第2話 考えていたよりも想定外

「ーー本日の予定は以上です。それでは失礼します」


「分かりました、ありがとうございます」


 連絡事項を告げてメイドが退出し、1人だけになった私室の真ん中で小さく溜息をつく。そのままキングサイズのベッドにダイブして、仰向けのまま一言。


「はー終わったぁーーー!」


 業務からの解放感からつい気品の欠片もない雄叫びが飛び出す。

 私、シズリア=アンフェイルはこの国の第三王女だ。輝く金髪にエメラルドグリーンの瞳。絶世の美少女という形容を欲しいままにするのがこの私。倒れ込んだままゴロゴロとしていても客観的にそう言えるのは、私に転生者としての意識があるからでもある。


 前世は平和な日本でそれなりにサブカルを嗜む男子高校生だった。どういうわけか妄想していた無双系主人公ではなく、その主人公に恋慕うポジションであろうお姫様に転生してしまったのだ。初めの頃は何とか軌道修正出来ないかと足掻いたのだが、叶わないと悟って今に至るというわけです。


「今日も疲れた……。どうして肩の凝る面談ばっかりなのかなー」


 それに参加するのが私の責務だとは分かっているが、それでも溜まっていく疲労はごまかせない。明日に持ち込まないよう早めに休むべきなのだが、今は眠気よりも弱音が意識に満ちていた。


「誰にでも優しい完璧な美少女とかいないよー作り笑顔がほとんどだよー!」


 まだ16歳であっても王家の血を引いている以上、こなさなければならない業務は存在する。例えばどこそこへの視察だったり希望する相手との面談だったりするが、どちらにせよ精神的に疲れるものが多かった。


「王女さまって大変だよね……。こんなお姫様になりたかったとかマリの奴マジか?」


 前世で照れ隠し気味に言っていた幼馴染をふと思い出して、懐かしい気持ちになったせいか口調も少し戻ってしまった。元男子の自分じゃなくてアイツがシズリアになっていれば、なんて少し変わった逃避すらする始末だ。


「それで自分はナハトみたいな冒険者になってたら、なんて――」


「今ナハトと言いましたかお姉さま!?」


「グレイス、あなたいつの間に!?」


 突然響いた少女の声で慌てて飛び起きると、部屋の入口に声の主がいた。私よりも高い身長や蒼色のドレスの上からでも分かるモデル体型を持ち、何より見惚れる長い銀髪をポニーテールでまとめた快活な少女。その名はグレイス=アンフェイルと言い、つまりは私の妹だった。

 今は何やら興奮していて溌剌さが限界突破しているようにも見えるけど。


「ノックもせずに入ってこないでください! そんな最低限のマナーも忘れてしまったのですか!?」


「ごめんなさいお姉さま! でもちゃんとノックをして、返事がくるまで待っていましたもの! けどナハトの名前が聞こえて、つい……!」


「え、そうでしたか? 気づかなかったのかしら」


 申し訳なさそうなグレイスを見て自分にも非があることを自覚した。これで一方的に怒るのは姉としても良くない気がする。


「……分かりました、ノックに気づかなかった私も悪いです。だからこれで終わりにしましょう。ね?」


「はい、私も反省します……」


 お互いに軽く謝ってしんみりとした空気になる。私も気が抜けていたし、部屋に来たのがグレイスじゃなかったらとんだ恥を晒していたかもしれない。なのでこれでいいと思おうとして、


「で、お姉さま。今日お会いになったのはあのナハト=ノースティスで間違いないんですね!?」


「あ、その話は続けるんですね」


 一瞬でしゅんとした雰囲気を吹き飛ばす我が妹。自分よりも大きいグレイスが鼻息すら荒くしそうな勢いで迫りくるのでちょっと圧を感じてしまう。


「確かに今日お会いした1人はナハトさんですが、そんなに興奮するようなことでもないでしょうに」


「そんなことはありません! 民たちの間でも今最も注目されている冒険者なんですよ? そんな人とお姉さまが密会だなんて知られたら――」


「別に密会というわけではありませんし、知られた所で問題は」


「新しい女だと思われます!」


「待って段階が早すぎませんか?!」


 第四王女とは思えないざっくばらんな物言いに驚きを隠せない。というか仮にも王女相手にそんな噂が立ちかねないナハトの評判は一体どうなっているんだ。


「冒険者ナハトは今までに何人もの乙女をおとしてきているんです。それが社長令嬢だろうと剣神だろうと彼の前では無力。だからお姉さまもこのままでは……!」


「大丈夫ですから、何もされていないし惚れてもいませんから!」


 自分の姉妹がそんな男と会っていたと聞けば確かに心配になるだろう。そういう意味では私を気にかけてくれた妹には感謝すべきかもしれない。ちょっと行き過ぎてはいるけれど。


「ならいいのですが……。それでも気をつけてくださいね? お姉さまを狙う輩は数えればキリがありませんから」


「輩だなんてまた乱暴な。いえ否定はしませんが……」


 この国の王女に当たる私には未だ婚約相手がいない。高嶺の花で誰も手が出せないだとか、その美貌にかこつけて選りすぐりをしているとか色々言われているが、それでも手を伸ばそうとする者が後を経たない現状だ。グレイスにとってはナハトもその一人に見えたということだろう。


「けれどナハトさんのパーティにも女性の方は何人かいましたよね? そちらとはそういう関係になっていたりしないのですか?」


「私の知っている限りでは彼に恋人はいないそうです。だからこそ彼を慕う子が多い、とも言えますが」


「そうですか……。まぁ決めた相手がいるのに他の方に手を出している方が問題ありですしね」


 恐らくお互いに一線を越えられない関係を複数持っていると見た。そんな宙ぶらりんのままに新しい女の子との交友の輪を広げているのなら、それはそれで罪作りな男だと思う。


「そんなに多くの方から思われている方が、わざわざ接点のない私を好きになったりはしないでしょう。だから大丈夫ですよ」


 座り直した椅子の上で姿勢を正しながら、安心するようにそうグレイスに言う。


「でも、お姉さまから接点を持ったりしたら分かりませんよ? ああいう冒険者さま好きでしょ、お姉さま」


「……痛いところを突きますね」


「やっぱり興味はあるんじゃないですか!」


 語調が強くなるグレイスからつい目を逸らしてしまう。

 正確にはナハトではなく彼のような冒険者や冒険譚への興味なのだが、今日聞いた話だけでも私の興味を惹くには十分すぎるものだった。やっぱり実体験はリアリティが違うし、また話したいと思うのも無理ないと思う。


「駄目ですからねお姉さま。また冒険者に触発されて、あんな無茶なトレーニングを始めたりしたらお父様たちからどんな反発を受けるか……」


「わかっていますよ、もう冒険者になりたいだなんて思っていませんから。あれは私も反省していますし」


 疑う妹に自分の無実を示すように告げる。冒険者を目指していたのは過去の話。それも実質国ぐるみで止めさせられたせいで既にその道は諦めている。なので身体を必要以上に鍛えるようなことはしていなかった。


「むぅ、本当ですか? こっそりあそこのクローゼットを使っての懸垂とか、ドレスのままスクワット?だとかをしていませんよね?」


「…………していません」


「なんですか今の間は」


「いえ、その手があったなと思っただけです」


「絶対にやめてくださいね!? クローゼットにぶら下がっているお姉さまなんて私見たくありません!」


「ではスクワットはいいのですね。見た目も変じゃありませんし」


「いいわけないですから! ドレス姿のお姉さまが汗だくになりながらあんな風に動いたら、その、絶対にいけません!」


 顔を赤くして怒鳴るグレイス。スクワットに関わらずトレーニングに打ち込んだらそうなると思うけど、何か別の要因でもあるのだろうか。


「グレイスが心配しなくとも、きちんと着替えてからの最低限の運動しかしていませんよ。ほらほら」


「………………そうみたいですね」


「なんですかその間は」


「お姉さまの腕気持ちいいなって」


「放しなさい」


 差し出した腕に対して、真顔で感想を言う妹の手を振り払ってそっぽを向く。ちょっと気恥ずかしくなったのを不機嫌な態度で誤魔化していると、やれやれと言った様子で妹が口を開いた。


「全く、お姉さまはもう少し自分の立場というものを大事にしてあげてください。聞かれたのが私じゃなかったらどうなっていたことか……」


「正直あなたに聞かれたのも私としては反省点なのですけど」


「何か言いましたか?」


「いえ何も」


「……とにかく、あまりナハトみたいなのと関わらないでくださいね? 彼は既に多くの方に好かれていますし、冒険譚はまた私か他の誰かが尋ねておきますから」


「別に次に会う約束をしているわけでもありませんから大丈夫です。けど冒険譚は、出来れば本人の口から聞きたいのですが」


「駄目です」


「手厳しいですね……」


 残念ながら自分の周りには私と冒険者がお近づきになることを好ましく思う人間はいない。妹であるグレイスもこの態度であるなら今後ナハトと会う機会はそうそう巡ってこないだろう。それが分かるとなんだか惜しいことをしたという後悔が湧き上がってきた。


(もうちょっと、自由にやれたらなぁ)


 王女ではない自分なら、もう少し望んだ通りの生き方ができるのだろうか。自由に身体を鍛えたり、冒険者になってバカ騒ぎで夜を明かしたり。少なくとも今の私よりは生き生きとしているだろうなと、グレイスに聞こえないくらいの声量で呟いた。





 私の名前はグレイス=アンフェイル。目の前に座るシズリアお姉さまから見て妹に当たる者だ。他の肩書もあるにはあるけど一番重要なのはそこなのでそれ以外は省略しますね。


「ところでグレイス、あなた随分とナハトさんに詳しいのね?」


「え? いやそれは彼に詳しい人が知人にいるってだけですから」


「ふーん、それなら今度紹介していただけないかしら」


「……考えておきます!」


 お姉さまの頼みなので出来れば答えてあげたいのだが、先延ばしの答えが咄嗟に出てしまう。そんな私に期待の目を向けてくれるのが嬉しい反面些か心苦しい。


 私はお姉さまが冒険者と関わることをよく思っていない。だって私にとって、いや世界にとってシズリア=アンフェイルという少女は美の宝ともいうべき存在だ。誰もが認める美少女で、どんなに精巧な美術品でも敵わない魅力の塊が人のかたちを成している。そんなお姉さまが――


『いいですよね、どんな逆境でも折れずに立ち向かう姿。仲間と己の技を信じて困難を打ち破る彼らが一体どんな冒険を成したのか、考えるだけでワクワクしてきます……!』


 冒険譚を聞いてその瞳をギラギラとさせているなんて……!

 いや興味津々で眼を輝かせる様も、没入して胸を躍らせる姿も大変可愛らしくて見ているこっちもたまらないのだけれど、お姉さまはそこで終わる人じゃなかった。第三王女ともあろう人間が、本気の本気で冒険者を目指していたのだ。

 色々あった末に何とか阻止は出来たのだけど、そこまでしてお姉さまが冒険者に憧れを抱く理由はずっと分からないままだった。


 だってお姉さまの美しさは異次元のものだった。見た目だけでなく優しさや慈悲深さも併せ持ち、それでいて親しみやすさも感じさせる完璧な王女さまであり、この人の妹に生まれたことを神に感謝したし、シズリア=アンフェイルという存在を生み出した世界の全てを愛せる気すらした。

 そんなお姉さまが冒険者になってしまったら、その美しさは損なわれてしまう。別の輝きが宿るとも思ったが、万が一にもその全てが失われてしまうかもと思うと居ても立っても居られなかった。


 だからお姉さまが冒険者になるのを止めたし、冒険者と繋がりを持つこともよく思えなかった。他の冒険者ならまだマシだったのだが、ナハト=ノースティスだけは駄目だった。


「もしかしてその人も冒険者なのですか? 同業者ならではの情報網とかあったりするんでしょうか」


「本業は違うみたいなんですけど、仕事の一環で会うことが多いそうなんです。私もその方から話を聞くことがあってですね?」


「ますます気になりますね。そんな人とお知り合いだなんて羨ましい限りですね」


「えーっと、ははは……」


 段々と余裕がなくなってきて笑うしかなくなってきている。

 できる限りお姉さま相手に嘘はつきたくないし、けど本当のことも言えない。実際のところ私はナハトについてはだいぶ詳しい。お姉さまが喜びそうな冒険譚もいくつも持っている。


 何故なら私はナハト=ノースティスのパーティメンバーの一人だからだ。


 なんでそんなことになったのかは今は省くが、発端はお姉さまが何故そこまで冒険者に憧れたのか、そのことを共感したいと思ったから。それがいつの間にかこんなことになっていて、けどそこで手に入れた話でお姉さまが笑顔になってくれるから、ついずるずるとここまで来てしまった。もしこのことがバレたらまずお姉さまに嫌われてしまうし、何より。


(私のお姉さまが、ナハトなんかに取られちゃう……! それだけは絶対に阻止しなきゃ!!)


 まぁぶっちゃけるとその一点に尽きる。あの男は正直かなりの優良物件で、多くの女子を虜にするだけの魅力を秘めている。なおのことお姉さまに会わせまいとしてきたのだが、ついに今日出会ってしまった。


(案の定興味を持ったみたいだし、どうあってもお姉さまには悪影響。だけど……!)


 なるべく今後は会わないようにと釘を刺すつもりだったのだが、その過程でナハトの情報を出しすぎたのかもしれない。彼本人ではなくとも、彼に近い誰かと接点を持っていればいつかはまたナハトに出会ってしまうだろう。いつの間にこんなことになってしまったのだろうか。


「さて、私はそろそろ休みます。グレイスもおやすみね?」


 ふうと一息ついた後のお姉さまは、私の好きな透き通った笑みを浮かべていた。

 敵わない程の美貌を持つお姉さまと、いつの間にか冒険者としての一面も持つ私。これが逆なら色々といい形に収まったのかもしれないが、この美しさがあるからお姉さまなのだし、やはりこれでいいと思う私が返す笑みを作った。


「ええお姉さま、おやすみなさ――」


「紹介してくれるの、楽しみにしていますからね?」


(やだー、教えたくなーい!)


 ……やっぱりどうにかして誤魔化そう。いやでもお姉さまをこれ以上騙したら私の心が持たないしけど冒険者との関わりも持ってほしくないいや私が冒険者じゃんダメじゃんどうしよう!?


 やっぱりお姉さまとナハトが出会ってしまったことが全てのきっかけになっていたんだと思う。だから今日のことが妙に印象深くなっているんだと、後になってそう思った。

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