第31話 彼女のことが(アルベール視点)
アルベールがセシルを初めて見たのは、およそ二年前のことだった。
その日、アルベールは王宮へ足を運んでいた。家督相続についての説明を王家に求められた為である。
アルベールは妾の子供であったが、血で血を洗うような相続問題を勝ち抜き、伯爵家の家督を継いでいた。
しかし、家督を継いだからと言って、それで終わりではない。前当主が残した金銭トラブルや一部商会への癒着の対処、隣接する国との関係修復、領民の不満解消など、やらなければならないことは沢山あった。
更に、正妻の子でもないアルベールが家督を継いだことが異例だとして、王家に呼びされてしまったのだ。
『お前が死ねば、全て解決するのに』
『俺から地位を奪って、楽しいか?』
狂ってしまった義母や、自嘲気味に笑う兄の声が蘇る。アルベールが屋敷に来た頃は優しかった彼らも、アルベールが優秀だと分かると、段々と態度を変化させていった。今では、領地とは離れた場所にいるが、それでも時々彼らの言葉を思い出してしまう。
周りから祭り上げられ、父の滅茶苦茶な領地経営を見てられなくて、家督を継ぐことにしたが、こんなことやるものじゃないと思った。
(家督は‥‥‥いずれデニスを養子として迎え入れて、譲ろう)
そうしようと思っていた。言い寄ってくる女は沢山いるが、家庭を持つなんてあり得ない。家督問題を起こすくらいなら、その方がいいのだ。
その時、アルベールの耳に一つの声が飛び込んできた。
「あなた、最近調子に乗っているのではなくて?」
思わぬ不穏な言葉に、アルベールはキョロキョロと辺りを見回す。
しかし、周りには人はおらず、気のせいかと思ったのだが。
「その白い髪、自分で恥ずかしくないのかしら?汚らわしくて目障りだわ」
「その格好は、何かしら? みすぼらしい。ボロ雑巾でも纏っているのかと思いましたわ」
「教会から追い出された負け犬のくせに、王宮で大きい顔しないで欲しいわ」
その声は建物の影から聞こえてきていた。顔を上げると複数人の女性が一人の女性を囲っているのが見えた。
(ああいうことがあるから、女は恐ろしい)
囲まれている方は、まだ少女と言えるほど若く、はかない雰囲気を持っていた。白い髪と紫の瞳が印象的で、今にも消えてしまいそうだと、アルベールは思った。
「なんとか言いなさいよ!」
パシンと音がし、白い髪の少女は頬を抑えていた。ハラリと白い髪が彼女の肩から落ちる。その隙間から頬が赤くなっているのが見えた。
「おいー‥‥‥」
流石にこれは止めるため、アルベールは声をかけようとしたのだが。
再び、パシンという音が5回連続で聞こえてきた。また殴られたのかと思ったのだが、頬を押さえて固まっていたのは、白い髪の少女を囲んでいる女達の方だった。
(え、は? 5回連続で叩き返した??)
「何するのよ!!」
「何するはこっちのセリフですよ。五人で寄ってたかって。恥ずかしくないんですか?」
白い髪の少女は、か弱そうな雰囲気とは裏腹に反抗的な態度を取っていた。
「こいつ‥‥‥!」
そのまま五人の女性は少女に掴みかかっていくが、少女はそれに臆せずに立ち向かった。取っ組み合いの喧嘩に、アルベールが止める隙もない。
少女は一対五ながら、互角の闘いを見せていたのだ。
儚い印象とその強い姿がアンバランスで‥‥‥
(なんか、かっこいいな)
アルベールは、そう思った。
「二度とくだらないことをしないで下さいね」
最終的に彼女は囲っていた女性を追い払っている。王宮にいるのは深層の娘ばかりとはいえ、五人を一気に一人で追い払うとは‥‥‥
そのまま、彼女はその場から去って行ってしまった。一瞬でさえ、アルベールとは目が合わなかった。
彼女のことが気になったアルベールは、帰り際、王宮の知り合いに「白い髪の少女」について尋ねた。
「ああ、彼女は城に保護されている聖女のセシル様だよ」
「聖女‥‥‥」
それから、彼は王宮を訪れるたびに、白い髪の彼女を目で探すようになっていた。
花に水遣りをする際、顔を綻ばせているとか。
怪我している人を見つけて、心配そうにしているとか。
心ない言葉を浴びせられて、悔しそうに唇を噛んでいるとか。
そういう姿を、時々見つけた。
最初は、興味。そして、不遇な状況にいる彼女への庇護欲。めげない姿から、尊敬。それらがない混ぜになって、アルベールの心をかき乱す。
こんな感情は初めてだった。
それでも、彼女は聖女だ。国に尽くす存在。自分には到底手も届かない人だ。だから、彼女のことを深く考えたこともなかったし、抱える感情の意味を知ろうともしなかった。
‥‥‥なのに。彼女を契約上の妻にして、彼女を知っていく内に、どうしようもなく心をかき乱されるようになった。
誰よりも人のために動いて、誰よりも一生懸命。すぐに無茶をするから、目を離せない。
二度も裏切られた経験をしたのに、いつだって真っ直ぐアルベールに向き合ってくれる。
セシルが人生で初めて冗談を言い合ったり、ピクニックに行ったり、喧嘩や仲直りをしたように、アルベールにとってもそれら全てが初めての経験だった。すべてが新鮮で鮮烈だった。
いつの間にか、アルベールにとってセシルは、唯一無二の存在になっていた。
そして、彼女に対する感情をなんと呼べばいいのか。アルベールはもう答えを持っていた。王宮の件が解決したら、彼女にきちんと伝えようと思っていたのだ。
もっと早くに自分の気持ちを伝えておけば、こんな事態は避けられたのだろうか。
☆☆☆
アルベールは、連れられた王宮の個室で苛々と歩き回っていた。理由は、セシルが第一王子のルーウェンに連れて行かれたためだ。
本当は、あの時にセシルの手を引いて逃げられればよかった。
だけど、相手は王族だ。逃げて解決するわけではない。
セシルが機転をきかせて、「話が終わったら、戻る」という条件をつけて、了承を得られたから大丈夫なはずだ。そう言い聞かせるが、どうしても落ち着かない。
一旦、この部屋の外に出ようと、扉のノブに手をかけた次の瞬間。パァンッという音を立てながら、扉が弾けたんだ。扉の向こうには足を振り上げたデニスの姿があった。
「アルベール様!」
「デニス、どうしたんだ?!」
「セシル様が誘拐されました」
彼にいつもの余裕綽々とした表情はなく、その頬には一筋の汗を垂らしていた。
「何があった?」
「‥‥‥‥アイツらに、嵌められました」
絞り出すように伝えられた言葉に、アルベールは眉を顰めた。
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