第3話 思いのほか緩んでいる気
「乾杯!」
「「「「乾杯!!」」」」
カーンと小気味良いグラスの音が響き、中の氷がカラカラと揺れ動く。氷と共に注がれている液体を全員が喉に通し終えると、誰もが表情を緩めて笑みを作った。
「これで俺たちも晴れてゼロランクパーティの仲間入りだ! 皆本当によくやってくれた! 今日は思いっきり楽しむぞ!!」
「「「おー!」」」
音頭を取った少年が宣言すると、他の面子も釣られて再びグラスを持ち上げる。
ここが冒険者の集会場に設けられた食事スペースの一角であり、日も沈んだ頃ともなれば祝杯を上げるのは珍しい光景ではない。けれどそのテーブルに座るのは周囲の目を引く者たちばかりだった。
「私たち、とうとうここまで来たんだ」
感慨深そうに小さなカードを掲げるのは緑のマントを羽織った小柄な少女。黒髪のショートボブにつぶらな瞳の彼女は庇護すべき子供にも見えるが、それでもれっきとした強者の集まりことゼロランクパーティの一員である。
「ああ、遂にゼロランクまで来れたんだ。これでアイツにもいい報告が出来るな、ヒメナ」
「うんっ、そうだねナハト」
ヒメナ=モリエという名の少女は花のような笑みを少年に向けた。
幼馴染である少年に向ける視線には喜びと感謝の他に、親愛を越えたひとつ上の感情も込められているように見える。
「ここまで来るのに大変なことばっかりだったもんね。ナハトかいてくれて良かったよ」
「なに言ってんだよ、ヒメナも沢山頑張ってくれたからに決まってるだろ?」
「そ、そうかな……」
「ヒメナがいてくれたから、俺はこの2人に胃を破壊されなくてすんだんだ。本当にありがとう……!」
「バランサーとしての役目なの?! いやそうかもしれないけど……!」
ほんのり頬を朱に染めたのに、すぐさま驚愕の表情に変わってしまったヒメナ。彼女としても否定は出来なかったのがまた辛い所だった。
「ちょっと、誰がアンタの胃を破壊したって? まさか私のことじゃないわよね?」
「残念だがお前のことだシュリエ。折角の機会だ、存分に悔い改めるといい」
「何言ってんのよアリシア、今コイツは二人って言ったのよ? 間違いなくアンタと誰かもう一人に決まってるじゃない」
「ほう……? この期に及んでまだ認めないとは。ナハト、このパーティもゼロランクまで来たことだし、一人くらいいなくなっても構わないか?」
「構うしここまで来て空中分解とか嫌だわ! だからその剣を仕舞ってくれアリシア!」
「ほら、やっぱりアナタのことじゃない。ナハト、こんなこと言うコイツこそ追放すべきだと思うんだけど。ほら最近流行ってるみたいだし?」
「その場合後悔するの俺たちの方だろそれ。というか二人とも今日くらい仲良くしてくれぇぇぇ!」
頭を抱える少年の両脇で火花を散らす二人の内、一人は艶のある紫の長髪を持つ麗人だった。冷ややかな目を仲間のはずの少女に向ける彼女の名はアリシア=ブラウライト。その背丈と同じくらいの大剣を今にも振るわんとするトラブルメーカーその1である。
もう一人のトラブルメーカーはシュリエ=ウェイスと呼ばれる赤毛の少女だ。動きやすいボーイッシュな恰好のまま、勝気な性格とアリシアへの反抗心を隠そうともしない態度に二人の間の温度は上がっていくばかりだった。それに巻き込まれている少年とヒメナは大変そうだったが。
「ほらほらアリシアちゃん落ち着いて。気になってる子に悪戯したくなるのも分かるけど、いつもツンツンしているシュリちゃんに喧嘩売っちゃ駄目だって!」
「え?」
「シュリちゃんもシュリちゃんだからね。こういう時に買い言葉に売り言葉で返して最終的に泣かされちゃうのがいつものパターンでしょ? そろそろ学習しなきゃだよ」
「は?」
「うん、こうしてヘイトを集めてくれるから助かるよヒメナ! でも今日はお前もタカが外れてるな!」
「「ヒメナぁ!!」」
冒頭のお祝い雰囲気はどこにいったのか、一気に姦しくなるテーブルで何故か巻き込まれているのがこのパーティの唯一の男子にしてリーダー、ナハト=ノースティスだ。整った顔立ちに加えて最年少でのゼロランク到達を成し遂げた凄腕の冒険者なのだが、騒がしくなった現状からその要素を見つけることは限りなく難しかった。
「……騒がしいですね、全く」
「なに他人事してるんですかアグルさん!」
「げ、バレた」
「ナハトの胃を破壊するメンバーがお前じゃないとは誰も言ってないからな」
「そうね、アンタの可能性もあることを忘れてたわ! 沈黙を貫く辺りも犯人っぽいし」
「いやそんなわけないですから」
既に空になっていたグラスをひらひらさせて否定する。私は別に問題行動はしてないし、なんなら色んな意味で同じ土俵に立ってない。まぁそういった所で納得するこの人たちじゃないけど。
紹介が遅れたが、私はアグル。ナハト=ノースティスが率いるパーティ『コンパス』の最後の臨時メンバーだ。臨時とはいえメンバーの一人なのでこうして顔を出したわけだが、ここにきた判断を後悔するにはあまりに十分な時間をこの後も過ごすことになるのだった。
☆
「はぁ、あの人たち見境なしですね」
夜風に当たろうとしてグラス片手に集会場を出る。中では既に宴会の輪が広がっており、幾つものテーブルで皿やグラスのぶつかる音や話し声が喧騒として奏でられている。私1人抜け出しても気づかれない程度には出来上がっているようだが、それも仕方のないことだろう。
「まさか、本当にゼロランクに到達するなんて。見誤っていたかもしれません」
パーティランクと呼ばれる冒険者の位づけの頂点に存在するのがゼロランクであり、認可には超高難度の依頼を複数達成した上で特定の判定者から十分な実力があると承認を受けなければならない。例え実力があったとしても超高難度の依頼と判定者に縁がなければ届かない、一握りの称号なのである。
「そのどちらもナハトは持っていた、ということですか」
「俺が何を持ってたって?」
ふと横を見ると件の冒険者様が私と同じようにグラスを持って立っていた。つまみを載せた小皿も一緒だったので1人になりに来たというより私に用があるのだろう。
「何をしに来たのですか? 今日の主役であるあなたが渦中から抜けていいとは思えませんが」
「そりゃアグルを連れ戻しに来た、って言ったらどうする?」
「その時は大人しく従います。変に断ってもヒメナ辺りが来そうですし」
「勘がいいな、実はヒメナから頼まれたんだよ。俺の言うことならきっと聞くだろうって」
「……強かですね、あの子も」
脳裏に自分よりも小さい少女の顔が浮かぶ。私のことまでよく見ているのはある種弓者である彼女の職業病かもしれない。
「けど無理に連れていこうって気はないよ。俺も少し涼みたかった所だし」
「それなら私と話す必要もないのでは? ここが欲しいなら譲ってあげますよ」
「お前と話すこの場が欲しいんだってば。分かってるだろ?」
「分かってて言ってるんですよ。……それで、なんの用ですか?」
仕方ないとばかりに溜息交じりに承諾を示す。そんな私の態度をものともせずにナハトが一言。
「ありがとな、アグル。お前なんだろ? シズリア王女との面談を取り付けてくれたのは」
「たまたま王女のスケジュールが合っただけでしょう? ただの騎士にすぎない私に言う意味が分かりませんが」
「ああ、そうだな。けど、それでもお前に言っておきたかったんだ」
「…………」
気に入らないという感情が無言となって表出する。そんなことを言うためにここまできたことも、それが二人きりの状況であることも、そしてこのことが万一聞かれても問題がないようにしているのが私の神経を逆なでした。
先ほども言った通り、私はこのパーティの臨時メンバーだ。本来ここにいるべきなのはグレイス=アンフェイルと呼ばれる少女であり、半分以上の依頼は彼女が参加した上で達成されたものだ。
しかしグレイス様は第四王女としての立場もあるので常に冒険者として活動ができるわけではない。王家の人間として本来の人生を生きている間、彼女の影武者である私がこうしてナハトのパーティに加わっている。それが臨時といった理由であり、当然世間には公表されていない。そのことを知っている故の気遣いが癪に障った。
「こういう場でもないという機会ないしな。折角ゼロランクになったんだし、今日くらい言わせろよ」
「私に言っても意味はないことを知っているでしょうに」
「そんなことないだろ。俺たちのパーティに『アグル』がいてくれなかったらきっとここまでは来れなかった。だからどっちにしても感謝の気持ちは伝えたいんだよ」
「さてはナハトも酔っていますね?」
「まぁ飲まされたからな」
たははと笑うナハトの頬は確かに赤い。どうやら彼の言葉に嘘はないようだった。
本当にナハトといると調子が狂う。このパーティに籍を置いているのも所詮は仕事の延長線。真実私と彼との関係なんてその程度だし、思うところも特にない。けれどグラスに残った僅かな中身をのどに通すと、思ったより冷たいと感じたのが不思議だった。
「ちなみにどういう意味で助かったと思うのですか?」
「そうだな、色々あるけど第一に――」
「…………」
「唯一の常識人なところかな」
「自分が常識人ではないという自覚があることには安心しました、ええ!」
☆
月明りの下、集会場の騒ぎを背にして二人で語らう。文字に起こすとなかなかにロマンティックを感じるシチュエーションで。
「臨時メンバーのアグルに一番癒しを感じるのってリーダーとしてどう思う?」
「色々と失格だと思います」
口にしていたのはつまみよりも小さい愚痴だった。
けど私、じゃない俺ことナハト=ノースティスが素で話せるのはアグルだけなんだから仕方ないと思う。いや他の皆を信用していないわけじゃないけど、後腐れがないのは口も堅くてなんだかんだ義理堅いアグルだけなんだ。
「だってヒメナにはこんなこと言えないだろ。頼りにしてくれてるのは分かるし、不安にさせるわけにもいかないしさ」
「……むしろその時を望んでいるようにも見えますが」
「男が弱音を吐くのを待ってるってこと? ヒメナはそんな性悪じゃないだろうに」
「ヒメナが奥手なだけじゃないということは分かりました。なんだかんだ大概ですよねアナタも」
露骨に溜息をつかれるが意見を曲げる気はない。アイツがいなくなってからずっと心配させまいと気丈に振る舞っているヒメナに負担をかけるのはこんな事であっていいはずがないからだ。普段あの二人の心労を一緒に背負ってもらっているというのもあるけど。
「アリシアとシュリもずっと変わらないからなぁ。いい加減仲良くすればいいのに」
「どうしても反発してしまう所があるのでしょう。同族嫌悪という奴でしょうし今更です」
二人で共有する頭痛の種はあの二人のことだ。アリシアは元騎士団出身であり、シュリは自警団からの出向という形でパーティに加わっている。そのお互いの古巣が競合他社であるためか、はたまた嚙み合わない性格の所為か、同じパーティでありながら喧嘩が絶えず、リーダーである俺かヒメナが仲介するのが当たり前となっていた。因みにアグルは放置か逃亡を常としている。
「二人に共通の趣味とかないかなぁ。いやあってもあんまし改善する気はしないけど」
「あるにはありますが、だからこそ仲たがいをしているといいますか」
「え、お互い好きなものが同じなのになんで? 盛り上がったりしないの?」
「残念ながらそれが分け合えるものじゃありませんからね。三等分出来ればなおよかったのですが、なかなかうまくいかないものです」
「ええ、なんだ? 全く分からない。そして正解は?」
「自分で考えてくださいね」
あの二人に対して関心が薄いせいか、アグルは答えを教える気がないようだ。けどあの二人をして好きになるもの、いやマジでなんなんだ。
「ったく、せっかくゼロランクになったのに変わんないもんだな」
「変わってほしかったのですか? 彼女たちに」
「否定はしないけどそっちじゃなくて、自分のことだよ」
苦笑交じりに本気でそう思う。転生してからとあるきっかけで冒険者になって、ぐだぐだしながら今の仲間と出会ってパーティを結成して、ランクがじわじわと上がっていった果て。いつの間にやらそれなりに強くなって冒険者としての位も高くなっている。そうなってもまだ、転生前の人格が自分の奥底に燻っているのが分かるのだ。
「未だに人の気持ちを考えるのが苦手でさ。リーダーをうまくやれてる自覚が全然持てないんだ。もっとうまくやれる方法もあるんじゃないかって」
「……私が何を言った所であなたは聞き入れないでしょうから言いませんが、代わりに聞きましょう。そう思うのは何故?」
「いやアリシアとシュリのこともそうだし、昔の知り合いにそういうのがうまい奴がいたんだよ。相手と自分の落としどころを見つけるのが巧くて、いつの間にかそこに話を着地させるのが得意な奴が」
思い出すのはいつかのクラスメイト。別に集団の中心にいたような記憶はないが、それでも以前の私よりも人付き合いは上手かった。アイツなら冒険者になってもパーティのリーダーとして問題なくやれていただろうに。
「他人と比べるなんて、酔いが悪い方向に向かっていませんか? それこそあなたらしくないでしょうに」
「言っちゃってるじゃん、さっき言わないって言ってたのに。……いや、その通りかもな。やっぱ気が緩んでるんだ、忘れてくれ」
確かにらしくないと思ってしまって、残っていたつまみの豆っぽいのをまとめて噛み砕く。
あの王女と出会ったことで昔のことを思い出してしまった影響だろうか、なんだかよくないループに思考が入り込みそうな予感が出てきた。
「そろそろ戻ろうぜ、アグル。頭を冷やすより馬鹿やってかき混ぜた方がいい気がしてきた」
「まぁ止めはしませんが、私に迷惑はかけないでくださいね?」
「しようとしてもすぐ逃げるだろお前。いや今度見かけたら積極的にかけてやるから覚悟してろっての」
やれやれと首を振るアグルを引っ張って集会場の中に入ろうとする。
冒険者としてやってきたことに後悔はない。けど順風満帆とは言い難くて、たまには自分の理想を体現出来たらと夢想することだってある。そこで思い出したのがなんでアイツだったのかは分かんないけど、冒険者に向いてそうという予想はあながち外れていない気がした。
「あ、ところでアグル。王女からもらったチケット、残りの一枚誰に渡したらいいと思う?」
「誰でもいいですけど、私のいない所で渡してくださいね」
「俺はアグルでもいいんだけど?」
「頼むからやめてください」
転生先、入れ替え希望! 棚木 千波 @hondana9449
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