ナマコ

第1話

私は犬だ。

本来の名前はあったはずだが、その名前のとおりに生きていなかった。

だから、犬と名乗る。

私には飼い主という存在がいて、今に至るまで、飼い主以外の存在とはあまり接していない。

飼い主はとにかく私を大事に大事に育ててきたと言っているが、実際は飼い主に大事なことなんて何一つ教わっていない。

ただ自分の都合の良い逆らわないかわいい犬に仕立て上げだけだった。


とにかく意見をいうのは許されず、飼い主の言うことは絶対なのも、逆らえば無視と舌打ちに怯えることになってしまうのは、おかしいと疑問を持つのに時間がかかった。


私の常識を打ち砕いてくれたのは、ある日私の唯一の居場所である小屋に舞い降りた一羽の鳥だった。

鳥は私の耳元で歌を口ずさんだ。

その歌は、あらゆる生き物と出会い多種多様な価値観と見てきた鳥の体験談だった。

それは私の視野が広がっていくきっかけだった。


その時からだった。

飼い主が忌々しく、今まで何十年も狭い檻の中に私を閉じ込めてきたことに対して、憎悪を覚えたのを。

私の首にリードを巻こうとした時の、下水道のヘドロのような腐った匂いより、顔に厚く塗りたくったファンデーションの匂いが鼻についた。

あまりにも臭すぎる。

飼い主が私に向ける生まれたばかりの赤ん坊をあやすような笑顔は、もはや私を馬鹿にしている白い顔にみえてきた。


私は怒りを覚えながらも、私の立場が今の現状を物語っている。

所詮私は飼い主抜きでは生きていけない犬。

飼い主には逆らえない。


そんな中、飼い主には逆らえない己の情けなさを一時でもいいから忘れさせてくれる手段として、私は自傷行為をした。

すると、そんな様子を飼い主に見られてしまったがその時の飼い主の号泣っぷりときたら!

なんとも傑作だった。

飼い主は私の傷を悲しんでいるのではなく、己の完璧な支配下の元で、予想外なことが起こってしまい、自分が今まで築き上げてきたものが崩れ去ってしまったのだ。

つまり自分のために泣いているのだ。

私は飼い主をうまく出し抜いた気分になり、愉快この上ない。

これが私にできる唯一の抵抗なのだ。


だが、こんな生活がいつまで続くのかわからない。

この犬の生活を抜け出したいのが本音だ。

あの鳥のように自由になりたい。

窓を開ける。

犬が空を飛ぶことを夢見たって結果はわかっている。

でも、このまま飼い主の支配下なんて..,

私はかの鳥の夢を見ながら大空へ身を投げた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ナマコ @yominokoe08

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ