Corundums

塩上 涼

本編-Corundums

 四つ年の離れた妹のことを愛していた。父と母と妹と、これ以上を望むことは神に対する不敬であろう程に幸せであった。

 しかし、妹は虚弱であった。小さい頃は風邪が長引く程度であったが、成長につれ他との差は明白になっていった。食もいくら女とはいえ細く、体力もない。まだ妹が十もいかない頃、親に内緒で街の祭りに妹を連れ出したとき、妹を倒れさせて父に殴られたのを覚えている。でも、その祭りで妹にネックレスを買ってやったときの妹の穏やかな笑顔を今でも思い出せる。

 妹は父譲りの紅玉のような眼を持っていた。紅い眼は非常に珍しく、俺は父と妹以外で生涯見たことはなかった。プラチナブロンドの髪と紅い眼。体質故の華奢な四肢に雪のような白い肌。人形のように可愛らしい妹を、兄として守らねばならないと思っていた。

 ある日、軍の人間が家にやってきた。理由は説明されず、妹は軍の人間に連れていかれた。妹は十三歳、妹の十五の成人を見ることなく、俺はかけがえのない妹を奪われた。

 このときはじめて神を恨んだ。



 本当は父の仕事を継ぐつもりだった。父の工房で働いて、いくらか仕事もできるようになってきた。だが、俺は従軍することに決めた。妹に会うため、軍人となると決めた。街ではまことしやかにではあるが、「国が隣国と争うそうだ」と言われていた。事実、兵隊の募集が増えていたように思う。

 そして自分が軍に入って二年。妹を奪われてから三年。いよいよ隣国との戦争が勃発した。妹に会えることなく、妹を守ると決めたその手で大勢の人を殺し、大勢の仲間が殺された。

 半年ほどが経った頃。前線に再び戻るとき、見慣れない集団が居た。軍服でなく、白の装束に身を包んだ集団。白装束らが囲う馬の引く木製の籠の中には、年端もいかない成人したてであろう少女が乗せられていた。一瞬、妹だと思ったがすぐに違うと気が付いた。妹のように華奢な少女ばかりだが、紅い眼の少女は居なかった。その馬車と白装束らと共に前線へと向かい、私は絶望したのだ。



 それはきっと神の御業だった。銃と鉛玉が飛び交う火薬の臭いばかりが満ちるこの戦場を、浄化するかのようだった。白装束らが擁する新しい兵器は光を帯び、そこから溢れる光は敵軍を焼き払っていった。白装束らとの距離は離れており、どんな兵器かは分からなかった。光が敵軍を焼き払うだけでなく、その兵器は神の御業を行使していた。雷は敵の大砲を貫き、濁流と地割れは敵の防御をあっけなく崩し、炎は地を這い敵軍の死体の骨さえも無きものとした。

 何度めかの朝日を迎え、白装束らと近い配置になったとき、俺は真実を知った。白装束の中でも階位の高いだろう者が操る装置から伸びる管のその先には、少女が、磔にされていた。その兵器が見えるだけでも十は下らぬ数が並んでいた。俺は腰が引け、吐き気をも催した。

 装置を操る白装束が何かを唱え、装置の一部が光を帯びると共に少女らの呻き声が聞こえた。そして兵器から光がそれぞれ放たれる。少女らの絶叫と共に。

 戦場に鳴り響く少女の魂の中に、覚えのある響きを聞いて、再び真実に目を向ける。磔にされた少女の血の色の感じられぬ青白い肌を、赤く擦れた四肢の首を、粗雑に括られたプラチナブロンドの髪を。そして、生涯二人しか見たことのなかったはずの、三年間見ることのできなかったその紅い眼を、俺は見てしまった。

 このときはじめて神を殺してやると誓った。



 あの兵器が現れてからというもの、こちらの損害は激減した。それどころか、前線に駆り出される人数さえ半分になった。当然、あのおぞましい兵器は瞬く間に軍人らの中で広まったが、ほどなくして緘口令が敷かれた。そのため、民衆の中に存在を知る者はいないだろう。あんなものを公にできるはずもない。

 それ以来俺が考えることは一つしかない。どうやって妹を取り返すか。いや、それ以外を考えることなどできなかった。あの兵器は攻撃性も然ることながら、防御面についても計り知れない。少なくともライフル如きでは見えざる壁によって石ころほども意味がない。さらに白装束らは交代することこそあれ、兵器とその少女らそのものは未だ前線付近に居る。つまり、磔にされた少女らは今もなお、あの兵器によって痛めつけられていると考えて違いないだろう。

 全く手の打ちようが無かった。いまはただ、己の体を追い込むことしかできなかった。腕立ての回数が300に達するかと思ったころ、部屋の扉が開いた。


「筋トレか、精が出るな。」

「こんなことはいつでもできる。お前は何か分かったんだろうな。」

「まぁ急くな。とりあえず茶でも飲ませろ。」


 部屋に訪れたのは少年学校の頃の友人である。彼は良い家の出で、士官学校に行って今では相当高い階位になっているそうだが。


「君の分も淹れたから、ほら。」


 そういって二つのマグカップと持参したらしいクッキーを盛った皿をテーブルに置き、胡坐で寛いだ。俺も彼の向かいに座る。


「いいのかよ、ここまで来て。」

「何がだい?」


 あっけらかんと面の良いこの男は返す。


「お前、分かってるだろうが。お前は目立つ。学校でも何人の女に言い寄られたのか覚えていないとは言わせないからな。それに加えて士官様だぞ。ただの兵隊に過ぎない俺の部屋に士官様なんて来たらなおの事目立つ。」


 同性の俺からみてもこいつは容姿に優れている。暗めだが艶やかな茶髪を後ろに一括りにし、すらりとした長身に最近流行りの塩顔。何よりも紫水晶のように芸術的な眼。歩くだけでも周囲の人間の視線を引き付ける。


「どうせ問題ない。上は今じゃ新しいおもちゃに夢中だよ。」

「お前じゃなかったら殴り倒すぞ。」

「すまない。言葉の綾だ。あれをおもちゃと形容するにはいささか非道がすぎるからね。」


 おもちゃというのは違いなく、あのおぞましい兵器のことだ。俺の妹を嬲るあれをそんな言葉で片付けられるはずがない。


「落ち着け。君だけじゃない。私もそうだが、あれの被害者は大勢いる。」

「少なくとも、今ここにいる二人はそうだろう。」


 宥められ、掌で粉々になっていたクッキーに気が付いた。


「あれについて分かったことを伝える。覚悟はいいね?」

「構わん。頼む。」


 居住まいを正し、彼の紫の眼を見た。


「まずあれの名前だが、全く不敬なことに『我々の神』という意味合いのどこかの言葉で呼ばれている。そんな胡散臭い名前は御免だから、私たちは『模造神』と呼んでいるよ。」

「神の名を付けることがまず最も愚かだろうが。」

「まぁ君の言うことも最もかもしれないね。そして、磔にされた少女らのことは『天使』なんていう安直な名前が付けられている。」

「人の妹を天使だと言うか。」

「まったく腹立たしいね。今すぐにでもわが軍の中枢に鉛玉でも喰らわせに行くかい?」

「喰らわせるならこの拳だ。それに、まだ話の続きがあるんだろう。」


 その後も彼は飄々と、皮肉を交えて知りうることを教えてくれた。

 まず『模造神』は本当に神の力を行使しているとしか考えられないこと。あれほどのエネルギーを現代の技術で再現することはおろか、そもそも説明のつかない力が働いていることから考えて、神の力他ならないと。

 発端は神の末裔たる存在が関わっていること。その一族は宝玉を用いて神の力を使うことができたという。その出力はせいぜい兎一匹が気絶する電流だったり、バケツ一杯程度の水を出す程度であったそうだが、国の科学者がこれに目を付けた。その研究の集大成が『模造神』であること。

 『模造神』を使うためには若い少女がと稀少な宝玉が必要であり、少女については素質の有無があること。


「なによりは、少女は道具としてしか扱われていない。これは越権行為だから黙っていて欲しいんだけど、いやここまでもこの先も全部口外したら君の身も危ないんだけどね。『模造神』に関する報告書や記録を漁っていたんだけど、この計画が始動したのは三十年以上前。それまでなにがあったか、私はあえて言うよ。」

「聞こう。」

「数えきれない人数が『模造神』の完成のため、試作機の運用実験などで犠牲になっている。」

「何人だ。」

「見当も付かないとしか。最初は浮浪者や孤児に始まり、娼婦や下層労働者にも手を出している。ただ、途中で気づいたんだろうね。『天使』は少女でなくちゃならない。その上で『天使』になれる子とそうでない子とが居る。」

「そうか。」

「落ち着けって。一番の問題はここからだよ。爪、切ってないのか?こまめに切らないと女に見てもらえないぞ。」


 そう言われ、手のひらに爪が食い込み出血していることに気が付いた。


「問題は、少女らが消耗品だということだ。」

「なにを、」


 想像しなかった単語の繋がりに絶句した。少女と消耗品などとは、間に洗剤だの化粧品だのの単語があるのが普通だ。


「本当だよ。『天使』などと謳われるが、ただの少女に他ならない。それで神の力を行使するのだから、命を削られる。」


 紫の眼が虚ろな輝きを宿し、彼は続ける。


「はじめは食欲や睡眠欲、もう一つを語るのは卑しいから控えるけど、人としての欲求がまず希薄になる。希薄になるだけで人間のままだから、この時点でおよそ半分は餓死する。次は記憶の喪失に続き、論理的思考の消失を経て、廃人と化す。ここまで来ると神の力の影響かな、食わず寝ずでも生き続けてしまう。そして、そのまま神の力に当てられ続ければ死ぬ。」

「俺の、妹もか。」

「このままであれば、ね。でも時間はそうないだろう。」


 思わせぶりな言い方をする彼に問う。


「妹の状況が分かるのか。」

「偶然だ。君の妹はまだ記憶の欠如が始まったばかりだ。ただ、時間はないだろうな。」

「そうか。どこだ。」


 立ち上がった俺の腕を彼に掴まれ、座りなおさせられる。


「だから落ち着きなって。場所を知ってどうする気だい? 一人で殴り込みに行く気なのか?」

「そのつもりだ。やれるだけをやるだけだ。」

「やっぱり馬鹿だな。」


 鼻で笑われる。この俺の覚悟も願いも彼になら理解できるはずなのに、なぜこの紫の瞳には衝動が感じられないのか。不信感を覚え始めた俺に彼は言った。


「策ならある。まず『天使』の半分はこの先しばらく前線に置かれたままだろうし、もう半分は実験施設に保管されている。だがどちらの場所も警備は厚く、たかが有志数十名では突破はおろかまず『天使』を見ることさえ叶わないだろう。」

「そんなもの、どうしようもないだろうが。」

「策ならあると言っているだろう。我々にできないなら他にやらせればいい。我が国が『模造神』を作っているように、敵国はもっと全うな最新の兵器を用意している。それのお披露目が間近の三日先だそうだ。その新兵器の対応で手一杯になるであろうそこを狙う。」


 油断ならない男であった。自国だけでなく敵国の中枢にまでパイプを持っているというのか、彼は。


「警戒してくれるな。私は私の願いのために全てを捧ぐだけだ。君と同じだよ。」

「お前の人となりは分かっている。それで、その日に俺たちで突撃するのか。」

「いや、それだけでは不十分だ。ただの人が神の力に適うはずがない。君も見ただろう? 『模造神』は見えざる聖壁によって護られている。ただ接近できただけではどうしようもない。」

「ではどうすると。」

「最初『模造神』なんて思いついた人間はどうこの発想にたどり着いたか説明がまだだったな。そいつはな、昔話から着想を得たんだ。君も知っているだろう? 悪魔を討つ神の代行者の伝説を。」


 知っている。妹が好きな絵本もその話が元だったから、よく読んでやったことを覚えている。

 己の野望を叶えんとする悪人が悪魔と契約し、強大な力を手に入れる。その悪人を討つため、主人公の少年は立ち上がる。そして神から力を賜り、その神の力で以て悪人を討ち悪魔を封じる。しかし少年は力の代償に、体を失ってしまう。

 いま思い返せば残酷な結末かもしれない。救いのない結末だと思っていた。


「『模造神』を作った人間が悪魔を討つ神を真似たのならば、『模造神』を討つために悪魔の力を使おうじゃないか。」

「悪魔だと、おとぎ話だろう。そんなことが叶うなら俺は今頃悪魔に魂を売っている。」

「君は見ただろう。『模造神』の現実とは思えない力を。同様に悪魔も実在する。そもそも『模造神』よりも前に悪魔との契約は検討され、廃案となった。まず契約ができなかったんだ。」

「契約ができないのならば、実在したとて居ないも同じだろう。」

「いや、君になら悪魔と契約を結べるかもしれない。」

「どういうことだ」

「悪魔は宝石が好きだと言った。それと等しい輝きを持つ眼でないといけないと。果てない願いを宿した君のそのサファイアのような眼であれば、可能性がある。」


 彼の紫水晶の眼の奥に燃ゆる執念が、野望が、俺の蒼の眼を照らす。

 もう温くなった茶を飲み干して彼はこう囁いた。


「悪魔を、使わないか。あの神の模造品をぶち壊そう。」


 彼の紫の眼こそが、真に悪魔なのではと俺は感じた。



 三日経ち、その日が来た。俺と同様、妹や恋人を『天使』にされた人間が集まっていた。軍の装備を持ち出し、研究所の警備を突破して侵入する。彼曰く「悪魔は人の体を借りているが、その体ごと施設の地下に幽閉されている。辿り着けば奴に干渉できるだろう。私にはやることがあるから、現場のことは君に任せるよ。」と。

 警備を殺し、同志を殺され、地下への入り口の警備を殺したころには俺一人になっていた。警備だったそれを退かし、重い金属の扉を開ける。錆付いた音を響かせ、光の無い暗闇が現れる。

 懐中電灯を手に、下りの階段を降り続け、再び鉄の扉が目の前に現れる。紫の眼の彼から預かった鍵で開錠し、扉を開く。

 何もない部屋の奥に人影が見える。鎖で四肢と首を拘束されたその男はひどくやつれ、漆黒の髪は背丈の倍はあろうかと思われた。そしてゆらりと顔を上げ、目を開く。

 煌々と揺らめく、金剛石のような眼がこちらを見た。


「また人間か。物好きな人間が多いな? して、お前はなにが欲しいんだ。」

「お前が悪魔だな。俺は妹をあのバカげたものから取り返す。そのためにお前の力を使わせろ。」

「ひひっ、いいねぇ。退屈していたんだ。永く生きたところでつまらなければどうしようもない。」

「力を寄こせ。」

「せっかちだと言われないか?まぁいい、気に入った。その眼。蒼玉のように美しいその眼に燈る愛が変質した執念。久々に美味な奴が来た。そろそろ美食家を名乗れなくなるところだった。」


 悪魔はにぃと口角を上げ言った。


「お前の右目とその願いだけでとりあえずは良いだろう。自分の力を好きに使って良い。自分の前に腕を出せ。」


 悪魔の言う通りにし、腕を差し出す。そして悪魔は俺の腕に嚙みついた。

 次の瞬間、腕の痛みよりも先に体の底からの熱を感じた。頭も変な感覚に襲われ、右目の奥に激痛が走る。

 力には代償が伴うものだろう。

 俺ではない声が頭の中に響く。

 すぐに慣れるさ。お前の願いを強く意識しろ。

 俺の願いを。妹を、取り戻す。妹と、もう一度、ずっと、一緒に。






 私はお兄ちゃんが大好きだった。お兄ちゃんの蒼い眼が大好きだった。あれはお母さんと同じで、とっても優しい眼だった。私はあんまり元気じゃないから、いっつもお兄ちゃんは私を気にかけてくれてた。とっても嬉しかった。

 いつか元気になったら、お兄ちゃんの役に立つんだって決めていた。だから、お母さんにお裁縫を教えてもらっていたけど、まだ難しかった。代わりにお兄ちゃんにはブレスレットを作ってあげた。お兄ちゃんが買ってくれたネックレスと同じ色の綺麗な石を付けたブレスレットをお兄ちゃんは喜んでくれて、私もとっても嬉しかった。

 でもそんなある日、私はお国の人に連れてかれて、お母さんにもお父さんにも、大好きなお兄ちゃんとも会えなくなってしまった。

 痛いことや苦しいことをたくさんさせられた。でも頑張ろうって思えた。時々やってくる紫色の眼をしたお兄さんが励ましてくれた。辛いだろうけど、お兄ちゃんの役に立てるようになるって教えてくれた。きっと元気にもなれるって教えてくれた。だから、頑張ろうって決めた。



 数か月なにも食べず、一度も眠ることもなくただ生きていた。時々お兄ちゃんのことを思い出す。もう何年前のことなんだろう。よくわからない。昔お兄ちゃんによく絵本を読んでもらっていた。悪い人をやっつけるために、神さまの力を借りて戦う主人公のお話。いっつも寝る前に読んでもらっていたけど、途中で寝てしまってどんな結末だったか覚えていない。私もお兄ちゃんみたいに、その主人公みたいに、人の役に立ちたいな。



 ここ最近の記憶がはっきりとしない。花火のような匂いのするところに居る気がする。時々、お祈りというものをしている。でもお祈りのときの記憶はない。でもお祈りが終わって気が付くとふわふわした気分になるので嫌いじゃない。

 今日もそろそろお祈りの時間かな。あ、呼ばれた。紫の眼のお兄さんと久しぶりに会った。


「さ、時間だよ。こっちにおいで。」

「今日はお兄ちゃんが会いに来てくれるよ。」


 お兄ちゃんと会えると聞いて、遅れて幸せな気持ちになった。お兄ちゃんと会える。会ったら何を話そうかな。お兄ちゃんとの思い出、がよく思い出せないけど。お兄ちゃんとお話しできるならそれでもいいやと思えた。

 私は紫の眼のお兄さんに付いていった。



 この時全てを思い出す。お祈りなどと言って、私と同じくらいの少女を使って神の力を行使するのだ。そんなことを理解しても意味がない。神の力が私の身体を通い。それを行使するまでの僅かな間だけ、頭が冴える。だがお兄ちゃんが来るというのは一体なんなのだろう。そう思った瞬間、思考が混濁する。頭が焼き切れるように痛み。意識が朦朧とする。

 今日は敵軍に見慣れない兵器が見える。果てしなく大きな体から長い筒が複数生えた、あの筒は大砲と言ったかに似ている。その口が青白く発光し、轟音が駆け抜ける。気が付くと、二つ隣の『天使』が装置もろとも跡形もなく消え去っていた。

 神の力を、人の力がついに超えたか。いや、そもそも神を真似たこの力を人間が使いこなせていないだけだ。

 再び、先よりも強い衝撃が頭をかき混ぜる。途切れかけた意識の中、遠くに不気味な人影を見る。

 左眼は蒼く、懐かしいブレスレットを付けた、禍々しく変容した人のような。


「お兄ちゃん......会いたかったな......」






 これが悪魔の力か。心地よく、気色悪い。身体が、思考が沸騰するかのようだった。人の域を超えた悪魔の脚で跳ねるように駆け、戦火の臭いの濃い場所に辿り着いた。悪魔の身体は鉛玉をも弾き、鉄の剣をもその外皮は砕く。辿り着くのは容易であった。見渡せば、隊列を組まれた『模造神』とそれに相対する見慣れぬ巨大な鉄の塊が見える。これが言っていた敵国の新兵器か。

 よく見れば『模造神』の隊列にはところどころ穴が開き、地面ごと消え失せているかのようだった。

 巨大な鉄の塊に生えた大砲が青白く発光し、次の瞬間には轟音と共に『模造神』が一つ消え失せた。これが新兵器の力か。

 その砲口がこちらを向き、またも発光する。とっと横に跳ぶと、元居た場所が地面ごと消え失せていた。あれの相手をするためにこの体になったわけではない。妹のもとへ。

 軽い身体で『模造神』らに駆け寄り、妹を探す。

 紅い眼をした少女を見つけた。天使のような服を纏い、首にはネックレスを付けている。昔を思い出す。妹を見つけた。

 近づき、しかし見えざる壁に阻まれる。右腕に力を籠め、振り下ろす。陶器を割るようにその壁を割り、妹の前に跪く。


「待たせてごめんよ。ずっと、会いたかった。これからはずっと一緒だ。」


 異形と成り果てた手を妹に伸ばしたとき、後ろから青白い光を見た。ただでさえ悪魔のように歪な身体の。左足の付け根から先が無かった。

 これはマズい。悠久の時を存在し初めて味わう感覚。何かで補わなければならない。

 視線を上げ、まだ未成熟な少女が手元に居ることに気づく。この少女は天使の模造品だ。これならば。

 そうして自分は、その天使擬きを喰らった。




 悪魔は天使擬きを喰らい、その力を我が物とする。

 自身の力と相反する神の力をその一つの身に宿した、まごうことなき怪物。

 黒く禍々しい右半身に、後から紙粘土を継ぎ足したかのような歪さの、しかし神々しき黄金の身体。そして紅玉の右眼と蒼玉の左眼を輝かせ、戦場の中央に顕現する。

 相反する二つの力でその身を燃やしながら、紅玉の右眼と蒼玉の左眼の怪物は咆哮する。

願いを果たせぬ苦しみと、願いを果たした幸せとを。

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