第4話:再会/階層構造(2)

 新人受付嬢は一人、王都の大通りメイン・ストリートを歩きながら、大きな溜息を吐いていた。


 今日は、駆け出しの受付嬢が待ちに待った初めての完全な休日オフ。声が大きく粗野な冒険者たちに囲まれず、また一部の先輩たちからネチネチお説教されることもない久しぶりの休養日には、本来の想定であれば、日々の中に不足している華やかで楽しい時間を補充が出来るものだと思っていた。


 しかし、蓋を開けて見れば、新人受付嬢は、もはや以前まで休日をどのようにして過ごしていたのかすら思い出せなくなっている自分に絶望するしかなかった。

 研修漬けの毎日が終わって、ようやく実地での職務に就いてみれば、仕事に追われ続ける毎日で満足な娯楽に触れる時間すらなかったのだから、仕方ないと言えば仕方ないのだが、何とも情けなくはある。

 また、学生時代を共にした級友たちも、それぞれ別のギルドに入っており、自分と同じく仕事に明け暮れる毎日を過ごしているらしく、今日だって何人かに声を掛けてみたけれども、どうやら今後も休養日が重なることは滅多にないようだった。

 そうして他人に頼ることも難しくなった私にとって、休日とは、見通しの立たない茫漠とした時間と化してしまったのだ。


 それでも一応、商業ギルドと服飾ギルドに勤めている娘たちの情報から、いま巷に何処かの上級貴族から放出されたのであろう高級品が中古で出回っているという噂を頼りに街へウィンドウ・ショッピングに出掛けてはみたものの、既に噂は一般レベルまでとっくに広まっていたらしく、我先にと品物を奪い合うご令嬢と、そのお零れを狙う町娘たちの修羅場が店外からでも確認が出来てしまった。

 いま、せっかくの休養日にあのような場所へ自ら突進していくだけの気力が彼女の中から湧き上がってくる感覚は身体を隅々まで探したところで微塵も気配がなさそうだった。


 店舗の前で立ち止まった受付嬢は、そんな風に冷めた思考をしてしまう自分の姿が窓に反射して映っているのをぼんやりと眺める。


 そもそも仮にあれらの品々を手に入れられたとして、果たして自分はそれを何処で誰に見せたいと言うのだろうか。

 店先に展示されているマネキンが着ている服をウィンドウ越しに自分のシルエットへと重ねながら、その横にぽっかり空いた空間を埋める誰かを想像しようとして、新人受付嬢は途中で諦めた。

 各ギルドが採用している服の中ではデザインに人気があるほうとは言え、職場では常に冒険者ギルドの制服に身を包んでおり、お洒落に工夫する余地など存在しないと言っても良い。勿論、出来ないことはないけれども、新人の内から派手にやらかして先輩たちに目を付けられたくなどなかったし、数少ない出会いの相手だと言っても、冒険者に対して仕事中に媚びを売るようなつもりはなかった。

 級友たちが勤めている商業ギルドや服飾ギルドであれば話もまた違ったのかもしれないけれども、少なくとも冒険者ギルドへ通ってくるような連中に、細やかな装飾の違いなどを判別が出来るような心遣いを期待することは難しい。彼らが仮に身嗜みで気にすることがあるとすれば、それは自分たちの装備に関する実用性ばかりである。勿論、それは彼らの命に係わることである以上、疎かにさせるつもりはない。寧ろ、だからこそ、他人にお洒落まで気を遣わせることが躊躇われもする。


「まあ、単純に好みの問題もあるけれど。」


 そう呟いた受付嬢は、冒険者ギルドでよく見掛ける、筋肉質な男ばかりで暑苦しい光景を思い出しながら身震いする。受付嬢の好みは、正直に言えば、もっと線の細い男性なのだった。


「就職先、間違えたかなあ。」


 率直に言って、自分には生活を華やかに彩るような出会いの場が存在しないのだ。

 そんな風にここ最近の自分を顧ている時、ふと、先日に出会った少年のことが頭を過る。

 まだ幼い身でありながら、パーティーからの追放という、それだけでも心に充分な傷を負うだろう事態に陥った上で、更にそのパーティーが壊滅した後の遺体確認までさせられた銀髪の少年。

 年齢で言えば実家の弟たちとそんなに変わらないだろうに、彼の置かれた環境は、余りにも過酷すぎるように受付嬢には思われた。

 そんな彼がギルドを訪れた時、新人が扱うには手に余る想定外の状況でパニックになった自分は満足なサポートをすることが出来なかった。ただひたすらにマニュアル通りの手続きをして、去って行くのを見送っただけ。そのことが彼女の中でしこりとなって残っており、いまも悔やまれた。


「あの少年、いまどうしてるんだろ。」


 冒険者業界で忌み嫌われる屍操術士ネクロマンサーは、パーティーを組むことすら難しい。もしかしたら失意のまま故郷に帰ってしまった可能性だって充分ある。そうなってしまえば、この先あの少年と会うことはなくなり、必然、己の失態を取り戻す機会も二度と巡ってはこないかもしれない。


「出来るならもう一度だけでも会いたいけれど……。」


 そんな祈りにも似た独り言が後悔の念と共にぽつりと受付嬢の口から洩れた、その時だった。


 窓に映っている自分の後ろを、いま思い出していた少年とそっくりな姿が通るのを受付嬢の視界が捉える。


(えっ!?)


 最初、受付嬢は余りにも彼のことを考えていたが故に、幻でも見たのかと、自分の目を疑った。だが、慌てて振り返って実像を見ても、そこにいるのはやはりあの少年であるようだった。

 嬉しさのあまり、咄嗟に受付嬢は自分で思っていたより遥かに大きく響く声で彼を呼び止めてしまう。


「少年!」


「えっ? ああっ」


 そんな彼女の声に、少年も驚いて立ち止まって振り返った。少年も、受付嬢を見た瞬間にその顔を覚えていたようで、同じように驚愕している。その反応から、やはりあの時の少年で間違いないと、受付嬢は確信する。


 急いで駆け寄った受付嬢は、少年のまだ小さな手を取ると、思考が纏まらないまま矢継ぎ早に言葉を繰り出してしまう。


「あれからどうしてたの、一人で大丈夫、こんな所で何してるの──」


 その勢いに押された少年は、上手く言葉を返すことが出来ずに戸惑っていた。


「あ、あの……」


「……少年?」


 少年の反応に、受付嬢は少し首を傾げる。それを見て、彼は小さな声でそっと囁くように何とか要求を絞り出した。


「い、一旦、手を離して貰っても……?」


 そうして気恥ずかしそうに顔を少し赤らめながら少年が目線で指し示した先に目をやり、自分が両手で彼の手を夢中で握り締めていたのをようやく認識した受付嬢は、少年よりも更に顔を赤らめながら慌ててその手を離す。


「も、申し訳ありません! 私、兄弟たちがいるものだから、つい同じように接してしまって……」


「い、いえ! 僕も別に、こんな人の多い大通りで大人の女性から手を握られるのが恥ずかしかっただけなので……」


 少し距離を取った二人の間で、微妙にぎこちない会話が交わされる。

 そうして多少なりとも冷静さを取り戻した受付嬢は、改めて積もりに積もっていた想いの内を口にしようとした。


「本当に申し訳ありません。取引相手である冒険者に対して適切とはとても言えない接し方をしてしまいました。先日の手続きに関するお詫びを述べようとしたはずが、更に恥を上塗りする失態を重ねてしまう不始末。この上はギルドに報告も当然のこととして受け止めて」


「え、お詫び? え?」


 しかし、口調をただした受付嬢が言葉を最後まで言い切る前に、少年のほうは再び混乱に陥る。

 彼は、その疑問を素直に言葉として吐き出す。


「ちょ、ちょっと待って下さい。先日の手続きに、何か問題なんかありましたか? 僕の認識では、聞いていた形の通りに、ちゃんと遺体の確認が出来たと思っていたのですが……」


「マニュアル通りに言えば、そうかもしれません。しかし、あの時、私は貴方と共に安置所へ赴いて、一緒に遺体の確認をするなどの対応だって出来たはずでした。遺体確認をして貰うにせよ、相手をもっと気遣えたのではないかと、あれから私はずっと悔やんでいたのです。」


 少年の問いに、受付嬢は至って生真面目な返答を述べる。


 その言葉に一瞬だけ少年は謝罪した受付嬢よりも遥かに申し訳なさそうに罪悪感を噛み締めるような顔をするも、しかしそれをすぐさま引っ込めた。


「……いえ、そのような気遣いであれば無用です。若輩の身とは言え、自分も一応は冒険者登録を済ませた人間ですから、他の方々と同じように接して貰えたことが寧ろ嬉しかったと感じていたくらいですよ。」


「そ、それは……」


 少年の言葉に、受付嬢は反論することが出来ない。確かに彼女がいま言ったのは、相手を一人前扱いしていないのと同然の内容だったとも言える。


「一方で、いまは僕も完全に冒険者パーティーからは籍が外れた状態ですから、僕と貴女の間に業務上の関係性はないですし、もうそんなに丁寧な接し方をされなくとも問題ないです。寧ろ、こんな道端で年上の女性にそんな対応して貰うほうが、周囲の注目を集めてしまって、僕の中では困っているっていうか。」


 しかも、毅然とした態度で指摘をした上で尚且つ、更に先程の馴れ馴れしい態度に対するフォローまで用意する少年の、年齢にそぐわない器に受付嬢は改めて驚いた。

 実際、いま少年から促される形で受付嬢が周囲の様子を確認すると、先程の大きな声で耳目を集めてしまっていたらしく、何人かが何事かと歩みを止めて二人のことをまだ注目しているようだった。


 ここまで大人びるには、一体、どんな育ち方をしたのか、冒険者になるよりも前の環境に新たな疑問も生まれるが、そこにいま踏み込んでしまえばもう取り返すことの出来ない三度目の失敗を続け様に犯しそうな予感がある。

 受付嬢はぐっと己の興味を抑え込むと、今度こそ適切な距離感を保ちつつも相手に対して一般的に年相応であろう接し方で少年に微笑みかけた。


「……畏まりました。いえ、分かったわ、少年。」


 些かまだぎこちなさが残るものの、近すぎず遠すぎず、自然な雰囲気を取り戻した二人の会話。その光景は、先程までのように周囲から浮き出ることもなく、さながら仲の良い美形の姉弟かのような初々しさがあり、街の風景に埋没し得るものになっていた。

 そんな様子を見て、先程の大きな声で周囲から集めていた注目も特に問題が起きたようではないと判断した人々も次第に離れていくと、大通りにはようやく元の流れが取り戻される。


 それを見届けてから、改めて、ようやく自然な形で謝罪を口にする受付嬢。


「ほんと、御免なさいね。」


「いえ、さっきの言葉からも、本当に心配してくれていたんだってことは充分に僕も理解していますから。」


 それに対して、今度は少年も恥ずかしがることなく返答する。


「うん、心配だったのは、ほんと。だって、君、パーティーから追放されてから一人でしょう? 幾ら王都とは言え、まだ若い子が一人でいたら危ないじゃない。勝手に調べたけど、冒険者専用宿舎なんかも利用していないみたいだったし……」


「え、いや、一人じゃあないですよ。ほら、ここに連れが……って、あれ?」


 受付嬢の言葉に対して反論しようとした少年には連れがいたらしいのだが、しかし彼の中では自分の横にいるはずだと思っていたその人物がいつの間にかいなくなっていたことにようやく気付くらしい。


「何処に……、あ!!」


 周囲を慌てて確認していた少年は、探していた対象を見つけたらしく、呼び止める間もなく駆け出す。彼が向かった先は、明るく人の行き交いも多い表通りからは目の届き辛い、一歩でも踏み込めば陽の光が届かず暗く湿った闇の広がる路地裏。


 一切の迷いなく路地裏へと入っていってしまった少年は、受付嬢が想像をしていたよりも驚くほどに素早く、たまたま運悪く行き交う人の波に阻まれてしまった彼女は呼び止めようと叫ぶ他ない。


「ちょ、ちょっと待って!」


「すぐそこですから!」


 そう言われ、仕方なく急いで彼の後を追う受付嬢。


 実際、少年は路地裏に入ってからそんなに距離の行かないところで立ち止まってはくれていた。


 普段の机仕事が祟って運動不足気味な受付嬢は、動き慣れていない身体でいきなり走った身体が空気を欲してするのに従って大きく息を切らせながら、一歩ずつ少年の近くへと寄っていく。


「もう、急に走ってい、かないで、よ……」


 一歩、一歩、進む度に目も暗がりに慣れていき、少年の向こうに隠れていたものを少しずつ視界が捉え始める。

 しかし、立ち止まった少年の肩越しに覗き込んだ先に待ち受けていたのは、受付嬢の想像していなかった光景だった。


 まず、倒れている体躯の短いドワーフ。王都でも有名な鍛冶師の男だ。

 本来ならば、誰かが倒れている姿など、それ以上に注目を集めるものはないはずの事態。

 しかし、本当に受付嬢の目を惹いたのは、それではなかった。

 倒れているドワーフのすぐ傍に、その男はいた。まるでこの世のものとは思えないほどの美貌をした男は、しかしそれが汚れるのを気にも留めず、さながら野犬の如く殆ど地面へ這いつくばるような形で鼻をドワーフに近付け、臭いを嗅いでいたのだ。


「ひっ」


 余りに異様な光景。受付嬢から見て、少年だって充分に美形だった。しかし、男はそれすらも霞むほどい艶美な空気を纏っている。また、手足も長くスタイル抜群。

 しかし、それだけ男が美しいからこそ、それに全く似合わない振る舞いが、余計に際立って、ぞっとする。受付嬢の口から思わず悲鳴が洩れた。


「おや、遅かったですね。お嬢さんフロイラインとの挨拶は終わったのですか。」


 しかし、そんな受付嬢の反応も気に留めず、男は軽い調子で言葉を口にする。


「ええ、貴方が僕に何も告げずにあの場を離れてくれたお陰様でね。」


「おいおい、拗ねなくてもいいじゃないか、マスター。こちとら気を遣ったつもりだったんだけれどね。」


「拗ねてません、怒っているだけです。」


「ははは、そうか。それは失礼したねえ。」


 それに対して、少年も特に怖気づく様子はなく、普通に対応している。


 まさか、こんな男と少年が知り合いだとでも言うのだろうか。まさか、これが仮に弟たちと年齢も殆ど変わらないだろう少年の言っていた連れだとしたら。想像をしただけで、受付嬢は眩暈に襲われた。


 そんな彼女を気にもせず、少年と男は二人で会話を続ける。


「それで? 死んでるんですか、その人。」


 唐突に少年が口にした不穏な言葉に、新人受付嬢は身体をびくりと震わせる。それは、先程まで自分と和やかに談笑していた少年から放たれたものだとは到底思えないものだった。

 ただでさえ動揺していた受付嬢の混乱は加速する。


「いいや、死んではいないね。眠っているだけだよ。ちゃんと息もしているのは既に確認済みさ。」


「なんだ。じゃあ、酷く酔っ払ってそのまま寝てしまっただけって話ですか。大したことはない」


「いいや。残念ながら違うんだ、主。」


 混乱する受付嬢を置いてきぼりにしたまま続けられる会話の中で、少年の言葉を、男は予断なく否定した。

 そして、きっぱり、しかし容易に断定するべきでないはずの衝撃的な事実を何ともないような表情で言い切ってしまう。


「これは、きちんとした事件だよ。だって、彼、んだからね。」


 その言葉に、受付嬢は耳を疑った。


「そ、そんな、どうして」


「おっと、それについては、後でゆっくり話そうじゃあないか。それよりも、まずは彼を家の中まで送り届けてあげるほうが先決だと私は思うね。そうじゃないと、幾らここが暗くて寝るのに適しているとは言え、風邪を引いてしまうかもしれないじゃあないか。」


 男の発言は、常識的なのか常識外れなのか、それすら最早よく分からない。正直、受付嬢は付いていくだけで精一杯だった。

 ただ、一つだけ理解ることがある。


「でも、どうやって家に入るんです? 確かに、その方の家はすぐそこですが、扉に鍵はちゃんと掛かっているようですよ。」


「ふむ、密室か。簡単さ。」


 そう言うと、男はまるで自分のポケットに手を突っ込むような自然さでドワーフの服をまさぐると、その中から一本の鍵を取り出した。


「ほら、この通り。」


 それは、どう考えたってこの男が少年の教育に悪い、ということだった。

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