第5話:聴取/階層構造(3)

 鍛冶屋裏手で倒れていたドワーフの懐から拝借した鍵を使って工房内へと侵入した私たちは、作業用の椅子などを使って即席ベッドを作ると、未だ目を覚まさない彼をそこへ横たわらせて様子を見ながら介抱することにした。


 本来は、恐らく二階にあると思しき寝室まで運んできちんとしたベッドに寝かせたほうが良かったのだろうけれども、だらんと力が抜けたドワーフの体躯は見た目こそ小柄ながらも内実は良質な筋肉の塊であるためか想像していたより三倍以上は重く、三人の腕力では到底そこまで運べそうにはなかったが故の妥協策である。介抱をするために落として怪我をさせてしまっては元も子もないだろう。


 いや、まあ、可能か可能でないかなら、正確に言えば可能ではあったはずだった。但し、それは少年の連れらしき正体不明の男がきちんと最後まで協力的であれば、の話である。


 男は、工房内までドワーフを運び込むや否や、枕代わりのクッションになりそうなものや掛け布団の代用品になりそうなものを探す少年と私を尻目に介抱作業を早々に切り上げると、勝手にそこら中を嬉々とした表情で見学し始めてしまったのだ。


「ふむふむ。これは『実に興味深い』。」


 男は瞳を爛々と輝かせながら好奇心旺盛に室内の様々な道具や設備を眺め、時には自分の手で触れて確認している。これが普通の状況なら、確かに一応の理解も出来る範囲の行動だと擁護も可能だったかもしれない。

 何と言っても、王都でも一番と評判高い鍛冶師の工房。滅多に目に出来る機会などそうは巡って来ないだろう。しかも、職人気質の多い鍛冶師の工房において、主から制限を受けない状態での自由行動ともなれば、本来なら考え得るものですらない。

 

 でも、だからといって、いまはその主であるドワーフが目の前で倒れているのだ。常識的な感性であれば、そちらを気にするのが人の情というものではないだろうか。しかも、鍛冶師が倒れているのが薬を盛られたせいだと言ったのは男自身のはずなのだから尚更である。

 既に鍛冶師からは興味を失くしたかのような振る舞いをして回る男の常識の無さに私は呆れ、ついつい皮肉めいた言葉が口から洩れる。


「お気楽なこと。このまま死んだらどうするんですか、まったく。」


 小さく呟いたその声に対して、こちらには全く興味を示していないように思われた男は、しかし意外にもきっちりとその地獄耳で聞き漏らさずにいたらしく、何てことないような口調ですかさず反論してきた。


「君がそこまで気にすることはないさ。彼が飲まされたのは命に別状があるような、致命的クリティカルな薬物じゃあない。それどころか、私の見立てが正しければそろそろ起きてもおかしくない頃合いのはずだよ。」


「っ! そんな適当な──」


「ん、ううむ……」


 そうして私が食い下がろうとしていた時、ふと鍛冶師を寝かせていたベッドのほうから呻くような声が聞こえる。

 どうやら、本当に男が予言した通り、ドワーフが目を覚ましたらしい。


「ほら、見たまえ。確かに君の言う通り、私はだったようだね。」


 憎たらしい口振りで嫌みを投げ返してくる男を無視して、私は鍛冶師に駆け寄る。


「ここは……知らない天井、じゃあねえな。儂の工房か」


 まだ意識がはっきりまではしていないものの、周囲を見渡して現在地が自分の工房であることを確認している鍛冶師。しかし、ベッドから立ち上がろうとした瞬間に、覚束ない足取りでふらつき、危うく倒れそうになってしまう。


「だ、大丈夫ですか!?」


 慌てて助けに入る私。少年も、それを支えるように駆け寄ってきてくれる。


「す、すまねえ。が、アンタらは一体、誰だ……?」


 鍛冶師は律義に感謝の言葉を述べつつも、自分の工房へ勝手に入り込んでいる正体不明の私たちに対して警戒するように問い掛ける。


「申し遅れました。私は冒険者ギルドで受付嬢を務めている者です。こちらの少年は私の顔見知りで、先程、この工房前でばったり出会って立ち話をしていたのですが、たまたま貴方が路地裏で倒れているのを発見したために、すぐさま協力して保護し、介抱のためには止む無しという判断から工房まで立ち入らせて頂きました。こちら、その際にお借りした鍵をお返しします。」


 それに対して、私は冒険者ギルドの勤務証明バッジを提示しながら経緯と現状の説明をしていく。まだ新人で勤務年数こそ大したことないものの、身元の確かさを証明する物品としてこれ以上のものもそうはない。

 その信頼を盾に、自分がやったことではないとはいえど正直に言えば勝手に懐からピックしたことの気まずさが拭い切れなかった工房の鍵を、畳み掛けるような早さで返しておく。嫌な話ではあるが、万が一にも責められる原因となり得るものは出来る限り早めに手放しておくに限るだろう。

 実際、ドワーフの鍛冶師は私の提示した勤務証明章を見てすぐに納得したようで、懐から鍵を抜かれていたことへの違和感まで思考を巡らせることなく、即席ベッドに再び腰を降ろし直すと、頭を掻きつつ改めて謝罪と感謝の言葉を述べる。


「いやあ、そうだったのか。こいつぁすまねえ。見ず知らずのお嬢さんと坊ちゃんにえらい迷惑を掛けちまったようだなあ。ありがとさんよお。」


「いえいえ、困った時にはお互い様ですから、お気になさらず。それより一体、何があったんで──」


「何、簡単なことさ。酒場で何処ぞの御曹司にでも吞み比べでも挑まれて、そのまま昏倒してしまったと、そういう訳だろう?」


 しかし、そうやって私が最大限に気を遣いながら鍛冶師のドワーフと会話している途中に、こちらには目線をくれもせずに工房の道具を勝手に弄り倒しながら、しかしまるで実際にその目で見てきたかのようにはっきりとした断定口調で男が割り込んでくる。

 この男、もしかして配慮という言葉とは無縁なのだろうか。そんな無遠慮に道具を勝手に触って、工房主が怒りを買ったらどうするつもりなのだろう。


 ただ、驚くべきはそんな男に対する鍛冶師の反応だった。


「な、何で知ってんだあ、おめえ!?」


 命にも等しい商売道具を目の前で勝手に弄られていることへの怒りすら忘れて驚くドワーフの鍛冶師。

 それでは、まるで本当に男が言った通りだとでもいうかのような反応ではないか。しかも、男は自分の発言がまるで大したことではないかのような雰囲気のまま会話を続ける。


「最初に間違いを正しておくと、知ってるんじゃあなく、調べて推理しただけだよ。所謂、『私は何も知りませんよ。あなたが知っているんです』ってやつかな。ただ、私は倒れていた貴方の身体から幾つか証拠を見つけて、彼らから真実を聞かされたに過ぎない。」


 ……。

 沈黙が場に張り詰める。

 その場にいた私は、ポカンとしたまま男のことを見つめる他ない。正直に言えば、もはや目の前で何が起きているのかが分からない。そんな私を置き去りにして、男は淡々と推察の披露を始める。


「先程、私は倒れている貴方の第一発見者となった際、一通り調査を行わせて貰った訳だが、ここで重要なのは二つ。

 一つは、服に付着していた二種類の異なる色の酒。

 最近、貴方は巷で噂になるほど賭けに負けて酔い潰れた姿を頻繁に目撃されていたらしい。そのことは先程、そこの少年から聞き及んでいる。だが、それほど負けても挑み続けるということは、その勝負は何らかの拘りがあるものだったのだろう。王都一番の酒飲みを自称する者が拘る勝負、そんなものは呑み比べ以外にはあり得ない。貴方は他所で負けた鬱憤を晴らすために酔い潰れていたのではなく、そもそも賭けの呑み比べに負けたから酔い潰れていたのだ。そして、恐らく、先程に指摘した二種の酒こそ、昨晩に貴方が酒場で吞み比べをして倒れた際に溢して付着したものだろう。違うかね?」


「いや、いや、違わねえ!」


 鍛冶師は、男の言葉に大きく頷いた。


「ならば、続けよう。貴方の作業服に付着していた二種類の酒は混ざり合わないものだった。それでは、貴方は昨晩、複数の酒を何杯も用いて呑み比べ勝負をしていたのだろうか?

 答えは否だと思われる。それが二つ目の重要な点。

 何故なら、私が倒れている貴方の呼気を確認した際、貴方の息から酒の匂いは殆どしなかった。余程の下戸でもない限り、あんな程度で酔い潰れたりはしない。必然、貴方は昨晩、そんなに何種類もの酒を何杯も吞み比べした訳ではなかったはずだ。」


「それも違えねえ! だ、だがよお、やっぱりおかしいんだよ!」


 男の言葉を真剣に聞いていた鍛冶師が、思わず声を上げる。


「確かに、あんたが言った通り、ワシはここ最近ずっと、酒場で同じ相手に呑み比べ勝負で負けとる! しかも、単に負けた訳じゃあない! たった一杯! これまでは王都で誰と呑み比べしようが負けたことのなかった儂が、いや儂以外にも奴に挑んだ奴の全員がたったの一杯でいつも昏倒しちまうんだよ! 儂は情けなくて情けなくて、汚名を返上するために何度も何度も挑んできた。だが、結果はいっつも同じ、一杯目でダウンしちまうんだ。その内に、まさか儂はもう一生で呑める量の酒をオーバーでもしちまったのかと勝負より心配になってきちまってよ。もう儂は一体、どうすればいいのやら……。」


 最初こそ勢い良く言葉を発していた鍛冶師は、しかし次第に声のトーンを落としていき、最後は殆どもう泣きそうな顔になっていた。

 目の前で成人男性にそこまで落ち込んだ姿を晒されて何も思わないほど無感情でもないけれど、ただただ掛けるべき言葉が見つからなかった。アルコールに口を付けたことはあるもののただただ苦いとしか思えなかった私には、酒飲みの矜持とでも呼ぶべきその感情に、理解が追い付かないのだから仕方がないだろう。

 個人的には、そもそも呑み比べなどしなければ良いと思う。健康にも悪いし。


 そんな私の代わりではないが、男は安堵させるように言葉を鍛冶師へ投げ掛ける。


「いいや、心配いらないよ。君はこれからもまだまだ好きに酒を呑めるだろうさ。」


「じゃあ、どうしてたった一杯の酒くらいで儂は」


「これは既に他の二人には教えたことだけれど、貴方が倒れた理由は酒じゃあない。単なる薬物だよ。」


「な、何だって!?」


 鍛冶師もやはり男の発言には驚いたようで、ドワーフの大声が工房内に響く。


「先程にも言った通り、私は倒れていた貴方の呼気を確認している。その際、本来はするはずの酒の代わりに、微量ながら薬品の匂いがきっちりとしたさ。まあ、私以外なら嗅ぎ逃してしまっていたかもしれない程度の僅かなものだったがね。」


「い、いや、でもあり得ねえ! だって、俺はあいつと同じ酒を」


「大丈夫。その点も既に織り込み済みさ。確かに、別々の酒であれば、貴方も流石に異常な昏倒に警戒をして、無策で何度も賭けに猪突猛進していくなんてことはなかっただろう。であれば、相手方はそれを回避するような方法を取っていることも明白だ。

 そこで、最初の重要な点に立ち返ってみよう。

 貴方の服に付着していた酒は二色。鮮やかな青と黄色。つまり、机の上に二種類の酒が存在していた。しかし、貴方は昨晩、一杯しか酒は吞んでいないと言っている。だとすれば、考えられる正解はこうだろう。机の上に置かれた呑み比べ用の盃には、決して混ざり合わない二種類の異なる酒が一緒に入れられていた。どうだい?」


「そ、その通りだ……!あいつ、どこぞの国の王子だとか嘯いて、鶏の羽根がどうだとか言って、儂らが呑んだことないような綺麗で美味く何より強い酒を用意してやるなんて言いやがるもんだから、つい賭けに乗っちまったのが発端だったんだよ。」


「カクテル、ね。なるほど、概ね想像の通りだったかな。じゃあ、最後の決め手だ。その時、勝負の相手は、もしかしてストローを使っていたかい?」


「あ、当たりだ! あいつ、貴族は平民と同じグラスに口をつけないだなんて気障に気取りやがってよ!」


「なら、答えは簡単だ。まあ、問題は元々、ハウダニットどうやったかなどではないのだが。」


 鍛冶師の話を聞きながら、一人で勝手に納得したかのように頷いている男。


 その様子を見て、私はつい気になって質問をしてしまう。


「ど、どういうことですか? 貴方は、もう謎が解けているんでしょう?」


「え、分からないかね。こんな不可思議な世界で、ハウダニットなどは本質的な問題ではないんだよ。本当に重要なのは、その犯人がどうしてこのようなミステリを作り上げるまでに至ったのか、そのホワイダニット何故やったかを明らかにしなければ、問題を解いたことには決してならない。つまり、本当に解くべき謎とは、事件よりも遥かに前、喩えるならなのさ。」


 私には、まだ男が何を言っているのか、理解が出来ない。

 隣にいた鍛冶師も、概ね私と同じような顔をしていた。

 しかし、男はそんな私たちに構うことなく、いままで弄っていた工房の道具を元の場所に戻すと、何処かへ出掛けるかのように準備を始めた。


「さて、では、私には向かわなければならない場所が出来たことだし、主は……まだ酒場に行くのは早い年齢かな。仕方ない、どうやらまだハウダニットが分かってないらしい二人への説明を兼ねて、主はここに残っていてくれるかい。」


「……まあ、いいですよ。但し、必ず早く帰ってくること。」


 男にそう言われると、子ども扱いされたことに少し不満そうな表情をしながらも、少年は頷いて肯定を示した。まあ、少年が付いて行くと言い出していた場合は、私が止めに入っていただろうけれど。


「よし。じゃあ、早速だが解き明かしに行こうじゃあないか。果たして、この犯人が謎を作り上げるに至った謎とはどんなものか、楽しみで仕方がないよ。」


 そう言いつつ嗤う男の顔は、まるで獲物を前にした肉食獣のような相貌で、やはり常人が関わるべきではないと危機感が叫び出すほどぞっとするような美しさを湛えていた。

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