勇者とか魔王とかの短編集
月待 紫雲
おお勇者よ、死んでしまうとは情けない!
「勇者よ、魔王討伐に行ってくるのだ!」
国で用意される最高級の装備に身を包み、勇者は堂々と国を出ていく。
勇者は成人したばかりの、少年と言っていい年ごろだった。だというのに道を進むその顔は、決意に満ちていて、瞳はどろりと濁っている。
はがねの剣を手に、魔物を倒していく。ただ孤独に、ただ愚直に。
ボロボロになった剣を買い替え、魔王城まで真っすぐに進んでいく。
何日も、何か月もかけて、国から魔王城までの道のりを慣れたように進んでいく。
勇者は一切仲間を持たなかった。
口数も少なく、ただ戦いに明け暮れ、休みは最低限で歩みを続けた。
誰にも教わっていないのに、勇者は魔法を使えた。魔物を倒していくうちに上位の魔法も使えるようになっていった。
まるで最初から知っていたかのように。
座り心地にこだわった玉座の肘置きを使って頬杖をつきながら、魔王は水晶玉で勇者を眺めていた。
魔王にとっては侵略のたやすい人間の中から出た「勇者」という存在は、退屈さを紛らわすゲームのようなものだった。
いくらでも量産できる魔物を、その勇者のレベルより少し上のものをけしかける。少し上、というのが重要だ。勇者の手に汗握りる攻防が、必死に生きる勇者の姿が、愉快なのだから。
なのだが、勇者は何一つ迷っていなかった。生への執着があるが、どこか人間味がなかった。面白みにかけるのだ。
まぁ、水晶玉で眺める時間ももう終わりだ。
大扉が開く。
「やぁ、よく来た勇者よ」
あどけなさの残る顔に、若さとかけ離れた壮絶な表情に、魔王は興味を持った。
「さて、このまま因縁の対決……といっても構わないが、せっかくだ。話をしようじゃないか」
「話すことなんて何もない」
「否、我には大いにある。貴様も人生をかけてきたようなものだ。味気ない最後は困るだろう?」
勇者は旅の道中で手に入れた聖剣を引き抜きながら、無言を貫く。
「我は疑問に思ったのだ。この水晶で動向を見ていたが、随分手馴れていると思ってな。いくら勇者とは言えど人間が仲間を連れずにここまでたどり着くとは正直驚きだ」
両手を広げて語る。
勇者は固い表情のまま、警戒を解かない。
「初めてじゃないからな」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味だ」
無言で続きを促す。
魔王はこれっぽっちも戦う姿勢を見せていなかった。
「……スライムに負けて一回。盗賊に奇襲されて一回。ドラゴンに踏み潰されて一回。仲間に裏切られて一回……十から先は、怖くて数えてない」
「……はて。死んだ場面なぞあったか? そも、主は仲間を連れていないではないか」
「死ぬと、時間が巻き戻るんだ」
「――ほう」
「死ぬたびに王様に送り出されるところから始まる。勇者なんて呪いでしかない! お前を倒すまで、俺は死んでも死んでも、終わらせてくれないんだ!」
今まで声を荒げたことのない勇者が初めて声を荒げて、怒りの感情を剥き出しにした。
そして、玉座まで跳躍すると、渾身の一撃を魔王に振るう。
魔王は片手を挙げ、駄々をこねる子どもを止めるように、剣を止めてみせた。
「なっ!?」
「では我のところにたどり着いたのは何回目じゃ、勇者」
手を添えるように受け止めた剣が離れる。
勇者が魔法を放ってきた。魔王を焼き尽くさんばかりの巨大な炎の玉。
魔王は指先ばかりの小さな灯をその玉にぶつけた。
結果は相殺だった。
「うーん、一回目じゃな。お主のその驚いた顔を見ればわかる」
いかに勇者とはいえ、一年や十年で魔王の力を上回るだなんてそんな都合のいい話があるだろうか。
魔王はもう数百年は魔王なのである。年季が違う。
蓄えてきた力も、磨いてきた技術も、何もかもが違うのだ。
それを超える為の「死に戻る」能力なのだろうが、人間には荷が重すぎる。
「そんな……」
圧倒的な力を前にしてか、勇者は膝から崩れ落ちた。
魔王は立ち上がる。そしてゆっくりと、勇者に歩み寄った。
「哀れな勇者よ、お主に闇の力を教えてやろう」
今までの勇者の表情が一変して、歳に相応しい、絶望に染まった表情を浮かべる。
「や、やだ。また最初からやり直したくない……ここまで来たっていうのに。また最初からなんていやだっ!」
立ち上がり、聖剣をがむしゃらに振るう勇者。魔王は爪でそれを弾いた。
やがて疲れ切った勇者から剣をもぎ取ると、そこらに捨てた。
「勇者よ」
頬に手を添えて、顔を見る。愛らしい顔に涙を浮かべていた。
目を細める。
「その小さな体にいくらの期待を背負った? いくらの死を刻み込んだ?」
抱きしめる。
「重かろう、辛かろう。闇はすべて受け入れてくれるぞ?」
自分の胸に、勇者の顔を埋める。
女の体も使いようだな、と魔王は思った。
「ほれ、目を閉じてみよ。我が体温に身を委ねよ。闇はお主を拒まぬ」
頭を撫でる。
「あ、あ……俺」
「ほしいものがたくさんあったろう。申してみよ」
「死にたくない、俺っ。死にたくない」
「そうかそうか。死ぬのは辛いものな。怖いものな」
魔王は勇者を憐れんでいたが、そこに優しさなどは微塵もなかった。お気に入りの玩具にひととき沸く小さな愛着のような、軽いものでしかない。
魔王は暇つぶしに勇者を選んだだけなのだ。
「愛してやろう、勇者よ。何も怖がることはない。闇の心地よさを、温かさを、お主に与えよう」
子どものように泣きじゃくる勇者を、魔王は母親のように抱きしめ撫でる。優しく背中も叩いてやった。
そこに本物の愛情などひと欠片もない。ただの見せかけでしかなかった。
愛情に飢えた勇者にとって、そんなことは些末な問題でしかなかったのかもしれない。
「全て与えてやる。ありとあらゆる幸福も、快楽も、この上ないほどに。だから」
魔王は悪魔のように笑みを浮かべる。
人間を滅ぼす、悪魔の笑みを。
「我のものになれ」
その日、人類が魔王に勝つ術はなくなった。
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