第2話 新しい生活
これまでのセシルは労働が当たり前だった。もちろん体調など、すぐに悪くなる。しかし、セシルは自身に癒しの聖魔法をかけることで、ボロボロの体をなんとか持ち堪えていた。
もちろん、身なりを整える時間なんて全くない。だから、セシルよりも美しかった新しく来た聖女の子はより好かれていた。
『あんたも、あの方を見習えばいいのに』
『どうしてそんな格好で平気なのかしら』
『寄るな触るな、汚い。言われた仕事だけしていろ』
昨日のことのように、かけられてきた言葉が耳に蘇る。それでも、あの時は傷つく暇すらなかった。
次々と求められる聖女としての仕事に対応しなければならなかったからだ。
そういった日々に慣れていたセシルは、伯爵家に来ても同じくらい働くことは覚悟していた。
なのに、契約を交わしてから旦那様はセシルを仕事に連れていくことはなく、既に1週間以上が過ぎていた。
迷惑をかけた分働いて返そうと思っていたのに、働くことが何もないのだ。
旦那様は契約を交わした後、仕事があると言って何日か屋敷を空けていた。
そのため、何をしたらいいのか分からず、セシルは、生まれて初めて怠惰な日々を送っていた。
コンコンと扉を叩く音がする。「どうぞ」と声をかけると、「失礼します」と言って1人の女性が入ってきた。
「奥様、昼食のお時間です」
彼女の名前は、レイン。この屋敷の侍女頭らしく、今ではセシルの専属侍女としてこのように食事の給仕をしてくれたりしている。
艶つややかな黒髪、涼しげな目元を持つ彼女は、クールビューティーの体現者のようだと、セシルは密かに思っていた。
これまで「聖女」だの「小娘」だのと呼ばれることが多かったので、「奥様」といった畏った呼ばれ方は、まだ慣れない。
そんなことをぼんやりと考えている間にも、レインは次々に机に料理を用意してくる。
前菜、スープ、魚料理、口直し、肉料理、デザート‥‥‥
出されていく料理に手をつけていく。それは、今まで食べたことのない量の食事で、最初はクラクラと目眩を覚えたものだ。
しかし、いつ食にありつけるか分からない生活を送っていたことから、食べ物を残すことには抵抗がある。セシルは毎回、完食を果たしていた。
「‥‥‥奥様。僭越ながら、無理して食べる必要はないです」
「大丈夫、無理はしていないよ」
レインが心配そうに声をかけてくるのもいつものこと。しかし、何回か言われているので、さすがに気になってきた。
「もしかして、私って食べすぎなのかな?」
「一般的な量よりは、少し‥‥‥いえ。かなり多いかと」
「そうなの‥‥‥」
確かに、用意されたものは少し多いなと思っていたが、「かなり」多いとは思わなかった。
「これは、奥様の好みが分からなかったアルベール様が命じられているだけで、残しても問題はありませんので。もちろん、食べ切っても頂ければ、厨房の者が喜びますが」
「旦那様が?」
「はい。ただ一言、『ありったけ食わせろ』と。奥様があまりに痩せていらっしゃるから心配されたのですよ」
「心配?」
心配って、とセシルは怪訝に思う。それはあり得ないはずだ。だって、彼とは契約結婚のはずだ。
しかし、契約の妻にしては、待遇がすこぶるよかった。豪勢な部屋に、食事、立派な侍女、心配、そして‥‥‥‥
セシルはチラリと窓際に飾られている一輪の花を見た。そこにあるのは、旦那様がセシルに贈ったものだった。セシルが屋敷に来てから、毎日贈られている。
(まるで、本当の妻みたい)
しかし、セシルは首を振る。そんなことはあり得ない、と。実際、彼が欲しいのは聖女としての力のはずだ。
(これも全て私への機嫌取りなんだろうな)
セシルがここに来てから姿を見せないのも、愛人か何かのところへ行っているのだろう。
そう考えていると、扉からノックが聞こえてくる。私が「どうぞ」と言うと、勢いよく扉が開いた。
「失礼しまっす!お変わりはありませんか?」
入ってきたのは、栗色の毛を持った男性だった。
「デニスさん。言葉遣いに気を使って下さい」
「レインさん、いたんすね〜」
レインの姿を見て驚いている彼は、筆頭執事のデニスだ。少々粗忽な面があるが、非常に有能な人物であるため、旦那様がいない時に屋敷のことを任されている人物だった。
レインの存在にびっくりしていた彼は、困ったように彼女に話しかけた。
「レインさんも、変わったことありませんか?」
「こちらはありません。侍女の方も問題ないかと」
「そうっすか」
一瞬、目線を下げた彼はすぐに「あっ」と言って、セシルの方を向いた。
「アルベール様からのプレゼントが庭に届いてますよ〜。よろしければ見に行ってみて下さいよ」
「庭に?」
「ものすごく立派でしたよ。それでは、失礼しますね〜」
彼は言うだけ言って、嵐のように去って行った。お陰で庭にあるものが何か分からず仕舞いだ。
レインはポカンとしているセシルに申し訳なさそうに頭を下げた。
「申し訳ございません。ただ、デニスさんに悪気はなく‥‥‥」
「分かってるよ」
彼はとてもいい人なのだ。セシルは、ここでの短い生活でよく分かった。
忙しそうの中でも、会うたびに「元気か」「困っていることないか」とニコニコと聞いてくれて、彼に悪意などないことは明白だった。
「とにかく、何があるか気になるから、庭に行ってみるね」
セシルが立ち上がると、レインも「ついて行きます」と一緒に来てくれることになった。
部屋を出ると、沢山の働いている侍女がいた。セシルの姿を見ると、ヒソヒソと話し始める。「汚らわしい見た目」「買われた女」「旦那様に媚びている」など、とね。
それを聞いたレインは、ジロリとその侍女たちを睨んで、セシルに話しかけた。
「‥‥‥消してきましょうか?」
「いやいや!直接何かされたわけでもないのに」
セシルは慌てて首を振った。が、レインの目は、据わっている。
「しかし、あのまま放置しておけば、奥様に害をなす可能性も有り得ます」
「害をなすって、暗殺とかそういう危険性のこと?」
「いいえ。そこまではいきませんが」
セシルはその言葉に小さく笑みを洩らした。多少の攻撃くらいなら、聖魔法を使って余裕で躱せる自信がある。
「なら、大丈夫だよ」
「しかし‥‥‥」
それでも、レインの顔は晴れないので、セシルは詳しく説明することにした。
「嫌がらせなら、もっと平気。王宮でもそういうことあったんだ。物を隠されたり、大勢から呼び出しをくらったり」
「‥‥‥‥‥」
「それでビンタされてビンタし返したりね」
「ちなみに、その後は何かありましたか?」
レインは少し考えた後、様子を窺うようにしてセシルを見た。
「何回かそういうことあったけど、大抵ビンタ合戦になったかな」
「‥‥‥なるほど」
あれは大変だった。相手は5人くらいいるのに、こちらは1人しかいないのだから。
しかし、あれで連続ビンタの才能はついた気がする。その才能をどこで発揮するのかは謎だが。
「奥様は大変お強くていらっしゃいますね」
「そうかもね」
聖魔力も強い訳だし。セシルは後ろに付いているレインを振り返って微笑んだ。
「だから、レインも私の侍女になったことで何かされたらすぐに私を呼んで。応戦に行くわ」
「それは頼もしい」
顔を見合わせてふふっと笑い合う。よかった。少しはレインと打ち解けられたかもしれない。
と、ちょうど屋敷を出て、庭までたどり着いた時だった。
「ば、化け物!!」
悲鳴にも似た声が聞こえてきたのは。
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