元勇者と魔王の息子

「げほっ、ぼえっ」


 血反吐を吐く。

 大雨の中、崖の下で、背中に大剣を突きさされた状態で。

 クーシュは小さな命の灯をつなぎとめていた。


 ――死にたくない。


 クーシュは勇者だった。

 聖剣、そして仲間と共に、魔王を討ち果たす旅をしていた。


「――やだなぁ」


 まだ、何もできてない。

 これからのはずだったのに……これから、やりたいこと、たくさんできるはずだったのに。

 そう思いながらクーシュは目を閉じる。


 魔王は倒した。

 魔王にたどり着くまでに大事な仲間をみんな失って、己自身もボロボロになりながら、単身で魔王を倒した。

 英雄として詩人に語られ、伝説に残るほどの偉業だ。

 しかし、平和になった人間の世界は大きな力を必要としなかった。

 必要としたのは己の国をより強大にすることだった。


 魔王を倒した、国を揺るがすほどの戦力を持つ勇者は用済みとなった。

 国に裏切られ、追われる身になって、最期にたどり着いたのが、剣を刺されて落ちた先の、この崖の底の森だった。


「いき、たい。だって約束したもんね、ティッツァ」


 恋人だった、仲間だった男の名を呟く。

 目から流れ落ちるものが、涙か、雨か、区別はつかなかった。


「どうしようもない世界だって、私、ティッツァの分も、みんなの分も生きるって。幸せになるって」


 土を握りしめて、体を前に進める。口から血が流れ出て、傷口から血が溢れて、大地に染みていく。


「……嘘」


 体の感覚が消え失せて、クーシュはあがくのをやめた。


「ホントは、みんなのところに逝けるのが嬉しい。だって、こんな世界、私、生きていたくない」


 意識が消えていく。

 命の灯が、消えていく。


 絶望に温かみを感じるなんて、思いもしなかった。

 何もかも終わることが救いに感じるなんて。


 クーシュは静かに目を閉じて、笑う。


「会いたいな、皆」


 ゆりかごで眠る赤子のように、穏やかな表情で、クーシュは眠りについた。


「――おやおや」


 クーシュの鼓膜には少年の声なんて聞こえなかった。

 これで最期なのだと、そう思っていたから。




『元勇者と魔王の息子』

 



 目が覚めると、薄暗い小屋の中だった。外から雨の音が聞こえている。

 底冷えするような冷気が顔に触れる。しかし体は温かった。

 ベッドの上にいるのだと、それで気付いた。


「――やぁ、目が覚めたかい。勇者サマ」


 気取ったような、年齢にそぐわない大人ぶった声が響く。

 目を向けると木の椅子にそれは腰かけていた。


 少年だった。成人――十五手前の、声変わりさえしてないような、そんな少年。

 貴族が着るような上等な白いワイシャツにズボンといった格好で、革靴を履いている。腕を組んで、こちらを見下ろすような赤い瞳をのぞかせていた。

 カラスのような真っ黒い髪をしており、手入れされているのか艶がある。


「貴重な回復薬を犠牲に君を助けてやったんだ、感謝してほしいね」


 少年の尊大な態度に、クーシュはわずかに苛立ちを覚えた。


 死に損ねた。


 その事実が、胸にどっしりと圧し掛かってきた。死ねれば楽だったのに。


「そう睨まないでほしいな。眠り姫みたいに綺麗な顔だったから起こすのも申し訳ないなって、ちょっと後悔してるよ」


 肩をすくめて、少年は木のイスから飛び降りた。


「君は、誰」


 声を絞り出して、至極当然の疑問を吐く。

 少年は嬉しそうに目を細めると、両手を広げた。


「仲間の仇、の息子だよ。父の仇さん」

「仇……?」


 紳士のように頭を下げる少年。顔を上げるころには唇は三日月型に歪んでいた。


「魔王グランディアボーグの息子。ディアリールだ、以後お見知りおきを」

「魔王の、息子……!?」


 クーシュは思わず体を起こした。そして胸の激痛に眉を潜める。


「背中から胸まで串刺し。治癒してやったとはいえ、完治してないから動かないほうが良い。いやぁ、良く生きてたものだ。さすがは勇者サマってところかな」

「魔王の息子なんて、聞いた事ない」


 胸を抑えながら、クーシュは叫ぶように言った。

 息子がいるんなら、魔族は健在ということではないのか。なら魔王を倒した自分の苦労は、仲間の死はなんだったのか。

 そんな疑問に身を震わせた。


「当たり前さ。父の仕掛けた戦争に、ボクは一切かかわってない。魔王を継ぐ気もない。そのうち魔族は残党を狩られて、ひっそり暮らすしかなくなるだろうさ。何せ強いのはみんな、君らに殺されたからね」


 ディアリールは人差し指を立て、ウィンクしてみせた。


「ボク以外は、ね」


 膨大な魔力の奔流が、ディアリールから漏れ出した。その魔力で、カタカタと建物全体が揺れ、クーシュの水色の髪を乱す。

 全身に鳥肌が立ち、古傷もまとめて痛み出す。

 この力は、魔王以上の――。


「とはいえ、君を害するつもりはない。安心したまえ」


 魔力をその小さな体に収めきって、ディアリールは腰に手を当てた。


「父のやり方は気に入らなかったんだ。だから殺すつもりだったんだよね。手間が省けたからキミには感謝してるくらいだ」

「感謝……ですって」

「あぁ、そうだよ。こうして助けてやったのも、その礼さ」

「助けてなんて、頼んでない」

「そうかい。ところで前を隠した方がいい。できれば横になって体を休めてくれ」


 ディアリールはクーシュの体を指差す。

 傷口に包帯が巻かれている以外、衣類がなかった。

 かけられていたキルトをめくってみると、腰から下も布が軽く巻いてあるだけで、ズボンではない。

 羞恥心に、急いでキルトを被って横になる。


 裸ではないだけマシと思うしかなかった。


「いや血みどろだしびしょ濡れだったから洗って乾かしてるところだよ。乾いたら剣で貫かれた箇所を縫わないとね」

「誰が」

「ボクが」


 きょとんとした顔で、ディアリールが返す。

 魔王の息子が裁縫なんてできるのだろうか。


「……あなたの目的は何?」


 魔王の息子、が嘘だったとしても魔族側なのは違いあるまい。であれば、勇者なんていう存在は敵だ。そんな敵を助ける真似をして、彼は一体何をしたいのか。

 

 答えによっては……


 己の魔力を込めながら、クーシュは覚悟する。


「おいおい、まだ人間の味方でいようなんて思うのか? 裏切られたのに?」


 魔力の流れを察知してか、ディアリールは首を振る。


「さすが勇者サマだね」


 皮肉たっぷりにディアリールが言う。それが妙に癪に障った。


「早く、答えて」

「ボクの目的? キミに惚れたから見に来ただけ」

「……え」


 とんでもないことをにべもなくいうディアリール相手に、クーシュは思考が止まった。


「惚れた?」

「そ。仲間を失って、絶望的なのに、それでも父に立ち向かって、勝っちゃうんだもん。あのときの悲痛な表情と言ったら」


 心底、嬉しそうにディアリールは言葉を続ける。

 ゾッとするような、悪魔のような表情で。


「この上なく美しかったよ。あんだけがんばったんだ、さぞいい生活をしてるんだろうな。そう思ってきてみればこのザマだ」


 壁の先、クーシュの所属していた国の方を睨む。


「魔王になっとけば良かったかな。真っ先に滅ぼせたのに」

「させると、思う?」

「キミを裏切った国だぞ、むしろそこは滅ぼしてくださいってお願いするところじゃないのかな」


 首を傾げるディアリール。

 魔族だ、人間とは思考が根本から違う生き物だ。


「悪い人ばかりじゃないわ。私を追ってた人だって、その人の生活があるもの」


 それに、自分にはもうこの先、生きる希望なんてない。

 仲間を失い、使命を終えた勇者なんてもう、いらないのだ。

 そう思っていると、ディアリールは笑みを浮かべて、顔を近づけてきた。


「いいね、その顔。好きだよ、ボクは」


 そんなことを口走るディアリールの顔が、ティッツァの優しげな顔を思い起こさせた。


『クーシュの笑ってる顔が、好きだ』


 ――パチン、と。

 気付けば、クーシュはディアリールの頬を叩いていた。

 こいつは人間の絶望する顔やそれに類する表情を好んでいるだけだ。クーシュのことを好きなわけではない。


 一番いい顔をするのがクーシュなだけなのだ。


 惚れている、だなんて言葉、ティッツァの好意に比べたらクズに等しい。


 思い出が汚されたような気がして、クーシュは怒りに身を任せていたのだった。


「変態魔王が、死ねばいい」

「やだね。やっとボクの人生が始まるんだ、誰にも邪魔させないさ」

「何するつもり」

「何も。料理を学んでもいいし、裁縫だっていい。錬金だって興味があるし、絵だって描いてみたい。すぐ飽きたとしても、他をやればいい。冒険者なんて荒事専門の職業があるとも聞いた、それをやるのもいい」


 両手を大きく広げて、ディアリールは目をかがやかせる。


「魔王の血筋なんて言う拘束具は外れたんだ。同族なんざ知ったことじゃない。ボクはボクの好きなことをして好きなものを集めて、好き勝手してやる」


 自分勝手で利己的で、とてもじゃないが魔王の息子とは思えなかった。

 少なくとも人間の世界を脅かす存在になる様子はなさそうだった。


「キミはどうするんだい」


 問われて、首を振る。


「……何も思いつかない」

「なら、ボクと来なよ。いろいろやって見つければいい。やりたいことを、さ」


 手を差し出される。

 正直、その手を取る以外の選択肢が、殺されかけたクーシュには残されていなかった。


『後は任せたぜ、勇者』

『行け、勇者。未来を託したぞ』

『生きて。俺の分も生きて、幸せになるんだ』


 脳裏に、仲間たちの最期の言葉が思い返される。

 終わりになったって良かった。ひとりだけ残った世界はあまりにも残酷だったから。


 だから、もし、このまま無様に生きるのなら。


 悪魔と一緒でも構わない。


「……見つかるまで、なら」


 手を掴む。


「もちろん」


 ディアリールはとても残忍な笑みを浮かべた。




 ――その後、人間の世界は戦乱の世に変わっていく。

 魔王という共通の敵がいなくなった人間同士で、争いを始めたのだ。


 より強い栄光を。

 より良い贅沢を。


 人間の欲望に果てはない。


 ただ一つ言えるのは、勇者も魔王に継ぐ存在も、その戦争には名を残さなかったということだけだ。

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勇者とか魔王とかの短編集 月待 紫雲 @norm_shiun

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