後編 呪いは伝染病

 私は帰国してすぐ、家に帰りました。もう夜になっており、早く家で休みたかったのです。しかし住んでいるマンションの前で大家さんに呼び止められました。とてもフレンドリーで世話焼きなおばちゃんだったので、念のため海外出張に行くことは言ってありました。

「ああちょっと!」

「ん? どうかしました?」

「あのね、あなたの部屋からとんでもない臭いがしているのよ。動物の死体でもあるんじゃないかって思ってるの。なんか隠してたりしない?」

 もちろん私には心当たりなどありません。というか大家さん、そんなこと言ってもし私が殺人犯だったら殺されてしまいますよ?と思いましたが、今そんなことを言っても余計な疑いを持たれてしまうだけです。私はもちろんそんなことは言いませんでした。

 大家さんはどうやら、私の部屋のチェックをしたいようです。仕方がありません。この際私のアダルトコレクションが見られても、ここに住み続けられるのなら構いません。そう思い、私は大家さんを連れて自分の部屋の扉まで向かいました。

 扉の前に立つと、確かに臭いです。昔、イノシシの死体の臭いを嗅いだ時と似た臭いです。猫でも中で死んでいるのでしょうか。戸締りはしっかり確認したはずですが、どこかに抜けがあったのかもしれません。ゆっくり休むはずだったのに、最悪です。

 私は新鮮な空気で深呼吸してから、息を止めて鍵を回します。カチッと音がして鍵が開きました。覚悟を決めて扉を開けます。せーの、がたん!

 部屋は予想通り真っ暗で、私は電気をつけました。

「くっさいわね」

 後ろで大家さんが言いました。私は息を止めていたので分かりませんが、相当臭いのでしょう。

 リビングの奥のほうには、黒い液体がちらりと見えます。そのうえで蠢く小さな白い何かも見えました。確実に何かの死体です。私は万が一ウジ虫を踏んでしまったら嫌なので、土足で家に入ることにしました。大家さんも靴を履いたままついてきます。

 私は一瞬嫌な想像をしたのですが、想像は外れ、死体は猫のような動物でした。何の動物か分からないくらい腐敗していましたが、とりあえず人間でなくて良かったです。しかし臭くてどうしようもありません。私は窓を開けようとしましたが、今でさえ近所迷惑なのにこれ以上臭いを拡散するわけにもいかないと思ってそのままにしました。最悪な気分になり、壁の方をふと見ると。そこには謎のマークが小指の先くらいのサイズで描かれていました。見覚えがあります。私はすぐに腕をまくり、そのマークと見比べました。すると、全く同じだったのです。どうやらこの動物の血で描かれているようで、黒々としています。

 私は不気味に思ったのですが、とりあえずビニール手袋と大きめのゴミ袋を用意し、死体を掃除しました。転がっていたウジ虫も、使った雑巾もゴミ袋に入れ、これ以上ひどくなるのは防ぎました。殺菌などもして、数時間かかったと思いますが、大家さんが協力してくれたおかげで心は折れませんでした。

 しかしまだ臭いし、完全には掃除しきれていません。私は大家さんに相談し、冷房をかけて外に出ました。これ以上腐られても困ります。後日特殊清掃の方々に来てもらうことにしました。

 その日はホテルで寝ることにしました。掃除していたときに着ていた服と、家のタンスにあった服は全て臭くなっていたので、コインランドリーで洗っており、無事だったのはキャリーバックに入っていた少ない服しかありません。シャワーを浴びた後は、アメリカで少し遊ぶ用に持っていた派手めの服で過ごしていました。

 私はインスタントコーヒーを淹れながら頭を働かせていました。熱いコーヒーを啜るのですが、臭い気がして、すぐにトイレに捨てました。そんなことをしつつも、頭はあのマークについてでいっぱいです。しかし分からないことについて考えても頭が痛くなるだけでなんの解決もしません。

 私はエッチなビデオを見て寝ようと思い、ホテルの廊下で売っているカードを買って、部屋に戻ってきました。部屋の扉を開け、私は息が止まる思いをします。

 真っ白なベッドの上に、赤い水たまりと、ネズミの死骸があったのです。腐ってはいませんでしたが、確実に死んでいました。壁を見ると、赤い字でまたあのマークがありました。

 ホテルのフロントに言うと、すごく申し訳なさそうに別の部屋をあてがってくれました。事情を聞かなくていいのかと思いましたが、私としては文句があるわけではなかったので、別に何も言いませんでした。

 私はさっさと寝てしまうことにしました。

 翌日、私は普通に会社に行きました。

 自分のデスクに向かうと、何か嫌な予感がしました。引き出しをあけていきます。ひとつめ、ふたつめ、みっつめ。全ての引き出しにはゴキブリの死骸が一匹ずつ入っていて、よっつめには三匹全ての体液を使って描いたであろうあのマークがありました。思わずため息をついてしまいます。後ろから少し覗いたであろう女性社員が叫び、オフィスはちょっとした騒ぎになりました。


 それから、私が行く先々に動物の死体が出現するようになりました。しかもその血を使って描かれるマークは、段々と大きくなっていました。一か月経ったときには、あのマークはトイプードルくらいの大きさになっていました。実際に家でトイプードルが死んでいたときは、思わず失笑が漏れてしまいました。私がゴミに出した後、近所で「探しています」の張り紙が張られたときは申し訳ないことをした思いでいっぱいになりましたが、まあすぐに忘れることができました。

 そのころになると、恐怖心は薄れて怒りに変わっていました。犯人が人間ではないだろうということは感じていましたが、どうにかして成敗してやりたいと思いました。そこで私は、友人に協力を依頼して部屋を見張ってもらうことにしました。旅行のついでに宿を見張っていてもらうのです。

 しかし、友人がいる部屋には死体はでませんでした。それどころか、旅行当日は死体が一切出ず、非常に快適に過ごすことが出来ました。私はこれからこのままならいいのに、と思いながら眠りにつきました。

「おい!おい!」

 揺らされていることに気付き、私は目を覚まします。まだ暗く、起きるような時間ではないのですが、友人が必死の形相で私を揺さぶっているのです。

「なんだよ……」

「今の何なんだよ。ふざけんなよ」

 私には何の心当たりもありません。意味が分からず、思わず不機嫌になります。

「今のって何だよ」

「は?おまえ覚えてないの?」

「はあ?何?怖い夢でも見たのかよ?ガキじゃないんだからそれくらいで起こすなよ」

「あ……ああ、そうか。ごめん。悪かった。お休み」

 私はそのあとすぐ眠りに落ちました。

 翌日目を覚ますと、友人は濃いクマをつくっていました。どうやら眠れなかったらしく、帰りの道中何度もあくびをしていました。


 私はそれから、死体に悩まされることが無くなりました。万歳三唱するしかありません。腕を見ると、あのマークが消えていました。意味は分かりませんでしたが、とりあえず私はあの死体地獄から解放されたのです。私は日々を歌うように過ごしていました。

 数か月経った頃、仕事をしていると突然腕に痛みを感じ、見るとそこにはまたマークがありました。私は思わずデスクを殴りつけて上司に怒られましたが、そのときはまだ意味を理解していませんでした。

 家に帰り、リビングに行きます。あのときのままであれば、リビングに死体と謎のマークがあるはずです。私は恐る恐る覗き、そこにあったものに腰を抜かして悲鳴を上げました。

 そこには友人の死体が座っていたのです。首にナイフが刺さっており、腹にも何度も刺したような痕があります。そして壁一面にあのマークが描かれているのです。友人の顔は苦悶に歪んでおり、その瞳はなぜか私を睨んでいるかのように大きく開いていました。

 警察はすぐに来て、私は事情聴取を受けました。もちろん何の前触れもなく私の部屋で友人が死んでいただけなので、何も言うようなことはありません。マークのことは黙っておきました。余計なことは黙っておくのが社会人ですから。

 友人は遺書などは残していなかったようですが、FACEBOOKで何か言っていたそうです。

「あいつに騙された」

 「あいつ」というのが私だと警察は考えていたようで、何回も警察が来ましたが、私は捕まりませんでした。実際に私のことだとしても、私は何もやってないのですから捕まるわけがないのですがね。

 結局友人の死は迷惑な自殺ということになったようです。

 それからはまた死体が出るようになりました。しかしそのときにはいくつかの法則性に気付いていました。

 私はそれから一人旅行をし、ホステルのような場所に泊まりました。朝起きると、同じ部屋で寝ていた屈強な男が私を見て怯えていましたが、知らんふりして帰りました。

 私は今、美味いコーヒーを飲みながらこの文章を書いています。あの男が死なぬ限り、私は安泰でしょう。みなさんはあのマークがある人と同じところで寝るのは回避したほうがいいでしょうね。

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やがて人が死ぬ 北里有李 @Kitasato_Yuri

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