第19話 はじめての仲直り




「何よ、あんたなんて‥‥‥!!」


 彼女はセシルに向かって手を振り上げる。が、その手が振り下ろされることはなかった。セシルが前を見ると、そこには真紅の髪を持った男が彼女の手を止めていた。


「旦那様‥‥‥?」


 セシルが名前を呼ぶが、彼はこちらに顔を見せない。まだ怒っているのかと思い、セシルは声をかけるのを躊躇う。

 彼の息は切れていて、まだ本調子ではないことは一目瞭然だった。


「何をしようとしていたんだ?」

「アルベール様、助けて下さい! レインという侍女に濡れ衣を着せられそうになったんです」


 当の侍女はアルベールの姿を見るや否や、彼に体をすり寄せた。しっかりと胸を押し当てて上目遣いをしている。が、水でメイクを崩されているため、いまいち決まっていない。


「怖かったのですが、恐怖に打ち勝って弁明しておりました。なのに、突然その女に水をかけられて‥‥」


 彼女は顔を覆って、涙を堪えているような声を出す。


「この女は、旦那様に相応しくありません!」


 そして、涙目からのドヤ顔。アルベールが自分に味方してくれると信じて疑っていないようだ。しかし、アルベールは興味ないという風に静かに彼女を見下ろした。


「それで?」

「え?」

「それがなんだと言うのだ?」

「そ、それは‥‥‥」


 そんな彼女の様子にため息をついたアルベールは、レインを振り返った。それでも、セシルとアルベールの目は合わない。


「レイン。証拠は?」

「ここに」


 レインはササッとアルベールに複数枚ある紙を差し出す。彼はそれを見て、目を細めた。


「セシルの所持品を奪ったことをはじめとした数々の嫌がらせの証言だ」

「な‥‥‥っ! その女を信じるのですか?!」

「君は知らないのだろうが、レインをセシル付きの侍女にしているのは、俺にとって彼女が最も信用できる人間だからだ」


 彼女はグッと言葉に詰まる。それでもまだ諦められないのか、更に言葉を続けた。


「それなら、その女が勘違いしているだけで、その証言は私を嵌めようとした者の嘘かもしれないでしょう?!」

「それはないな。セシルに手をあげようとしていたのを俺も見た。嫌がらせはあったんだろう」

「‥‥‥‥‥」

「デニス、彼女を外へ。処罰はのちに言い渡す」

「かしこまりました〜」


 デニスは名前を呼ばれると、窓からその場に入ってきた。そして、彼女を羽交い締めにする。


「何をっ! あんたみたいな下賤な男が触らないでちょうだいっっっ」

「はいはい。落ち着いて下さいね〜」

「何よ、馬鹿にして‥‥っ」


 彼女はアルベールの名前を呼ぶが、彼は振り返ることなくレインと話をする。なお諦めずに必死に暴れつづける。そんな彼女をようやく振り返って、アルベールは「ああ」と口を開いた。


「言い忘れていたが。俺は、人を口汚く罵る人間は好まない」

「‥‥‥‥‥っ」



 沈黙の中、アルベールは「さてと」とセシルの方を向いた。ようやく真っ直ぐ合った目に、セシルは身を固くする。アルベールは、そんなセシルに近づいた。


「えっ!ちょ、何を‥‥‥!!」


 そして、彼女の体を持ち上げて横抱きにした。セシルは突然のことに、足を振って降りようとするが、彼はしっかりと抱いているからか降りることが出来ない。

 何より、無理やり降りようとすると、落ちそうで怖い。


「レイン、後始末は頼む。俺たちは話があるから」

「‥‥‥あまり、ご無理はなされないよう」

「分かってる」


 レインの声は少し震えていた。彼女は表には出さなかったが、ずっと主人の容態を心配していた。本当は、今この瞬間も安静にしていて欲しいという思いはあったが、彼の本意を受け取って、余計なことは言わなかった。


 アルベールはレインの返答を聞くと、セシルを抱えたまま自室へ向かって歩いて行く。


「ちょっと、おろして下さい!!」

「嫌だ」


 セシルの言葉が採用されることはなく、アルベールはゆっくりと歩いて行った。

 そして、自室に入ってようやく、その願いは聞き入れられた。セシルを落とさないようにそっとソファに置くと、アルベールはその場に座り込んだ。


「流石にキツイな」

「そうでしょうよ!!」


 はは、と笑って反省の色が見えないアルベールに、セシルは目を吊り上げる。


「何日間も寝込んでいて、さっき目覚めたばかりの人が無理をしないで下さい!」

「そうだな」

「ちゃんと、聞いてます?」

「聞いてる。怒ってるのも可愛いなって」

「なっ‥‥‥」


 一転。何も言えなくなってしまったセシルの手をアルベールは取った。今度は彼のターンだった。


「すまない。どうしても今日、もう一度話したかったんだ」

「‥‥‥」

「聞いてくれるか?」


 セシルは何も言わずに、コクリと頷いた。


「まずはあの侍女のことだ。対応が遅くなってしまってすまない」

「いえ」

「言い訳になってしまうが、彼女は子爵家の娘だ。不当に解雇すれば、子爵家に面目が立たない。だから、ずっとレインに証拠を集めてもらっていたんだ」


 そうだったのかと、セシルは今まで気づかなかった事実に驚愕きょうがくする。自分一人で対処し切れると考えていたが、レインまで巻き込んでしまっていたのかと少し申し訳ない気持ちになった。


「それから、先ほどの言葉を詫びたい。君は俺のために頑張ってくれたにも関わらず、”意味がない”など無神経な発言をした。すまなかった」

「いえ、私も‥‥‥ごめんなさい」


 セシルは慌てた頭を下げた。アルベールはそんなセシルの頭をポンポンと撫でる。


「俺は、あの山火事の日から、臆病になってしまったんだ」

「え?」

「無理をしすぎた君が死んでしまうのではないか、とな」


 セシルは、胸が締め付けられる思いがした。今まで、こんな風に心配してくれた人がいただろうか。


「君は、無理をしすぎる所がある。それを避けたくて、俺一人で討伐に行っていた。だから、君の実力を過小評価していた訳ではない」

「それは分かっています。けれど、私は契約している以上もっと働いた方がいいと思っています」


 アルベールがセシルを討伐に連れて行ったのは、たったの一回だ。王宮と比べるとあまりに少なすぎる。セシルはこれ以上ないくらいの生活を保証してもらえているのだから、その対価に働かせて欲しいと思うのだ。


 だって、こんなことは慣れているのだから。


「全然辛くないですし、慣れていますし、私は大丈ー‥‥」


 アルベールはもう一度、セシルの頭をポンと撫でた。


「働きすぎに慣れている、ということが”無理”なんだ」

「え‥‥‥‥‥」


 セシルは目を見開き、アルベールの言葉を必死に理解しようとした。


「セシル、抱きしめてもいいか?」

「は、はい‥‥‥え?」


 その言葉の意味を理解する時には既に、セシルはふわりと抱き寄せられていた。反射的に頷いたセシルは、しばらく何が起きているか分からなかった。ただ、彼の体越しに伝わってくる体温と早い鼓動を感じていた。


「君は、これまで幸福とは言い難い人生を送ってきた」

「何を‥‥‥」

「それでも、諦めずに前を向いて頑張っている君の姿を俺は知っている。そして、誰よりも頑張っている君には、誰よりも幸せになって欲しいと思っている」


 彼の静かな声が耳元をくすぐる。


「‥‥‥だから、あまり働かせたくないということですか?」

「本当はずっとゆっくりしていて欲しい。君はきっと一生分は人に尽くしてきたし、それを正当に評価されていない」


 静かな声だ。聞いていると、落ち着いてしまうほどに穏やかな口調で彼は言葉を続ける。


「すまない。全部、俺の勝手な自己満足で‥‥‥我儘だ」

「本当に、そうですね」


 セシルはそっと彼の肩に、もたれかかった。彼の願いは、本当に自分勝手だ。自己中心的で、けれど‥‥‥ ‥


 それは、なんて優しい我儘なのだろう、とセシルは思った。


 ハラリとセシルの目元から、一粒だけ涙が零れ落ちる。


「それでも、私はもっと頼って欲しかったです」

「分かった。これからは善処する」


 アルベールは少し笑っているのが、息遣いで分かった。それほど、近い距離に二人はいた。それが途端に恥ずかしくなって、セシルは彼から距離を取る。


「旦那様」

「ん?」

「これで仲直りでいいんですよね?」

「ああ、そうだな」


 セシルが聞くと、アルベールは目元を和らげた。その表情を見て、セシルの心臓はドキンと音を立てた。


 初めて、喧嘩をした。初めて、仲直りをした。

 そのことに、セシルは嬉しいような恥ずかしいような、そんな感情に見舞われる。


「あの‥‥‥」

「なんだ?」

「私、旦那様のことをもっと知りたいです」


 前からもっとアルベールのことを知っていこうと思っていたのに、なんとなくタイミングを逃して、聞く機会はなかった。

 セシルはアルベールから少し離れて、彼を見上げた。彼は複雑そうに瞳を揺らす。


「聞かせてもらえますか?」



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