第3話:初推理/階層構造(1)

 さて。

 と、ひとまずそれらしい導入を置いてはみたものの、私が少年と運命的な出会いを果たしたからと言って、それだけで自然と饒舌な語りがいきなり出てくる訳もなく。

 何しろ、どんな探偵だってまずは準備段階を踏んで情報を集めなければ、そもそも切る手札が存在しないのだから当然だ。

 大体、「名探偵、皆を集めて、さてと言い」とは一体、誰の言葉なのであろうか。どうにも記憶が朧気で、はっきりとしない。探偵が皆一様に、多くの人目に晒された中で饒舌に喋ることを好むとは限らないのに、好き放題に杓子定規を当て嵌められてしまっては、困惑してしまう者が現れても致し方のないことではなかろうか。

 私のように、寡黙な探偵がいたとしてもおかしくはないというのに。


 まあ、冗談はさて置くとしても、そもそも特に私の場合は、些か特殊な生い立ちが問題を複雑怪奇にしていると言えよう。何故なら、そもそも私には呼び起こすための起源となる、これまでの記憶そのものが最初から存在しないのだから。

 私の身は、一般的な人間および屍徒と違って、父と母から産まれたものではない。故に、私には本来であれば誰にでもあるはずの幼かった頃などといったものがなく、必然、そこからここまで成長を遂げる期間に過ごしたはずの記憶というものも言葉通り全く存在しない。仮に自己紹介をしようと思っても、私には幼少期を過ごした故郷、共に釜を囲んだ友、憧れた夢、破れた初恋、語り得ることの一切合切が皆無なのだ。

 私は、最初からいま此処にある私として、既に完成された状態で、この世界に造り出されている。或いは、寧ろ私はまだ私として産まれたばかりの赤ん坊だとも言えるかもしれない。

 まあ、身体ばかり大きな子どもというのもなかなかに厄介な存在でしかないので、己の精神衛生的には出来る限り前者だと捉えておきたいものだけれども。


 兎にも角にも、そのような私から零れる言葉もまた、基本的には私が人生を過ごす中で得てきた含蓄から産まれるものではなく、私の頭脳に最初から蓄積されていた、文字列として並び得る無限の可能性内からただ単に引用しているに過ぎない。いまも私は何を産み出すでもなく、最初から存在し得る文字列を引用している。ただ、その範囲が、普通よりも少しばかり広く、可能世界の全てに渡って設定されているというだけ。

 実際、私に許されている数少ない能力の中で特筆すべきものがあるとすれば、これ一つと言っても良いかもしれない。まあ、能力と言えるかどうか、怪しいところではあるが。何と言っても単なる引用である以上、自分だけの能力とは言い難いのも事実なのだから。

 一応、他にも能力を与えられているには与えられているけれど、それだって正直に言えば、一般人でも努力次第で何とでもなる範疇でしかない。例えば、どうやら私は拳闘に関して言えばプロ級らしいのだが、現実にプロの拳闘士がいる以上、彼らと大差がある訳でもない。有り体に言ってしまえば、代替可能なのだ。


 そういう訳で、空虚な私には、自ずから語り部の役割を担おうとしてもなかなかに難しい障害がある事実を謙虚に認めねばならないと、まず自戒を込めて記すことから始めてみた次第である。どうだろう、これでも一応の自己紹介にはなるだろうか。


「『個性とは傲慢な心には知られないようなものである。それは反省のみが与り得る知識であり、しかして反省は謙虚なる心においてのみ可能である。』」


「誰の言葉です? というか、どうしました?」


「さあ。いつも通り、ふと思い浮かんだ言葉を引用しただけだから。心配はいらないよ、マスター。」


 いけない、いけない。いつの間にか思考が頭から飛び出し、独り言のように溢れてしまっていたらしい。どうやら私は何かに集中してしまうと、周囲のことをさっぱり忘れて常識外れの行動を取る悪癖があるようだ。これもまた、自戒が必要な部分かもしれない。


 そうして反省する私の前には、先程の問いを投げた声のである少年が、人混みを掻き分けながら、時折ぴょこぴょこと飛び跳ねるようにしてこちらを振り向き、手を振ってその小さな姿を私が見失わないように歩いていた。こちらは今度こそ文字通りの子どもである。

 彼は、私の返答に「その主って呼び方、何とかなりませんかね? 少なくとも人の多い表で言うのは避けて欲しいなあ。変な目で見られちゃいますから。」と言うと、再び私を導こうとするようにして、ぴょこぴょこと銀髪を揺らしながら歩き出す。


 一見するとその無垢な姿は、何も知らない者からすれば微笑ましい光景であるかのように思われるかもしれない。

 しかし、侮るなかれ。彼こそが、私という異物を、何人分もの人間の骸を継ぎ接ぎして造り出した恐るべき子どもアンファン・テリブルである。末恐ろしいとはこのことに違いない。或いは、世も末だろうか。


「主、はぐれたら大変だ。手でも繋ごうか?」


 そんな少年に向かって、私は問いを投げ掛ける。


「ええっ、嫌ですよ。そんなの、子どもみたいじゃあないですか。」


 私の提案に即答する少年。その意地の張り方は、少し子どもっぽくて、僅かながら頬がニヤけてしまう。

 とは言え、私が心配しているのは、少年のことではない。寧ろ、私のことなのだ。鍛冶屋を知らない私からしてみると、こんな人の行き交いが激しい大通りで一度でもはぐれてしまえば、すんなりと合流することは極めて難しいのだけれども。

 とは言え、あんな勢いで否定されてしまっては、反論を続けて誤解を解くのも些か面倒だと判断した私は、続きの言葉を飲み込んだ。

 私は、聞き分けの良いサーヴァントなのだ。


「それに、目的地はもうすぐそこですよ。」


 そんな私に、少年はすぐそこの建物を指差しながらそう告げた。その先には、槌の紋様が彫ってある看板を掲げた建物が立っている。


 ちなみに、私たちがいま何処へ向かっているのかと言えば、私に必要な各種装備を新たに整えるために、王都の大通りにある冒険者御用達の店舗回りをしているところだった。

 いまのところ、入手したもので最もお気に入りなのは外出の多い冒険者にとっては必需品である外套の中から選んだケープ付きのコートで、その次が狩猟用の鹿撃ち帽であった。前者はインヴァネス・コートと何処かの可能世界で呼ばれており、後者はシャーロック・ハットと呼ばれることもあるそうだ。


 そして、いま向かっているのは、少年曰く、王都で活動する冒険者の中では有名な鍛冶屋らしい。


「その鍛冶屋はドワーフが経営してまして。ドワーフは人に括られる種族の中で最も腕力に優れ、その力を存分に振るって鍛冶を行うことを得意としています。中でも、王都に長く店を構えている彼は、加工技術だけで言えば右に出る者はいないのです。ただ、一つだけ問題点があって──」


 事前に、少年から告げられた鍛冶屋店主の問題点。

 それは、極めて気難しい、ということらしかった。


「出来ればそこで武器と防具の調達をしたいのですけれど、機嫌が悪い時なんかだと話を聞いて貰うことも出来ずに追い出される場合もあるとかで……こればかりは天に運を任せるしかないかもしれません。」


 なるほど。そんな経営方針でも王都で潰れずにやってこられたのであれば、確かにそのドワーフは鍛冶師としての腕は一流なのだろうことも納得が出来る。とは言え、運に任せるようなことはしようと私は思わないけれども。


「そういえば、店主の機嫌は何に左右されるのかね?」


 私は、ふと思い出したかのように、前を行く少年に質問した。


「ドワーフという種族の特徴として挙げられるのは、鍛冶師として優れている点だけではなく、皆が大の酒好きということです。そして、酒場に付き物と言えば賭け事。ですが、賭け自体はその日の運に拠るので、ドワーフだけが賭けに強いという特徴は存在しません。必ず、負ける日もあります。それで、賭けに負けた翌日は機嫌が悪いそうです。ただ──」


 質問に答えていた少年が、そこで一旦、言葉を区切る。そして、それに続けて彼が口にした言葉は、私にとってはなかなかに興味深い内容だった。


「何故か近頃は特に負け続けているらしく、噂だと余りにも賭けに負け続けるせいで自棄っぱちになって酒を飲みすぎているのか知りませんけれども、街中で倒れたまま寝ている彼の姿を最近はよく見掛けるとか。そういう日は、もう絶対に仕事の依頼を受けてはくれないらしいです。」


「ふむ。その店主は酒に弱いのかな。」


「いえ、そんなことはないはずです。酒好きの多いドワーフは普段から信じられないほどの量を呑んでも一向に酔い潰れたりしないことで知られていて、実際に、以前の店主は王都一番の酒飲みを自称していたほどだったとか。」


「なるほど、ねえ。」


 と、私は頷いた。


「? 何か、気になることでも」


 そんな私の反応に、少年が立ち止まって問い質そうとした、その時だった。


 二つの発見が同時に生じる。


 一つ目。


「少年!」


「え? ああっ」


 突然の声に少年が振り向くと、そこにいたのは、以前に彼が会った時とは異なる、私服に身を包んだ新人受付嬢だった。

 ウィンドウ・ショッピングをしていたらしい新人受付嬢は、少年へと駆け寄ると、どうやら心配していたのか、あれから問題なく生活が出来ているのかどうか、などの質問を続け様に投げ掛ける。

 それに対して少年は、冒険者ギルドで彼女が新人であることに付け込んだことへの後ろめたさに加え、これまで冷遇されてばかりいた反動もあるのだろう、己のことを気遣ってくれる相手からの言葉にいたく心を打たれ、真摯に受け答えをしていた。


 見目麗しい二人が王都の大通りで会話に華を咲かせる様は、まるで仲睦まじい姉弟かのようで、周囲を行き交う人々からは、表通りを彩る微笑ましい風景の一つとして捉えられている。


 しかし、二つ目の発見は、そのような煌びやかで明るい表通りの光景とは正反対の、陽の光が届かず人目に付き辛そうな暗い路地裏にあった。

 発見したのは勿論、私だ。

 私は、そっと少年の元を離れると、対象に駆け寄る。

 そこに倒れていたのは、一人の男性だった。

 短めの体躯に、太く発達した腕、見事に生え揃った髭。

 服装はいかにも職人風だが、異様に着崩れており、所々に二種類の酒をこぼしたような跡があった。

 男が倒れているのは店舗の裏口が面している路地で、その店舗の表側に掲げられている看板は、少年が指を差していた槌の紋様が入ったものだと記憶している。

 つまり、先程までに少年と交わした会話などから察するに、この男こそが、我々の向かっていた鍛冶屋の店主であるドワーフなのではないかと、推察が出来る。

 すぐさま脈と呼吸を確認すると、亡くなっている訳ではないらしく、ひとまず私は安堵した。

 ただ、気になる点も、ある。

 例えば、呼吸に酒臭さが殆どない点。

 見た目は明らかに酒場帰りの男が、ギリギリまで辿り着いておきながら裏口の鍵を開ける前に酔い潰れてしまった姿だが、普通ならこうはならない。


「なるほど、なるほど。」


 これは、立派な一つの謎である。

 謎を目の前にして、次第に集中力を発揮して自分の感覚が鋭敏になっていく。こうなってしまっては、もはや語り部などという役目を担うことすら煩わしい。そもそも既に述べた通り、空虚な私には荷が重い、似つかわしくない役割だったのだ。

 であれば、これからの私は己の果たすべき探偵としての職務を全うするのみ。

 そうして、私はただ一人、謎と向き合い始めた。


 語り手なんて、そんなもの誰か他の物好きにでも任せておけば良いのだから、と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る