第34話 選択




 カラン、とセシルの耳元から何かが落ちる音がした。そして、白い光がセシルを包み、手を結んでいた縄がいとも簡単に解ける。


 セシルの足元には、アルベールの選んでくれた紫色のイヤリングがあった。片方は落としてしまったが、セシルが手に持っている片方だけはしっかりと耳についていたらしい。


 それが今になって、耳元から落ちたのだ。


 セシルはそのイヤリングを拾い上げる。


(これ、たぶん魔法石だ‥‥)


 いつだったか。アルベールが言っていた言葉を思い出す。


『これは魔法石と言って、この石を身に付けると付けている者の魔力を高めたり、保護したりする力がある』


 きっと、石の保護魔法が効いて、セシルの縄を解いてくれたのだろう。


 セシルはそっと、イヤリングの先に付いた石に触れる。その暖かさに、救われる思いがした。


(そうだ。アルベール様は、私の出生が理由で、私を差別するような人じゃない)


 さっきまでは、初めて知ることばかりで混乱していた。しかし、このイヤリングを見ることで、少し冷静になれた。


(惑わされちゃダメだ。今は、私の知るアルベール様だけを信じよう)


 セシルはグッと顔を上げた。


 ここから脱出するため、セシルは部屋の中を観察する。窓は一切なく、外に続く扉が一つあるだけ。鍵はかかっているだろうから、体当たりや聖魔法を使って扉自体を壊してしまおう。


 人は集まってくるだろうが、セシルはそれを撃退できないほど弱くはない。


 問題は、エレンや大司教の存在だ。彼らは非常に強い聖魔法を使うことができるため、セシルの力だけでは退けることは出来ない。


 しかし、彼らは王宮へ向かうと言っていた。早く済ませれば、彼らに会わずにこの場を後にすることが出来るはずだ。

 ならば、彼らが帰ってくるまでの短時間が勝負だ。


 セシルは扉の前に立った。


「聖女・セシルの名の下に命ず」


 ドゴンッという音と共に、扉が吹っ飛んだ。かなり大きな音だったため、見張りがやって来るかと思ったがー‥‥


「‥‥‥?」


 誰も、来ない。しかし、遠くの方で「なんの音だ」と騒ぎになっているのが聞こえた。セシルが抜け出したことがバレるのは、時間の問題だろう。

 部屋の外には、見張りも誰もいなかったので、セシルは駆け出した。


 廊下は白いペンキで塗っただけの簡素な雰囲気だった。清潔感はなく、埃も落ちており、壁は所々黄ばんでいた。


 走っている途中で一つだけ見つけた窓を覗くと、セシルがいる階は四階だと分かった。流石に飛び降りるのは、危険だろう。


(怪我しても、治癒魔法かければいいだけなんだけど)



 せめて、二階からなら‥‥とセシルは考える。ここは、慎重に行きたかった。


 やがて、セシルは階段を見つけた。木で出来ているそれは、不安定そうだ。しかし、贅沢を言っている場合ではない。そっと降りようと、足を一歩、踏み出した。


「‥‥‥っ!!」


 何故か、セシルは階段の直前で足が止まってしまう。否、止められてしまったのだ。


 セシルが目の前に手を振りかざすと、手を弾くような感覚があった。


 階段の前は、見えない透明の壁で阻まれているようだった。


(これもエレンの魔法の一種なの?)


 彼は、セシルにも使えないような聖魔法を使うことが出来ている。この魔法然り、変身魔法もそうだった。


 何はともあれ。考えている時間はないとセシルが振り返ると、そこには。


「なぜ抜け出そうとしているんですか。セシルさん?」

「エレン‥‥‥」


 そこには、エレンが手を組んで待ち構えていた。


「王宮へ行ったのではなかったのですか?」

「大司教様だけ行かれました。私はセシルさんの見張りをしろと頼まれましてね」


 エレンはそう言いながら、組んでいた腕を解いて、セシルの目の前に立った。そして、セシルの左耳に付いているイヤリングを見つめた。


「それ、魔法石だったんですね。だから縄が解けた、と」

「‥‥‥‥」


 彼はセシルににじり寄って来る。その途中で、手をかざした。彼が聖魔力を発動させたのだ。間一髪のところで、その攻撃を避ける。


「なんで避けるんですか? 命は取らない程度に手加減してるのに」


 そう言いつつも、彼は攻撃をやめようとはしない。セシルは彼の元から離れるように、駆け出した。


「逃げても無駄ですよ。全ての階段は私の魔法で塞いでしまっているので」


 彼の言うことは、既に分かっている。しかし、攻撃を避けるためには、これしかないのだ。


「もう一つ、新事実を教えてあげましょうか?」


 彼はクスクスと軽やかに笑う。


「伯爵領に魔物の出現率が上がっていたでしょう? あれ、全部、私がけしかけました」


 セシルは足を止めそうになるのを必死に堪えた。


「本当はあの魔物で、伯爵を亡き者にするか、セシルさんを煙たがるようになって追い出せれば、上出来だったんですけどね」


 彼は「うまくいきませんでしたけど」と笑いを見せる。


「ああ、王宮周りで魔物が増えていたのも私の仕業です。王宮が聖女の力を欲するようにし向けて、協力を得たかったので」


 彼は、そのあとセシルを追いかけながらペラペラと、これまでのことを話してきた。セシルは必死に足を動かしているのに、彼は余裕があるようだった。


 セシルは、ようやく一つだけあった窓にたどり着いた。セシルは窓を大きく開け、縁に跨った。


 最初からこれが目的だった。階段からは逃げられない。ならば、窓しかない。窓までは魔法が施されていないだろうと信じて、ここまで走ってきた。


「ここから、飛び降りようと言うのですか? 正気ですか?」


 彼は呆れたように言う。


 体力はほとんど残されていない。

 彼の言う通り、こんな状態で窓から外に出ようとするなんて、正気の沙汰ではないだろう。


 しかし、外に逃げださなければ、彼に捕まってしまう。そして、大司教に物として扱われる日々がやって来るだけだ。


 セシルは、この場の打開策を探るため、口を開いた。


「あなたは、これからも大司教に操られる日々でいいの?」

「操られるも何も。私の意思ですから。あなたは勘違いしているようですけど、大司教様は優しい方ですよ。私が失敗しても、叱らないんです」


 彼はニコニコとしているが、それは決して優しいとは言えない。


 失敗しても、叱らない。それは、相手に興味がないからだ。相手のことを真剣に考えていれば、間違ったことをすれば怒るし、正しいことを教えてくれる。


 アルベールは、いつだってセシルに真摯に向き合ってくれた。だから、叱られたこともあるし、喧嘩をしたこともあった。思えば、彼はセシルをずっと対等の存在として扱ってくれていたのだ。


 しかし、エレンの信じることを、勝手に否定するのは、あまりにも心苦しい。


「まあ、いいや。まさか、そこから落ちるわけではないですよね?」

「‥‥‥‥」

「さあ、早くこちらに来てください」


 彼はセシルに手を伸ばす。そして、選択を迫った。このまま窓から落ちるか、彼の手を取るかー‥‥‥‥




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大変申し訳ございませんが、明日の更新はお休みさせていただきます。


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