エンディング
10
私は水を貰った。良く冷えた、ミネラルウォーターだった。
「その人は、今どうしているんですか?」
よく見ると良い男だけれど、そういった外見的良さにうんざりしている(かつ、自分でそれを自覚しきっている男には)私は、彼の問いに曖昧に頷いた。
「毎朝三時に起きて海に出ているよ」
「彼はどうして、急に漁師になったんですか?」
「学歴がいらないからだよ」
「それは違いますよ、だって死ぬつもりだったんでしょ?」
突然、煙草が吸いたくなった。亨と旅して以来、時々、それこそ年一回くらいのペースで吸いたくなる。その度に煙草とライターを買って、二〜三本吸ったら捨てている。ライターは実家の仏壇に置きにいく。線香に火をつけるときに使うから。
「ねえ煙草ある?」
「ありますけど、ここは禁煙ですよ」
「そう、じゃあ仕方ない。ねえ最後に一つ、私、今は漁師になった彼とセックスしたと思う?」
彼は黙ってしまった。考えているんだろう、でも考えるまでもないこと。彼が考えている間に私のスマートフォンが鳴る。待ち人が来た。
「来たみたい、楽しかったよ。じゃあね、またどこかで」
私は金を払って店を出た。彼はまだ私の問いに考えていて、私が店を出たことに気がついていない。
どうして店で待ち合わせをしないのかって? 彼女はこういうところが好きじゃないんだ。酒を飲まないから。
私はあの長い冬の入り口で、男と旅した話を誰かにしたいから、こういう店で待ち合わせをしてしまう。
知らない誰かに話せば、それが間違っていたのか、それとも正解だったのか、確認ができる気がするから。
でも今日限りそれはやめよう。
出ない答えを探すより、今手に持っている物をしっかりと掴んでおくべきだと、そう思ったから。
「お待たせ、今夜も寒いね」
私は彼女の手を握る。彼女はそう言ったけれど、夜、同じベッドで寝ている時はそんなこと全然感じないってことが分かっている。
「まだ始まったばかりで先は長く感じるけれど、長い冬だっていつかは終わる」
私がそう言うと彼女はキョトンとした。
「誰の台詞?」
「私が一緒に旅をして、知り合った男の人たちの」
「へんなの」
結花はそう言って笑う。彼女は本当に笑顔が似合うんだ。その夜、同じベッドで彼女と寝ていたら、ふと、目を覚ました。
ここはどこだっけ。
……結花の部屋だ。時間は……午前三時。
私は、そのとき確かに船のエンジン音を聞いたんだ。私は漁師が乗っている船のエンジン音なんて聞いたことがない。
でも、その音は間違いなく亨とお爺さんの乗っている船のはずだ。そう、私と彼女がまだ寝ている時間に、彼らはもう海に出ているのだ。
水の冷たさ、風の冷たさを肌で感じて。海の上で朝日を浴びる、日焼けした肌に冷たい海の水がかかる。でも彼らは手を止めない。それが彼らが生きる理由だから。
いつか終わる、だけど毎年繰り返す冬の朝、夏を待ち侘びながら彼らは今日も、海を探す。長い長い、冬の中で。何かをずっと、探しながら。
長い冬に海を探す 坂原 光 @Sakahara_Koh
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