2度追放された聖女は、辺境伯と幸せな契約結婚をする。
夢生明
第1話 2度の追放と契約結婚
ワインレッドのソファに、少女と男が向かい合って座っていた。
「君と契約結婚をしたい」
突然、そう声をかけられて白髪の少女は正面に座っている男に目線を向けた。
少女の名前は、セシル。腰まで伸びた白い髪に、濃いアメジスト色の瞳を持っている。が、その姿は痛々しいと感じるほど痩やせており、髪も服もボロボロであった。彼女は、彼の言葉に思わず眉を寄せた。
「それは、どういうことですか?」
「君の聖女としての力を借りる代わりに、俺は君の安全を保証したい。そのための契約だ」
「結婚する意味はあるのですか?」
「身寄りのない女の後ろ盾になるには、結婚が一番手っ取り早い。もちろん、夫婦の営みなど求めていない」
だから安心していい、と。そう話す男の名前は、アルベール・ウィンスレット。
彼は、隣国との境を接する領地を治める、ウィンスレット家の当主。我がフィアストラ王国において重要な立ち位置にいる辺境伯だった。
「分かりました。それでいいです」
断る理由など、あるはずがない。
何故ならば、セシルは助けてもらう側だからだ。
セシルが出会って幾ばくもないこの男に助けを求めることになったのは、セシルが「2度」追放されたことが理由だった。
セシルは、教会生まれ教会育ちの聖女であった。
聖女とは、魔物という害獣を浄化し、人々や土地に豊穣ほと加護を与え、傷ついた民を癒す存在である。どれも聖女にしか出来ないことであるため、その存在は崇められ、ある程度の地位と生活は約束されるはずだ。 ‥‥‥‥‥本来だったら。
教会は神聖な場所であり、結婚も出産も許されていない。しかし、その禁忌が冒されて生まれたのがセシルだ。
セシルの母は、大聖女だった。
大聖女とは、国に複数いる聖女の中から、最も優秀な者から選ばれ、他の聖女を纏める者のことだ。簡単に言えば、聖女の中で一番偉く、尊い存在のことである。
故に、大聖女がセシルを産んだことは大問題であった。
更に悪いことは、セシルの見た目にあった。老婆のように白い髪、毒々しい紫の瞳。聖なる雰囲気など欠けらも持ち合わせていない。
太陽の光を彷彿させる金髪に、美しい海のような青い瞳を持っていた母とは似ても似つかない。
なのに、大聖女の強い聖魔力だけは受け継いでいたのだから、これ以上の皮肉はない。
いつからか、皆が口を揃えて言うようになった。
『大聖女は、魔物と契ったのではないか』
母は、それを否定も肯定もしなかった。
それ故に、根も葉もない噂はまるで事実のように取り扱われる。
大司教は、父親の分からないセシルの存在を、罪だと言った。
そのため彼女に姓はなく、教会からも常に冷遇されていた。ある程度は母が守ってくれたが、食事も住む場所も睡眠時間も充分に与えられない幼少期を過ごした。
やがて、その母が死に、後ろ盾のないセシルは教会から追い出された。そして、聖女の力を欲していた王宮へと送られることになったのだ。
非常に珍しい存在である聖女を囲い、時々しか聖女を派遣しない教会に不満を持っていた王家は、そんな彼女を快く迎え入れた。
そのお陰で、セシルは幸せに何不自由なく暮らし始めるようにー‥‥‥‥‥なんて、都合のいい夢物語みたいなことは起きなかった。
王宮は教会よりもひどい場所だった。
見た目のことなどで差別や嫌がらせは常に隣り合わせだったし、セシルは王宮から長時間の労働を強いられた。
時には、法外な研究を求められることもあった。それを断り、改善を求めているうちに、王宮の人間から煙たがられるようになってしまった。
そして、王宮にセシル以外の聖女が現れることで、事態は決定的となった。皆、そちらの聖女の方を崇めて、セシルを蔑ろにし始めたのだ。
新しい聖女は誰よりも美しく、気立てがよく、身分もあったため、皆から好かれていた。けれど‥‥‥‥‥
『ごめんね、私の分も仕事してもらっちゃって』
ラベンダー色の目を細めて、笑いながら謝る彼女の顔をが目に浮かぶ。
彼女は度々、自分の仕事をセシルに押し付けてきていた。聖女が増えたのだからと、仕事量も増えて、セシルの睡眠時間はものすごく減った。
結局、セシルは彼女に嫉妬をした挙句、嫌がらせをしたとして、王宮から追放されることになった。
2度も追放され、いよいよ行く当てのなくなったセシルに手を差し伸べてきたのは、目の前に座るこの男だけだった。
「なら、契約内容の確認を改めて行おう」
アルベールはセシルに資料を渡し、2人で目を通していく。
そこには、アルベール・ウィンスレットがセシルの身の安全を確保すること。セシルはその見返りとして、聖女としての働きをすること。その働きには、一定の賃金が支払われること、などが書かれている。
「聖女の働きとしては、どのくらいのことをすればいいのでしょうか?」
「俺の領地は、魔物の出現が激しい。その駆除が間に合っていないのが現状だ。君には、魔物浄化の手伝いをして欲しいと思っている」
「あとは?」
「それだけだ」
「それだけ?」
セシルはその言葉に、眉根を寄せた。
「それだけなんてことはあり得ないですよね?あまりに働かなすぎでは?」
「‥‥‥国際聖女保護法には、聖女に過剰労働を強いてはいけないとされている。これ以上の働きは明らかな過剰労働だ。王宮や教会は守っていなかったのか?」
「どちらも守っていなかったですね」
「は?」
今度はアルベールの方が眉根を寄せた。
「なので、もっと働かせても大丈夫です」
「いや、大丈夫ではない。そもそも魔物を浄化すること自体、聖魔力を大きく消費するし、命の危険も多少なりとも伴うだろう」
彼の言っていることは最もだ。しかし、その常識はセシルには、全く当てはまらなかった。
「‥‥‥聖魔力と危険性についてなら、問題ないです。私の聖魔力は、かなり強いので」
「‥‥‥‥」
セシルには桁外れの聖魔力があり、通常の聖女の何十倍も聖女の魔法を使うことが出来た。だから、王宮で過剰労働を求められても、セシルは倒れずに済んだのだ。
(まあ、倒れないのをいいことに、過剰労働を求められたんだから、本末転倒なんだけどね)
しばらく難しい顔をして黙っていたアルベールだったが、やがておもむろに口を開いた。
「‥‥‥ここの内容に変更はない。一定の仕事さえしてもらえれば、後は自由だ」
「そうですか」
彼の言葉を受け流して、セシルは更に資料に目を通していく。契約資料には、セシルの不利益になるようなことは一切書かれていない。むしろ、伯爵家にとって損失になるようなことばかりが記載されていて、セシルは目を疑った。
髪を耳の横にかけて、セシルはもう一度アルベールを見た。
情熱的な真紅の髪と氷のような美しい碧眼を持った美青年。そんな彼がボロボロの女を助ける理由が正直分からない。
「あの、本当にこの契約でいいのですか?」
「ああ、もちろんだ。なんなら、君から要望があれば加えてもいい」
(もしかしたら、私の境遇を憐れんでいるのかも)
セシルは、その考えに至って、自分の不甲斐なさに悔しくなった。
だから、セシルは顔を上げて、きっぱりと宣言した。
「助けてくださってありがとうございます。けれど、これ以上あなたに頼ることはしません」
「‥‥‥」
追放されたので、契約結婚をすることにした。けれど、助けてくれた彼に迷惑をかけるわけにはいかない。
とりあえず、頼まれた仕事をしっかりこなそうとセシルは決意した。
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