第11話 事件発生
ピクニックを終えたアルベールとセシルが馬車に乗って、帰っている最中。それは唐突に起きた。
「‥‥‥外が騒がしいな」
「そうですね」
アルベールは窓のカーテンを少し開き、外を見た。セシルも横から覗くと、緊迫した表情で話している人や走っている人が見えた。
「少し話を聞いていきますか?」
「いいのか?」
「気になりますよね?」
「ああ。助かる」
アルベールは頷いて、馬車を適当な位置に止めた。そして、人が集まっている場所へと向かう。セシルはその後ろをひょこひょことついて行った。
「失礼する。何かあったか聞かせてもらってもいいか?」
「ああ?あんた誰だい?」
突然現れた美丈夫な男性に、その場にいた人たちは一同に怪訝な顔になる。ザワザワとした騒めきの中で「怪しい男だ」「こいつが犯人じゃないか」などといった声が聞こえてくる。
しかし、そこに駆けつけた衛兵の登場によって風向きが変わった。
「あ!あああああ!!!アルベール様!!どうしてここに?!」
そこにいた人たちは「誰?」と首を傾げる者もいたが、大部分がその名前にピンときたようで、顔を青ざめさせている。
「こちらに用事があって来ただけだ。ところで、騒がしいが、何かあったのか?」
「はい!実は山火事がありまして」
その言葉にアルベールはグッと眉根を寄せた。
「どこの山だ」
「エルイト山です!」
「現状は?」
「近隣の住民を避難させてはいますが、突然のことで鎮火活動まで至らず‥‥‥」
アルベールは顔を険しくした。エルイト山とは、隣国に僅かに接している山であり、そこから火が燃え広がってしまえば、隣国にも被害が出る。そうすれば、外交関係の不和が生じる可能性があるわけだ。
この領地を任されているアルベールとして、それは看過出来ない事件だった。
彼は、咄嗟の出来事ながら、次々に指示を出していった。
「燃え広がる前に鎮火だ。女子供を優先的に逃し、体力のある者は山の方へ来てくれ!」
「はい!」
「それから動ける者は、噴水前から山の方へ向かって一列に並んで欲しい!」
「はい?」
皆が一様に聞き返すと、アルベールは腕まくりをしながら答えた。
「噴水の水を入れたバケツを列に並んだ者達で山の方まで運んでもらう。そうすれば、体力も多くは奪われない」
その的確な指摘に「おお」と感心する者もいれば、「うまくいくのか?」と不安の声を挙げる者もいる。
「とにかく、やってみないことには分からないだろう」
と、アルベールはその場にいた少年数人に、今の指示をこの辺り一帯の大人達に伝えるよう、頼む。彼らが駆けて行ったのを見届けて、アルベールは最後にセシルを振り返った。
「すまないな。今日はこちらへ泊まっていくことになりそうだ。‥‥‥見張りは一応つけてあるから、君一人で帰ってくれないか」
その瞬間、アルベールに向いていた視線が、一斉にセシルにつき刺さった。
「そういえば、最近嫁をもらったって聞いたな」
「あの追放された聖女だろう?本当に恐ろしい見た目をしているな」
「この火事も彼女の仕業とかないよな‥‥‥」
ヒソヒソと囁き声が静かにセシルに刺さる。その声を一蹴するようにアルベールは大きく咳払いをした。
凍りついたように、辺りがシンとする。
このくらい慣れていることだけれど、とセシルは思ったが、アルベールは「これ以上言うな」というオーラを発する。
もしも、このまま帰ってしまえば、セシルの誤解は解けないままだろう。そして、それはアルベールへの不満や疑念へと繋がってしまう可能性だってある。
セシルは、リリエットの『彼には味方と言える家族はいない』という言葉を思い出して、首を横に振った。
「いいえ。私にも出来ることがあるかもしれないので、帰りません」
「‥‥‥分かった。だが、俺の側を離れるな」
「はい。わかりました」
アルベールは納得していない顔を見せつつも、セシルの意思を尊重した。
⭐︎⭐︎⭐︎
現場は
皆で力を合わせて噴水から持ってきた水を被せていくが、それで消えるわけもなく‥‥
セシルもその側で怪我人の軽い手当てなどをしていた。しかし、なかなか収まらない事態にセシルはアルベールの袖をそっと引っ張った。
「あの」
「どうした?少し休むか?」
セシルはふるふると首を横に振る。セシルは先ほどからこの対処法を考えていた。そして、一つだけ思いついていたのだ。しかし、それは危険で、誰にも見せたことはないものだった為、セシルはずっと迷っていた。
「あの‥‥‥」
「あの!!」
と、そこで別の女性が二人の間に割って入った。その人の服は所々煤けており、目に涙を浮かべていた。
「お願いします!助けて下さい!!」
「おい、失礼だぞ」
周りにいた人が彼女を止めようとするが、アルベールはそれを制して、話を促した。
「実は、息子があの山の丘にある小屋に行ってから、帰ってきてないのです!どうかお助け下さい!!」
「分かった」
アルベールはそれだけ言うと、ちょうど送られてきたバケツを受け取り、上から水をかぶった。
誰もが驚きに身動きが取れない中で、アルベールはしれっと髪をかき上げた。
「それでは、小屋に行ってくる。すぐに戻るが‥‥‥妻を頼む」
彼は誰に言うでもなく、そう呟いた後に、山の方面へ向かって駆け出して行こうとする。
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってください!!」
セシルは慌ててアルベールを止めた。
「なんだ?これ以上は連れて行けないぞ。危険すぎる」
「それは、旦那様もでしょう!危険です!」
「それでも、誰かが助けに行かなければならないだろう」
「それでも‥‥!」
「それでも、俺が行く」
その緑の瞳をセシルは真っ直ぐ見返す。なんて無鉄砲なのだろう、と。ならば、セシルも覚悟を決めないといけない。
「一つだけ、この火を止める方法があります。それを試させて下さい」
アルベールは片眉をあげた。
「‥‥‥‥‥‥その方法は?」
「特別な聖女の魔法を使います。いくつかの供物があれば出来ます」
セシルの言葉を、みんな鎮火作業を行いながら聞いていた。その感覚を肌で感じながらも、セシルはその方法を試させてほしいと懇願した。
「供物とは?」
「供物は、一輪の昼顔、ウソドリの羽、それから聖水です」
「なるほど。珍しい物ではないな」
昼顔、ウソドリの羽はともかく、聖水ならばセシルは幾らでも出すことが出来る。アルベールはセシルの案を聞き、そして口端を上げた。
「君の提案に乗ろう」
さっそく、その供物を用意させようとしたのだが。
「ちょっと待ってくれ!」
しかし、そうは問屋が卸さない。その場にいた者達は皆、セシルに疑いの眼を向けた。
「そんな悠長にはしてられないんだ!今すぐ助けてくれ!」
その女性は涙を散らしながら、アルベールに懇願をする。周りもそれに同調を始めた。
「彼女の言う通りだ。悠長にしている場合ではないだろう」
「大体、追放された聖女の力なんて信じられるか」
「もし、その力が本当だったとしても、何故それをもっと早く言わなかったのか」
皆、口々に不満を吐き出し始める。元々、セシルに不満はあったのだ。そこで、この中々収まらない火事。体力も無くなってきて、苛々し始めているところだった。
後出しのようにセシルが提案したのはよくなかったことだった。
「その通りだな」
アルベールはよく通る声で、それに同意した。セシルを庇うようにしていたアルベールが進んで肯定したことに驚いて、全員、それ以上言葉を紡げなくなる。
アルベールと目が合う。その瞳には、少しばかりのイタズラ心を宿しているように見えた。
「方法があるなら早く知りたかった。ダメだろう、セシル」
「え? は、はい。すみません」
「まったく。君はいつも口下手だから困る」
突然始まった一人芝居のような言葉に、セシルは困惑。当惑。ちょっとドン引き。
(というか、私が口下手だったことってありましたっけ‥‥‥?)
どちらかというと、結構アルベールに物申すことが多い気がする。周りの人も彼の言葉に戸惑い気味だったが、アルベールはそのまま続けた。
「しかし、だ」
アルベールはしっかりとセシルの目を見た。アルベールの瞳にセシルの姿が映る。
「彼女の力は本物だ。俺は彼女と、その聖魔力を信頼している。だから‥‥‥」
彼は、皆に向かって頭を下げた。
「だから、頼む。皆、力を貸してくれないか?」
それでも、皆、「どうしよう」という雰囲気の中で動くことが出来ない。アルベールはすぐに頭を上げて、一人の男性に視線を向けた。
「ケビン。君は、花屋を営んでいたよな?昼顔はないか?」
「は?!」
「レイルート、君は狩りが得意だったと記憶している。鳥の羽などは取っておいてないか?」
「え?!」
「それから、そこにいるアルタとマルタ。先程は俺の指示を大人達に知らせてくれてありがとう。感謝する」
「なんで?!」
子供達二人はアルベールの元へ駆け寄り、「なんで分かるの?」「なんでなんで」と聞いてきた。
「以前の視察でケビンやレイルートとは話したことがあった。君たちは、名前を呼び合っているのを聞いていたからな」
なんならこの場にいる全員の名前を把握していると、アルベールは言った。子供達は「すげー!」と目を輝かしている。
一方で、大人達の中には、反抗的な態度を取ってしまったと青ざめている人もいた。
それでも、アルベールのその誠実な態度に、皆の間に柔和な空気が流れ始めた。
特に名前を呼ばれた人たちは嬉しかったらしく、進んで前に出てきた。
「一度話しただけなのに、名前を覚えていてもらえて光栄です。いますぐ、用意致しましょう」
「俺も!前にちょこっと話しただけだから、絶対忘れられてると思ってました!すぐに用意しますね!」
「ああ、頼む」
アルベールは最後に大きな声で指示をした。
「他の者は、同じように鎮火作業に当たってくれ」
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