見上げれば 椰子と花火と 相似形

見上げれば 椰子やしと花火と 相似形


 来たばかりのころ、隣のうちでヤシの木を切り倒していた。樹高は10メートル超でヤシの実もなっているのに、もったいない。


「どうして切るの?」


「ウチには小さい子が3人もいるからね。椰子の実が落ちて当たったら危ないじゃないか」


 なるほど。硬くて重いヤシの実が10メートルの高さから落ちてきて頭を直撃したら、それは無事では済まないだろう。って子供を3人も作ってからようやく気がついたか、この親は。


 ヤシの葉はバナナの葉とは違う。バナナの葉は幹から大きな一枚ものの葉が生えその葉に自然と切り込みが入って短冊状に裂けていく。それに対してヤシの葉は幹から生えた葉の軸に細く細くわかれた葉がたくさん並んでいる。ジャギーっぽい。


 ヤシは天に向かって伸びた幹の先の方に実がなる。そして幹の先端から放射線状に四方八方に葉が広がり、葉の先は重みで垂れている。そんなヤシの葉のつき方を「線香花火が逆立ちしたような」と表現する人もいる。


 だが、わたしそうは思わない。


 天をき力一杯大きく弾けたようにその葉を広げるその姿は、かそけき線香花火ではなく、むしろギラギラした打ち上げ花火だ。ヤシの木にしたらヒガンバナのような線香花火よりも、空高く広がる打ち上げ花火の方に親近感がわくのではないか?


 さて、わたしの住んでいるところでは人間が亡くなり、火葬の後、散骨を行うこともある。散骨は川ですることが普通だがそうでない場合もある。空中散骨といって花火と一緒に空高く打ち上げて散骨するのだ。


「なぜ、そんなことをするのだい?」


「死者の魂が天国に行きやすくなるようにだよ」


 天国は思ったより低いところにありそうだ。


 ただ気になるのは空に向けて発射した骨や灰はどうなるのか? 風に舞っても結局のところ地に落ちるのだろうがいいのか?


「死者を見送る側の気持ちの問題だよ」


 それはわかる。見送る側がそれでいいなら何も言うまい。だけど、近所で祭りの時期でもないのに花火を打ち上げる音が聞こえてくると、灰が風に乗って降ってくるような気がする。慣れてきたが、まだちょっとだけ嫌な気がする。


 ご近所さんの立派なヤシの木の画像はこちらの近況ノートにて。


https://kakuyomu.jp/users/TokiYorinori/news/16817330660803856397

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