【短編版】お腐れ令嬢、最推し殿下に腐バレしてしまったので切腹しようと思います。
風和ふわ
前編
冷静沈着、悪役顔、容姿端麗、無口、ミステリアス。
ディア・ムーン・ヴィエルジュを表現する言葉を選ぶならば、それらが適しているだろう。
「エーデルシュタイン王国第二王子の婚約者」と「国立エーデルシュタイン魔法学園の副生徒会長」。
常人ならば耐え切れない重みをもつその二つの役職を彼女は無表情かつ完璧に今までこなしてみせてきた。
そしてそれを見た周囲は彼女を、いつしかこう呼ぶようになった。冷えた夜空に浮かぶ孤独の才女──「月の女王」と。
「ディア。これは一体何なんだい?」
──しかし、完全無欠の人間などこの世にいるはずもなく。彼女だって危機に立たされる事はある。そう、今の状況のように。
ディアの婚約者──クリス・サン・エーデルシュタインが困惑した面持ちでそう彼女に問いかける。国立エーデルシュタインの生徒会室にて、婚約者同士の二人の間に重々しい沈黙が佇んでいた。
ディアとクリスに挟まれているテーブルには、使い古された分厚い手帳が一冊。これはディアが幼い頃から肌身離さず持っているものだ。
……そう、この手帳こそ今二人の空気を重くしている原因そのものである。
「ディア、もう一度聞くよ。これは一体何なんだい?」
「……手帳です」
「勿論それは僕も分かっている。重要なのはその中身だ」
クリスの問いかけにディアはいつもの無表情で答える。だが、いつもより彼女の紅茶を飲むスピードが速い事から多少は動揺しているのかもしれないとクリスは推測していた。
カップが空になればすぐにクリスの従者であるテルキスがおかわりを入れる。
──と、硬直状態の空気にもう我慢できないと、クリスが立ち上がった!
「ええい、もう誤魔化すのはよしてくれ、ディア! ちゃんと僕の質問に答えるまでじっくりと話し合ってもらうからね! 僕が君に聞きたいのは──ど、どうして君の手帳に──ぼ、ぼぼ僕と兄上によく似た男性二人が、せ、せせっ
純粋なクリスの頬がたちまちトマトのように真っ赤に染まる。ディアはそんなクリスに眉をきつく顰め、必死に唇を噛み締めた。それはもう血が出るくらいに強く。
それを見たクリスは途端にしょんぼりと肩を落とし、ため息と共に再度椅子に腰かける。
「やはり君は何も言ってくれないんだね。それにいつもみたいに僕の前でだけそのような不快そうな顔をする。きっと君は僕の事が嫌いなんだろう。優秀な兄上と違って、何も取り柄のない僕の婚約者になったことを恨んでいるんだろうね」
「…………」
クリスの言葉に対して、ディアは何も言わない。むしろ今までよりも強く唇を噛み締めていた。ダラダラと彼女の顎に血が滴っている。
クリスは慌てて彼女の傍に寄り、その口元にハンカチを押し当てた。
「ディア! もう唇を噛むのは止めるんだ! 血がこんなに……」
「…………!」
ふと、クリスはまん丸と見開かれたディアの瞳をじっくり見つめる。
思い返せば、婚約者だというのに彼女とここまで接近したことは久しぶりであるような気がした。
幼い頃の彼女との関係はそこまで悪くなかったはずだ。むしろ貴族特有の政略結婚にしては仲が良かった方だろう。幼いディアはニコニコ微笑んでいつもクリスの傍にいてくれた。
……しかし現状はどうだ。ディアは変わってしまった。
花のように愛らしかったその顔から突然笑みが消えたのだ。特にクリスと二人きりの時のディアの顔は目が濁っており、生気がない。
彼女の無表情は学園でも有名であり、娯楽小説にて主人公を虐げる役回りをする「悪役令嬢」のようだと例える生徒もいる。終いには実際にディアに「理不尽に虐げられている」と勘違いをした女生徒がクリスに告げ口をしてくる始末なのだ。
クリスにはディアの心が何も分からなかった。だからこそ彼女が大事にしている手帳を読めば、少しでも彼女に近づけると考えたのだ。しかし結果としてその手帳は余計に彼女の真意を闇で覆う……。
──しかし、今日ここでクリスは全てをはっきりさせるつもりだった。
「……そろそろ、例のものが効き始める頃でしょうか」
ずっと沈黙していたテルキスが不意にそう口にする。何のことだか分からないディアがピクリと揺れた。クリスは罪悪感を覚えながらも、そんなディアの両肩を掴む。
「すまない、ディア。今日の僕は本気だ。本気で君を理解したいんだ」
「?」
「はっきり聞くよディア、君は僕の事をどう思っているんだい? 君は僕の事が嫌いなのか? この手帳はもしかして、憎い僕への鬱憤を晴らすものじゃないのかい?」
クリスの質問に勿論ディアは答えない。
……しかし、今回は違った。どういうわけかディアの口が勝手に動き始めたのだ。
──そう、実は今、ディアが飲んでいた紅茶には
頑なに口を開こうとしないディアの本音を覗くため、クリスは今日このような強引な手段に乗り出したのだ。
ディアの口が開く。ようやく彼女の本音が聞ける。クリスは胸を弾ませながら、彼女の言葉を待った。
しかし待ち望んだそれは──クリスの予想の斜め上に飛んでいくような──
「──か、」
「か?」
「か、かかかか、かか、か──
クリスはポカンとした。
「あまりにも顔が良すぎるからあんまり近づかないでくださいませ、殿下! あ、あああっ、貴方は突然推しに顔を近づけられたオタクの気持ちを考えたことあるんですの!? 貴方の行動一つ一つが私にとってはありがたーい“供給”になりえるのですからもっと自覚してくださいまし!! 顔の、良さを、自覚しろぉっ!! 今まで何年もその顔の良さに、推しからの供給に、唇を犠牲にしてまで顔がにやけてしまうのを我慢した私の苦労を労わってほしいですわ……!! おかげで
「でぃ、ディア……?」
「そ、し、て! 殿下が私に突き付けてきたその手帳の件ですが──あれはジェイクルという私の生き甲斐なのです!! 同人即売会も通販も商業BLコーナーもないこの世界で俺様天才イケメンのジェイ(※クリスの兄のジェイド──に似せて作ったオリジナルキャラクター)×子犬系努力家イケメンのクルス(クリス──に似せて作った以下略)という推しCPを摂取するには自分で作るしかないという悲しき運命……! 人の目を忍んで今まで必死に書き溜めていた私の血と汗と萌えの結晶なのです!! 殿下によく似たキャラクターでBL妄想をしてしまったことは謝罪いたします! もう絶対に描きません! だから、どうか、どうかお願いします!! それを返してくださいませぇぇええええびえええええええええええええ!!」
そうしてディアはクリスに泣き縋った。涙と鼻水が散らかった彼女の必死な顔にテルキスはドン引きしている。クリスもここまで感情の昂ったディアを見たのは生まれて初めてだった。
そう。彼女──ディア・ムーン・ヴィエルジュはただの令嬢ではなかったのだ。
男性と男性との恋愛。所謂ボーイズラブ、特に「俺様系イケメン×ワンコ系イケメン」を前世からこよなく愛する腐女子。それが本当の彼女の姿だったのである──。
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