第17話 2度と会えない可能性




『お母さん!お母さん!!』


 幼い時の自分が悲痛に叫ぶ。


『お母さん!なんで動かないの?なんで目を開けてくれないの!!ねえ、お母さん!!』


 セシルは、冷たくなった母の体を揺さぶる。これは、幼き日の記憶だ。母が亡くなった日の記憶。

 泣き叫ぶセシルに、大司教はゆっくりとセシルに歩み寄った。縋すがるように大司教に視線を向けたセシルを、彼は淀んだ瞳で冷淡に見下ろした。


『貴様のせいだ』

『え‥‥?』

『貴様の存在が罪だから、母親は死んだ』

『なん‥‥‥‥あ‥‥‥』


 普通なら、そんな言葉跳ね除けるだろう。だけど、セシルは度々、自分の存在を「呪いだ」「気持ち悪い」と言葉をかけられていた。母のお陰であまり気にしてこなかったその言葉が、その瞬間、嫌にフラッシュバックした。


『だから、貴様はその罪を清算しなければならない』

『‥‥‥‥なにを、すれば許されますか?』

『それは、』


 それは‥‥‥‥‥





「セシル様!大丈夫ですか!」


 レインの声にハッとする。どうやら、しばらく他の人からの呼びかけに答えていなかったらしい。急に現実に引き戻されたような感覚に、クラクラした。


 アルベールが危篤状態である。その知らせは突然だった。


 セシルの目の前には、上半身を露わにし、意識のない状態のアルベールが横たわっていた。彼の脇腹に巻かれている包帯には黒々とした血が張り付いていた。


 「なぜ、こんなことになったのか」とデニスを問い詰めると、アルベールは魔物狩りの帰りに蛇型の魔物に襲われたのだそうだ。すぐに追い払ったそうだが、猛毒を持ったそれに脇腹を噛まれてしまった影響から、意識を失っていたのだ。


「そもそも、なんで私を連れて行ってくれなかったの‥‥‥」

「‥‥‥」

「デニスは知っているんですよね?」


 セシルの呼びかけに、一瞬言葉を詰まらせたデニスだったが、やがて重々しく口を開いた。


「セシル様の魔力負担を減らしたいって、ずっと一人で無理して‥‥‥」

「デニスさん!」


 デニスの言葉をレイン制する。が、時は既に遅い。彼がずっと屋敷を空けがちだったのは、それが原因だったのかとセシルはようやく知った。


(どうして、今まで気づかなかったんだろう)


 少し考えれば分かるはずだった。魔物が減っていないのにも関わらず、セシルが仕事に連れ出されない理由くらい。


 彼が、セシルの分の仕事も請け負っていたからだった。


 とにかく治さなければと、セシルはアルベールの体に祈りを込め始める。


「聖女・セシルの名の元に命ず。傷つき、病める者に慈悲と癒しを与えよ」


 ゆっくりゆっくりと、傷口に魔力を注ぐ。傷口は徐々に塞がっていくが、アルベールの意識が戻ることはない。


 毒が既に広がっているからだと気付いたセシルは、一度魔力を注ぐことをやめた。


 これ以上、出血しないよう最小限の傷口にして、その傷から毒を浄化するための祈りを捧げる。しかし、毒が既に回っている状態だからなのか、セシルの聖魔法がなかなか効かなかった。

 セシルは一筋の汗を垂らす。


「セシル様!おやめください。まだ魔力が全快ではないでしょう?」


 すぐそばに居たレインがセシルの手を掴み、止める。


「でも‥‥‥!」

「やめて下さい!」

「やめられないよ!!」

「貴女が倒れたら、アルベール様を治す方がいなくなります!!」


 その言葉に、セシルは掲げていた手を下げた。辺りを照らしていた聖魔法の光はふっと消える。


「他の聖女の方も呼ぶので、どうかご自身を大切にして下さい」

「‥‥‥うん」


 レインはそう言ってくれたが、結局別の聖女が来ることはなかった。セシルという聖女がいるから必要ないだろうということで派遣されなかったのだ。


 毎日セシルが引き続き治療をするが、アルベールが良くなる気配はない。


「あの人がアルベール様に呪いをかけたんじゃない?」


 人の噂が広まるのはなんて早いのだろう。誰がが言い出したその言葉はまるで真実かのように扱われ始めた。

 一人でいる時に、何度か以前クッキーを捨てた令嬢ともすれ違った。彼女は取り巻きと一緒に「あなたがいなければ、アルベール様はこんなことにならなかったのに!」と度々、罵声と濁った水や物を投げつけてきた。


 そんな日々がしばらく続いた。



 セシルは、座りながら側に横たわっているアルベールの顔を覗き込んだ。

 彼の顔色はずっと悪く、額には汗が滲にじんでいる。タオルで彼の汗を拭う。


「旦那様。早く良くなって下さい」


 セシルはそっとアルベールに話しかけた。


「私、少しだけお菓子づくり上手くなったんですよ。まだ、デニスさんには怒られることも多いけど」


 返事は返ってこない。それでもセシルは続ける。


「それから、この間は侍女の子と初めて少しだけ話したんです」


 呼び出されて悪口を言われただけだけど。それは言わなくてもいいだろう。


「デニスさんは、必死に隠しているけれど、心配そうにアルベール様の様子を見に来ています」


 まだ話を続けたくて話題を探す。


「レインは、普段通りに振る舞っているけど、時々一人になると不安そうにしているのを見かけます。私も‥‥‥」


 セシルは、少し言葉に詰まった。言葉に詰まって、セシルは頭を下げた。


「私も、言いたいこととか聞きたいことが沢山あるんですよ」


 例えば、あなたの過去。レインやデニスを助けたように、なんで私のことも助けてくれたのか。どうして、あんな契約をしたのか。


 この短い間で話したいことが沢山出来ていた。二度と会えないなんて嫌だと、セシルは祈り続ける。


 どうか、目を覚まして欲しい。このまま二度と会えないなんて嫌だ、と。


「ん‥‥‥‥」


 その時、アルベールが苦しそうに眉根を寄せた。ここ数日ではじめての反応に、セシルは彼の手を握り、聖魔力を込め始める。


「あ‥‥‥」


 彼はやがて目を開ける。まだ意識がはっきりしていないらしく、しばらく彼の瞳はぼんやりと虚空を見つめていた。


「旦那様?」

「‥‥‥‥」


 セシルが名前を呼ぶと、今度こそ彼と目があった。


 久しぶりに見た彼のエメラルドグリーンの瞳に、セシルは少し泣きそうになった。しかし、それを隠すためにセシルは急いで立ち上がり後ろを向く。


「私、レインを呼んできます」

「ちょっと待て」


 セシルが立ち上がった瞬間、強く手首を引かれた。振り返ると、彼は険しい顔をしていた。


「君は、何をしているんだ?」

「え?」

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