国歌がね かえるの歌に 聞こえるよ

国歌がね かえるの歌に 聞こえるよ


 原産地が熱帯である稲🌾。


 日本は稲作の北限である。稲にとっては完全にアウェイの環境で稲作をしているわけで、そんなだからお米を作るには八十八の苦労がある。


 それに比べて熱帯は稲にとってはホームである。二毛作、三毛作なんて当たり前。年中収穫ができる。隣り合った田んぼでこちらは田植えであちらは稲刈りなんてこともできてしまう。だから日本と違って冬が来る前に稲作を終わらせておく必要は無い。そもそも日本ほどシリアスな冬支度の必要もない。だから熱帯の稲作地帯では、予定を立てて締め切りまでに確実にこなすと言う能力が歴史上あまり求められてこなかった。困らないから。


 その点、冬支度が間に合わないと凍死や餓死しかねない日本では、それができないと生き残れないからだんだんと淘汰されていく。その結果、スケジューリングが得意になる。


 さらに、江戸幕府を開いた徳川家康が東海道沿いに大きくもない藩をいくつもいくつも作ったおかげで都市と都市との間が非常に狭くなっている。大陸の国々のように、100キロとか200キロごとにぽつんと大きな街があるのではない。500キロに満たない東海道に、五十三次、即ち宿場町が53もあれば宿場の間は平均10キロにも満たない計算になる。


 その東海道に明治政府が鉄道を走らせるとき、利用者の利便を考えると駅は当然それぞれの町だ。隣駅同士は大陸とは違って余裕で歩ける距離だ。だから、汽車が何十分も遅れると長距離の利用者以外には、わざわざお金をかけるほど早く着くわけでもないし、歩いて行ったほうが確実だと思われる。そんな訳で日本の国鉄はごく初期から時刻表の時間厳守を徹底せざるを得なかった。


 スケジューリングが得意な上に、この国鉄の時間厳守の姿勢が社会に普及したのが、日本人が他の国の人々と比べて、格段に時間に正確になった理由と思われる。そんな日本人の時間感覚と熱帯の皆さんの時間感覚とは違うのは当たり前だ。


 今いる国では、午前8時と午後6時にテレビやラジオから国家が流れる。とある場所のロビーでいくつもあるテレビでそれぞれ別の局の番組をつけていた。国歌の時間になって一斉に歌が流れる、かと思ったらそうではなかった。各局で時間がズレているのだ。


 その結果、こっちのテレビから歌い始めてて、次はあっちのテレビが追いかけて、また次は別の局のテレビが、最初の局のテレビが歌い終わるころに最後の局のテレビがようやく歌い始めるありさまだった。国歌斉唱ではなく、国歌輪唱である。


 なんだか『かえる🐸の合唱うた』みたいで微笑ましかった。

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