外伝-Amethyst
姉は聡明だったのだろう。二つ上の姉は成績も優秀で、私は姉を慕っていた。
だが私が十二の時、姉を失った。私と同じ紫水晶の眼を持ち、艶やかな黒髪が年齢よりもずっと大人びた印象の美人であったと思う。ある日、父が姉を連れて行ったきり、父も姉も帰ってくることはなかった。父は軍の研究者であったと聞く。だが私に父への思いいれはない。家事はメイドらに任せ、研究所に籠り滅多に家に顔を出さなかったあの男に愛情などあるはずもない。姉を奪った憎しみしかない。
その喪失を埋めてくれるのは知識や学問であった。少年学校では成績もよかったのだろうが、よく覚えていない。授業は退屈であった。
だが、そこで面白い奴と出会った。鮮やかな蒼玉のような優しい眼とプラチナブロンドの髪の男。一般階級の生まれながら勤勉で、成績も悪くなかった。何よりも、その美しい眼が印象的だった。姉を思い出した。
彼には妹が居た。病弱であったらしいが、一度だけ見たことがある。兄とは異なり、紅玉の眼を持った人形のように可憐な少女であった。
時は過ぎ、私は士官学校を飛び級で卒業し軍の研究部に配属された。そして真実を知る。少女を『天使』として使い、神の力を行使する『模造神』。
私は嫌な予感がし、父に問い詰めた。そしてこの男は白状した。私のかけがえなき姉を、自身の娘を『天使』としたことを。そのまま、姉を見殺しにしたことを。
そして私はこの男を絞め殺した。
私の願いは、姉に再び会うこと。そのために姉を生き返らせること。
それからは父の研究を引き継いだ。神の力を以てすればきっと死者を蘇生することも叶うのではないかと考えた。しかし今の技術力では、正確に言えば『模造神』ではそんなことは叶いそうになかった。
だが研究資料の中に魅力的な存在を見つけた。悪魔の存在。人の作った神の模造品では不可能であっても、本物の悪魔であれば、あるいは。
だから私は悪魔に会った。だがこれも当てが外れた。「そんなことができるのは神の力だけだ」と、あの悪魔は言った。期待外れだった。
悪魔はこうも言った。「堕ちた天使か、あるいは天使を喰らった悪魔になら出来るのではないか」と。ならば『天使』を連れてくると言えば、この悪魔は「天使は不味いから食わない」などとほざいた。全く以て役立たずの悪魔だった。
ある時、『天使』として連れてきた少女の中に見覚えのある者が居た。紅玉の眼を持つ特に華奢な少女。蒼玉の眼のあいつの妹だった。
そしてほどなくして、蒼玉の眼のあいつが軍に入ってきた。何故従軍するかと尋ねたら、「妹を探しに来た」と答えた。その蒼玉の眼は強い執念の炎に揺らめいていたように見えた。
良いことを思いついた。『模造神』の研究の前身には悪魔の研究もある。そこでは「悪魔は傷つくと、それを補うために人間を取り込む」とあった。この兄妹を使えばうまくいくかもしれない。
自分の階位を振りかざし、『模造神』の投入を前倒しにした。そしてあいつがそれを目の当たりにするように配置にも手を加えた。そして思惑通り、あいつはそこで妹と再開した。
そこからは簡単だった。あいつに『模造神』と妹のこと、そして悪魔のことを伝えた。あいつは妹がすべてのような人間だったから、当然話に乗った。悪魔が拘束されている部屋の鍵を渡し、あいつに悪魔を宿らせる。
そしてあいつは想定通り悪魔の力をその身に宿し、妹の下へやってきた。
あとは『模造神』を使って悪魔を弱らせ、悪魔が『天使』を喰らうよう仕向けるだけだった。
戦況は芳しくない。人智を超えた『模造神』さえあればどんな戦さえ容易いはずだった。だが、敵国の新兵器は想像を絶する強さだった。
従来の火砲程度ならこの『模造神』の聖壁を破ることはできないはずだったが、敵の新兵器はそれを凌駕する威力を持っていた。
あの青白い光はたしか、火砲ではなく電磁気を用いた大砲。
次々と『模造神』が消し飛ばされていく。こちらも神の雷で相手の砲門をいくつか壊したが、それでもなお劣勢であった。
そしてあいつがやってきた。異形と化した漆黒の歪な身体に、左のみを残した蒼玉の眼を爛々と光らせた悪魔が。
敵の砲門からの射撃を躱し、気が付けばあいつは既に妹の前に辿り着いていた。目視できない速さだった。
奴を弱らせなければと『模造神』を動かすより先に、敵の射撃が悪魔の左下半身を穿った。多少予定は狂ったが、あとは悪魔が『天使』を喰らえば、私の望みが叶う。
そして蒼玉隻眼の悪魔は紅玉の眼の『天使』を喰らった。
悪魔と神の力とをその一つの身に宿した、まごうことなき怪物が目の前で生まれた。
黒く禍々しい右半身に、後から紙粘土を継ぎ足したかのような歪さの、しかし神々しき黄金の身体。そして紅玉の右眼と蒼玉の左眼を妖しく輝かせ、戦場の中央に顕現する。
怪物は咆哮する。そして瞬く間に、敵国の新兵器をただの鉄塊にした。我々の『模造神』も全て薙ぎ倒した。
怪物に近づき、呼びかける。
「あぁ!ついに神の力をも貴様は手に入れたのだな!」
怪物は答えない。
「それともまだ人の心が残っているのか?この際私にはどうでもいいが。」
怪物と目が合った。
「貴様にその力を与えたのは私だ。全ては私の願いを果たすために!」
怪物はこちらを見たまま答えない。
「あぁ……この時が来た。どれほど待ちわびたか。さぁ、私の願いを叶えろ。」
怪物が神々しい澄んだようにも聞こえる声で。この世を脅かすかのような禍々しくも聞こえる声で答えた。
「お前の、願い、だと。」
「そうさ、私の願いだ。」
怪物に近づき、願う。
「もう一度、姉に会わせてくれ。姉を生き返らせてくれ。」
怪物の紅玉の右眼と蒼玉の左眼に光が燈った気がした。
「そう、か。全て、お前の思った通りだったわけか。」
怪物の歪んだ手に全身を握られる。
「俺から、私から、全てを奪ったのはその眼だったか。」
身体が軋み、全身に激痛が走る。
「だからと言って、何でもない。だが、その眼だけは、良いな。」
そして怪物のもう片方の手が迫り、視界が奪われた。
眼のあたりの感覚が無い。怪物の爪は私の顔の一部を抉り取っていった。
「ううぅぐあぁぁああっ」
堪え難き激痛に発狂する。怪物の手からは解放され、地面をのたうち回る。
「やっぱり、思ったとおりだ。味は良いが、自分好みの味じゃない。」
怪物が何かを言っている。
「別にお前に恨みがあるわけじゃないからな。楽にはしてやるさ。美味いものも貰ったわけだし。ただまぁ、お前の願いは叶えられなさそうなことは悪いと思うさ。」
言っていることを解する猶予もなく、全身の感覚が潰えた。
そして思考は虚無へと閉じられた。
Corundums 塩上 涼 @Shiogami_ryo
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