05

 目的地が近づくにつれて、私たちから伸びる糸は太くなり眩さを増す。それに呼応するように、繋いださくらさんの手も暖かくなっていく。生きている人の体温だ。身体から命の脈動が伝わってくるのだろうか。しかし――。

「チヨコちゃん、手冷たくない? だいじょぶ?」

「冷え性なのかもしれないわ」

 誤魔化ごまかすように笑った。私の身体から伝わってきたであろう熱は弱々しい。


 薄暗い病院の廊下を二人で歩く。建物の輪郭は相も変わらず緑と赤ににじんでいたけれど、もう慣れてしまった。「今のあたし達の姿を見られたら、病院の七不思議に足されちゃうかもね」「記念すべき八つ目ね」なんて冗談を言いながら笑いあう。この旅が終わりに近づいていることを察しながらも、寂しさと不安を必死に抑えつけた。

 そして、見つけた。私から伸びる糸が病室の扉へ繋がっている。この先に私の身体があるのだろう。糸を伝い、かすかな温度と鼓動を感じる。

 戸の横にある名札を指でなぞりながら、さくらさんが不思議そうに尋ねた。

「これ、チヨコちゃんの名前? ち……、ぢ? 何て読むの?」

地曳じびき千代子ちよこよ」

「へぇ、珍しい名字だねぇ。地曳、千代子ちゃん」

 さくらさんが確かめるように私の名前を口の中で復唱し、「これならきっと、体に戻ってからも間違いなく見つけられるね!」と無邪気な笑顔で付け足す。

「あたしの糸、あっちに続いてるみたいだから行くね。体に戻ったらまた会おう! 桜、見に行こうね!」

「ええ、楽しみにしているわ」

 輝く糸を追いかけていく彼女の背中を見送った。さようなら、さくらさん。

 悪い予感は、ひんやりと冷たく透き通った体に秘めたまま。私だって、この予想は外れてほしいと心の底から願っている。しかし糸から伝わるか細い命の脈動と、蘇った記憶の断片がそれを許さない。


「お待ちしておりました、地曳千代子様」

 病室で私を待ち構えていたのは、黒服の紳士だった。

「ワタクシ、常世国とこよのくに入局管理局の者でございます。この度はこちらの不手際でご迷惑をおかけしてしまい、誠に申し訳ございませんでした」

 深々と礼をする男の後ろでは、私の身体がベッドに横たわっている。浅く穏やかな呼吸を繰り返し、死んだように眠る私。その顔には深いしわが刻まれ、髪は雪のように真っ白だ。

「やっぱり。私、もう死んじゃうのね」

「ええ。地曳千代子様、百五歳にて臨終のご予定でございます」

 こぼれ落ちた呟きに対する返答は、私の中にすとんと落ちていった。

 紳士が言うには、霊魂を迎えに来た際に不手際があったらしい。静かに、そしておごそかに行われるはずであった刈り取りの段階で、盛大に手を滑らせてしまったのだという。身の丈よりも大きな鎌で弾き飛ばされ、世界の狭間へ迷い込んでしまった私の意識、もとい霊魂。全てが想定外の状況だったと。

「誠に申し訳ございません。申し訳ないのですが……! この度の不手際、内々に済ませたいので、そのォ……他言無用に願います。その代わりと言ってはなんですが、何か一つだけ願いを叶えましょう。現世うつしよの方への言伝ことづてや裁判長への要求などなど、ワタクシに出来ることなら何でも致しますのでェ……」

「その前に一つ教えていただけますか」

「はい、なんでしょう」

「榎本さくらさんは無事なのでしょうか」

 私の問いに、紳士は言いよどみ視線を彷徨さまよわせる。

「あ、あー……。他の方の情報は……、ええと、ハイ。これから言うことはワタクシの独り言でございます。非常にまれなことではございますが、霊魂が放出される事故が起きてしまったようです。常世は大わらわでございました。しかし戻られたようですので、おそらくは無事かと思われます。直近の御迎おむかえリストにも榎本さくら様のお名前はございません。何せまだよわい十八でございますから」

 その言葉を聞いて安心した。

「では、私の願いは、榎本さくらさんが幸せに長生きできますように」

「……尽力致しましょう」

 強くうなづいた紳士は、いよいよ私の霊魂と身体を結ぶ糸に大鎌を向ける。常夜灯に照らされた黒い刃が鈍く光った。

 怖くないと言えば嘘になる。生の実感や死への恐怖が希薄になろうとも、その時を迎えるとやはり足がすくむのだ。震える足に、白く無機質な病室の床が透けていた。

 それに、どれだけ長く生きたとしても、全く悔いの残らない人生など送れないのだと思う。人の一生は多くの難事と吉事に溢れている。その中で、どうしたって受け止めきれなかった事柄や、するりと零れ落ちてしまう出来事もあるだろう。ましてや私は、最後に果たせもしない約束をしてしまった。

「心残りがございますか」

「……、一緒に桜を見る約束をしたんです」

「それはそれは。残念ながら今生こんじょうでその約束は叶わないでしょう。しかしながら、“今生は”でございます。来世、またはその先で、またご縁もありましょう」

 こうして私の帰る旅は終わりを告げ、あの世へ逝く旅が始まろうとしている。

 私は確かに生きていた。今この瞬間まで、弱々しくも心臓は脈打ち熱い血潮を巡らせていたのだ。そして、最期まで友人の幸せを願い続けていた。


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帰る旅、行く旅。 十余一 @0hm1t0y01

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