第13話 伯爵と王宮、それぞれの思惑
アルベールが自室に戻ると、そこには人の気配があった。
「どこから入ったんだ、デニス」
アルベールが灯りをつけると、そこには案の定、デニスの姿があった。彼は窓枠に座り、ピースサインを見せながらニカっと笑う。
「窓から♡」
「仮にも主人の部屋に侵入するな」
「りょーかいです」
反省の色の見えないデニスは、きっとまた同じことをするだろう。こういう時は何回も言わない方がいいとアルベールは知っていたのでこれ以上の口出しはしなかった。
「それより、主人。やりますね〜」
「何がだ」
「意中の相手に『可愛い』って連発してたじゃないですか」
デニスは窓枠から降りて、ニヤニヤとアルベールを見た。
実は、デニス。今日のアルベールとセシルのお出かけに護衛としてついて来ていたのだった。しかし、あくまでもセシルに姿は見せずに気づかれないよう尾行していた。
そのため、今日の会話のほとんどの内容をデニスは知っていることになる。
「『かわいい』と思うものを『かわいい』と言って何が悪い」
「あー‥‥‥‥‥無自覚天然かぁ」
「何か言ったか?」
「いいえ?」
アルベールは、雨を降らせているときの彼女の姿を思い出した。
(あの姿は、なんていうか‥‥‥)
何よりも美しくて、いじらしくて。守りたくて、誰にも見せたくなくなって。
(愛おしかった、な)
そこまで考えて、ハッと気づいた。デニスがこちらを見てニヤニヤ笑っていることに。
ゴホンと咳払いをして、彼と話を続ける。
「それよりも、今日の火事のことだ。‥‥‥お前はどう思う?」
「十中八九、あの火事は人為的なものでしょうね〜。マジで許せねえ」
デニスの返答に、アルベールは静かに頷いた。セシルの尽力のお陰で怪我人は出なかったが、一歩間違えれば甚大な被害が出ていたであろう。
「そもそも山火事は自然には起こりづらい。重要なのは、なぜ俺たちが立ち寄ったタイミングで起きたのかだ」
「それは、まだ分かりませんね。ただ、偶然と言うには出来すぎているし、どうもきな臭い」
ここ最近、領地に現れる魔物の数が更に増えていた。それはちょうどセシルが屋敷にやって来た時期と重なっていて、「彼女が災いを持ってきたのでは」という意見も多い。
そこに加えて、あの火事騒ぎだ。彼女を貶めようとしている動きだと見ても、過言ではないだろう。
「屋敷での噂の方はどうするおつもりで? 放っておくとでも?」
「噂を広めている人物は分かっている。牽制はしておいたが、後は決定的な証拠がなければ解雇出来ない」
セシルの服が数着しかないと聞いた時は、耳を疑ったものだ。アルベールは数十着は用意していたにも関わらず、全て誰かに奪われていたのだから。だが、誰が奪ったか分からない以上、強引に調べ上げることなど出来なかった。
「その辺りの調査はレインに任せている。俺は目立ちすぎるから、これ以上手出し出来ん」
「当主というのも、難しいですね〜」
前当主との確執や因縁。この屋敷は、全てがアルベールに優しいわけではなかった。
だからこそ、アルベールは昔から共にいるデニスやレインを側近に置いているのだった。
「彼女の悪い噂が、地方まで届いていることについてはどう思う?」
「人は悪い噂が好きですからね。それは仕方のないことのような気がしましたけど‥‥‥」
「けど?」
デニスは笑顔を引っ込めて、目を細めた。
「あのガキは怪しかったかな」
「山の小屋に取り残された、あの子供か?」
「そうっすね〜」
「根拠は?」
ラベンダー色の瞳が特徴的だった子供は、セシルにお礼を言う際も、特に敵意は感じなかった。
アルベールはそう思ったのだが。
デニスは再びニカっと歯を見せて、親指を立てた。
「勘ですね」
「‥‥‥‥」
自信満々なその様子に、思わずアルベールはこめかみを抑えた。
「‥‥‥もっと頭を使えと言いたいが、お前の勘は当たるから何も言えない」
「ははっ!アルベール様、ナイスリアクショーン」
「うるさい」
デニスは更に笑いを立てる。アルベールはゴホンと咳払いをして、彼を止めた。
「とにかく。俺は、しばらく屋敷を開けることになりそうだから、彼女のことを頼んだ」
「承知致しました」
デニスは慇懃な態度で礼をする。月明かりが陰り、僅かに部屋の中が暗くなる。
「本当は、彼女のそばを離れたくないんだが」
アルベールの苦しげな表情に、デニスは主人の変化を読み取った。これまでは、数日屋敷を離れる時も平気そうだったのに、と。
今回の「デート」で、二人に何か変化があったらしい。デニスは、嬉しそうにニカッと歯を見せた。
「安心してください。俺はいつもアルベール様の味方です。セシル様のことも守ってみせますよ」
「ああ」
こうして、二人は思惑を噛み合わせながら、セシルを守る為に動き出したのだった。
⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
セシルとアルベールがピクニックから帰ってた、ちょうどその頃の王宮。
そこでは、第一王子のルーウェンが優雅に食後のワインを嗜たしなんでいた。お気に入りの侍女を隣に座らせて、接待をさせているのだが、彼の気分は晴れなかった。
(エレンでもいてくれたらな)
エレンとは、王宮で働いている聖女の名前だ。エレンは美しく、気立てがよく、身分も高かった。そして、聖女としてよく働いてくれた。それこそ、セシルがいなくなる前は、以前よりもはるかに多くの仕事をエレンはこなしてくれた。
にも関わらず、セシルは「エレンが仕事をしていない」と主張し、仕事量を減らしてくれと要求してきた。その要求が通らないと分かると、エレンに嫌がらせをしてきたのだ。
エレンが嫌がらせに耐えられなくなった時に、ルーウェンに泣きついて「助けて欲しい」と懇願こんがんしてきたのだ。だから、ルーウェンはセシルを追放した。
‥‥‥‥なのに。
「殿下!」
「なんだ。今、忙しいんだ。後にしてくれ」
ルーウェンは侍女に膝枕をしてもらっていたが、突然開いた扉に薄目を開けた。
(ノックも無しに扉を開けるなんて、礼儀のなってない奴だな。あとでクビにしよう)
「城下に魔物が出現していて、混乱が起きています!どうか、ご指示をお願いいたします!!」
「エレンは?」
「まだ帰ってきておりません!!」
ルーウェンは、チッと軽く舌打ちを打つ。今日は、エレンから休暇を申し入れられていたのだ。彼女は、セシルがいなくなってから、自責の念で病んでしまっていた。そのため、聖女としての仕事も捗はかどらず、城下には魔物が頻出していた。
(それでも、美人だから許せるけれど)
セシルとは違い、美しい見た目をしている彼女は、自然と庇護欲が湧いてくる。だから、この日、急に休暇が欲しいと言われた時も快くオーケーした。
「お前たちでなんとかしろ。セシルと魔獣狩りは何度もしていただろう。慣れているはずだ」
「そ、それは‥‥‥」
目の前のそいつは、気まずそうに目を逸らす。魔物を狩るだけなら、一般の人間でも出来る。浄化などの処理などに聖女が必要なだけだ。だから、エレンを出すまでもないだろう。
「もう、限界です!! 追放した聖女の力がなくなってから、被害が大きくなりました!」
「とにかく、エレンにこれ以上の仕事はさせられない」
「‥‥‥もう、時間の問題ですよ」
「貴様らでなんとかしろ」
彼は王子であるルーウェンに返事もせずに、バタンと扉を開けて乱暴に部屋から出て行った。
ルーウェンは、また侍女の膝の上で目を瞑った。
セシルがいなくとも、エレンがいてくれるから王宮はうまくやれる。そのはずなのに、ここ最近何かがおかしい。
エレンの調子が悪くなり、聖女の務める仕事が滞っている。魔物も蔓延はびこっている。部下たちの様子も反抗的。
歯車が一つ抜けただけなのに、何か大きなものが動かなくなってきている。ルーウェンはそんな予感がした。
「なあ、お前はどう思う?」
ルーウェンは起き上がり、その場にいた侍女に尋ねる。が、彼女の様子がおかしい。いつもなら、ルーウェンの話すことに笑って頷くだけの頭の弱い女なのに、にこりとも笑みを見せないのだ。
「お前?」
彼女はしばらく虚空を見つめていたが、やがてニヤリと口を大きく開いた。
「なっ」
そして、彼女‥‥‥いや、彼女だったものはメキメキと姿形を変えて、やがてそれは人型の巨大な魔物へと変化していった。
「やめろ‥‥‥」
その魔物は、ニタニタ笑いながらジワリジワリとルーウェンに近づいていく。ルーウェンは後ずさるが、やがて壁にたどり着いてしまい、それ以上逃げることが出来ない。
「やめろ、やめてくれ‥‥‥」
ルーウェンを追い詰めた魔物は、大きく口を開けた。そのまま‥‥‥
「うわああああああああああ」
「エレンの名の元に命じる。爆ぜろ」
ふわりとしたその声と共に、魔物の体はバラバラと崩れていく。ルーウェンの目の前には、金髪に、美しいラベンダー色の瞳を持った女性が立っていた。
「エレンか」
「遅くなりました。殿下、申し訳ございません」
「いや、いい。ありがとう」
ルーウェンはエレンから伸ばされた手を握り、立ち上がった。
「なんか、城下の町の方大変なことになっているみたいですね」
「ああ。だが、君は気にしなくていい」
ルーウェンは助けてくれた彼女への感謝から、そう言った。本当は聖女としての仕事をして欲しい気持ちもあったが、仕方あるまい。
「それよりも、今日はこの部屋に滞在しないか?また魔物が現れるかもしれないし‥‥‥」
「すみません。今日は少し忙しいので」
「‥‥‥そうか」
断られて落ち込むも、貞操観念の固い女なのだとルーウェンは前向きに捉えた。やはり彼女は素晴らしい女性だ、と。
「ところで、今日はどこに行っていたんだ?」
彼女は”ラベンダー色の瞳”を細めて、言った。
「少し、昔の友人に会ってきたんですよ」
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