第7話:挑戦/階層構造(5)

 時間は僅かに遡る。


日が沈み、本来なら次第に人々が集まってきて席を囲み出す酒場の一角に、周囲に人が寄り付かぬ形で座る男性が一人。

 庶民の集う酒場にはあまりにも似つかわしくない豪華な衣服は、明らかに彼が他の人々と身分が違っていることを示すと同時に、何処か他所の国からやってきたことが溢れる異国情緒から察せられる。

 とは言え、彼が周囲から敬遠されているのは、異人であることが理由ではない。

 彼に誰も近寄らぬのは、既に酒場は男によって酔い潰された者たちで一杯だったからだ。


「お兄さん、お一人ですかぁ?」


 しかし、そんな男に、一人の女性が近付いてきて声を掛けた。その煽情的な身なりは一見すると踊り子のようにも見える。


「おや、私に御用ですか?」


「ええ、せっかくの酒場なのにお一人様同士でいるくらいなら、一緒に座ってもいいかしらと思ってぇ?」


 男の問いに答える女性の喋り方は、既に多量の酒を呑んでいるように呂律が回っていないものだった。その羽振りの良さから、


「貴女のような美しい女性がこんな場末の酒場でお一人でいらっしゃったとでも? 一見したところ酌婦には見えませんが。」


「ええ、まあ。どんな立場の人間にだって、ちょっとくらいは羽目を外したい時ってあるじゃあない? 特に貴族だったら、誰にも隙を見せないようにしながら揚げ足を取ることばっかり考えて、本音で喋れる相手なんて碌にいやしないんだから。本当にストレスだらけの日々でしょう。だから、周囲の付き人なんか撒いちゃって、一人になれる時間も必要だと思うのよねえ。きっと貴方もそういう鬱憤が溜まっている類の人間じゃあないかと思ったのだけれども。」


「なるほど。確かに、尊い身分であるほど、ストレスが溜まるなんてこともあり得るかもしれませんね。まあ、私は貴族ではないので、あくまで想像に過ぎませんが。」


 男性は、あくまで女性からの問いに明言は避け、はぐらかすように返答しながら、相手の様子を再度、確かめるように眺める。

 

「……まあ、いいでしょう、詰まるところ、貴女も私と勝負をお望みなんですよね? それであれば、どうぞお座りに──」


 そして、一息溜めてから男性が着席を促そうとした、その時だった。


「お待ち下さい、お嬢さん。」


 二人の間に割って入ったのは、つい今しがた酒場へと到着した若き騎士だった。


「貴方のような女性がそんな格好でこのような場所に来て賭け事に興じようだなんて、不用心に過ぎます。何か目論見があって来たのでしょうが、ここは私に場を譲って下さい。」


 騎士は女性を鋭く見つめながら言葉を紡いだ。


その言葉に、煽情的な格好をしていた女性は眉をわずかに動かし、口角を上げる。


「ふふ、流石は帝国の騎士殿、誇り高いのねえ。」


 そんなやり取りを眺めながら、異国風の衣装を纏った男性は、騎士の登場に特に動じることもなく、穏やかな微笑みを浮かべていた。


「しかし、天才と名高い王国随一の騎士殿がこんな時間から場末の酒場に現れるとは珍しい。何かご用でも?」


 彼の低く落ち着いた声は、まるで騎士を歓迎しているかのようだった。


「用がない訳がないでしょう。」


 騎士はその穏やかな声に応じ、鋭い視線を男に向ける。


「ここに来るまでは、不正の有無については自分の目で確かめるまで他人からの情報を鵜吞みにしないよう努めてきました。しかし、この惨状を見てしまえば、事態は明白でしょう。貴方のやっていることは街の治安に関わる重大な事件です。」


 男は軽く肩をすくめ、目の前の鮮やかなカクテルを持ち上げた。カクテルは赤と青、二種類の酒がどれだけ揺れても奇妙に交じり合わないまま階層構造を維持していた。


「何をそんなに緊張しているのですか?  これはただの酒、そして私はただの客人ですよ。」


「ただの酒、ただの客人……ですか。」


騎士は周囲を見渡し、倒れた人々に目をやる。その顔色が悪く、異様な様子を示していることを確認すると、再び男に視線を戻した。


「それならば、私が確かめさせて貰います。その酒で、私と飲み比べの勝負をしましょう。」


 そう宣戦布告をして、騎士は卓の椅子に着く。


「おや、騎士殿が私に挑戦するのですか?」


 男は愉快そうに笑みを浮かべた。


「まあ、いいでしょう。この酒は、我が故国の名産品でね。美しい二層の色合いを楽しむためのものです。但し、注意が必要だ。飲み慣れていなければ、その強い酒気にやられて、一発で昏倒してしまうのですから。」


 男はそう言うと、カクテルの入ったカップにストローを挿し込む。


「私には、この酒を飲み慣れているというアドバンテージがありますから、公平を期すため、一口目は私から飲むのがルールとなっています。」


 そう言って、御曹司はカクテルを飲む。


「ああ。やはり今日も美味い。」


 そう呟いた男の表情は酒気にあてられたのか、恍惚としており、それと共に口も軽くなっているようだった。


「このカクテルに用いられている二種の酒には、意味があると言われていましてね。上層の青は貴族の尊き血を、下層の赤は民衆の一般的な血を示しているそうですよ。それらが一つの杯の中で共にハーモニーを奏でているなんて、素晴らしいとは思いませんか。それでは騎士殿も、どうぞご賞味あれ。」


「名産品……ですか。」


 騎士はその言葉に微かに眉を動かしながら、カクテルに口をつけた。


 甘美な香りとともにカクテルが喉を通る瞬間、騎士は液体に潜む異様な感覚を察知した。燃えるような熱が全身を駆け巡り、視界が僅かに揺れる――だが、それ以上の影響はなかった。

 平民出身の彼が若くして隊長の地位に就いているのには理由がある。それは、彼が世間では極めて稀な固有生業ジョブである勇者を身に宿していたからだった。

 勇者の持つ状態異常無効化の技術スキル・アーツが、カクテルに盛られていた薬物の効果を完全に打ち消したのだ。


「なるほど……これが噂のカクテルか。」


 騎士は静かにグラスを置き、男を見据えた。


「おやおや、騎士殿ともあろうお方が、飲み比べの勝負でインチキとは。」


「それはこちらのセリフです。やはり、この酒には薬が仕込まれているようですね。そして、二層に分かれたまま混ざらないこのカクテルが、そのトリックの鍵です。」


 騎士は酒の赤い下層と青い上層を指差しながら言った。


「薬は上層の青い部分に仕込まれているのでしょう。そこで、貴方はストローを使い、下層の赤い部分だけを飲むことで薬を避けていたのです。」


 男は目を細めながら頷いた。


「流石は騎士殿。面白い推理ですね。しかし、何故に私がそんなことを?」


 その問いに、騎士は言葉を紡ぐ。


「貴方の特徴的な服装と、名産品だと言うこのカクテル。これらは、かつて迷宮ダンジョンの突然生起で滅んだ王国のものだと聞いたことがあります。そして、僕は、このような噂も聞いたことがある。その国で、放蕩者として知られていた第二王子が、たまたま諸国漫遊中だったために一人だけ生き延びた、と。」


 更に騎士は続ける。


「生き延びた放蕩者の第二王子。それが、貴方なのではありませんか? 貴方には、王族という高貴な身分でありながら、祖国を失って生きるためとはいえ、イカサマを使って民衆から、まさにストローで吸い上げるかの如く、貴重な物品を奪っていた疑いで」


「おっと、それは違う、な。」


 突然、挑発的な衣装を纏った女性が、先程の妖艶な声とは全く違う、容貌に見合わない低く静かな声を上げた。その瞬間、酒場の空気が一変する。


「『これ、毒です」までは良かったんだがなあ。やはり、歴代随一と名高い騎士とは言え、兵士は兵士。或いは、まだ若いが故に、その価値観まではまだ成長途中ということ、かな。」


「あ、貴女は一体?」


 予想外の乱入者の醸す空気に驚いた男からの問いに、女性が答える。


「ああ、そうそう。そう言えば、姿を変えたままでしたね。申し訳ない。いま、すぐに変装を解除しますので少々、お待ちを。」


 そう言った途端、女性の姿が、骨格からバキバキと不気味な音を立てて変形していく。


 その異様な光景には、御曹司は勿論、流石の騎士も唖然として言葉を失う。


 このようなものが、変装であって堪るものか、と。


 そして、先程までいたはずの妖艶な女性が姿を消した後に現したのは、恐ろしい程に美形で、しかしそれ故に浮世離れした男──探偵の姿だった。


「さて、私はつい最近にこの街へやって来た者で、探偵業を営んでいる者です。さあさあ、今度こそ真の舞台も整いまして、ここからが本当の本番。いざ私の興味を惹く謎へと踏み込んでいきましょうか。」

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