っすらと無精髭がこびりついている。力の無い目はどこか遠くを見ている。体つきや肌の感じからして、たぶん30歳前後だろうけど、40代と言われても信じるくらいに疲れが見える。


 後部座席にちょこんと座った男は、か弱い声で俺に行き先を告げた。

 ほとんど聞こえなかった。もう一度聞き返すのも気が引けるので、さっき聞こえたっぽい地名を勘で言ってみたら、男は頷いた。


 とりあえず俺は車を出し、そこに向かった。


 男はスマホを構うでもなく、ずっと黙って外の景色を見ている。

 思いつめているのだろうか。

 今から向かう場所に自殺の名所があったりしないか、俺は一瞬頭の中で考えてしまった。だけど俺が覚えている限り、そんな場所は無かったはず。


 どうにも後部座席が気になって仕方がない。

 タクシー運転手が幽霊を乗せてしまうのは創作の中ならよくある話だが、まさか……。


 俺がもう一度バックミラー越しに男を見ると、目が合ってしまった。

——うわ。

 すると男は、か細い声で俺に尋ねてきた。


「……ぉ、面白いはなし、無いですか」


「——え、面白い話?」


「……はい。何か。タクシーの運転手なら、いろいろな人を、見てると、思うので」


 男の声は震えていた。勇気を振り絞って訊いてくれたみたいだ。

 仕方なく、俺はとっておきの面白い話を聞かせてあげた。


「——ってなわけで、ヤクザに追われてる女の子の乗客が持っていた紙袋、それに入ってた大量の白い粉は、ただの片栗粉だったって話ですわ」


 俺が話し終わると、男は控えめながらもはっきりと笑った。ミラー越しに彼を見てみると、笑顔になったからか少し頬が紅潮して健康的な顔つきになっていた。


「……面白かったです。ありがとうございました」


「そりゃどうも。——ところでお客さんは、何の仕事をされてる方なんですか?」


 男は目を逸らした。

 あ、これは聞いてはいけないやつだった。と思っていたら、少し間があってから口を開いた。


「……じ、実は、漫画家、なんです」


「おー、大先生でしたか」


 男は顔の前で手を振る。


「い、いえ。凄い漫画家じゃ、ないです。むしろ……」


「むしろ?」


「……打ち切りばかりで、次の連載を長続きさせないと、そろそろ危ないんです」


「そりゃ大変だ」


「……今日も、担当に呼び出されて、怒られました」


「それで、乗ったときは元気が無かったんですね」


 男は頷いた。


「次回作の構想はあるんですか?」


「……今、思いつきました。さっき、運転手さんに聞いた話」


「ああ、白い粉事件ですか」


「……はい。その話を膨らませます。白い粉を本物のドラッグだと勘違いしたヤクザに、女の子が命を狙われてしまう。女の子は怖くなって、タクシーを乗り継いで日本を逃げ回る。というお話です」


「ほお、面白そうですね」


 そのとき男が、「あ」と声を出した。

「……あの、この辺で、大丈夫です」


 郊外の、古くて安いアパートが並ぶ一方通行の狭い道だ。


「……あ、ありがとう、ございました」


 車を降りようとする男に、俺は名刺を渡した。


「それ、いつでも電話してください。車出しますから」


「……い、いいんですか?」


「ええ、もちろん。いつか歴史に名を遺す大作家になられるお方ですから。そういう人を乗せてたってなると、俺も鼻が高いでしょ?」


「ありがとうございますっ」


 ほくほく顔の男は、嬉しそうに小走りで帰っていった。


 名刺を渡したのは、彼のことを気に入ったからだ。

 それに、そうやって一人一人に名刺を渡していかないと俺の仕事が無くなってしまうから、という理由もあった。

 なんにせよ、お客さんを乗せたのなんて久しぶりだったから、話すこと自体が楽しかった。




 それから一週間後。


 相変わらずお客さんが乗ってこない。

 暇を持て余して休憩をしているところに、あの男から電話がかかってきた。


 この前と同じ場所だった。そういえばこの辺には、出版社が多く立ち並んでいる。

 男は嬉しそうな顔で立っていて、意気揚々と乗り込んできた。


「……来てくれて、ありがとう、ございます」


「お久しぶりです」


 俺は車を出した。


「なにかいいことあったんですか?」


「は、はい! 実は、この前のお話、連載を持てることになりました」


「おー! おめでとうございます」


「……ただ、主人公は女の子ではなく、運転手さんにしました」


「俺、ですか?」


「……はい。許可なく、申し訳ありません」


「いや、それはいいんだけれども。俺なんか主人公にして大丈夫なんですか? 50過ぎのオッサンですよ」


「……いいんです。今はそういう、少し他と違う作品のウケがいいんです。タクシーの運転手さんが、片栗粉をきっかけに、次々と別の事件に巻き込まれていくお話です」


「おお、ミステリー的な感じですか」


「……はい。参考にしたいので、この前の事件の他に、何か事件に遭遇したことがあれば、お話を聞いてみたいです」


「ああ、それなら昨日乗せたお客さんの話なんだけど——」


 俺の話を、彼はメモを取りながら聞いていた。


「——ってなわけで、バットを持った男をバッティングセンターの近くで乗せたんだけど、そいつが実は幽霊だったって話ですわ」


「……え、幽霊だったんですか?」


「そう。よく見たら、昔プロ野球の二軍にいたほとんど無名のバッターだったんです。そいつは、頭にデッドボールを食らって亡くなってたんですよ」


「……そうだったんですね」


「で、実はその試合の裏で違法な賭博が行われてて、この前の片栗粉女子のときのヤクザが一枚噛んでたんですわ」


 男は驚いた顔をした。


「そんな偶然があるんですね! フィクションみたい、です」


 そう言われて、俺は少しドキッとした。


 そうこうしているうちに、男の家の近くに来た。

 男はこの前よりもう少し近くまで案内してくれた。


「……ここが、僕の住むアパートです」


 彼は真横のアパートを指さす。

 築50年くらい経ってそうな、外壁塗装が剥がれかけの二階建てのアパートだった。

「……お話、聞かせてくれて、ありがとうございました」




 それからというもの、週に一度はあの男を乗せるようになった。


 男は連載漫画の売れ行きが好調らしく、会う度に顔つきも身なりも良くなっていった。美容室に行ったり脱毛サロンに通ったりと美容にも気を使い始めたらしく、最初に会った時より最近の方が若く見える。


 そして彼を乗せるたびに、俺は主人公のモデルとして面白い話を提供した。




 だが、ある日事件が起きる。

 いつものように彼を乗せたと思ったら、彼がいつもと違う方を指さしたのだ。


「今日はお買い物ですか?」


 しかし彼は「いいえ」と答える。


「実は、引っ越したんです。漫画のアニメ化が決まって、最近では街を歩いていると声をかけられるようになったんですよ。一度アニメのラジオに原作者として出演させてもらったときに、アニメ公式ツイッターで顔出ししたんです。僕って特徴ある顔をしてないから、バレないだろうと思って油断してたんです。そうしたら、街で声をかけられたものですから、もうビックリしちゃって。ファンの方のリサーチ力って凄いんだなーって思いましたよ」


 出会った頃は怯えるように話していた彼だが、今では普通に喋れるようになっていた。彼の目は希望やら自信やらが詰め込まれた宝石箱のように、眩すぎる輝きを放っている。シジミのような目だった数か月前の彼とは、まるで別人だ。


 実は俺もそのアカウントをフォローして、ツイートもチェックしているのだが、それは言わないでおいた。


「——それが引っ越しの理由ですか?」


「はい。以前のようなボロアパートだと、変質者に空き巣に入られる恐れもあるので。セキュリティーのしっかりしているマンションの方がいいって、編集者さんにも言われたんです」


「売れっ子になると大変ですね」


「いえ。全部運転手さんのおかげですよ。運転手さんの体験を基に描いてるから、『ありえないような事件が続くけど妙にリアリティーがある』って評判なんです」


「——お、おぉ。そりゃありがたい」


「あの、今日もお話を聞かせてもらってもいいですか?」


「——い、いいですよ。恐縮ですけど」


 俺はいつも通りに話し始めた。

 彼は相変わらず真面目にメモを取っていた。


 いつもの道と真逆の都心方面に進み、人で溢れかえっている駅前通りを通る。

 駅前の六車線道路から脇道に入ったとき、彼が前方を指さした。


「一応あれが、僕が住み始めた新しいマンションです」


「まじか……」


 三十階建てくらいだろうか。最近できたばかりと思われる、黒を基調としたオシャレなマンションが目と鼻の先にあった。

 家賃二十万円はくだらないだろう。いや、もっと高いか。相場が分からないが、明らかに普通の人が住めるような場所ではない。


「いやー、売れっ子にもなると凄いですね」


 しかし彼は謙遜して手を顔の前で振る。


「いえいえ。これも運転手さんのおかげですよ」


 そう言って、料金とプラスして二万円、チップとして俺に渡してきた。


「——え、いやいや、さすがにこんなに貰うのは気が引けますよ」


「いいんですよ! 運転手さんがいなければ、僕の今の生活はありませんから」


 俺は彼の圧に押し切られて何も言えず、そのチップを懐にしまった。


「じゃあ、ありがとうございました! また電話しますね!」


「はい、お待ちしております」


 彼の背中を見送った後、車を出そうとしたが疲労でぐったりしてしまった。


 貧しかった彼が売れっ子作家になったのは、とても嬉しい。

 だが、まさかここまで大事になるとは正直思わなかった。主人公のモデルになるなんて、俺には荷が重すぎる。

 もう後戻りはできないと思うと、緊張で手が震える。

 最初に彼を乗せたときに名刺を渡してしまった、考え無しの自分を呪いたくなった。


 俺には一つだけ、彼に言えずにいることがあるのだ。




 仕事を終えて家に帰った俺は、ソファーに寝転んでツイッターを開いた。


 トレンドに、彼の作品が入っている。どうやらアニメ公式アカウントにて放送開始日が発表されたらしい。さらに、その日に合わせてコミック最新刊も発売されるらしく、ファンのつぶやきはお祭り状態だった。


 俺はアニメ公式アカウントのリプ欄を見てみた。

『この漫画マジで面白い』

『アニメ化待ってた』

『主人公が美少女じゃなくオッサンなのが、オタクに媚び売ってなくてポイント高いよな』

 ……などの肯定的なつぶやきで溢れている。


 しかし、安心してスクロールしていった時、気になるつぶやきをいくつか見つけてしまって背筋が凍った。

『この作品、リアリティが無く、余り好きでは無い』

『作者が実話を基にして書いてるって言っていたけどどこまで本当の話か分からんちなみにおれは好きじゃない』

 こうした類のツイートは、アンチが嫉妬して書いているだけだから気にするものではない。

 本来であれば。


 しかしどうしても、俺の嘘が見抜かれていないか不安で仕方ない。


 俺が彼に話した数々の話は、全部作り話なのだ。

 

 日々が退屈で仕方ない俺は、面白い話に飢えていた。だから時々、chatGPTに『○○に関する面白い話を教えて』などと打ち込んで、色々な話を読んでいた。


 chatGPT——それが俺の、全ての話の生みの親なのだ。


 そんな時に彼が現れた。

 久しぶりのお客さんで、なおかつ面白い話を振られたものだから、つい勢いで、chatGPTで見たネタを自分が体験したことのように話してしまったというわけだ。

 それがまさか、こんなことになるなんて。


 罪悪感でどうにかなりそうだ。

 今さら本当のことを告げたら、彼は傷ついてしまうだろう。傷ついて、仕事ができなくなってしまうかもしれない。

 かと言って、そのことを暴露するみたいなツイートもしたくない。それじゃ傍から見たらアンチとやっていることが変わらない。


 ああ、全部なかったことにしたい。

 どうすればいいんだ。

 ……そうだ!


「助けてくれ!」


 俺はスマホを握りしめ、文字を打ち込む。


「助けてくれ、chatGPT!」

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