第32話 セシルの父親




 セシルは、薄暗い場所に、手足を縛られて転がされていた。硬い縄が手首に食い込んでいて、痛みを感じる。


 何度かほどこうと試したのだが、特別な魔法でもかけられているのか、試せば試すほど縄は更にきつくなっていく。


 周りは静まり返っているが、ピチョンピチョンという水のこぼれ落ちる音だけが聞こえてくる。



 そもそも、何故、このような場所に転がされているのか。セシルは、こうなるに至る前の記憶を辿り始めた。





⭐︎⭐︎⭐︎





 王宮の一室で、ルーウェンを待っていた時。


「‥‥‥‥‥‥‥‥!!」


 突然、後ろから布で口を塞がれた。ふわりと甘い匂いが口や鼻の中に入ってくる。セシルは足から崩れ落ちるが‥‥‥

 その流れのまま、セシルは後ろにいた人の脛を蹴り払った。


「いっ!!」


 手が離れたので、セシルはその人物から距離を取りつつ、振り返る。そこには、蹴られた脛を抑えて蹲る男の姿があった。


「なぜ、気絶していないんだ?」


 彼はそのままの状態で呟く。痛みで顔を上げられないようだった。


「生憎、聖女には毒や薬の類は効きません。すぐに浄化できてしまうので」


 セシルはゆっくりと彼に近づいていく。いつでも聖魔法で反撃出来るように構えながら。

 その時、彼が頭を上げた。


「あ、あなたは‥‥‥」


 彼のラベンダー色の瞳を見た時、謎の既視感に襲われる。目の前の彼とは、会ったこともないはずなのに。彼はセシルを見ると、その瞳を細めた。


「残念。聖女の魔法は、聖女の魔法があれば打ち消せるんですよ」

「?!」


 急に、セシルの足に力が入らなくなる。そのまま床に崩れ落ちてしまう。段々と視界がぼやけ、思考がまとまらなくなってくる。

 その男は、セシルに近づき、セシルの頭を引っ張った。


「おやすみなさい、セシルさん」

「‥‥‥‥あなたは、」


 セシルのその後の言葉は続かなかった。意識が完全に途切れてしまったからだ。






⭐︎⭐︎⭐︎






 そして、次に目覚めた時には、この場所にいた。


 アルベールは今頃心配しているだろう、とセシルは考える。彼のことを考えると胸の奥がズキズキと痛む。彼に迷惑をかけない為にも、早くここを抜け出したい。


 セシルは作戦を考え始める。現在は、痛みで動くことは出来ないが、チャンスはあるはずだ。


 それにしても、王宮内でセシルを誘拐した彼の顔に見覚えがあると感じた。彼の瞳は、セシルの知る彼女の瞳と同じだったためだろう。


 ギィという音と共に、暗い部屋に一筋の光が差す。そこには、セシルを連れ去ったラベンダー色の瞳を持った男と‥‥‥


「大司教様?」

「そうだ」


 その低い、這うような声に、セシルは身が硬くなるのを感じた。怖くないと自分に言い聞かせているのに、殴られ詰られた記憶に体がどうしても支配されてしまう。

 それを悟られないように、セシルは大司教を静かに睨んだ。


「反抗的な目だ。君は随分と、偉い人間になったらしい」

「‥‥‥‥‥」


 セシルが大司教を見上げると、彼は表情を和らげた。


「会うのは久しぶりだな。二年以上、君の姿を見ていなかったから、気がかりだったのだよ」


 恐怖と偽りの優しさ。


 それは、セシルを支配するために使われた常套手段だ。だから、騙されない。

 彼は自分の権力を盤石にしたいからセシルを手元に置きたいだけなのだ。


「さて、君に相談があるんだ」


 彼は転がったままのセシルに手を伸ばした。


「今、教会は人手不足に困っていてね。それは、王宮も同じだったらしい。だから、王宮に協力を要請して、君の共同所有権を持とうと同盟を組んだんだ」

「共同所有権ですって?」


 共同所有権なんて、人の尊厳を踏みにじっている。そんな要請に答えるわけがない。答えられる訳がない。


「いいえ。セシルさんは、絶対に聞きますよ」

「‥‥‥‥‥」


 少し前まで、黙って楽しげにセシルを見つめていた男はセシルに急に話しかける。セシルは改めて彼を見て、一つの確信を持った。


「あなたは、聖女のエレンなの?」

「正解です。流石、セシルさん。よく分りましたね」

「瞳がよく似てるもの」


 彼女は、少し前まで王宮で共に働いていた聖女のエレンだった。しかし、失踪したはずの彼女が教会にいる訳が分からない。なにより、男の姿をしている理由も‥‥‥


「この姿ですか? 本来の私は、男ですし、教会で生まれて教会で育ったんですよ」


 セシルはその言葉に目を見開いた。


 出産を穢けがれとしている教会において、教会で生まれ育つのは禁忌である。そして、それはセシルの境遇と同じだったのだ。


「私は、元々セシルさんを王宮から取り返すために、大司教様から指示されて、王宮に聖女として忍び込んだんです」

「‥‥‥‥」

「だから、セシルさんより私が有能だって見せて、セシルさんの立場をどんどん悪くして追い出したんですよ。そうすれば、教会に頼る他ないでしょう?」


 なのに、別の場所に保護されてしまったから大変だった、と。彼はケラケラと笑いながら言った。

 あれが全て演技だったとは、セシルは気付かなかったし、おそらく第一王子・ルーウェンも知らないだろう。そうでなければ、彼はエレンを正妃にしたいなんて言わないはずだ。


「ちなみに。前に山火事の事件があったでしょう? あの時に山小屋に取り残された子供、私ですよ。本当は、あの時に事故を装って伯爵様を亡き者にしようとしていて‥‥‥」

「‥‥‥‥‥‥っ」

「おっと」


 セシルはエレンに向かって走って体当たりをしようとした。しかし、彼はヒラリとそれを避けた。


「危ないですよー?」


 セシルの息は上がっていた。いきなり動いたからではない。怒りで震えて、どうにかなってしまいそうだったからだ。


(こんなことってない)


 一歩、間違えればアルベールは死んでいたのかもしれないのだ。そんなことが起きていたら、セシルは自分が許せなかっただろう。


「許さない。許さない」


 セシルは血走った目でエレンと大司教を睨みつけた。


「そんな目で見ないで下さいよ。‥‥‥‥‥ねえ? 大司教様」


 大司教は、その言葉に頷いた。そして。


「少なくとも、自分の父親に向けるべき目ではないな」

「‥‥‥‥‥‥え?」


 最初は、聞き間違いだと思った。そうでなければ、説明がつかない。

 しかし、彼は無慈悲にも、決定的な一言を述べる。


「君は、私と今は亡き大聖女の子供だ」


 セシルの頭に母の姿がよぎる。「魔物と契ったのではないか」と言われ続けて、それを否定しなかった母の姿を。

 そして、皆と一緒になって母を罵っていた大司教を見た。


「ちなみに、私も大司教様と別の聖女の子供です。私とセシルさんは異父兄妹ですね」


 セシルはその言葉を聞いて、膝から崩れ落ちた。ガクガクと体の震えが止まらない。そんなセシルの顔を覗き込んで、エレンは嬉しそうに微笑む。


「私たちの聖魔力が大きい理由、分かりますか? 大司教様の血を引いているからですよ。素晴らしいでしょう?」


 よく見ると、彼の瞳とセシルの瞳は濃さは違うものの、同じ色合いだ。そして、大司教の瞳の色もー‥‥‥


「私はそんな大司教様に感謝してますし、なんでもしたいと思っています」


 どうして、今まで気づかなかったのか。気がつく要素は沢山あったのに。


「だから、セシルさんもこの教会に留まって下さいよ。家族として一緒に過ごしましょう?」


 こんなに冷たい人が家族だなんて嘘だ。けれど、こんなに残酷な人間と血が繋がっているのも事実。


「わ、私は‥‥‥‥」


 その時、バタバタという足音ともに、人がその場に入ってきた。


「大司教様、王宮から連絡が‥‥‥!」

「なに? そんなものは後でいいだろう」

「それが、少々厄介なことになっておりまして」


 大司教はため息をついて、エレンを見た。


「エレン、行くぞ」

「はい。大司教様」


 再び、一人の時間が訪れた。その瞬間、恐ろしさに嗚咽が漏れた。

 母が、自分の父親を明かさなかった訳がようやく分かった。そして、自身の強力な魔法の正体も。


(どうして、今まで気づかなかったの?)


 ダメだと分かっているのに、どうしても考えてしまう。あんな大司教の血を引いているなんて、自分は汚れた存在なのではないか、と。


(アルベール様に会いたい)


 けれど、会っていいのか分からない。真実を知ったら、嫌われてしまうのではないかと怖いのだ。


 嘘だったら、よかったのに。しかし、嘘ではない。


 セシルを絶望させるための安い嘘ではないのだ。それが本当なら全てに説明がつく。自分の禍々しいほどに強い聖魔力にも、自分の姿を偽装できるほどのエレンの強さにも。


「ふ‥‥‥‥うぅ‥‥‥‥‥‥‥‥」


 セシルが体を折って、口を押さえた時、カランと音がした。


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