エリアスの背中(2)

 どうしよう。


 私の頭に真っ先に浮かんだのはその感情だった。

 エンは赤くなったままブツブツと自問自答を繰り返している。本当に私に恋をしてしまったのだろうか?

 慕ってもらえるのは嬉しい。でもそれ以上に困る。現在私の周囲は複雑な状況下にある。


 慌てた様子だったルパート、キース、アルクナイト、エリアスの様子が一変していた。凍てつく視線でエンを睨みつけている。彼をライバルだと認識したのだ。年長組としての心の余裕は彼らには一切期待できない。

 現に隣のエリアスが、まるで自分に所有権が有ると言わんばかりに私の肩を力強く抱いてきた。


(すみませんが、私は今臭いから離れて下さい)


 己の体臭をまた恥じたのだが、それ以上に強いエリアスの男の匂いがプワンと漂った。木は森の中へ隠せ。これなら自分の匂いを誤魔化せそうだと安堵しかけた私であったが、


(う……んん? 何かドキドキする…………?)


 妙に興奮して心臓の鼓動が早くなっていた。


(何で?)


 ……ああ、前に聞いたことが有るよーな。異性の体臭ってフェロモン効果が有るんだっけ? 嫌いな相手なら悪臭だと感じたであろう汗の匂い。しかしエリアスフレグランスは私の脳の中枢を刺激して、彼が「魅惑的な男」なのだと大々的にアピールしてきた。

 ……あれれ? ということは私の香りもフェロモンに変換されている?

 上目遣いでそうっと窺うと、エリアスが熱い眼差しで私を見下ろしていた。


(あああああ! これはヤバーーイ!!!!)


 身の危険を感じた私は腕を踏ん張って、エリアスの拘束から逃れようとした。怪力の勇者はビクともしませんでしたけどね。逆に肩を抱く腕に更に力を込めてきたよ。

 そして……。エリアスの顔がゆっくりと下がってくる。私の顔へ。


(キ、キスされるの!? 人前だよ!?)


 いつもだったらルパートが力技で止めてくれるか、キースが障壁で護ってくれるか、魔王が金ダライを落としていた。しかし間が悪いことに、皆の注意は照れで身をよじる忍者へと移っていた。

 ヤバイ。これは本気でヤバイ。

 尚も接近を続けるエリアスの端正な顔。私は彼の腕の中でジタバタ暴れた。


「そこまでに。ロックウィーナが困っている」


 穏やかな声がエリアスを止めた。私を挟んで反対側に座るルービック師団長だった。気づいてくれた人が居た!

 しかも私達以外の者には届かない小さな声だった。その細やかな気配りが嬉しい。


「…………あ」


 我に返ったエリアスが即座に私から顔を離した。抱きしめていた腕も外して、彼もまた小さな声で謝罪してきた。


「すまないロックウィーナ。キミの気持ちを無視するところだった」


 落ち込んだ様子の彼を見て私は罪悪感にさいなまれた。

 この人にはいつも我慢をさせてしまっているな。

 誰よりも早く私へ「好きだ」と想いを伝えてくれた人。それから今日に至るまで、私の気持ちを最優先して優しく見守ってくれている。

 だからこそ戸惑う。


 こんな日が来るとは思わなかった。

 遠くから見ることしかできなかったのに。

 言葉を交わしたのはあの日、たった一度だけ。

 憧れだった。初恋だった。


(………………………………?)


 はて。

 不意に脳裏に浮かんだ今の記憶は何だろう。

 遠くから見ていた? 行き倒れた彼を捜索出動で発見するまで、エリアスのことは全く知らなかったよ?

 それに私の初恋は、ムカつくけどあの金髪ロン毛だよね?


「ロックウィーナ…………?」


 私はエリアスの顔をマジマジと見ていた。


(おかしいな。私は彼のことをずっと前から知っている気がする。あの日、森で見つけたよりもずっと前から)


 私の知る「彼」はこんなに彫りの深い顔じゃなかった。瞳の色も違う。顔立ちについてはエンの方によく似ている。

 でも強く、そして温かいこの眼差しは私の記憶に刻まれている。見ず知らずの下級生に親切にしてくれた優しさも。


(…………下級生?)


 何を考えているのだろうか私は。エリアスと私は同郷じゃない。そもそも貴族の彼は学校に通わず、家庭教師が付いていたんじゃないかな。


「ロックウィーナ、どうかしたか?」


 あ、数十秒もの間エリアスを凝視していたよ。不審がられた。


「あの、エリアスさんは森で会う前から私のことを……」


 知っていましたか? という質問は最後まで言えなかった。遠くの方からワーッと、何人もの声が上がったからだ。


「!?」


 兵士の誰かが羽目を外して馬鹿騒ぎをしていたのなら良かった。しかしその騒ぎは緊迫した雰囲気をはらんでいた。

 ルービックら聖騎士三名がスッと立ち上がった。上官にならってミラとマリナも。全員で音の方を窺っていると、やがて一人の兵士がこちらへ駆けてきた。師団長が冒険者ギルドのメンバーと一緒に居ると知っていたのだろう。


「敵襲、敵襲です!」


 兵士の報告を聞いて、私達ギルドメンバーも立ち上がった。スープが入った器がいくつかひっくり返った。

 ルービックが冷静に兵士へ問うた。


「何処だ?」

「北東エリアです! 見張りの兵が襲われ、賊と戦闘中です!」

「……エドガー、身近な兵を率いて北東へ向かい賊を鎮圧せよ。ただしそちらは陽動の可能性が高い」

「そうですね。賊がアンダー・ドラゴンの残党なら、目当ては回収された財宝でしょうから」

「財宝を積んだ馬車については私とマシューで守りを固める。冒険者ギルドの諸君にも無理のない範囲で協力を願いたい」

「はい。ここまで来たらトコトン付き合いますよ」


 ルパートが頷いた。他のメンバーも。


「それでは私は北東へ参ります。おまえと、ミラとマリナも共に来い」

「は、はいっ!」


 鼻の下のお髭が印象的なエドガー連隊長は、伝令に来た兵士とミラとマリナを連れて駆けていった。みんな無事に帰ってきてね。

 私も軽い腕のストレッチをして戦いに備えた……のだが、ルパートに水を差された。


「ウィー、おまえはユアンと一緒にここで待機だ」


 また後ろへ下げられるのか。私の不満は口にする前にキースが封じた。


「そうですね。公民館でユアンが戦う姿を見ている兵士が居ますから、彼は前へ出ない方がいいでしょう。ロックウィーナ、ユアンと一緒に居てあげて下さい」


 それは解るよ。首領の側近ユーリは毒で死んだことになっているのだから、生きているとバレたら面倒だよね。

 でも、それで何で私が付き添い役になるの?

 戦いたいと訴えても聞き入れてもらえないだろう。みんなして私に過保護だから。そして私には説得できるだけの強さが無い。


「私も彼らと共に残ろう。アンドラの陽動部隊は何処に現れるか判らない。ここも決して安全じゃない」


 エリアスが申し出た。アルクナイトが幼馴染みの肩を軽く叩いて賛成した。


「そうだな。俺の次に強いエリーが残るなら小娘も忍者Ⅱも安全だろう。頼んだぞ」

「任せろ」

「小娘はナイーブだからな? 悪人解体ショーで怖がらせて泣かせるなよ?」

「さっさと行け馬鹿」


 魔王と勇者の平和なやり取り見ていると、横からにゅっとエンが顔を出した。ビビった。彼は覆面を付け直していたが、露出している部分の肌がまだ赤かった。


「ロックウィーナ、後で二人きりで話がした……」

「はいはいアナタも行きますよー。エンお兄様ー」


 棒読みのリリアナがエンの腕を組む形で引っ張った。


「待て。彼女と大切な約束を取り付け……」

「はいはーい。素直に一緒に来て下さーい。暴れないでねー? 変なトコに触れると銃が暴発しますよー?」

「ち……」


 聖騎士と冒険者ギルドメンバーは財宝馬車の在る中央エリアへ走り去った。その後ろ姿を見送ったユーリが苦笑した。


「いちいち賑やかな連中だな」


 そして私へ軽い謝罪をした。


「悪い。俺のせいで貧乏クジを引かせたようだ。戦いたかったんだろう? おまえは強いものな」

「……いや、弱いんだよ。だからいっつも先陣には入れてもらえない」

「自分を卑下するな。おまえに倒された俺の立場が無くなる」


 私は乾いた笑いで返した。


「あなたに勝てたのは奇跡だって、みんなに言われたよ……」

「ああ……?」


 ユーリは共に残ってくれたエリアスを睨んだ。


「ギルドの男共はコイツの実力を認めてやっていないのか?」


 エリアスは躊躇ためらいがちに否定した。


「そんなことは無い。ロックウィーナは充分に強いと認識している」

「じゃあ何でコイツはこんなに自分に自信が持てないんだ? 卑屈のヒッちゃんになっているんだ?」


 ヒッちゃんって何だ。


「ヒッちゃんにさせてしまったのは悪いと思っている」


 エリアスも乗っちゃ駄目。二十代後半の男性の会話じゃない。


「だが……」

「だが?」

「惚れた女を命懸けの戦場へ出したくない。男のエゴだと批判されたとしても」

「……………………」


 素直な自分の気持ちをエリアスから吐露されて、ユーリは黙った。私はというとこんな時なのに、物憂げなエリアスの面持ちに見とれていた。だって色っぽかったんだもん。


「ロックウィーナ」

「は、はいぃっ!?」


 エロい妄想中だった私はエリアスに声を掛けられて動揺した。


「さっき私に何を言おうとしたんだ?」

「さっき?」

「森で会う前から……どうとか」

「森……ああ」


 エリアスに強烈な既視感を抱いたんだった。ずっと前から彼を知っているような。それを確かめようと質問したけれど中断されたんだよね。


「あのですね、もしかしたらエリアスさんと私は前から……」


 私はまたもや最後まで言えなかった。肌がピキっと引きる感覚に襲われたから。

 殺気だ。

 鞭を握って気配を窺う。エリアスとユーリも抜刀して構えている。

 嫌な予感が的中か。アンダー・ドラゴンの陽動部隊、こちらにも現れたようだ。

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