るーちゃんの通学路

梓稔人

るーちゃんの通学路

 僕がるーちゃんに初めて出逢ったのは大学の講義の場でした。ですから、それ以前の、るーちゃんのことはよく知りません。けれど、何となくですが、彼女は生まれた時からその鷹揚なおっとりした性格は変わらないままに大学生になって、僕と出逢ったような気がします。僕は文章を書くことを今までしてこなかったので、話を上手く書けるかわからないです。でも、るーちゃんの生き生きした生活を形にしないのは、あまりに勿体ない気がするので、こうして下手なりに書いてみようという試みです。どうしてるーちゃん本人が書かないのかと言うと、彼女は「固定される」のが嫌いだからです。僕は彼女が事あるごとに「それはねえT君、凝り固まっとるよ」と助言的なものを言ってくる度にその意味(凝り固まる、固まる)について考えてきましたが、いまだに意味はよくわかっていません。足りない頭で考えたことを披瀝するなら、るーちゃんは縛られることが苦手なんだと思います。学力は私立大学の最高峰であるW大学に届くと言われながら、受験勉強に縛られるのが嫌だからと単身で日本を一周し、結局は関西の有名私立大学の一角を担うこの大学に進学したあたりに、それがあらわれているのではないでしょうか。ですが、るーちゃんはそう言った偏差値だとかネームバリューとかは気にしないのです。けれどもたった一つ、人生が「縛られている」と感じる時には全力で抗議するのです。僕はそんな彼女が好きです。正直言って僕とるーちゃんは恋人くらいの深い関係にあると思いますが、僕が告白してもまず確実に彼女は断るでしょう。

「T君との関係が凝り固まっちゃ嫌なんよ」

彼女はきっとそう言うと思います。




 るーちゃんは姫路で生まれました。子供の頃は野山を駆け回り、獣道に入ってそのまま迷子になる人だったそうです。普通の子供は山の中で迷子になったら泣いてしまうでしょう?るーちゃんは違います。彼女は迷子になったことがわかると、「森の中で生きてくしかないんやな、わたしは!」とそのまま頂上まで登って、「家」を作っている最中に消防団で結成された捜索隊に発見されたそうです。恐ろしく行動力がある人なのです。中学生の時には(特に理由もなく)家出すると宣言して、札幌の叔父さんの家までヒッチハイクしながら行ったそうです。るーちゃんが意気揚々とそういった類の話をする時、僕は今更ながら「危ないよ!」と突っ込んだりするんですが、るーちゃんは

「T君は真面目すぎるんよ!でも、、ちゃんとそういう対策はしてたんよ?自由には責任が伴うものやからね。やから安心して!」

と高らかに言うんですが、危なっかしいので今後るーちゃんがそういった行動を起こす時は僕が見張っていようと思います。危なっかしいで思い出したのですが、るーちゃんはよく転んでしまいます。何もないところで転びます。絆創膏も貼らないので、膝は擦り傷だらけになってしまいます。三限終わりに大学生協前のベンチで彼女の膝に絆創膏を貼るのが僕の日課です。

「T君は何だかお母さんみたいやね。私の膝なんか気にせんでいいのに」

彼女は決まってそう言いいます。

「自分の身体は大切にしないとね、るーちゃん。怪我なんかで縛られるのは嫌でしょ?」

僕も決まってそう言います。




 話がそれてしまいました。僕は話が長くなるのがあまり好きではありません。なぜって、あっという間に過ぎ去っていく情熱的な生き方をするのが、るーちゃんだからです。さっき言ったように受験生の時彼女は日本を一周したそうですが、一番気に入ったのが、京都だったそうです。だから彼女は京都のこの大学に進学したのでした。そして「面白そうだから」という理由だけで、違う学部の講義を受けに行って、僕と出逢ったのでした。

 ここまでるーちゃんの半生を振り返って、皆さんが、彼女は面白いだなと少しでも感じていただけたら、嬉しいです。これから、僕がどうして書くことが苦手なのにも関わらず、るーちゃんの話をしようと思ったのか、本当に書きたいところを下手なりに記してみようと思います。




 答えは単純で、るーちゃんのある話に僕はとても励まされたからなのです。その頃僕は研究が上手くいってませんでした。研究仲間(僕を含めて五人でした)は僕一人に全てを任せていながら、僕が苦心して作った発表案に文句ばっかり言ってくるのです。僕は怒りを通りこしてやるせなく、唯々諾々と彼等に従い発表案をシュレッダーにかける自分が情けなく、大学を辞めてるーちゃんと同じ学部に入りなおそうかと本気で考えていました。研究の発表まで一週間になった頃、僕はるーちゃんに誘われて大学生協のいつものベンチに座って「お茶会」をしました。るーちゃんとはしばらく話せていなくて、少し緊張しましたが、その時のるーちゃんの誘い文句が面白くて、今でもくすっと笑っちゃいます。そして笑った後は、頑張ろうという気になるのです。

「絆創膏貼ってよ!T君」




「るーちゃん、ごめんね、僕さ今時間なくてさ、これ貼ったら戻っていいかい?」

僕が言い終わらないうちに

「だめ」

と言って僕の腕を離してくれませんでした。その日は夏の終わりごろだったのですが、暑さは影を潜めて、冷たい風が頬を掠めていくような日でした。散った花びらは茶色に醜くなってしまったことを悲しんでか、空に舞い上がっては墜落することを繰り返していました。僕はるーちゃんが自分の決めたことに関してはとことん頑固なのを知っていましたから、観念してあったかいほうじ茶を二人で飲むことにしました。

「T君さ、私の通学路の話さ、してもいい?」

「良いよ」

「少し長くなるんやけど、、、」

「珍しいね」

「そんな日もあるんやよ」

彼女はそう言って白い八重歯をきらきら輝かせながら笑いました。彼女の横顔はいつもより美しく、あどけなく見えました。彼女の透き通った瞳は真っ直ぐ前を向いていました。

「まあ、このほうじ茶を飲み干すまでなら」

僕は言いました。




「私はね、この大学に通うためにさ、朝五時くらいに起きて、山陽電車で三宮まで出て、そっから阪急神戸線を使ってね、十三で京都線に乗り換えてここまで来てるんよ。なんでそんな遠くなのに、下宿しないんやって皆から言われるけど、私は通学路がとっても好きなんよ。例えば、円町から大学までを歩いてると途中で小さな路地があるの。猫を追いかけててさ、偶々見つけたんだけど、なんだかそこは懐かしい匂いがしてね。牛乳パックで作った風車とかあってね、風が吹くとみんなくるくる~って回ってさ、可愛かったなあ。しゃがんでずっと見てた。そしたらおじいさんが出てきて、『何してるんや』って聞いてきたの。私が猫を追いかけてたら可愛い風車見つけたんでずっと眺めてましたって言ったら、おじいちゃんめちゃくちゃ笑ってさ、『若いのに面白いことをする』って、家に招かれちゃったの。おじいさんは古本屋さんだった。経営とかはわからんらしくて、たぶん赤字なんだろうけど、死ぬまで続けたいんだって。どうして?って聞いたら、『本屋さんがあるってことが重要なんや』って言ってた。『今の時代は紙離れ本離れだって言われてて、確かに大部分の人はそれに適応して生活してる。それに異議を申し立てるなんてことはしない。けれど、俺みたいにいまだに本は紙でなくちゃと思ってる人もいるんやな。本屋なんて無駄やちゅう人もおるが、俺みたいなんがいる限り、本屋はありつづけなあかんし、必要なことなんや』素敵な考えや思わへん?

 北野の天神さんのあたりにな、ユリが植わってあってさ、風が吹くとバレリーナみたいに踊ってくれるんよ。白くて小さくて、黄色いブローチでおめかししてて。ちょうど幼稚園の子らがお散歩してて、私のとなりで『きれいやねえ』『きれいね』って言ってるんは本当に可愛かった。私さお花で指輪作るん得意なんやけど、ユリの隣で咲いてたペチュニア(これも小さくて可愛いよね)でつくったやつを幼稚園の女の子にあげたら向日葵みたいな笑顔で『ありがとう!』って。うれしかったなあ。

 でもね、最近は忙しくなっちゃってね、T君みたいに研究してるわけじゃないけど、レポートの提出とか教職課程の課題とか、資格試験の勉強とかでさ。それに加えて私は遠くから通ってるから五時起きで、資格勉強のために大学に残って勉強してると気がついたら夜の十時とかになってて。疲れちゃってたんだと思う。電車で寝過ごしちゃって、講義に遅れちゃったの。今まで無遅刻無欠席で頑張ってきたのになんでって、自分が許せなくて、絶対間に合わないのに必死になって円町から大学までの通学路を走ったの。忙しくなってからはバスで通ってたけど、その日は焦ってて、ひたすらに走ったんだ。でね、足がもつれてこけちゃったの、、あの時は痛かったなあ。スカートが破けちゃって、講義にも遅れちゃって。我慢できなくて泣いちゃった。ちょっとやそっとじゃなくて盛大に泣いちゃったの。そしたら、『どうしたどうした』って古本屋のおじいちゃんが出てきたの。私は気づかないうちにあの路地のところまで来てたの。それでさおじいちゃん見てまた泣いちゃった。多分安心したんだと思う。

 おじいちゃんに抱き起されてハンカチで涙吹いてるときに、ふと目の前にタンポポが咲いてたの。植え込みに隠れてたそれは目立たなかったけど、照りつける夏の日差しに負けないできれいに咲いてたの。私は今まで気づかなかったなあって妙に感心しちゃった。

 真っ直ぐに駆け抜けるっていう生活は素晴らしいと思う。けど、あの時の私はどこを目指していたのか忘れちゃっていたのに、無我夢中で霧のなかを走ってた。私が自分で決めたことやからって頑張ってきたけど、考えてみたら、真面目に生きなさい、がむしゃらに生きなさいって自分で自分を縛ってたんやないかなって。それじゃきっとゴールには辿り着けない。私は全ての頑張っている人たちが途中で立ち止まって休憩してさ、タンポポを眺めるべきだと思うの。T君もそう。休憩してたら、霧が晴れるかもしれないじゃん。だからもう少しT君を離さない。T君がタンポポを見つけるまで私はT君を離さへん」

僕は照れくさそうに話するーちゃんを暫く眺めていました。足元で蝉の死骸が蟻たちにせっせと運ばれていました。

「どこにあるんかなあ、タンポポ」

僕はそう言ってから二三度ほうじ茶を飲みました。瑞々しい味がしました。

「案外近くにあるかもね」

僕はタンポポのありかがわかっていましたが、言うのはよそうと思いました。そのタンポポは天真爛漫で、僕の隣で生き生きと咲いています。

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