第15話 つくったお菓子を渡せない




 デニスとレインの力を借りながら、無事お菓子が完成した。

 セシルは、出来上がったお菓子を見て少しだけ口角を上げた。

 今回作ったのは、クッキーである。アルベールがいつ帰ってくるか分からなかった為、少しでも長持ちしそうなものを作ろうということになったのだ。


 そのアルベールが帰ってきたらしく、レインは出迎えに行っている。そのため、キッチンにはセシルとデニスしかいないのだが‥‥‥


「無事じゃないっすね‥‥‥」


 セシルの後ろで、髪をボサボサにしたデニスが虚ろな目で片付けをしていた。彼の服は、所々すすけている。


 実は、レインとセシルは大の料理オンチだった。レインは卵を叩き割ったり、セシルは全く関係のない調味料を混ぜ始めたりで、デニスは非常に苦労をした。

 そのせいで、試作品という名の失敗作がキッチンには積み上げられていた。


「セシル様が鉄のスプーンをオーブンに入れた時はどうしようかと思いました‥‥」

「取り出すの面倒じゃないですか?」

「爆発した後の後片付けの方が面倒ですよ」


 デニスは「まったく‥‥」と言いながら、後片付けを始める。その横で、セシルも片付けの手伝いを始めた。


「‥‥‥こうしていると、弟を思い出すな」

「弟さんですか?」


 セシルが聞き返すと、デニスは頷いた。


「手がかかって、兄にべったりなのに、強がりな子」

「それ、私のイメージですか‥‥‥」


 褒められるのかと一瞬期待してしまったセシルは、地味にショックを受ける。その様子を見て、デニスはニカッと笑った。


「エリックって名前で、今は離れて暮らしてるんすけどね」


 というのも、彼の弟は病気のため、離れた場所で療養しているそうだ。


 デニスが教会の孤児院で育ったという話は昔、聞いたことがある。しかし、そこは劣悪な環境でー‥‥元々体の弱かった弟は衰弱してしまったと言う。そんな弟を治して欲しいと訴えても、教会は何もしてくれなかった。


 アルベールが助けてくれたことで、一命を取り留めることが出来たが、弟は今でも治療を続けているらしい。


 だから、デニスは、今でも教会が嫌いなのだと。


「最初はあなたがこの屋敷に来る時、怖かったんすよ」


 教会の人間に脅かされてしまうのではないか、と。


「でも、あなたみたいな優しい人が、アルベール様の奥さんになってくれて、よかった」


 彼はあくまで軽い調子で言っている。しかし、その言葉は真剣だった。だから、セシルは「なんですか、それ」とは受け流さなかった。


「‥‥‥‥私なんかでいいんですかね?」

「さあ? それは、アルベール様が決めることなので」


 デニスはここまで言っておきながら、無責任にも首を傾げた。

 そこで、レインがキッチンに戻ってくる。


「セシル様、アルベール様がお戻りです」


 渡しに行ったらどうかと提案するレインに、セシルは少しだけすぐに行くことに躊躇した。


「喜んでくれるかな?」


 もし迷惑に思われてしまったら。契約関係を逸脱していると思われてしまったら。

 次から次へと不安が押し寄せてきて、足がすくんでしまう。そんなセシルの肩に手を置いて、レインは目元を和らげた。


「セシル様。アルベール様は、優しい方です」

「‥‥‥‥そうだね」


 アルベールはいつだって優しい人間だ。それは、この短い間でも分かっていることだった。だから、セシルが不安に思うことなどないだろう。デニスはセシルの背中をポンポンと軽く叩いた。


「ここの片付けは俺たちに任せて、行って来てくださいよ」

「うん、ありがとう!」


 行ってきます、と。セシルは言って駆け出した。






⭐︎⭐︎⭐︎






 クッキーを持って、足早に廊下を歩いて行く。はじめてのことに、セシルは不思議と胸が高まっていた。

 日は既に暮れかけており、窓からは美しい夕日がセシルの横顔を照らす。


(こういうこと、初めてだから‥‥‥ドキドキする)


 喜んでくれるかな。ちゃんと美味しいかな。そんなことを考えながら、足を進めるふわふわした緊張感は、セシルの感じたことのない感情だった。


「喜んでくれるといいな」

「なにをしているのかしら?」


 その言葉と共に、急にクッキーを入れた袋が横から取られた。


「え?」


 そこには、侍女服を着た女性がセシルの前に立ち塞がっていた。高圧的にセシルを見下ろす彼女は、敵意を隠そうとしていない。

 よく見ると、彼女は以前セシルに水をかけてきた女性だと気付いた。


「あの、なんですか?」


 セシルが後ろに逃げようとすると、別の侍女たちがその道を塞いだり


「なんで、貴女みたいな人が、アルベール様の妻の位置にいるのかしら?」


 それは、契約だからだ。しかし、それを知らない彼女達は、納得していないのだろう。

 どうやって彼女達をかわそうか、セシルは考える。


「こんな貧相で色気がなくて可愛げもなくて地位もなくて力もない女なんて‥‥‥まだ、もう一人の聖女の方だったら、許せたのに」

「え?」

「貴方よりも、聖女のエレン様の方が相応しいってことよ!」


 セシルの体が、その名前を聞いた瞬間凍りついた。


「エレン様は美しくて、優しくて、有名なのに。対して貴女はいい噂なんて聞いたことないもの」


 ドクン、ドクンと心臓の音が聞こえてくるようだった。その言葉は即効性のある毒のように、ジクジクとセシルの胸を痛めつけた。



 ‥‥‥エレンは、セシルに仕事を押しつけて、セシルのことを心配するフリをしながら薄らと笑っていた女性だ。


 しかし、そのことには誰も気づいていなかった。美しいエレンの聖女としての人気は高かったためだ。


 エレンは誰からも好かれる聖女であった。


 だから、彼女たちは、アルベール様に相応しいのはエレンだと言っているのだろう。


 そう考えてしまって、ジクジクと胸が痛んだ。



 セシルが何も言い返せない間に、彼女はセシルから奪った袋を開け始めていた。


「この中身は、クッキー?‥‥‥もしかして、アルベール様に渡すつもり?」

「え、それは‥‥‥」


 その言葉を肯定すれば、きっと彼女は激怒するだろう。一方で、否定して嘘をつく形になるのも嫌だな、と考えていると。


 彼女は「ふーん」と呟いて、不機嫌そうに窓のそばまで歩いて行った。周りの侍女はそれをニヤニヤと笑って見ている。

 そして、彼女は大きな窓を開け放ち、その袋を振りかぶり‥‥‥


「やめて‥‥‥!」


 そのまま外に投げ出す。セシルが止める間もないほどの早技。慌てて、セシルが窓からそれを覗くと、クッキーは袋から飛び出て、地面でグシャグシャになっていた。


「貧相な娘が出しゃばってるんじゃないわよ」


 クスクスと顔を歪めて笑いながら、彼女達は上機嫌に去って行く。


「あ‥‥‥‥」


 セシルはこれまでの生活で嫌がらせに、すっかり慣れてしまっていた。だから、嫌味を言われようが、物を隠されようが、水をかけられようが、平気だった。けれど‥‥‥


「あんなの、渡せないな‥‥」


 ずるずると、セシルは座り込む。こんなこと、慣れているはずなのに。

 セシルは、手伝ってくれたレインやデニスの顔を思い出す。そして、それを渡そうと思っていたアルベールのことも‥‥‥


(嫌だな。胸が苦しい)


 セシルは目頭が熱くなるのを感じて、必死にそれを堪えた。



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