魔女は不気味に笑う
イニーの身体から黒い何かが溢れ出し、イニーを覆っていく。
それはあまりにも濃く深く、見ているだけ吞まれそうになる何かだった。
「これは……ああ。こんなモノを彼女は身に宿していたと言うのか……。それなのに向こう側に居ると言うのか?」
リンネは
回復魔法を使える。つまり、世界に対する憎悪があるリンネだからこそ、この中で一番イニーの
「あれは一体何なの?」
「憎悪。怨嗟。恨み。憎しみ。言い方はどうあれ、負の感情の塊だよ。それも、おそらく自我を持つほど強大なね。――そうか。ありえないことではないが、それなら二重人格ではなくても可能なのか? だが、それこそあの年齢では……」
聞くべきか、聞かざるべきか。
そんな事をロックヴェルトが考えてる内に、戦いは始まろうとしていた。
イニーは黒い剣とは別に、赤い剣を左手に出して目にも留まらぬ速さで駆け出した。
その戦いは魔法少女同士の戦いではなく、化け物同士の殺し合いであった。
結界内に刺さっていた刀剣は剣の一振りごとに舞い飛び、地面は一歩ごとに裂けていく。
まともに目で追うことの出来ない速さと、ただの斬り合いとは思えない程の被害。
いつまでも続くと思われた戦いは、イニーが距離を取ったことで流れが変わる。
何故距離を取ったのか?
その理由は誰が見ても明白なものだった。
「魔物化か。晨曦が望んだ事とはいえ、ままならないものだな」
単純なダメージではイニーの方が深いだろう。
だが、このままの戦いが続く場合、勝つのはイニーになっていただろう。
それはあくまでもイニーが、このまま戦い続けることができればだが。
「手向けか……勝てたというのだろうに……」
剣を構えたまま動かない2人。
先程までの喧騒は一転、風の音すら聞こえない時間が流れる。
それは、運悪くロックヴェルトが瞬きした時の事だった。
「えっ?」
瞬きの間にイニーと晨曦の立ち位置が入れ替わり、遅れて音が聞こえてきた。
「どうなったんだ?」
「分からない。でも、イニーの方が……」
戦闘は苦手なリンネには何が起こったのか全く分からず、ロザンヌに聞いた。
ロザンヌにもどうなったが正確には見えなかったが、剣先の無くなったイニーの剣を見て言葉を濁す。
イニーの折れた剣先が地面に刺さり、イニーの剣が手から零れ落ち、膝をつく。
「勝った……のか?」
「そう見えるが……」
既に人とから魔物に変わり始めている晨曦は立ったまま微かに笑う。
その姿には悲壮感は何もなく、魔物化による暴走を感じさせないものだった。
『満足できたよ。死力を尽くした良い戦いだった。悔いは無い』
『そうですか。ですが、今回は引き分けのようですね』
『ふっ……なら……来世で……』
勝っている様に見えた晨曦は立ったまま塵へと変わり、消えて無くなってしまった。
先に死んだのは晨曦なのでイニーが勝ったと言えば勝ったが、当のイニーも満身創痍であり、晨曦が消えると白魔導師に戻りそのまま倒れてしまう。
「あれは助からなさそうだね」
「ええ。相打ちってとこかしら? 当の本人たちは満足していたみたいだけど、これで私たちの勝ちね」
晨曦が死んだことへの悲しみはほとんどない。
この戦いは本人が望んだ事であり、そこにケチをつける様な者はいなかった。
だが、イニーが死ぬと言う事は、世界が滅ぶことが確定すると言う事である。
その事を、ノートレスは「つまらない結果になった」とでぼやいたのだった。
イニーと契約しているアクマは同化を解除し、必死に呼びかけているがイニーはピクリとも動かず、地面に血が広がっていく。
ローブから覗く手足は変色しており、どれだけの無茶をしていたのかを察する事が出来る。
「どうするの? 今の内にアクマも殺しちゃう?」
「一応待機命令が出ているから待とう。少々気になる事もあるしね」
イニーが本当に死んでいるなら、アクマが呼びかけるなんて真似をするだろうか?
それと、いつの間にか結界内に侵入している魔法少女。
マスティディザイアの時の様な奇跡が起きるのではないかと、リンネは期待していた。
そんな倒れ伏しているイニーの所に、結界に侵入していた魔法少女が現れた。
「魔法少女マリンか。新人だが強化フォームに至っている魔法少女。どうやって結界の中に入ったんだろうね?」
その答えを知る者は破滅主義派には居ない。
だが、こんな事を出来る存在が居る事に、リンネは少し危機感を持った。
送られてきたのが何故ランカーではなく、マリンなのか疑問は残るが、マリンに出来ることは何もないはずだ。
なにせイニーはもう助からないのだから。
アクマと出会ったマリンはイニーの惨状に狼狽するが、アクマの一言で覚悟を決める。
そしてその一言はリンネたちを驚かす言葉でもあった。
「契約が切れてないってどういう事?」
「分からないな。資料には死んだら切れると書いてあったし、魔女に聞かなければ何も言えないね」
どこからどう見ても、イニーは死んでいるように見える。
仮に生きてたとしても、ジャンヌクラスの魔法少女が居なければ治すことも出来ない。
更にイニーに向かって魔物の大軍が押し寄せようとしていた。
マリンのした決意も、アクマの願いも意味がないのだ。
他のモニターではSS級の眷属たちが都市を襲い始め、被害が出始めている。
時間と共に被害が増え、マリンも押され始める。
イニーも、何も反応を示さず、流れ出る血は既に致死量至っている。
「飽きてきたけど、件の魔女様はなにをしてるのかね?」
後は滅びるのを待つだけ。
そんな映像を見ていてもつまらないとノートレスは思ったのだ。
「さあね。どこに居るのかも見当がつかないよ。嫌なら部屋に戻っても良いよ」
「そうは言ってもね……」
後数分もしない内にイニーの所まで魔物が押し寄せ、死体を食い散らかしてしまうだろう。
それまで待ってから出て行っても遅くはない。
そんな時だった。
イニーを光の繭が包み込んだのだ。
まるで蛹の様になり、そのままイニーに吸い込まれる様にして消えていく。
繭が消えると、なんとイニーが立ち上がったのだ。
そして迫りくる魔物を全て殲滅し、身体は勿論、全快している様に見える。
あまりの出来事に会議室は静かとなり、モニターから音だけが流れる。
だが、驚きはそれだけではなかった。
『ナンバー0愚者。ナンバー15悪魔。
それはあり得ない出来事であり、魔女の資料にも未知数――不可能だと書かれていた現象だった。
愚者としての武器である水晶玉と、悪魔の武器である大鎌。
衣装すら変わり果て、その姿を現した。
「くく……ふふ……はは、あははは!」
会議室に誰かの笑い声が響く。
「来たなら声位かけてくれても良かったんだが?」
「ふふ。すまないわね。ただ、本当にこんな事をする馬鹿が現れるとは思わなかったんだもの。彼女は本当に楽しませてくれるわね。でも……」
本来なら1体の解放でも身体への負担はとても大きい。
2体ともなれば倍ではすまない負荷がその身体を襲う。
そんな事をすれば普通は解放と同時に身体が破裂してしまうだろ。
その前にアルカナ2体分の能力を、1つの身に宿す事自体が普通ではない。
魔女もそんな事を出来る魔法少女が現れるとは思っていなかった。
「楽しみね。借り物の力で、どこまでいけるのかしら?」
転移したイニーはとある都市の上空に現れた。
一薙ぎの魔法で迫りくる魔物を塵に帰し、たった1つの魔法で都市全域の魔法少女や一般人を回復してしまう。
この時点で一魔法少女としての能力を大幅に超えており、魔女は笑う事しか出来なかった。
何より魔法だけでも規格外だと言うのに、生命力が強く倒すのに苦労するSS級の魔物を、巨大化した鎌の一撃で倒してしまう。
その後も次々と魔物を倒し、魔法少女や一般人たちを救っていく。
「何が起きているんだい?」
会議室に突如として現れた魔女は気分良さそうに笑い、モニターをずっと見ているので、中々声を掛ける事が出来なかった。
そんな状態なので、皆がリンネに如何にかしろと視線で訴えかけ、やっとリンネが魔女に声を掛けた。
「ああ、すまないわね。こんな非常識な事をする魔法少女が現れるとは思わなくてついはしゃいでしまったわ」
魔女は自分の席に座り、息を整える。
「細かい説明は省くけど、イニーがやっているのは唯の自殺行為――本来ならやった瞬間に身体が耐え切れず、弾け飛ぶような事よ」
「資料を見た時は不可能だとも書かれていたしね。だが、イニーは実際にやれているし、結構長い時間戦っているようだが?」
アルカナの力には制限時間がある。
それは人にもよるが、大体5分前後だ。
これは身体への負荷もあるのだが、脳への負担が影響している。
だがイニーは、そんなのは関係ないとばかりに暴れ回っている。
「そうね。何故あんな自殺行為が成功しているのか分からないけど、恐らく
突如として出てきたアルカナの恋人。
姿形も見せていないのに何故その名前が出てきたのかリンネは疑問に思った?
「さっきの光の繭に似たようなものを昔恋人が使ってるのを見たことがあるのよ。ただ、あの状態のイニーを治すのは不可能な筈なのよね……一体内側に何を飼っているのかしら?」
「……今の話を聞く限り、イニーは悪魔だけではなく恋人とも契約してるってことかな?」
仮にリンネの言う通りならアルカナという常軌を逸した力を3つも宿していることになる。
「そうみたいなのよね。しかも愚者とは違い、多重契約だし、もしも私の考えている通りなら、悪魔よりも前に恋人をその身に宿していたことになるわ。正に唯一無二の魔法少女と言ったところかしら?」
再び魔女は笑い始め、会話の間にほとんどの魔物が倒されてしまった。
百万を越える魔物と数十のSS級の魔物を1人で倒してしまった。
更に死者は出たものの、負傷者はほとんどいない。
その姿は正に絶望から希望に。
冬から春を告げるようだった。
「本当に楽しくなってきたわね。待った甲斐があるわ」
いつもは冷静な魔女がここまでおかしくなった事で、会議室には緊張が走る。
今回の作戦は人の手で起こされた中では、人類史上最悪の事件だろう。
その主犯たる魔女は事件のことなど全く気にせず、恋焦がれた乙女の様にフードの中で笑う。
魔女の頭の中では、次に向けての
そんな不気味な魔女だが、戦いが終わった後のイニーを見て、吹き出してしまう。
それは他の破滅主義派のメンバーもだった。
先程まで緊張に包まれていたのもあるが、まさかイニーが小さくなるとは誰も考えていなかった。
「さて、次に向けての会議をしましょうか」
一一頻りに続いた笑いも終わり、気を取り直す。
次はどの様な無理難題でイニーを試すのか?
そんな会議が始まった。
そして、椅子が1つ消えた。
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