第6話:騎士/階層構造(4)

 夕暮れの光が王都の石畳を柔らかな金色に染める中、正門をくぐり抜けた第十三騎士団の隊列が整然と進んでいく。

 この第十三騎士団は、近年その規律正しさと、市民目線を忘れぬ柔和な対応で信頼を集めている。その紋章の輝きには、王家への忠誠心と、守るべき市民への誓いが宿っており、これを戴くことは隊員たちにとって誇りとなっていた。


 門前には既に多くの市民が彼らの帰還を待ちわびており、隊列が通りかかると大きな歓声と拍手が自然に巻き起こる。老若男女が通り沿いに集い、その眼差しには深い安堵が漂う。騎士たちは任務帰りだが、その鎧にはほとんど汚れらしき汚れが見えず、疲労を感じさせる素振りもない。特に先頭を行く若い隊長は、平民階層から苛烈な選抜と研修を乗り越えて叩き上げで騎士となり、さらにその勤勉さと公正な姿勢で頭角を現し、今や一隊を率いる地位に就いた傑物だった。この快挙は騎士団内で上司たちから大きな期待を寄せられている。

 しかし一方では、他部署で政治に明け暮れるような貴族たちからはその存在を危険視されてもいる。何故なら、彼は平民出身でありながら王宮内での一定の権威と、平民からの支持を勝ち得ている存在であり、古くからの慣習に固執する一部の貴族層にとって、その存在は秩序を揺るがす新たな可能性の象徴でもあったからだ。

 しかし、この若き隊長が人々の前に立つ時、そんな複雑な立場にいることをおくびにも出すことはない。騎士は常に、まるで日常の巡回を終えただけかのように凛とした姿を保ち、堂々と馬を進めている。


「お疲れさん!」


 店先から騎士に呼びかけたのは古くからこの街角で店を構える老商人だった。普通、騎士団の隊長格を務めるような騎士に対してこれほど砕けた調子は許されないが、この騎士に限っては昔馴染みの間柄であり、彼の出自をよく知る者でもあった。騎士も軽く手を挙げて応じる。その顔には、子どものころから暮らしたこの街への愛着と誇りが浮かんでいた。


「おじさん! 今日も元気そうだね! 商売も儲かってるかい?」


 騎士は親しみを込めて問いかける。


「ああ、第十三騎士団が頻繁に巡回してくれるお陰でな! 平民出身で騎士になっただけでも凄えのに、隊長まで駆け上がったお前さん自身が率先して街中を見回ってくれるから、他の方々もいつも前向きに動いてくれてなあ。夜盗なんかも最近はめっきり見なくなったもんだ。まったく、お前さんには感謝しきれんよ!」


 老商人は目尻に皺を寄せ、尊敬と感謝を滲ませる。


「そんな、畏まらなくていいって。僕は単に、生まれ育ったこの街が懐かしくって、気がついたら戻ってきちゃうだけなんだから。」


 騎士は気負いのない笑みを浮かべる。彼にとってこの街は、厳格な貴族社会や複雑な政治工作などと関係なく、ただひたすらに守るべき家族や友人がいる故郷なのだ。


「かーっ、立派なこと言うようになっちまってぇ! 餓鬼の頃は木の棒を振り回して遊んでばっかだったってえのになあ」


 老商人が昔話を始めようとすると、騎士は少し恥ずかしそうに肩をすくめて笑う。


「もう、おじさんの昔話は長くなるから、そろそろ僕は行くよ、じゃあね!」


 彼は照れ隠しのように会話を切り上げると、馬の手綱を軽く引き、先行していた隊列の先頭まで驚くほどの速度で戻っていった。その背中からは、街の息づく声や匂いが、まるで彼の心の糧のようになっていることが感じられた。


 すると今度は、隊列の進む先で待っていた子どもたちが、小さな花束を差し出してくる。野花を束ねたそれは、子どもたちなりの感謝と憧れの証。騎士はまた速度を緩めると、部下たちに先行するように指示を出すと、馬上から身体を屈め、丁寧に受け取った。


「素敵な花をありがとう、飾らせてもらうよ。」


 騎士の声は柔らかく、子どもたちは歓喜の声を上げる。周囲の大人たちも目尻を緩め、穏やかな笑顔を浮かべた。鎧に映る夕暮れの光は、騎士が市民からの善意と誇りを身に纏っているかのようで、王都の暮れなずむ空気を優しく染めている。


 こうした市民とのやりとりを騎士が逐一欠かさず対応するため頻繁に速度の変更が求められる中でも、第十三騎士団は規律を崩さず、しかし威圧感を与えることなく、行進を続けている。その表情には、騎士の振る舞いを咎めた面倒臭がったりするような色は一切なく、寧ろ彼らが騎士の市民に対する振る舞いを誇りに思っているのが窺い知れた。隊長である騎士への尊敬から自然と隊員たちに市民を威圧しない振る舞いが根付いていることは明白だった。暮れゆく空を背景に、彼らの紋章入りのマントが柔らかな風に揺れ、鎧の金属が燭台の揺らめく炎のように柔和な光を反射している。王都の大通りからやや奥まった場所にある騎士団本部までは、もうすぐだった。


 そして、第十三騎士団は本部広場へ到着する。広場には帰還した騎士たちを迎えるために灯りがともされ、最後の拍手や感謝の声が、彼らを包む。隊員たちは一旦整列を行い、隊長は迷いのない声で部下たちに呼びかけた。


「皆さん、本当にお疲れ様でした! 任務は無事完了です。ひとまず各自解散して休息を取ってください。」


 整列を解いた隊員たちは、敬礼と共に静かな満足感を胸に、それぞれ思い思いの場所へと散っていく。食事を求める者、装備の点検へ向かう者、早く鎧を脱いで汚れを落とし、私室で一息つきたい者。しかし、どの顔にも、達成感と隊長への敬意が浮かんでいる。彼らは、この若き隊長が示す公正な正義を信じ、共に歩むことを誇りに思っているのだ。


 そんな中、騎士も馬から軽やかに降りる。その仕草には洗練された優雅さがあり、長年の鍛錬を物語っていた。

 しかし、そこへ待ち構えていた副官が足早に近づいてくる。彼女は隊内でも有能と評判で、報告書や情報整理を任されている女性だ。政治情勢にも精通し、隊長にとって頼れる右腕であると同時に、彼を危険視している一部貴族たちの動向を密かに気に掛け、常に牽制してくれるほど視野の広い存在でもある。


「隊長殿、お帰りなさいませ。帰還してすぐで恐縮ですが、先ほど上層部から新たな指示が届きました。お時間を頂けますか……?」


 副官の表情は張り詰め、書簡を小脇に抱えている。その身振りが、事態の深刻さを示唆していた。


「分かりました。僕はまだ体力は有り余っていますから、お気になさらず報告を進めて下さい。」


 騎士は穏やかな笑みで副官を促す。副官は息を整え、抱えていた報告書を差し出す。そこには、最近巷で囁かれている酒場での奇妙な飲み比べ勝負についての詳細が書かれていた。


「巷で噂になっていた酒場の件です。飲み比べ勝負で相手から物品を巻き上げる謎の男が問題となっていましたが、いよいよ昨夜は王都の酒場で鍛冶師殿を何度目か打ち負かしたのち、王室から賜った勲章を奪い取ったとの報告がありました。王室の儀式を司っている典礼院は事態を重く見ており、速やかな確保を求めています。」


 勲章。王室の威信を示す品を奪われたことは、単なる賭博以上の意味を持つ。隊長は報告書に目を落とし、脳裏で情報を組み立てる。


「勲章まで……確かに看過は出来ませんね。王室の名誉に関わる問題ですし。」


 低く理知的な響きを帯びた騎士の声に、副官は促すように言葉を重ねる。


「隊長殿、貴族層は短期決着を望んでいます。また、地位や格式を重んじる彼らは、特例的な昇進を果たした隊長殿を常に注視しております。平民出身で騎士団に名を成す隊長殿の動きは、彼らにとって予期せぬ変革の芽ですから。今回のように王室関連の事件で、何か少しでも失敗と看做せる出来事があれば、すぐさまこちらに突っかかってくることでしょう。」


 副官の進言から、自分を取り巻く政治的緊張が背景にあることを再確認し、隊長は静かに答える。


「分かっています。しかし、だからと言って、何が何でも無理矢理に捕らえれば良いと言う訳でもありません。やはり、まずは相手を知ることが重要です。もし不正のない正当な賭けがあったなら、こちらが先走ると不公平に映ります。正義を守るためには、公平さが欠かせません。」


 副官は戸惑いを隠せない。勿論、騎士の信念は理解している。しかし、このような事件で粗探しをされて彼がいまの地位を失っては、それこそ市民たちの平穏は再び損なわれてしまう。


「隊長殿、しかしそれでは上層部の指示が」


 反論しようとした副官を、しかし騎士は柔らかな目線だけで押し留める。


「大丈夫です、慎重に行動しますから。不正がなかったとしても、勲章は正当な形で必ず取り戻し、誤解を解く努力もします。誰もが正義を信じられる世界を守りたいので。」


 そう言って騎士は、副官に花束を差し出す。その花は、先程に子どもたちが渡してくれたものだった。


「一つ大事なお願いがありました。これ、僕の部屋で一番綺麗に見える場所に飾っておいて下さい。せっかく子どもたちがくれた花なんで。」


 ここまで言われてしまっては副官に断る術はなかった。彼以上に平民のことを考えている騎士など他に存在はしないのだから。彼女は柔らかな苦笑と共に頷く。


「……わかりました。お気をつけて、隊長殿。」


 副官の敬礼を背に、隊長は素早く馬に飛び乗り、夜の王都を駆け出した。


 日は既に沈み、夜風が冷やりと肌を撫で始ている。しかし、酒場周辺へと近づくに連れ、街角の明かりが怪しげな影を落とし、普段なら賑わう時間帯とは思えないほど静まり返っていった。騎士は路地の一角で馬を降り、目的地である酒場の入り口へと近づく。


 扉の前に立つ。騎士の眼前にあるのが、目指す酒場だった。普段なら、この時点で店内の喧騒が耳に痛いほどだった。

 しかし、その扉はわずかに開いており、中から漏れる灯りは弱々しい。まるで生気を失った空間のような、その静寂。騎士は深く息を整え、扉を押し開ける。


 そこで騎士が目にしたのは、室内に酔い潰れた者たちが点在し、床や椅子に突っ伏している姿だった。笑い声も歌声もない、異様な沈黙が支配している。

 そして、その中心で、一組の男女が対峙するように立っていた。


 舞台は整った。

 騎士の瞳が惨状を前に静かな鋭さを帯びる中、その夜の物語が動き始める。

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