後編
***
ディア・ムーン・ヴィエルジュは前世の記憶がある。「日本」という国で「オタク」だった記憶が。
彼女はその余りある愛を形にするべく、三日徹夜で同人誌の執筆に当てたところ──過労で死亡した。
そして彼女は「アニメ」も「ゲーム」も「同人誌」もないこの世に生を受け、誰にも知られる事なく「オタ活」をすると強く誓ったのだった。
──そう、誓ったはずだったのに。
「も、もう死ぬしかありませんわ!! ぐすっ……」
あの後。本音薬の効果が切れたディアは全速力で走りだし、女子寮の自室に閉じこもった。
ここならばここならばクリスが来る心配もないし、思いきり感情を吐露することができるからだ。
ディアにとってオタ活とは、推し本人や公式に迷惑のかからない形でやるべきだと思っている。
故に、今回の自身の自白は彼女にとって一生の不覚であったのだ。
(お、オタ活という生き甲斐を失ってしまっては私は生きていけないわ!
──と、そんな物騒なことをディアが考えていると、部屋のドアがノックされる。
「ディア? いるかい?」
「っ!? この声は……クリス様!? どうしてここに!? ここは女子寮のはず!」
「先生に事情を話して許可をいただいたんだ。安心して、僕が強引にこの部屋に入る事はないよ。このまま話を聞いてほしい」
ディアは恐る恐るドアに近寄る。ドア越しだというのに、どういうわけか、クリスがこちらを見ているような気がした。
「先ほどは悪かった。君を強引に暴くような事をして。でも、どうしても知りたかったんだ、君のこと。婚約者として僕は君の事を全然知らないから」
「…………っ、」
クリスの真剣な言葉にディアはやはり唇を噛み締める。
胸をぎゅっと抑えて、「てぇてぇ」と変な鳴き声が出た。
(──ダメ。こんなところで、萌えてしまう自分が憎い……!! たった今、禁忌を犯してしまったばかりだというのに!! その気になれば簡単にこの部屋に入る事ができるのにそうはせず、真剣に私なんかのくさったゴミの話を聞こうとしてくれる最推しが……王太子でありながら私なんかに謝罪する推しが……解釈一致すぎて鳴き声が漏れてしまう! 今までわざと避けていたのは私の方だというのに……っ)
……と、そこで、クリスの声が若干沈む。
「ディア。やはり君は僕の事が嫌いなんだろう? 憎んで、いるんだろう?」
ディアの目が丸くなった。頭の中で「?」のマークが無数に浮かぶ。
「君は、きっと僕のような落ちこぼれよりジェイド兄さんのような優秀な男性の婚約者でありたかったんだろう。だから、僕を辱めるような絵を、描いたんだろう……」
──何を。
「いいんだ。僕は怒っていない。むしろ君のような素敵な女性が今まで僕の婚約者であったことが嬉しいくらいなんだ。無理はしなくていい。今からでも遅くないのならば、婚約破棄……しても、いいから……」
──何を、言っていますの? クリス様は……!
ディアはぐっと拳を握り締めた。その手には血管がはっきり浮かんでいる。
そしてわなわなと震えると──目の前のドアノブを握りつぶす勢いで掴んだ。その表情は、鬼のごとしである。
(オタクには、絶対に許せない時がありますのよ……!)
ドアが開く。その瞬間、ディアはクリスの両手を掴んで、その瞳を真っ直ぐ打ち抜いた。
強い怒りの籠ったディアの瞳にクリスは戸惑う。
(それは──自分の愛してやまない最推しが、馬鹿にされた時ですわ──!!)
「でぃ、ディア?」
「私がっ!! ……私が、あの絵を描いたのは、クリス様を愛しているからです!! 心の底から愛していて、だからこそ色んな角度からクリス様を愛でたくなって、あんな絵を……! クリス様は私の生きがいなのです! だから、そのクリス様を貶める言葉はご自身であっても許せませんわ!! いかに貴方が私にとって尊いお方なのかお伝えする必要があるようですわね!!」
そこでディアは、ペンと手帳を取り出した。目にも止まらぬ速さで様々な表情、年齢のクリスを描いていく。その絵を指しながらディアは早口で語った。自分がいかにクリスを愛しているのかを。
これはディアが前世で培った“技術”である。
その名を──【オタク奥義
自分が推しているコンテンツを周囲に布教する際に使う技だ。強く推しすぎると逆に敬遠されてしまう可能性があるため、加減が非常に難しい。また、ゆっくり話した方が相手にも内容が伝わりやすいというのに、愛が止まらずに早口になってしまうのが特徴である。
これの上級技に【オタク奥義
いつもはほんわかと疲労も苦労も悟らせないというのに、その陰では人並みならぬ努力を重ねていること。
兄へのコンプレックスを抱えながらも、そんな兄本人を妬むことなく尊敬していること。
周囲の大人達の勝手な陰口に気づいていながらも、それを恨んだりせずに受け入れた上で──その大人達をも国民だからと守ろうとしていること。
……挙句は初めてクリスがお漏らしをした時や一人で転んでディアに泣きついてきた時の事まで、それはもう隅々と。
幼い頃から婚約者だったディアだからこそ知りえるクリスの魅力を惜しげもなく、唾を散らして三時間は語った。
そう、この技の名前の所以は語るに集中しすぎて、時間をわすれてしまう事からきている。故に──
「も、もう、いいよぉ……っ」
ぐすっぐすっと顔を真っ赤にして半泣きのクリスが、気づけばディアの目の前にいた。
推しの泣き顔、ドチャシコビッグバン。そんな言葉がディアの中で爆発したのは言うまでもない。
クリスは慌てて涙をハンカチで拭く。しかしその真っ赤な顔は収まる様子がないようだ。彼の人生の中でこんなに誰かに褒められることは初めてだったのだろう。
「こ、この手帳が、ぐすっ、君にとって僕への愛だって事は分かったからぁ……。こ、これからも僕以外の人間に迷惑をかけないのならば、この趣味を続けていい。だ、だから……これからは僕の事を避けずにちゃんと二人の時間を作ってほしい。お願いだよ、ディア……」
「はうわっ!?!?!?」
くーん、くーん。ディアの脳内にこちらに申し訳なさそうにおねだりしながら上目遣いをしてくるコーギーの姿がはっきり見えた。
「ディア? あれ……ディア? 顔が真っ青だぞ!? テルキス、テルキスーッッ!! 助けてくれ!! ディアが、ディアが今にも死にそうな顔をして……!!」
「クリス様、覚えておいてください……。オタクとは、推しの動作一つで、死ぬんです、のよ……。推しのウインク一つで一コマ一コマをスクリーンショットして、狂い踊ることもある……ので……す……がくッ」
「!? ディアの心臓が、止まった……!? でぃああああああああああああああああああああああああああああああ!! 死ぬなぁああああああああああああああああああああああああああ!!」
その日、ディアは一時期瀕死状態になったものの(※ちなみにこれは【オタク奥義
終わり(?)
【短編版】お腐れ令嬢、最推し殿下に腐バレしてしまったので切腹しようと思います。 風和ふわ @2020fuwa
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