逞しき人々~パート主婦が見た、日本の現実~
ふれあいママ
第1話
1.
空気は、常に透明であるとは限らない。
夕日に照らされた街は赤く染まるし、夕闇の中では、白い花も青く見える。
朝靄に覆われた外気は乳白色。眩しい朝日が差し込んだ部屋はオレンジ色。徹底的なリストラを行った会社は、灰色の空気に包まれる。
冗談でもなんでもない。私はこの目で本当に見たし、あの光景はたぶん一生、忘れることはないだろう。天井も壁も、デスクの列も書類の山も、ロビーもエレベーターの中も、全てが灰色に見える。役員専用フロアに敷かれたぶ厚い絨毯さえも、ペールピンクから灰色に変わっていたものだ。
重力もまた、常に一定とは限らない。
リンゴはどこでも確かに落ちるし、滝も上から下に水しぶきを上げるし、頭を下にして歩いていても、誰も地球から落っこちはしない。それでも、重力は一定ではない。
エベレストの頂上と海抜ゼロ地点では、重力が違う。北極と南極でも重力は違う。もっとも重力が強いのは赤道の線上と言われているが、これは間違いである。徹底的なリストラを行った会社の内部こそ、地球上で最も重力が強い。頭を上げる事も、足を動かす事も容易にできず、肩にずっしりと感じる重みのせいで、息継ぎさえもままならない。そんな場所は他には無い。
人間の感情を作っているのは、脳内のホルモンカクテルであるが、これは確かに周囲にも影響を与えるのである。
私、安藤美奈子が勤めるアパレルメーカーは、一部上場企業で、自社で商品を製造販売、世界中に支店を持つ。日本全国に数えきれないほどの取引先があり、そこを通じても販売を行う。社長が一代で築き上げたのだが、最初は、リヤカーを引っ張っての行商からだった。それを五十年かけて年商2500億円にまで成長させたのだ。巨大企業とは言えないが、抜群の堅実堅牢経営で、バブル時代もさして浮かれず、その後のトンネル不況も果敢に戦いぬいた。「解体屋」投資ファンドのターゲットにされること数回、その度に間一髪で乗っ取りを逃れ、他社の産業スパイに入りこまれることこれまた数回、やはりその度に間一髪で身を躱し、なんとかかんとか生き残ってきた。
が、社長が年を取って会長に退き、新社長に変わったところで、バカバカしいほどあからさまに業績が落ちだした。
創業社長の可愛い末息子だという理由から、五十代の若さでトップの座に着いたそのボンクラは、企画書一つまともに書けず、決算の数字も読み取れず、スピーチ原稿を読むことすら出来ない、大間抜けだったのである。会議中は居眠りばかり、入社式や決起集会などは常にドタキャン。そもそも、会社にいるのは週に二日、数時間が限度という、呆れかえった仕事ぶりだ。
彼氏の趣味は、常識知らずの札束ショッピングと銀座のクラブ巡り。住むのは祇園の料亭。東京と京都の往復で毎日忙しいのに、誰も苦労を解ってくれないと、グチグチ言っては物に当たる。
役立たずなら役立たずに専念し、何もしないでくれればそれで良いのだが、たまに社にやってきては、やたらと口だけは出す。誰もが正気を疑うような企画をぶち上げ、各部署の部長を苛め、予算を削り、また銀座か祇園に去っていく。
トップが変わっただけで他には何も変わっていないのに、ジワリジワリと業績は落ちていく。なぜだかはわからない。商品企画部はヒット作を生み出せなくなり、デザイン科の作るパターンはダサくなり、素材研究室はミスを連発し出す。
最も影響を受けたのは、私の所属する営業部である。いつも通りに取引先の応援に回り、販売戦略を立て、販路を模索し、在庫管理から店内清掃まで、不眠不休で働いているのにも関わらず、なんだか空回り。波に乗り切れない。理由も掴めない。国内だけでなく海外支店も苦戦し始めた。
株主から突き上げられた新米社長は、無い知恵を絞って打開策を考え、誰の静止も振り切って、それをいきなり発表した。営業部のいつもの朝、いつもの打ち合わせの真っ最中、本社ビル全体に取り付けられたスピーカーから、社長のノロノロとした震え声が、大音響で響き渡った。
「お早うございます」の挨拶すら抜きで、唐突に始まった社長演説は、大体こんな調子であった。
「今日は、重大発表がありますのですが、その前に言いたい事がありましてねえ。あの、あの・・・私は、えー、私は・・・一度もハンバーガーとかピザを食べた事がないんですよ。毎日毎日、寿司とステーキばかりでもう飽き飽きしました。それと、フォアグラね。あれは、上手いですよ。パイの包み焼きなんかにすると絶品で。それと酒だね、酒。祇園の舞子や芸子の注ぐ酒は、これすごくいいねえ。情緒があってさあ。でも、やっぱり飽きたね。一度でいい、一度でいいから、ファーストフードのフライドポテトとか、フツーの人が食べるフツーの食べ物が食べたいなあ。庶民の味って、僕知らないから。金だけはムダにあってね。一般の人って、どんな物を食べてるんですかねえ」
「朝っぱらから、いきなり何だよ?あいつ、酔ってんのか?」
直属の上司である営業総部長が、私の肘を掴んで囁いた。他の部員達も一様に顔をしかめている。実際、これを聞いて、不愉快にならない人などいないだろう。
突然、キーンという不協和音がスピーカーから洩れ、ガヤガヤと言い争うような声と、数人がもみ合うような雑音が、不穏な空気で社内を満たした。まっとうな神経を持ったブレーンの誰かが、必死で社長を止めようとしているらしいのだが「大丈夫、大丈夫、今、本題に入ろうと思ってたんだ」と社長はマイクを離さない。
「まあ、そこでね。みなさんご存知の通り、我が社は今、仕事低迷・・・いやいや、業務迷走・・・えー・・・業績不振だね、そうそう、それに陥っていまして。そんでコストカッターして勝ったってな感じでいこうかなあと・・・まあこれはオヤジギャグでした、ハハハ。それはともかく、徹底的なコスト削減作戦に、踏み切る所存なのであります」
「あのバカがっ」
部長はデスクに座りこんで、頭を抱えた。部員達は部長の周りを囲んで立ち、不安そうに顔を見合わせている。こんな薄らトンカチな社長の元で、今まで働いていたなんて、我とわが身が信じられない。
「えー、節約の・・・コスト減らしの・・・作戦を発表しましょうか。まずその一。社員食堂の自動ピアノの演奏を止める。あれを購入したのは失敗だったのかもしれませんなあ。グランドピアノだし電気代がね、嵩んでいるかと思うんで。その二。本社ビル一階のロビーに作った川を止める。アレは本物じゃないですよ、もちろん。ニセモノの、人工の川だと思うけど。だからこそ、水道代が掛かるから・・・ん?ああそうか。水は循環式だから、水道代は掛かんないね。こりゃいい、アハハハ。でも、電気代は掛かる。そうだろ?」
ハア?一体全体、このとりとめのない独り語りは何の話なのか。まさか一日中、喋っている気じゃないだろうな。いつからアンタ、ラジオDJになったんだ。
「節約その三。社長室の絨毯を新調するのはやめようと思います。社長自ら範を示さないとね。節約その四。大規模な、一斉リストラを行います、はい」
え?今、何て言った?
「四十代、五十代の男性社員のほとんどに早期退職してもらおうかと思ってまして。退職金は弾もうと思いますが、まあ会社が困らない程度にっていうか・・・あんまり期待しないでくださいよ。女性社員はリストラさせないけど、全員、正社員から契約社員になってもらいますね。私は女性の味方ですから、ハハハ。我が社の女性はキレイだから。まあ、そんなに大した事じゃないと思うし、気楽にリラックスして受け止めてくれれば、大丈夫大丈夫。来週から発表しますが・・・」
再びキーン、ガヤガヤ、バタバタ。そして、ガガガガガ、ドドンッという音と共にマイクが切られ、社長の重大発表は終了した。
「馬鹿野郎!」
部長はフロア中に響き渡る声で叫ぶなり、血相を変えて部を飛び出していった。普段は開けっ放しのドアが叩き付けられ、どこへ行くのか靴音が遠ざかる。途中で転んだ音がした。
社内はたちまち大混乱に陥った・・・が、それは各自の心の中だけの事。体の方はいつもの通りにテキパキ仕事を始めるのだから、日本人の職業意識とは大したものである。
リストラは誰にも止められない。一番簡単に業績をⅤ字回復させられる手法なのだ。
無理もないが、部長も怒り狂うばかりで何も出来なかった。自分の無力に打ちひしがれ、挙句、部員にクビを言い渡す役目まで負わされた。部長自身はリストラ・リストには載っていなかったものの、部下達を送りだしたら退職すると宣言。彼は毎日のように、顔も覆わず泣いていた。みるみるやせ衰え、目はうつろ。突然ブチ切れて、自動販売機を壊したりもした。
私の知る彼は、そんな人ではなかった。
部長は当時四十二歳。独身で恋人無し。百八十センチを超える長身。ほっそりしてはいるが、スカッシュが趣味なので筋肉質だ。引き締まった体を、高級なブランドスーツに包みこみ、一足五万円の靴でなければ出せない深い靴音を響かせて、自信満々に堂々と歩く。それに対して、端正な顔立ちは逆に甘すぎるほどで、サラサラの髪や、かすかなえくぼが、思春期の青年のような初々しさを見せていた。声はなめらかなバリトンで、そのアンバランスさはなるほど、実に魅力的だった。
性格は激しく厳しいが、しつこさだけは無い。どんなに腹を立てても、一晩寝ればスッキリのタイプ。
おまけに年収は二千万を超える。
社内でも社外でも、公的生活でも私生活でも、彼の虜になった人は、男女を問わず合計千六百人はいるとの噂だった。取引先からの情報では、秘密のファンクラブも存在するらしい。各地に支部まであるそうだ。
でも、私は外見に騙された事はない。部長はかなりの変人である。入社五年目の夏、私は、彼にエライ目に遭わされたことがあるのだ。
八月の蒸し暑い日だった。夜の九時に取引先から社に戻り、パソコンを開くと、中に細い茶封筒が挟んであった。間違えようがない部長の悪筆で「お前が望むもの」と書かれている。封筒など欲しがった憶えはないのだが。
反射的に辺りをこっそり伺うが、今日は「熱中症防止、早帰り推進デー」なので、ほとんどの部員は帰宅してしまっている。窓際のテーブルで、営業一部二課の課長と入社二年目の若手が、ボソボソ話をしているが、どちらも極めて怖い顔をしており、今しも手にしたコーヒーを相手にぶっかけて、殴り合いでも始めそうだ。二人とも私どころではなく、こちらに目も向けてない。
封筒の中身は「横浜・ランドマーク・タワー・特設ビア・ガーデン」のチケットだった。日時は、明日の土曜日、午後八時。
なんで明日?なんで横浜?なんでランドマーク・タワー?こんなのやっぱり望んでないし、何が何だか意味不明。
さてはデートのお誘いかとドキドキするほど、私はうぬぼれ屋では無い。第一、千六百人の想いの掛かった男とお付き合いするなど、ご免こうむる。気が休まる暇がない。
悩んだ所で何が解る訳でもない。悩むなんてバカバカしいと思いつつ、私は一晩中悩んでしまった。記憶の隅から隅まで探り回り、何か失敗をしてないか考えたが、あんまりありすぎてわからなくなった。なるようになれ、と横になっても眠れない。終いには吐き気まで催してきた。
翌日は最悪で、休日は完全に台無しとなった。夜の八時まで、何をする気にもならない。テレビを見ても読書をしても、まるで集中できないのである。食欲もなく、胃が痛む。一人暮らしなので、気をまぎらわせてくれる人もいない。腹も立つし、怖くもある。早く時が過ぎて欲しい。
我慢しきれず、六時には家を出てしまった。電車の乗り換えを間違い、ランドマーク・タワーに着くまでにも、迷うはずのない道で三度も迷子になった。目的地は堂々と空にそびえているのにたどり着けないとは。私の心中がいかなる状態だったか、それでわかるというものだ。タワーご自慢の高速エレベーターに乗る頃には、神経が擦り切れて、むしろボケーッとなっていた。
私が想像していた、昔ながらのビア・ガーデンとは、かなり違うものだった。夜景が際立つように通常の照明は切られ、代わりに幻想的な色と前衛的な形をしたランプが、そこここに置かれている。小さなテーブル席とカウンター、オシャレな二人掛けソファが四脚あるが、全て予約席らしく、会場内には、三十人ばかりの客しかいない。ジョッキが鳴る音も乾杯の声もなく、静かなBGMとかすかな話し声が聞こえるばかり。こんな大人なビア・ガーデンもあるとは。知らなかった。
ひときわ目立つ男が、窓際に立っていた。言わずと知れた部長である。渋いシルク地のスーツを着ているが、ネクタイは無い。腕を組み、ぶ厚い展望ガラスに寄りかかって夜景を見つめている。
映画の見過ぎ、キザ、自意識過剰。批判はいくらでも出来るが、だからといって事実を否定は出来ない。部長の姿は絵になった。
完全な傍観者になって、ポーッと見とれていたい所だが、呼び出された以上、そうもいかない。それでも、会場中の視線を独り占めしている人物に近づいていくのは、かなり嫌なものである。ダサい安物のビジネススーツで来て、本当に良かった。だれもデートだとは思うまい。
部長の横に立つだけで、ヘトヘトになった。部長は私を見ると、ニコッとしたが何も言わず、また夜景に目を転じる。話をしようにも頭が真っ白になっている為、私もただ黙って街のきらめきを見つめる。きれいだとは思わなかった。それどころではない。
「美しいな」
部長の呟きが遠くから聞こえて、ハッとした。緊張のあまり、軽い現実逃避を起こし、意識がぼやけていたらしい。
部長の言葉を、自分への賛辞と勘違いできたら、どんなにいいだろう。
「でも、不思議だよな。あの明かりの一つ一つの中に人間がいて、泣いたり笑ったり、愛しあったり憎みあったり・・・。なんか儚い美しさだよな」
部長は、私をじっと見つめていた。私はといえば、そんな使い尽くされた抽象論はどうでもいいから、早く本題にはいって欲しかった。ぶっ倒れる前に、どこでもいいから逃げ帰りたかった。
部長はいきなり体を起こすと私に向き直った。大股で二歩進んだので、距離がいきなり縮まり、私のまつ毛の先が、部長のスーツの生地に触れて、瞬きするとカサカサと擦れる。後ずさりしたかったが、してはいけないと解っていた。
仕方ないから無理に見上げると、部長と目がバッチリ会った。反射的に逸らしたくなるが、これもぐっと我慢する。恋愛感情を持っているなどと、勘違いされたら堪らない。相手は、片思いされるのが生活習慣になっている男だ。
魅入られるようにハンサムな上司と、至近距離で触れ合っているのは、まことに居心地が悪いものである。ピンッと背筋を伸ばして首は上げているので、腰が痛くなってきた。相手に上背がある為、上体がかなり反ってしまう。
部長は、まるでキスでもするかのように、そっと顔を下げたが、私の人生の常として、無論、そんなロマンティックな事態にはならなかった。部長は私の耳に口を寄せると、
「安藤・・・お前、明日から営業八課の課長だ」
低く甘い声で囁いた。
営業・・・八課・・・課長・・・ハアア?
「それを言うなら明後日からでしょう、部長。明日は日曜です。それに営業一部には七課までしかないはずですが」
部長は驚いた様子で顔を起こし、私をつくづくと見つめて苦笑した。
「俺は、お前のそんな所が好きなんだ。本当に珍しいヤツだな」
部長の首に抱きつかなかった所が珍しい、とでも言いたげだった。確かに私はそんな事はしない。私の「望むもの」は、もっと別な所にある。
部長は私の肩に両手を置き、じっと私の目を覗き込んだ。笑みは消え、真剣な瞳は怖いほどだ。
「八課は俺が作った。お前をリーダーに選んだのも俺だ。通称『特命・フェ二ックス部』始動だぞ」
ダサいネーミング・・・。私が命名したと思われたら赤っ恥だ。
「部員はこれから二人で選んでいく。この課の使命はただ一つ。取引先の中で、前年売上比率が70%を切った、いわゆる『ご臨終』店舗に乗り込んで行き、少なくとも90%以上までバイタルを上げて、生き返らせる事にある。期間は一件につき最大一年だ」
部長は、私の髪にそっと頬を寄せて、囁いた。
「ただし、これだけは覚えとけ。たとえ一件でも・・・いいか一件でも『甦り』に失敗したら、その時は営業部から放りだしてやるから、そう思え。そんなヤツはいらん。どこへでも消えるがいいさ。わかったか?」
こんな時の返事は一つしかない。
「わかりました。お任せください」
これだけだ。
部長は同じ姿勢のまま、しばらく動かなかった。私も動けないという訳だ。やがて「頼んだぞ・・・頼むぞ・・・」かすれ声で呟くと、部長はさっと私を離して踵を返し、速足で高速エレベーターに乗り込んで、そして消えた。夜景など、もともとどうでもよかったに違いない。こんな話なら、社内でもじゅうぶん出来たじゃないかと思うのだが、まあ、これが部長流なのである。
部長が帰った後も、私はかなりの時間、夜景を見つめて過ごした。これからの作戦を練っていたのだ。
失敗する訳にはいかない。「営業部から放りだす」うんぬんの脅しの為ではなく、部長の眼差しの為に。その中に苦しげに存在した想いの為に。仕事で成功してみせるしか、私はその想いに応えられないのだから。
「ミッション・インポッシブルの課」とみんなに揶揄されながら、営業八課は立ち上がっていった。確かに難しい仕事だった。
一口に「業績不振の取引先」と言っても、抱えている事情は一件一件がそれぞれ違う。簡単に原因が突き止められ、あっさり解決してグングン回復する店舗もあれば、こじれにこじれて、どうにもならなくなっているのもある。
商品の発注ミスなどは一番楽なケースである。顧客のニーズとかけ離れたデザイン、色、サイズを入荷させてしまっている、ただそれだけの事なので、出向いたその日に一目でわかるし、二、三か月で業績を改善させられる。
立地条件がマズい、周辺地域が疲弊した、交通量の悪化といった事が売上の減少につながる場合もあるけれど、解決不能ではない。打つ手は色々あるものだ。
在庫の管理がメチャクチャだったり、ライバルに顧客を取られたり、接客態度に問題があったり、知識不足からサービスが悪かったり。はては商品の並べ方が最低、あるいは商品を不潔に取り扱っている、商品を入荷させず店が空っぽ・・・なんて事まであったりしたが、どれも比較的、楽に解決できるケースである。「売上不振店になる為には」マニュアルのモデルになれそうな取引先は、改善点が多すぎる所が、却ってやり易かった。新装開店させる気持ちでかかればいいからだ。
最も解決が難しいのは、人間関係の悪化が業績を引き下げているようなケースである。
社員同士が激しくぶつかりあっていたり、裏切りあっていたり。派閥に分かれ戦争状態で、お互い足を引っ張りあって自滅、というパターンも少なくない。経営者と社員が憎悪も剝き出しに睨みあってるケースもあれば、我が社、つまり私の会社そのものを恨んでいる取引先もある。
それを解決するには、かなりの力技が必要だ。他の課の応援が必要なシーンも多いのだが、これを取り付けるのは容易ではない。八課への協力は、金も時間も手間も予想外に食う。嫌な顔をされるのも当然だ。
それをしてくれたのが部長だった。彼は千手観音の様に、あちこちの課に裏の手を回し、時には人事部や総務部、企画部や研究室、自社工場にまで出向いて、協力を取り付けた。どれだけの無理を通し、どれだけの苦労をしたのか、私には解らない。ただ、営業一部八課、部員わずか七名のちっぽけな課の為だけにそれをしてくれたのだ。私の為にそれをしてくれた。
八課は、全力を挙げてそれに応えた。しかし、まだ入社五年目、大した力量もノウハウも、要領の良さもない私には、最年少の課長職は荷が勝ち過ぎた。部員は性別も年齢もキャリアもバラバラ。上司としての振る舞い方も解らない。
部員達を、せめて残業二時間くらいで切り上げさせるには、我とわが身を削るしかなかった。担当する取引先は、大きなものから小さなものまで七十三社。部員の世話をしつつ、私自身も現場を次から次へとこなす。「業績悪化を食い止め、さらに正常な状態にもっていく」といっても、短期的な回復、その場だけの売り上げ増では意味が無い。私達八課、取引先用語では「治し屋」が、去っていった後もずっと続いていく、本物の「生き返り」でなければダメなのだ。いくら時間があっても足りなかった。
休日ゼロ、不眠不休の徹夜作業が、いつ果てるともなく続く。職場に寝袋を持ち込もうかと本気で考えたものだ。
私がそこまで頑張ったのは、部長の為だった。いつの間にそうなってしまったのかわからない。彼は、いつでも私を見守っていてくれた。顔を上げると、必ず部長と目が会う。書類の束を渡す時、私の指をそっと握りしめ離さない部長の手。パソコンの画面を一緒に覗き込むと、お互いの頬がいつも触れ合った。
突破口が見い出せず頭を抱えている時、ふとうなじにかかる暖かな息遣い。一向に理解を見せない取引先に怒り、力任せにデスクを叩いた時もある。部長は背後から私の両腕を抑え「落ち着け」と囁いた。総務部の課長に嫌がらせをされ、倉庫の中で泣いた日も、部長はすぐに私を追ってきた。薄暗い倉庫の中でそっと私の肩を抱き寄せ、涙が止まるまで、固く埃っぽい床の上に座っていてくれた。その後、いじめっ子課長は面談室に呼びつけられ、滅多に出現しないはずの「部長落雷」をもろに食らった。フロア中に部長の凄まじい怒鳴り声が響き渡る。故意か過失か、面談室のドアはキチンと閉められていなかった。
仕事というツールを通した男女関係は、とてもセクシャルで、それが私に無限の力を与えたのだ。部長に相応しい部下でありたかった。ただただ認められたかった。それは、部長の方も同じだったのだろう。常に憧れのヒーローでいる為には、見えない所で、沢山の努力が必要だったはずだ。
お互い、仕事で失敗して無様な姿を見せられない。だから、八課の仕事は成功した。七十三社の取引先の内「甦り」に失敗した社は一つもない。中には前年売上比率百八十九%の大記録をたたき出した所まである。営業一部は拍手に包まれ「誇りに思う」という部長の静かな声が耳に届いた。
その瞬間、すべての苦労が報われた。幸せの中でも、それでも私には解っていた。これこそが部長マジック、部長流の仕事成功術なのだということが。
それから二年が経った。八課の仕事は、きりが無くても順調そのもので、課長職にも慣れた頃。私は友人の紹介で、ある男性と付き合い一年後に結婚した。相手は三歳年上で、鉄道会社勤務のサラリーマンである
なぜ、プロポーズにイエスと言ったのか、正直な所わからない。多分、結婚と恋愛は違うからだろう。夫となった人は、マネーゲームもパワーゲームもまるで関係なく、ただ純粋に私を愛してくれる人だった。
結婚の報告を、部長は最後まで聞かなかった。クルリと背を向け、デスクに腰かけたまま、窓の外を見つめていた。無言で表情もなく、美しい彫像の様に動きもせず。
私がその場を辞す時も、部長はそのままの姿勢だった。六課の課長が業務報告に訪れた時も、部長は凍りついたように、振り向きもせず、声も出さなかった。最後の部員が帰宅する時に見た部長は、煌々と蛍光灯に照らされガランとしたオフィスで、じっと暗い窓の外を見つめ続けていたという。彼の奇行には慣れっこのはずの部員ですら、声一つかけられなかったそうだ。
部長は、私に対して、いくばくでも恋愛感情があったのだろうか?そうは思えない。私達の関係は刺激的ではあったが、愛情はなかった。部長は多分、一つの時代の終わりを悲しんでいたのだろう。
その部長が、今、社内を席巻するリストラ台風の前に、なす術もなく苦しんでいる。でも、私にしてあげられる事は何もない。私達の人生は、もう違う方向に進んでいるのだ。もうすぐ部長はこの社を去る。そして、私も辞めるのだ。
リストラ・リストに載った訳でもなければ、契約社員になるのが嫌だった訳でもない。ただ単に妊娠していたからだ。タイミングは最悪だが、仕方ない。まだ、お腹はぺちゃんこの初期の段階だったが、それでも小さなこの生命体は、否応なしに私の人生を変えていく。
我が社は、女性の為の商品を製造販売するメーカーであり、福利厚生はこれでもかという程に揃っていた。でも、制度があることと、それを使える事は、全くの別問題だ。
好敵手だった同期も、可愛がってきた後輩達も、尊敬すべき先輩達、尊敬できない先輩達も、みんな片っ端らからクビになっている現状だ。「会社は自分達を使い捨てした」「あんなに頑張ってきたのに、全く評価されていなかった」「裏切られた」泣き声と呪詛の言葉に満ちた社内で、誰が「産休貰いまーす。育休も貰いまーす。時短勤務もヨロシク」などと言えるであろうか。私には無理だ。出来ない。
「一身上の都合により」と書かれた辞表を部長の机に滑らせ、私は耐えきれなくなって、すぐその場を立ち去った。慣れ親しんだ営業部のフロアを横切り、エレベーターホールを通り抜け、裏階段を駆け下りる。二階下の踊り場の壁に寄りかかった時、初めて涙がこぼれた。泣き出したら止まらなくなった。
重い足音が降りてきた。誰だかはわかっている。いつも庇ってくれた優しいあの手が私を振り向かせ、いつも支えてくれた頼もしい腕が、私を包み込んだ。
私達は長い事、無言のまま強く抱き合っていた。お別れを言っていたのだ。お互いに、この会社に、一瞬一瞬が輝いていた、素晴らしい仕事の日々に今、永遠の別れを告げたのだ。
2・
こうして私は専業主婦になり、やがて子供も産まれた。実に、実に退屈な日々だった。今までの人生で、こんなにつまらない生活をしたことはない。
睡眠を五時間も取ることが出来、時折は昼寝まで加わる事に、屈辱を抱いた。なんかサボっているように感じられて仕方がなく、理由のない自己嫌悪に苛まれる。
家中の家具を磨き、はたきを振り、掃除機をかけ、床を拭いて、それが一時間で済むのがつまらない。照明を磨き、窓ガラスを磨き、換気扇を掃除し、洗面台まで拭き清めて、やっと二時間。私は、もっともっと走り回っていたいのだ。
洗濯も、毎日毎日、ただ繰り返すだけの事。考慮する事も、悩むだけの価値ある問題も、何もそこには無い。
料理などは言うまでもない。作る、食べるの繰り返しで、栄養を取る以外の価値が、私にはどうしても見い出せないのである。後片付けなど最悪で、今までどんなハードワークにもめげなかった私が、ぐったりと疲弊する。
変な話だ。私は一人暮らしが長かったのだし、その間には当然、掃除も洗濯も料理もやっていた。必要に迫られてやる、手間のかかる作業だと思っていたものの、むなしさを感じた事はなかった。ところが、家事だけをやる「専業」になった途端、これ以上ないほどの虚無感に襲われるようになってしまったのである。
愛梨と名付けた女の子は、大抵の幼児がそうであるように、確かな愛らしさを振りまくが、だから何だという感じである。子育て作業そのものは、愕然とする程に退屈だ。
夫は忙しく、あんまり家にいないが、いる時は家事にも育児にも協力的である。子供にも私にも惜しみない優しさと、無償の愛情を注ぐ。それがそもそも面白くない。私は自ら価値を示す事も、戦って愛情を勝ち得ることも出来ないらしいのだ。
なによりつくづくわかったのは、私自身が、どうしてもどうしても、例えそれがどんなに少なくても、「自分の稼ぎ」なるものを必要とする人間なのだ、ということである。
トマト一個、鉛筆一本買うにも、夫にいちいち相談し、返事を待たなくてはいけないのが、辛くてたまらない。夫はケチではないし、私の希望に文句はつけないが、そういう問題ではないのだ。本など趣味の物を、人にねだって買ってもらうのは、堪らなく不愉快である。化粧品や服など、自分の為の贅沢品は、買う権利がない気がして全く購入しなくなった。お金を稼げない自分が無価値な気がして、落ち込んでばかりいる。
でも、そんな忍耐の日々も、もうすぐ終わる。
愛梨が、あと数か月で三歳になったら、幼稚園か保育園に入れると決めているからだ。どちらでも構わないが、出来れば保育園が理想だ。幼稚園だと二時には帰宅してしまう。そんなにすぐ戻られたのでは、かえってイライラが募る。
仕事がしたかった。したくて堪らなかった。狭い二間しかないオンボロ社宅の、なんだか臭い部屋の中、愛梨と二人で過ごすのはもうウンザリだ。
しかし、保育園に入園できるだろうか。私の住んでいるN市の公立保育園は、素晴らしいだけに人気が高く、簡単には入れない。
広々とした園庭、優しく知識も豊富な保育士さん、手作りの給食とおやつ、知育に気配りした遊び、親に負担をかけないよう配慮された行事。
設備は、どうしようもなくボロく、天井がはがれ落ちたり、トイレから悪臭が漂ってきたり、板張りの床が割れたりというトラブルは多いが、何分、予算が少ない為、少しずつ直していくしかない。
それに高い!公立の保育園は、保護者の収入によって保育料が決まり、公正といえば公正なのだが、価格自体がこんなにも高いと、公正が公正と言えなくなる。夢の保育無償化など、この時は、まだ遠い未来の話だった。
今のところ私は専業主婦だから、夫の収入で判断されるわけだが、年収約600万で保育料は月に3万7千円なり。パート収入を得ても、その半分は保育園にいってしまう計算だ。
それでもいいから、働きたかった。仕事をするのが好きなのだ。お金の問題ではない。従って、例の問題さえ何とかすればよい。つまり「仕事をしてないと保育園に入れず、保育園に入れないと仕事が出来ない」のジレンマさえ乗り越えれば。
簡単でないことはわかっている。待機児童が列をなし、一シーズンで入れるのは二、三人の狭き門だ。保育園入園は、お受験より更に厳しい。
もっとも、それはN市のお母さん達が、働く母を理想としているからでもあるだろう。夫が転勤族である為、愛梨が産まれるや次々と、多くの場所に移り住んできたが、その土地土地によって、人々の暮らしや考え方が違うのは驚くべき程で、まるで異国の様ですらあった。
例えば、Y市に住んでいた時は、そこのお母さん達が財布に「見せ金」を詰め込み、偽のブランド品で飾り立て、聞いてもいないのに「ウチは生活に困ってない」と力説するのに度胆を抜かれた。
大金持ちでもないのに、そのフリをするのを愚かだと笑ってはいけない。富める者に優しく、貧者には冷酷に、を徹底している土地柄だったので、自衛上、金持ち奥様の振りをせざるを得ないのだ。自分の為ではなく、守るべき子供の為に。
実際、ブランド服を着て(リサイクル品)、ブランド物のバッグを持ち(偽もの)、子供に良家風の恰好(ハイソックスとか?)をさせて町を歩くと、微笑を向けられ話しかけられる。
「あらまあ。ウチの子も、昔はそのブランドが好きでしたよ。医学部に入りましたの。お宅のお子様も入れるかもね」
「我が家は代々、一流の企業に勤めてましてね。ウチの子も将来は大物ですわ。お宅もでしょ?」
「ウチは普段は決してファーストフードには入りませんの。今日は、本当に仕方ない事情があって入りましたけど。こんな安い所、嫌でしょう。本当にいつもは絶対に来ません。だから注文の仕方がわからなくて。何しろ、今日だけ来たんですもの。あのカウンターに自分で行くのかしら?あなた、おわかり?」
バカバカしいが、言っている本人は必死の形相である。面白いのは、初対面で、まだ名乗ってもいないのに、いきなりこれをやる所だ。痛々しい。
一方、親子でボロイ恰好をしていると、冷たくされる。Y市に来たばかりの頃、私はそれを知らず、ヒドイ目にあった。
電車に乗り込むなり、子供の足音がうるさいと文句を言われる。混んでもいないのに、デパ地下で子供が突き飛ばされる。歩道の縁石に乗っただけで、遊ぶ所ではないと怒られる。バスの中など地獄も同然で、子供と小声で会話しただけで、喧しいと舌打ちされた。町を歩くだけで緊張する。
最初は、なぜこんな仕打ちをされるのか解らなかった。Y市の人が、礼儀にうるさいのだとばっかり思っていた。
ある日、子供が指先を深く切り、近所の外科に行った。私はTシャツにジーンズ、穴のあいたリュック、まだ一歳前だった愛梨も、同じ様な恰好である。待合室は、身なりのいい年配者で一杯だった。
一斉にジロリとこちらを睨みつけ、愛梨が体を動かす度に肩を揺すって身じろぎし、唇をゆがめてため息をつく。
嫌なムードだなあと思いながらも、悪い事は何もしていないと気を取り直し、部屋の壁際に引っこんで、持参の絵本を囁き声で読んでやっていた。ところが、何の気なしにふっと顔を上げると、皆がこちらを睨んでいる。だんだん腹が立ってきた。
その時、ドアが開いて、愛梨と同い年くらいの女の子が、母親と入ってきた。子供は髪をムースで撫でつけた上で凝った編みこみにし、レースの大きなリボンで止めている。紺のヒラヒラワンピースにハイソックス、黒のエナメル靴。病院に相応しい服装とは思えないが、待合室の中には「まあ、可愛い」の声が湧き上がった。
母親の方は、長い髪をやはり大きな黒リボンのバレッタで止め、垂らした髪先をカールさせて、フルメイク。キラキラのドロップ型イヤリングが目立つ。シルクの様に光沢のある素材のドレスを着、スカートがチューリップ風に膨らんでいた。薄いカーディガンを肩に掛け、なんか大昔に流行ったやり方で袖を合わせ結んでいる。
母子共に具合が悪いようには見えなかったが、彼女たちはすぐに席を譲られ座らされ、周りのご婦人達から「どこに住んでるの?」「どこの幼稚園なの?」と、チヤホヤ話し掛けられている。
無理もないが、子供はすぐに退屈しだし、椅子の上でお尻をピョンピョン跳ねさせていた。エナメル靴の底で床を蹴りつける音が高く響く。やがてぐずり出し、ブーブー言い出したが、母親は愛想よく会話するのに一生懸命で娘どころではなく、周囲のご婦人達も「かわいい」「きれいな娘さんね」を連発する割には、宥めたり遊んでやらないのだ。
だが、冷たい目を向けることもない。
そういう事だったのか。私は理解した。
今現在、住んでるN市は、まったく違う。貧しくても額に汗して働くのを美とし、財布の中身より、どれだけ努力しているかを評価の基準にする。当然、会話の内容もY市と違ってくる。
「給料日前だから、食べるものがないの。大根あげるから、豆腐わけてくれない?」
「スーパーで、ラップが98円の安売りよ。遠いけど行きましょう」
「お下がりで服あげるから、代わりに通園バック、縫ってよ」
初対面同様の相手でも、構わずこんな調子である。私には向いている。
母親同士のランクづけという愚行は、ここにも漏れなく存在するが、N市がユニークなのは、働く母親がトップにくるところであろう。職業に貴賤なしで、職種や肩書、収入はどうでもよく、大事なのは、男女共に仕事と家庭を両立すること。それこそが、最もスマートで、格好いい生活だと考えられている。
市町村や、幼稚園、保育園の開く、未就学児童むけ子育てサロンや、「遊びの広場」に通うと、それがよくわかる。
いつから働きだすか、いくら稼げるか、どこの保育園が募集人数が多いか、どこの幼稚園が二時以降も預かってくれるか、保育料は幾らか・・・そんな話題ばかりである。家事や育児の話もむろん出てくるが「仕事帰りでも素早く作れる料理」「共働き家庭での夫の家事分担は、お風呂掃除か食器洗いか」あるいは「保育園のお着替えはハンパじゃないから、洗濯をどうするか」等々、働く事が前提になっている。私はここで初めて疎外感を感じず、のびのびとできた。偽ることのない自分になれた。
しかし、良い事と悪い事は、背中合わせである。ママ友達は、同士であるのと同時にライバルなのだ。保育園の少ない席を取り合い、戦わなくてはならない敵でもある。どんな手でも使う覚悟が必要だ。それが出来ない母親なら、最初から働く資格などない。私は、先輩ママからハッキリそう言われた。
保育園の申し込みには何枚もの書類が必要で、それを読めば、各家庭の姿が丸裸となる。公正をきすため、全ての項目に点数がつけられ審査される。どの回答に何点つけられるかは、公開されているので、よい点を得るために、みな、必死で頭を絞る。
なかでも重要なのが「就労証明書」である。これは企業が発行するもので、大ざっぱに言えば「このお母さんは、*月*日から我が社で働くので、子供さんを保育園に入れてあげてね」という書類である。「就労中」と「就労予定」があり、むろん「就労中」の方が点は高い。「求職中」の項目もあるにはあるが、ゼロ点も同然となり、評価外となる。
これには悩んだ。私は今現在、無職である。就労証明書は得られない。「就労中」の高得点を取る為には、子供を誰かに預けて就職活動し、仕事が決まってから入園申し込みをしなければならない。それなのに、子供の預け先がないのだ。両親には頼りたくないし、そもそも、向こうが助ける気が無い。夫は忙しくてなかなか家に帰れないし、たまに居ても抜け殻である。どうしたら仕事を探せるのか。
何人かの先輩ママに相談したが「自分で考えなさい」と言われた
「何とかする度量がないなら、あなたは無能だってこと。どうせ仕事も子育ても失敗するわよ。これは、超えなければならない山なの。やり遂げてみせなさいよ」
厳しいものである。だが、私は彼女達の言葉が嬉しかった。闘志が湧いた。難問を叩き付けられ、解決を求められる。そもそも、それが仕事の面白さではないか。
まず、第一にすべきはリサーチである。戦友でもある、ママ友十人に話を聞いた。
そのうち三人は、私立の託児所や保育ルームに子供を入れて、保育園の入所申し込み前に、パート仕事を始めてしまうという。その会社に就労証明を出してもらい、それを添えて願書を出せば「就労中」となり、高得点が取れる。
問題は費用だ。私立の場合、園庭もないビル内の一部屋に過ぎないくせに、保育料は月額六万から八万円。給食は無い所が多く、子供の年齢によっては、離乳食の弁当を持たせねばならない。
目ん玉が飛び出る。当然、家計は火の車になるが、公立認可保育園に入れる為なら、一時期、それぐらいの出費は致し方ないという。
残り七人のうち、四人は実家の親に預けて、やはり申し込み期間前に、パート仕事を見つける予定。もう一人は実姉に。次の一人は、親が軽症ながら持病を持っているので、診断書を添付し「親の介護と介護費用の為に働かねばならない」と訴えるつもり。そして最後の一人は、申し込み前、一時的に離婚する。単身親家庭は、最優先の順位を与えられるからだ。保育園に入所してほとぼりが冷めてから、また夫と再婚すれば問題ない。嫌な手段だが、責める気にはなれない。そもそも、汚い手を使わなければ入園できない、その方がおかしい。
要するに、手段はそれぞれ違えど、十人中八人が、入所申し込みの前に「就労証明」を用意するのだ。この書類がなければ、そもそも勝負にならないとみていい。
次の日、私は、かつての職場の上司に電話をかけ「就労証明書」を書いて欲しいと言った。もう社員ではないのだから、早い話が、ウソの書類の発行を頼んだのだ。この書類は、年金や保険等とはまるで関係なく、保育園の入所に使うだけなのだから、御社に迷惑は掛からないと力説したが、答えはやはりノー。
「力になりたいが、お役所を騙すことはできない」だそうだ。チッ、頭が固いやつめ。
次の日も、また次の日も、私はN市かその近辺にいる知り合いや、知り合いの知り合い、友達の友達やら友達の親戚やら、片っ端らから電話をかけ続け、ウソの書類発行を頼んたが、誰一人、ウンと言わない。
「社員でもないのに就労している事にしろってこと?それってお上に逆らうわけでしょ?」「バレたら、我が社が営業停止になるかも」「もし、役所から真偽の確認電話が掛かったら、どうするのよ?」「怖いからヤダ」
日本人の「お上」に対する恐怖心は、並大抵でないことがよくわかった。
そうこうしている間にも、時間は容赦なく過ぎていく。ママ、ママとしがみつき、泣きわめく子供を、抱きしめ遊んでやり、食べさせ着させ風呂にいれ・・・とやっていると、何もかもが要領悪く、一日がアッという間に消える。入所申し込みの締め切りも近づく。遂に一か月を切った。
私は、一職業人であったころのアドレス帳をひっくりかえし、顔もよく憶えてない、昔の知り合いに電話をかけた。かつての取引先社員の恋人の先輩である。飲み会で数回、話しただけだから、向こうも覚えてはいまい。望み薄なのはわかっていたが、それでも掛けたのは、彼女がN市に転居し、わりと近くの会社に転職したと聞いていたからだ。社員十人前後の小さな会社で、社長補佐をしているらしい。
意外や意外、彼女は私を覚えていた。
「就労証明?ああ、アレ。ウチの社で働いていることにしたいんでしょ。いいよ、書いてあげる。社判も自由に使えるし。役所から確認電話が来るかもって?確かにウチの社員ですが、今は外回りに出てます、とかなんとか誤魔化せばいい。バレっこないよ。すぐに送ってあげる」
あれあれ?である。あまりにも簡単なので逆に不信感が湧き、
「いいんですか?大丈夫です?」と言うと、彼女は
「ウチの会社、もうすぐ潰れるのよ。あと、三か月か、もって四か月。だけどさ、そんなこと保育園の担当者にわかるわけない。平気よ」
「平気よって・・・先輩が平気じゃないでしょう。そんな事情も知らないで、ごめんなさい」
「また、新しく職探すから、私は大丈夫よ。ただし・・・入所申し込みは十二月だよね?結果は三月に出る。その時、うちはまだ存在するから問題ない。でも、四月以降、うちの会社はなくなっちゃう。だから危険よ。わかるでしょ?」
わかりますとも。保育園に入園した後、子供が急に熱でも出せば、園はお迎えの電話を掛けてくる。しかも、携帯ではなく、職場に。ニセ就労証明書に記載されている、会社の番号にかけてくるのだ。その時、「この電話は使われておりません」のアナウンスが流れれば、かなりマズかろう。
「だから、うちが出すニセ書類を使って入園したら、ウソがバレる前に勤め先を探すの。入社したら、うちの社からその会社に転職したことにして、転職届と正式な就労証明を保育園に出し直せばクリア。急ぐのよ」
「先輩・・・なんでそんなに詳しいんです?」
「えへへ・・・私も今、結婚して二歳児がいるのよん。気持ち、わかるんだよ。」
これからも、小まめに連絡をとることを約束して、私たちは電話を切った。
私も、彼女も、ママ友達も、ただ「子育てしながら働きたい」だけだ。悪事を企んでいるわけでも何でもない。それなのに、なぜ、スパイ大作戦みたいなことをしなければならない?
これからもこんな事が続けば、今にきっと「就労証明、売ります。一枚二万円」なんて、闇商売が出来るに違いない。いや、もうあるのかも・・・。
2・
信じられない。入園許可がおりた。地元で一番人気の保育園に我が子が入る。奇跡だ。
合格といっても、愛梨は何一つした訳ではない。この快挙は私が成し遂げたもの、全部が私の功績だ。誇らしかった。
アパートの集合ポストの前で、合否を知らせてきた封筒を握りしめ、私は嬉し涙を流した。自分が大学に合格した時も、就職を決めた時も、結婚式でも、はたまた子供が生まれた時でさえ、私は泣いた憶えがない。映画やテレビドラマと違って、現実では、喜びの涙などそうそう出るものではない。
しかし、ほっと一息はつけない。前述した通り、私の「就労証明書」は偽造のニセモノである。役所にバレる前に、仕事を見つけ、正規の証明書を貰わねばならない。
入園式が終わるやいなや、早速、愛梨を保育園に放り込み、仕事探しが始まった。
今まで、私と二人、ベッタリ過ごしていた愛梨。食べるのも寝るのもいつも一緒。公園や図書館、プール、動物園に水族館、いろいろお出かけもした。寂しくないと言えばウソになる。
登園初日の前夜。私は愛梨を前に座らせ、目と目を合わせて、真剣に話をした。
「ママとパパは、信念と生きがいを持って、お仕事をします。その間、あなたは保育園で遊んで待っているのです。お昼ご飯もお昼寝もおやつも、先生やお友達と食べます。オモチャもたくさんあるし、お庭は広いし、先生は優しい。楽しいよ。夕方には、ママかパパが、必ず迎えにきます。あなたが泣こうが喚こうが、考えは変わりません。だから受け入れるのよ」
愛梨は「わかった」と言って、ニッコリした。三歳でも話せばわかるものだ。
だが、頭で理解していても、心はやはり別である。
初登園日、愛梨は大暴れして私にしがみつき、泣きわめいた。私も、胸の奥がギュウッと締め付けられ、涙がこぼれる。保育園に慣れるまでは早めのお迎えなのに、まるで今生の別れのように感じた。
担任の先生は、ベテランと新人の二人。補助の先生も二人つく。ベテラン先生が、キッパリとした態度で愛梨を私から引きはがし、ギュウッと抱きしめながら、とても優しく話しかけた。
「ママは、かならずお迎えにくるよ。お仕事が終わるまで、お友達と待っていようね。愛梨ちゃんは動物が好きだって、ママに聞いたな。ブロックで動物園を作らない?」
さすが、である。愛梨はまだグズついていたが、運命を受け入れることにしたらしい。
私は、懸命に涙を堪えつつ、よろしくお願いしますと園を出た。
しかし。園が見えなくなるや、呆れるほどアッサリと涙は止まった。結局のところ、愛梨にとってもいい事なのだ。家族とばかりいるより、先生やお友達、たくさんの人と接した方が、あの子の為になる。緊張するだろうし、疲れもするだろうが、楽しい事も多いのだから。
それに、子供のことでウジウジ悩んでいる暇はない。ニセ就労証明の件では、もうすでに良心が疼き始めていた。一刻も早く、仕事を見つけ、堂々と保育園生活を楽しみたい。
パート仕事ならすぐに見つかるだろう、と軽い気持ちでいたのだが、甘かった。時は四月。子供を幼稚園や保育園、小学校にいれたお母さん達が、待っていましたとばかりに仕事を探す時期。
働ける時間も皆、似たり寄ったりである為、競争はここでも激しい。情報誌を見、ハローワークにも通ったが「もう決まりました。また機会があったらお願いしますね」ばかり。
困っている時「子育てママさん大歓迎」という会社を見つけので電話をすると、ぜひ面接に来てくださいと優しく言われた。仕事が見つからず、退園を迫られる悪夢にうなされていた私は、それだけでバカみたいに感激してしまったものだ。
その会社の仕事は、何だか怪しげな健康食品を、電話でセールスする仕事だった。勧誘電話とは、あまり胸躍る職種ではないが、背に腹は代えられない。
面接の日、私は、泣きわめく愛梨を辛抱強い先生に押し付け、自転車をフル回転して会社に向かった。
子供と違って私の方は、とっくに泣かなくなっていた。保育園が、安心して預けられる場所だとわかってきたからだ。
教室は絵本とオモチャの山。おおらかで優しく、経験豊かな先生達。いかにも健康に良さげな、手作り給食とおやつ。一クラス十八人の少人数制。こんなに良い環境で、何の文句がある。
この保育園に居続けるためには、何が何でも、今日、面接に受からなくてはならないのだから、ウジウジしている暇なんてないのだ。
会社のオフィスは、自宅から二十分ほどの、マンションの一階にあった。
入口のドアは、今どき珍しい傷だらけのアルミ製。隙間だらけのガタガタで、後にわかったことだが、夏は蚊が、冬は雪が、そして一年中、外の喧騒と埃が舞い込んでくるシロモノだった。
意味不明な社名がかかった白い表札には、茶色いベタベタした何かが垂れ、もとは白かったと思われる壁はアチコチひび割れ、どうにもこうにも怪しい感じだ。私が客なら、こんな会社に金は渡すまい・・・という思いが頭をかすめた。このドアの向こうに、怪しい連中がたむろしていたら、どうしよう。
しかし、思い切ってドアを開けると、意外にも、大勢の底抜けに明るい声が、耳に飛び込んできた。
「お早うございまーす。さ、入って入って、入って頂戴ねえ!」
ドアの中は、二十畳くらいの、狭い一室だった。ベトついた茶色の埃の固まりが、そこここにぶら下がる黄ばんだ壁。陰気な灰色のリノリウムは穴だらけ。薄暗い室内に、学校の職員室でよく見かけるたぐいのデスクが八つ、壁際に並び、中央にはやけに大きな丸テーブルが置かれている。
そのテーブルには、三十代から六十代の、一目でパートとわかる女性が四人、満面の笑顔で座っていた。
恐る恐る、おっかなビックリで私が入っていくと、彼女達は一斉に立ち上がり、私に飛び掛かるようにして荷物を受け取り、座らせ、お茶を出し、お菓子を出し、自己紹介をし、それらをみんな一緒にやろうとした。リーダーと呼ばれる女性社員と、主任と呼ばれる男性社員が、彼女達をかき分け混乱を収拾するまで、このお祭り騒ぎは続いた。計六人しかいないのに、もっと大勢に感じられた。
取りあえず、ゆっくりお茶でもと言われた私は、改めて周囲を見渡してみた。どこもかしこも、物だらけ。息がつまりそう。
僅かでも平らなスペースには、隙間なく何かが積み上げられている。テーブルとデスクには、端がめくれたり、ちぎれたりした書類や、お菓子の包み紙の山。クシャクシャの茶封筒が、あっちにもこっちにも投げ出され、錆の浮いたグレーのスチール棚には、これ以上は無理、というまでノートやファイルが突っ込まれている。一冊でも抜き出そうものなら、全部が雪崩を起こすのは確実だ。
リングで止めるタイプの、分厚い乳白色のファイルが一つ、今にも落っこちそうになっていたが、背表紙に「どうでもよいもの」と書いてあったので、目を疑った。どうでもよいなら、捨てれば・・・?
デスクの上や壁には、それこそどうでもよさそうなポスターや注意書きが、色あせ破れたまま、しつこくピンで止めてある。最近はとんと見かけなくなったハエトリ紙が、天井からぶら下がり、少なくとも二、三年は取り替えた様子もなく、茶色にねじれ縮んでいた。効果はとっくになくなっているのだろう。その証拠に、数匹では済まない数のハエが、頭上を飛び回っていた。
セールスの仕事だけに電話が多い。一つのデスクに一台ないし二台おかれているが、どれもこれも古めかしい。ダイヤル式からプッシュボタン式に変わったあたり、その第一号かな、という外見である。見るからに汚らしく埃を被り、黄色っぽい灰色に変色している。
立派に育ったゴキブリが三匹、艶々の体を光らせ、くつろいでお昼寝中。二匹はテーブルのど真ん中、もう一匹は電話のコードの下に。
なるほど、エサには困るまい。テーブルの上にはポテトチップ数枚が粉々に砕け、クッキーのかけらが空き箱からこぼれ、床はゴミだらけ。ジュースの空き缶から、オレンジ色の液体が滴っていた。清潔とは無縁。
赤ちゃんゴキブリも、数えきれないほど見かけたが、伸び伸びとして、ちっとも人見知りしない。元気いっぱいチョコチョコと走り回っている。子供というものは、本来、このように育つべきなのだろう。
殺虫剤もハエ叩きも、一切ない。この有様でも、誰一人として言い訳もせずに泰然としている。まあ、確かに生き物は大切にしなくてはならないし、ゴキブリと言えど、殺すのはよくない。
私がなんとか落ち着き、開いた口もふさがった頃。まるでタイミングを計っていたかのように、先程の主任が前に座り、自己紹介を始めた。
名前は笹原さん。年は五十代半ば。最盛期の三分の一くらいに減った頭髪を、頑張って七三に分け、艶々と血色の良い面長な顔に黒縁メガネ。一見、厳格そうな表情が、笑うと一変する。ロックウェルの描く自画像と言えば、かなりイメージに近い。おあつらえ向きに、チョッキにネクタイ姿だ。
とにかく、顔中で笑っている感じなのだ。全身からホカホカと温かいムードを発散しており、のーんびりした気持ちの良い声で、自分の事を「僕」と言う。
「僕はねえ、前の会社をリストラされてねえ。いやあ、困ったよ。子供はまだ高校生だし、家のローンもあるし。だけど、ここの社長が、中学の同級生でね。我が社に来てくれって誘ってくれて。嬉しいよねえ。社長は滅多に来ないけど、そのうち会えるよ。外回りの営業と、離婚訴訟で忙しい人だからね。とても居心地のいい社だから、何にも心配しないで。よろしくね」
これって、面接・・・?
笹原さんはニコニコ。周りを取り巻くパートさん達もニコニコ。私も思わずニッコリ。なんともノホホンとしたムードが流れた。
次に、リーダーと呼ばれていた女性が現れた。今まで電話中だったのだ。相手は客でなく、取引先関係らしいが、きつい口調に聞こえた。厳しい人かも。気持ちを引き締める。
彼女の名前は今西さん。三十代半ばくらいだ。キリッとした眼差し、ハッキリとした口調、明るい笑顔がなかなか美しい。スラリと長身で、更にものすごいハイヒール。スーツの下はピチピチのタンクトップで、髪はクルクルカール。魅力的だが、なんかチグハグな感じがしないでもない。
背をピンと伸ばして、私を厳しく見つめた今西リーダーは、開口一番、こう言った。
「私も一児の母なんです。子供は小学二年。仕事と育児の両立は、とても大変です」
「はあ・・・ええ、あの・・・そうですよね」
「だから、安藤さん。仕事より子育てを優先して下さい。我が社で働くなら、それが条件です」
「ハア・・・え?」
「例えば、子供が病気になったり、保育園の行事などでは、堂々と休んで下さい。そのことでは、一切、遠慮しないで欲しいんです。あなたが、三、四日お休みしても、わが社は潰れはしません。でも、子供にとって、安藤さんは唯一、かけがえのないお母さんなんです!」
「ハア・・・」
「子育てについて、なにか助けが欲しければ、私に言って下さい。出来るだけのことをするつもりです。がんばりますから」
「ハア・・・」
私ときたら、ハアしか言ってない。これって、どういう面接?
「安藤さん、初出勤はいつがいいですか?一週間後くらいでどうでしょう?もちろん、都合がよければ、ですけど」
うーん。私はちょっと考えこんだ。控え目に言っても、この会社はかなり怪しげだ。少しズレてる感もあるし、ここで働いても大丈夫なんだろうか。金を稼ぐどころか、だまし取られたりしないだろうか。でも。
笹原さん、今西リーダー、パートの女性たち。彼らの笑顔。その暖かさ。私は自分の直感を信じることにした。
「よろしくお願いします」
3、
初出勤の日。私は、4人のパートさん、今西リーダー、笹原さんに取り囲まれて、一気に色々と教えてもらった。
出社したら、まずタイムカードを押すこと。遅刻しそうなら、誰かに押してもらえばよいこと。顧客リストの番号に電話して、マニュアル通りに商品を薦めること。買う人はあまりいないので、契約が取れなくても気にしないでよいこと。万一、契約が取れたら、ボードに記入すること。ノルマはないので、契約が取れても給料は増えないが、取れなくても減らない。社長の機嫌のいい時には、ポケットマネーでボーナスが出ることも。給与計算をよく間違えてしまうので、自分で計算しておくこと。順番にお茶くみをすること。社長の使ったトイレは目茶目茶に臭いので、続けて入らないこと。半年に一回、トイレ掃除をすること。事務所の掃除は、年に一回限りと決まっていること。
全員が思いつくままに、口々に言い立てる。順序もなにもあったものではない。取り留めもなく、まだまだ延々と続いていく。
事務所の奥に簡易キッチンがあるが、そこのタオルは、一年間も洗ってないので使用禁止。声を使う仕事なので、1時間ごとに十分は休憩をとること。天気が悪い日は、無断欠勤可。社長夫人が来たら「社長はいない」と言う。夫人が鋏、カッター等を持っていないか注意する。夫人が備品を盗まないか見張る。私立探偵がきたら事務所に入れない、話さない。警察が来たら「社長はいない」「社長の車は見てない」と話すこと。
なんだか言わなくてもいいことや、聞かなければよかったことが、多々ある気がしたが、みんながニコニコ楽しげなので、口には出せなかった。
続いて、今西リーダーが、四人のパート仲間を紹介し、それで研修はおしまい。
肝心の電話セールスについて教えて下さいと頼むと「気にしないでいいよ」と言われた。相手が電話に出たら、マニュアルのセリフをガアーッとしゃべり、最後に「お買いになりますね」と言えばよいのだそうだ。営業のコツを聞いたら「息継ぎしない事だろうなあ」と言われた。それでいいと言うなら、こっちもそれでいいけれど、本当にそれでいいのだろうか。
でも、まあ、がんばってみよう。それに時給は900円(当時)で、このあたりでは、格段によい。契約が取れなくても貰えるのだから。
入社して一週間。私は、もうすっかりこの社になじんでしまった。実に居心地が良い。もう何年も、ここで働いている気がした。
前述したように、この仕事には一つの決まりがある。一時間、電話でセールスしたら、十分間は休憩し、喉を休めること。もちろん、休んでいる間も時給はでる。
だが、実際にはこの規則、全く守られていなかった。現実には「三十分、仕事をしたら、三十分やすむ」はたまた「ニ十分、仕事をしたら、四十分やすむ」
今西リーダーや笹原主任が、外回りで事務所にいない時は、大抵これが「十分、仕事したら、五十分やすむ」になる。上司二人が、意味もなく気分が良い時には「ゼロ分、仕事して、六十分やすむ」となる。
しかも、この多分に融通のきく休憩時間中、パート仲間が何をしているかというと、ひたすら絶え間なく、息継ぎもせずに、ただただオシャベリしているのである。喉を休めるという本来の目的とは、遠く離れてしまっている。
例えば、我が社の朝の風景は、こんな具合だ。
その日、私は格別に機嫌が悪く、プンスカ腹を立てながら職場に到着した。乱暴にドアを叩き付け、ジャケットを椅子には放り投げる。好奇心に目を輝かせたみんなが、ワラワラ近寄ってくる。一人はお茶を出し、もう一人がお菓子の袋を開ける。タイムカードを押してくれる人までいる。そうすれば、早く話がきけるからだ。
私は、ぶちまけた。
原因は、娘の愛梨だ。入園して、もう二か月半もたつというのに、登園時の大泣きが収まらない。それどころか、どんどんひどくなっている。
毎朝毎朝、教室の前で嫌だ嫌だと大騒ぎされ、ママと一緒がいいとしがみついて離れず、抱きとろうとする先生を、打つやら蹴るやら引っ掻くやらの大暴れ。恥ずかしいし、時間も食うし、情けなくて腹が立つ。
仕事が終わってお迎えに行けば、抱っこ抱っこで一歩も歩かず、もうすでに体重が重いだけに、腰を痛めてしまいそうだ。下に降ろそうとすれば、道路にひっくり返って、声を限りに泣き叫ぶ。手足をバタつかせて、決死の大騒ぎ。通りすがりのオジサンやオバサンが、アメを差し出し慰めようとしても、全てを拒否してのギャーギャーワーワーは止まらない。
家に着いても、抱っこ抱っこの抱っこ三昧は高まるばかり。片手で娘を抱えながらでは、夕飯の支度もお風呂の準備もとぎれとぎれ。帰宅してそうそう叱りたくもないので、抱っこしながらオモチャで遊び、抱っこしながら絵本を読み、抱っこしながら歌を歌って、しがみつく愛梨を宥め宥め、夕食、入浴、寝かしつけとこなすのだが、夫は仕事で深夜まで帰らず、一人では何もかもがスムーズにいかない。料理は焦がすし、洗濯物は飛ばすし、部屋は散らかり放題で、布団は湿ってる。愛梨のオムツも湿ってる。窓ガラスはベタベタだし、カーテンはビリビリだし、愛梨の声はガラガラだし、優しくしてやりたくとも、私の声もついつい苛立つ。
一夜明けて朝が来れば、洗濯干しも掃除機かけも、朝食の支度も朝食も、お着替えも、歯磨きも、検温も、皿洗いも、もう何もかも、抱っこしながらこなさなくてはならない。死にそうだ。
常に、ムギュウッと抱きつかれていると、暑苦しいし、気分も体も重たいし、我が子といえども、もーうざったい。
聞いても聞いても、まだ聞いてくれとウルサイ子供の話は、最初から最後まで、何を言っているのか皆目わからず、かといって「わからん」と正直にいえば、敵はキレて、泣くやら物を投げつけるやら。
悪戦苦闘の一日は、いつ終わるのかも、いつ始まるのかも定かではない。夜の十一時すぎまで、愛梨はらんらんと目を覚ましている。そして、もちろん朝は起きない。
布団をはがしても、くすぐっても、顔を拭いても、絵本を読んでも、テレビをつけても、音楽を鳴らしても、抱きあげても、ダメ。グーグー鼾をかいているのだから、本物だ。かと思えば、次の日には、朝の四時にパッチリとお目覚めしたりする。何なんだ、コイツ。
本当は、怒鳴りつけてひっぱたき、蹴り飛ばして追い出したい所だが、それはしない。私は、子供に決して手を上げないと誓ってる。弱い物いじめは嫌いだ。
今の所、何とか誓いを守れてはいるが、ストレスのたまる事、甚だしい。みんなに話を聞いてもらって、どうにか精神のバランスをとっている。
この職場のパート仲間は全員ママだから、理解が早い。わかるわかると、勢い込んでうなずき、やがてわれ先にと、子育ての悩みをぶちまける。よく言われるように「あなただけが苦しんでいるわけではない」のだ。
工藤さんが、話し始めた。彼女は、私より一つ年下の三十三歳。四人の子供がいるが、外見からはとてもそうは見えない。短い髪を金茶色に染め、日焼け肌にバッチリのアイメイク。ポッチャリとした体をTシャツと短パンに包み、パンク系のジャケットに厚底サンダル。彼女が動くと、ベルトについた鎖がチャラチャラ揺れて、そこらの物をなぎ倒す。
工藤さんの苦しみの元は、小学三年生の長男だ。
この子は、学校からのお便りをすぐになくしてしまう。ノートもなくす。宿題プリントもなくす。他人に見られたくない、ひどい点数のテストも、どっかにやってしまう。体操着をなくしたのは三回目だし、水着は二回なくしたし、靴下もほとんどなくなった。縄跳びもなくした。ハンカチやティッシュなど持たせるだけムダ。どうやったら靴や上履きをなくせるのか、不思議で仕方ない。筆箱も消えたし、帽子など、いくつ購入してもたちまち消え失せる。カサなんてもう、何本目なのか数える気力もない。
絵具箱、習字箱は箱ごとなくなる。縦笛も落とした。物差しも落とした。給食の白衣、マスク、キャップもなくなり、何度も何度も買い直し。手元に戻ってくるものも多いが、再び目にすることのないものも少なくない。もう嫌だ。
まさかと思うだろうが、この子はランドセルまで二度もなくしている。幸い、二度とも、付近の住民が発見。学校に届けてくれたからいいが、安い金額の物ではないのだから気が気ではない。それに・・・。
工藤さんは、大きく息を吸い込み、頭を抱えて髪をかきむしった。
最悪の出来事は、一週間前に起こった。その日は遠足だったので、彼女は朝五時に起き、弁当を作った。卵焼きにソーセージ、肉団子にミニトマト。おにぎり二つ、デザートにゼリー。箸と一緒に袋に入れ、子供にちゃんと手渡した。水筒は子供が好きなキャラクターの新品だ。
長男はリュックを背負い、工藤さんは、保育園に通う下の子供三人を急き立てて、保育バックの山と共にアパートの玄関を飛び出す。行ってらっしゃいと長男に手を振り、長女(四歳半)、次女(三歳)次男(一歳)を保育園に送り届けてから職場に到着。工藤さんは、ここでやっと一息つけた。
まるで仕事に守られているかの様に、心安らかなる時を過ごした工藤さんは、三時に退社したとたん、ショックに見舞われた。結界から一歩踏み出した途端、魔物に襲われるようなものだ。
長男の担任である、初老の男性教諭からの電話だった。ディスプレイに表示された番号に不吉な予感を覚えたものの、出ない訳にもいかない。出た途端、後悔した。
やけに優しい口調で担任が言うには、工藤さんの長男が、遠足に弁当も水筒も持ってこなかった事。仕方なく、自分がパンを買って与えた事。お母様もお忙しいだろうが、ちゃんと用意してあげて欲しいという、お願いであった。
まるで、自分が弁当作りをサボったみたいではないか。顔から火が出た。
なんでも、担任が長男に「お母さんにお弁当、渡されなかったの」と聞いた時、子供は「わかんない」と答えたらしい。
平身低頭、電話を切った工藤さんは、怒りの炎と化した。体を震わせながら家に戻る。長男はまだ戻っていない。四人共同の子供部屋に飛び込むなり、机の下に、弁当箱が転がっているのが目に入った。水筒は、なぜかベランダで発見された。
その両方を手にした時、工藤さんの目から涙がこぼれ落ちた。怒りは消え失せ、子供が可哀想でならなかった。
楽しい遠足。友達は、嬉しそうに弁当を広げる。なのに、あの子のリュックは空っぽだったのだ。どんなに戸惑い、ガッカリしただろう。先生にパンをもらい、寂しそうにボソボソ食べる姿が目に浮かぶ。喉も乾いたろうに、飲み物はどうしたのか。
可哀想、可哀想。私が至らぬ母だから、こんな事になった。下の子達にばかりかまけて、忙しいなんて言い訳だ。
その夜、工藤さんは長男を抱きしめ、泣いて謝り、言葉を尽くして慰めた。子供も素直に頷き、もう二度と忘れ物しません、と誓った・・・。
テレビドラマや映画なら、これでメデタシメデタシとなるのだろうが、現実はさにあらず。
次の日、長男は算数ドリルをどこかにやってしまった。やがて、音楽のノートがなくなり、レインコートも消えた。三枚目だったのに。友達から借りたコマをなくし、防犯ブザーが見えなくなり、書道の教科書がない。妹から借りたペンをなくし、靴ひもが片方なくなり、手提げ袋もなくなった。図書館の本は、今、必死に探しているところだ・・・。笑わないでちょうだい、マジな話なのよ、これは。
「人間ブラックホール!」と今西リーダーが叫ぶと、その場の全員が笑い出す。そして、みんなが魔法の言葉を言い合い、頷きあう。
子供なんて、そんなもの・・・子供なんて、そんなもの・・・どこの子だって、みんなみんな、そんなもの・・・そうそう、子供なんて、そんなものなのよ。
やがて、工藤さんも笑い出す。子供が大きくなってしまえば、どんな失敗も笑い話になるだろう。でも、今、笑い話にできるなら、それが一番いいのだから。
笑いが収まったところで、今度は坂下さんが話し始めた。
彼女は三十八歳になる、色白でふっくらした、可愛い人だ。2人の子供がいるが、上の子は一年生、下の子は幼稚園に行かせてる。ずっと専業主婦で、専業主婦以外の何者にもなるつもりはなかったのだが、夫がリストラされた為、働かざるを得なくなった。
雀の涙の退職金や失業手当は、家賃や光熱費、幼稚園代その他もろもろに消え、肝心の食費が出ない。今では、坂下さんの実家から、毎週段ボールで送られてくる食料を頼りに暮らしている。
そんな大変な状況下でも、彼女はあまり追い詰められた様子もなく、いつもゆったりとした微笑を浮かべている。「これが初めての苦労なんだから、私はラッキー」とか言ってノンビリしている。夫は仕事を見つけるだろうし、両親は支え続けてくれるだろうし、遠からず全てがうまくいくだろうと。
しかし、そんな坂下さんにも怖いものがある。七歳と三歳の男の子。彼女の子供たちだ。
この二人が生きているのは、奇跡としか言いようがない、と坂下さんは言う。ヤンチャとか暴れん坊とかで言い表せるレベルではないのだ。
例えばどこかに出かける時、それがスーパーだろうと公園であろうと、病院であろうと、遊園地、図書館、祖父母の家、行き先はどこであろうが同じで、一歩でもマンションのドアを出たら、二人は忽ち消えうせる。アッという間もない出来事だという。
兄弟は、坂下さんの手を振り払い、兄は右に弟は左に、あるいは兄が左なら弟は右に、とにかく、必ず正反対の方向に別れて、どこまでも全速力で、矢の様に突っ走る。運動があまり得意でない坂下さん。追いかけるどころか、目で追うのすら不可能なスピードだ。
せめて同一方向へ走ってくれるなら、何とか追いつけるかもしれない。自転車やタクシーを使う手もある。だが、兄弟は、絶対に並んで走らない。仲が悪いというわけではない。むしろ他人には理解できない二人だけの理由があるらしい。
一人を追いかけて捕まえるのに、だいたい三十分かかる。親切な通行人の手を借りてもだ。二人分で一時間。その時には、もうどこへ行く気も失せている。
二人を捕まえ、抱きしめ、頭を一発ずつはたき、この大捕り物に参加してくれた人々に頭を下げ、天を仰いで無事を感謝する。
これを、毎日毎日、やってみるといい。息も絶え絶えになる。
それに、今日、幸運だったからといって、明日もそうだとは限らない。事故に会うかもしれないし、大けがを負うかもしれない。
「それは、大変だわあ。なんで、そんな事するのかね」
私が言うと、坂下さんは笑って手を振り、
「いやいや、これだけなら、まだ何とか我慢できるんだけどね。今、本当に困っているのは、下の子の問題」
幼稚園年中組の弟が、世にも恐ろしい奇怪な行動をとるのだという。
断っておくが、ここで言う所の恐怖とは、あくまで母親の目線での事だ。ホラー映画に登場するようなシロモノではない。が、まかり間違えば、ニュース速報ぐらいにはなってしまうかもしれない。
はっきりとは決まっていないが、だいたい週に一、二回、その子は、朝四時頃、ムックリと起き上がる。一緒に寝ている家族に声もかけずに寝室を出て、勝手に顔を洗い、幼稚園の制服に着替える。シャツが後ろ前だったり、靴下をはき忘れたり、帽子が逆だったりするが、とにかく着替えると、空っぽの通園バックを肩にかけ、玄関ドアを開けて出て行ってしまうのだ。わずか四歳の子が、ドアチェーンを開けられまいと思うのだが、台など使った様子もないのに、これがなぜか外してしまう。
行先は、同じクラスの友達の家。いつも同じではなく、その時々によって尋ね先は違う。中には、坂下さん自身も知らない家すらあり、なぜ住所を把握しているのかわからない。大人の理解の範疇を超える行動をとる子供は多いが、ものには限度がある。
目的地にたどり着くと、ドアベルを鳴らしたり、ドアをドンドン叩いたりして、家人を無理やり起こす。目を覚ますまで、大声で呼びかけることもある。
眠気の覚めやらぬ顔で住人(これは大抵、友達の母親だが)がドアを開けると、子供は当然の様な顔で上り込む。仰天して訳を尋ねる大人たちに、彼はしごく落ち着いた様子でこう答える。
「○○ちゃんと一緒に幼稚園に行こうと思って。ウチのお母さん、朝ご飯作ってくれないから、おばちゃんが作ってよ」
誤解を招く言い方だ。
電話を受けた坂下さんが、取るものも取り合えず駆けつけると、当の子供は澄ました顔で食卓につき、味噌汁なんぞ啜っているのである。
今の所、文句を言ったり、不愉快な顔をする人は誰もいない。バカっ早く叩き起こされ、食事まで作らされているというのに、どこのお母さんも、
「いいの、いいのよお。うちの子も喜んでるし、楽しいわ」
と寛大だ。暖かさ、情がありがたい。
でも、迷惑を掛けている事は確かなので、坂下さんとしては、実に肩身が狭い。更に堪らないのは、土日祝日、夏休みにも、これをやってしまう事だ。さすがの、天才四歳児も、カレンダーは解らないらしい。
まだ、外は暗い時間でもあるし、事件や事故に巻き込まれる可能性もあるから、坂下さんも厳しく叱る。危ないからやめて、と泣きつく。お尻やほっぺを引っぱたく。蹴り飛ばしすらしてみたが、子供はどこ吹く風と知らん顔だ。寝室に鍵を付ける事も考えたが、夫の帰宅時間が不規則だし、上の子が夜中にトイレに行く場合もあり、ドアが開かないと布団の上に惨事を招く。
仕方ない、としか言いようがない。子供の中には、本当にタダモノでないスゴイ奴が、時々、存在するのである。押さえつける方法はない。一つを解決しても、別のが出てくる。終わりはないのだ。
無菌室に防護服で閉じ込めたところで、怪我をする子はするし、しない子はしないものだ。どの母親も、毎日をただひたすら、無事を祈ってハラハラしながら過ごしているのだ。
坂下さんは、フンワリと笑った。
「誰も安全とは言えない訳ね。以前ね、上の子が、箸を私の耳に突っ込んだから、鼓膜が破れちゃったのよ」
子育てには、危険がいっぱいだ。
それからも、様々なエピソードが、出てくるわ出てくるわ、限りが無い。
鹿田さんは四十三歳。ショートカットで色白の艶々肌。分厚いメガネをかけている。子供は小学三年生。やはりメガネをかけており、素晴らしい美少女だ。
天使の様なこの子、実は算数が異常に出来ない。他の教科も総じてダメというなら、まだ諦めがつくのだが、そうではない。算数以外の勉強はまずまず出来るし、英語や国語などは楽しんですらいる。テストも満足な点数だ。なぜか算数だけが、絶望的な状態だという。
「三年生か・・・だと、九九とか習ってる時期かしら」
と言うと、鹿田さんはフーッと大きくため息をつき、
「掛け算はもうマスターして、割り算とかに進まなきゃいけないのに。どうして、あんな状態になったのかわかんない」
あんな状態というのは、どんな状態かというと、こんな状態であった。
彼女の娘は、一から十までの数字は自信を持って答えられるが、十から百まではまるで自信が持てない。百から上となると、ぼんやりイメージするのが精いっぱい。足し算は、一桁のものですら間違いだらけで、二桁になればお手上げとなる。三桁ともなれば、宇宙の謎も同然だ。引き算は未知との遭遇であり、掛け算は雲よりまだ遙か掴めず、メートルとかグラムなどの単位にいたっては、ラテン語が解らないのとご同様、全く解ってない。
時計の読み方を苦手とする子は多いが、彼女の娘には、時を計るという事がすでに理解不能。
最もやっかいなのは、文章問題である。「タケシさんはキャンディを十個もっています。ケイコさんは二十三個もっています。合わせていくつ?」という、アレ。タケシさんがドウシタコウシタという文章、いわば国語の部分は理解できても、数字の部分が解らない。せめて、どちらが多いかぐらいでも答えられればと思うのだが、それさえも首を傾げる。二十三と十と、どちらが大きい数か、掴めないのだ。
鹿田さんの娘が、自信を持って答えられるのは、キャンディをたくさん食べられていいな、という事だけだ。テストで百点を取るのに十分な知識とは言えない。
そんな風だから、算数のテストはいつも五点か六点。変にハンパな数字なのは、本当は〇点なのに、先生がゼロを記入するに忍びず、おまけしてくれているからだ。この5はキレイにかけたから、点をあげましょうね(答えは間違ってるけど)という訳。
鹿田さんは、何度も担任に相談したが、いつも、
「あせらない、あせらない。気長に見守りましょう。特別、丁寧に教えていますから。いつか、きっと出来るようになります」
と言われるばかり。先生のいう事が正しいとは思うのだが、不安は拭えない。
「でもさあ、鹿田さんって、何かしてあげてるの?一緒に宿題するとか、テストを直すとか」
工藤さんが尋ねたが、鹿田さんの答えは一言、
「面倒くさい」
みんなが、一斉に笑い出す。
「それなら大丈夫」
首を傾げる鹿田さんの肩を、工藤さんがピシャッと叩いた。
「親が勝手に心配して、勉強勉強ってがなり立てると、ホント、碌なことないよ。ガミガミいうのもムダムダ。ほっときな。必ず、何とかなるから」
「友達の子供、小5だけど、やっぱり時計だけは読めないの。子供ってバランス悪いから。何もかも出来るって訳にはいかないわ」
私が言うと、坂下さんも、
「勉強だけじゃなく、なにもかもバランス悪いよね。背ばっか伸びてガリガリだったり、小さくて丸々と太ってたり。色々だもの。肉ばっか食べたり、トマトしか口にしなかったり。運動嫌いで動かない子もいれば、その逆も。何でもアリだもんね」
激しく首を上下させた工藤さんは、
「知り合いの子は小2だけど、文字が読めないよ。でも、その子のママも、雑誌一つ読まない文字嫌いだからね。だけどさ、美容師として、ちゃんと社会人やってるよ。心配いらんって」
鹿田さんは、大げさにため息をつくと、
「まったく。あんた達に相談しても、何一つ解決しやしない」
工藤さんは、バンッとテーブルを叩いた。
「それがどうしたのよ?解決なんて必要ないの。あんたの子がさあ、バアサンになるまで算数オンチだったとしても、いいじゃん、そんなのどうでも。親はただ受け入れて、受け止めてあげるしかないんだから」
「私達の社会もね」
今西リーダーがポツンと言った。見つめられると顔を赤らめ、
「何でもムラなく出来る子ばっかり求める社会なんて、おかしいよ。色々な人がいて、それぞれ出来る事と出来ない事があってさ。それこそ普通じゃないって・・・そうスルって自然に受け入れる社会がいいよね」
しばらく、沈黙が流れた。それぞれ、自分の考えを追って・・・。
「ところでさあ」
工藤さんが、笑いを堪えたような声で言う。
「仕事は?」
始業から二時間もしゃべってた。こと、かような我が社なのである。
4、
働く母は、二十四時間、暇なしで忙しいが、特に朝は、ゴールデン・クレイジーアワーである。職場に到着した時は、髪は乱れ、汗まみれで、化粧はすっかり落ちている。
その日も、飽きもせずに泣きわめく愛梨を保育園に突っ込み、大慌てで出勤したわたしは、丸テーブルに座る若い女の子に気が付いた。どうやら新人さんらしい。
挨拶もそこそこに、自分の席に滑り込んだ私に、笹原主任が、ホワワワーンという調子で声をかけてきた。
「やっと来た来た。雨が降り出したからなあ。保育園の送り迎えは、大変なもんだ。頭、濡れてないか?タオルいるか?」
しかし、私の返事を待つことなく、早速、女の子の紹介に入る。というのも、この社に常備してある数枚のタオルは、どれもこれもカビ臭く、中には腐臭を漂わせ、ヌルヌルベトベトしている物すらあるからだ。いっそ、常備してないほうがよいと思うのだが。そんな訳で、返事を聞くまでもない。タオルは誰も使わない。
笹原主任独特の、あまり要領を得ないが温かみのある紹介によれば、新人さんの名前は小山リサさん。十七歳。みんなよりずっと若いので、面倒をよくみて可愛がってあげてほしい、ということだった。
言われるまでもない。私達は一斉に明るい笑顔を向け「よろしくね」「何でも聞いてね」「楽しくやっていこうね」と、優しく話しかけた。
リサちゃんは、いちいち「はい」「はい」と行儀よく返事は返すものの、顔は無表情で、目は膝に落としたまま、あまり元気がない。どうも、内気で大人しいタイプのようだ。
それにしても若い。私には、十七歳には見えなかった。小柄で、ガリガリに痩せている。お化粧っ気のない顔はとても白く、目も鼻も口も小作りで、さっぱりとした顔立ち。染めていない髪は、前を眉のすぐ上で切りそろえ、肩下までの後ろ髪は、黒いゴムでキッチリ一つにまとめている。
シンプルな黒いTシャツに、だぶついて古ぼけたジーンズ。使い古したスニーカーという恰好で、中学生といっても通るだろう。
パート仲間達は、たちまち彼女を、この楽しき我が家の一員にすべく、張り切りだした。私達にとって一番の、というより唯一の目標は、誰でもリラックスして楽しめる職場作りだからだ。ちなみに、営業のノルマを果たす事が、目標になったためしはない。
リサちゃんは、あれやこれやと、まさに親切責めとなった。何だかんだと話しかけ、契約が取れれば、花火でも打ち上げんばかりに褒め上げ、失敗すれば、落ち込んでもいないのに慰め、自分が取った契約は分けてあげた。他のメンバーはみんなママだし、リサちゃんはとても幼く見えるので、保護者意識もくすぐられる。
ところが、待てど暮らせど、彼女は一向に打ち解けようとしなかった。二か月たっても、三か月たっても、彼女はみんなの輪に加わらない。
何を聞いても、どう話しかけても、リサちゃんの答えは「はあ」「いや・・・」「そうですね」ばかり。答えないことも多く、自分からは何一つ言わない。みんなのオシャベリは、じっと注意深く聞いているし、それなりに楽しそうな表情になることもあるが、参加はしない。とにかくダンマリである。
まあ、それならそれでよい。大勢で賑やかに騒ぐのが好きな人ばかりではないのだし、やはり、年齢も違いすぎるのだから。
みんな、彼女への思いやりはそのままに、少しそっとしておくことにした。
ところが、ある嵐の日、大きな変化が訪れた。
その日は、雨が激しく降り、時おり雷鳴が轟いた。会社のオンボロドアはがたがた震え、蝶番ごと吹っ飛ばないのが不思議なくらいだ。駐輪場にママチャリが一台もないのを目にして、私はヤッパリねとニヤついた。
この社のパート達は、雨や雪やミゾレや槍などが降っていると、無断欠席をする可能性が高いのだ。
果たして、事務所の中には、いつもの半分もメンバーがいなかった。こんな日は当然、契約もほとんど取れない為、今西リーダーや笹原主任も、ファミレスでお茶など飲んで、羽を伸ばす。
リサちゃんは来ていたので、
「おはよう。すごい天気だね」
と声を掛けながら、隣の席に腰を下ろした。一週間前に席替えがあり、彼女の横に移ったのだ。いつも「はあ」とつぶやきながら頭を下げるだけのリサちゃんが、なぜかこの日、
「お早うございます。私もずぶ濡れになっちゃいました」
と、はっきりした声でしゃべったのでビックリした。そこで、今こそなにか話そうとしたのだが、どう話題を振ればいいのかわからない。仕方なく、
「うちの社は、若い子がいないから淋しくない?リサちゃんは高校生?」
などと平凡な事を尋ねてしまった。何しろ彼女は何もしゃべらないので、そんな事も知らなかったのだ。すると、
「私、高校には行ってないんで。中卒です」
という返事が返ってきたので、更にビックリした。
中学を出て、すぐ働きだす子がいることは知っていたが、会うのはこれが初めて。私の中には、日本の子供たちはみんな高校へ行く、という変な思い込みがあったのだ。
「高校へ行かずに働くなんて、えらいね」
思わず、そう言っていた。私が十七歳だった頃には、働く事など考えてもみなかった。お小遣いをもらっていたし、放課後や休日は、家事をこなしてから図書館に籠るのが最高の幸せ、という高校生だったので、お金も大して必要ではなかったのだ。交友関係も広くなく、ファミレスやショッピングセンターへ行くのも嫌いだった。自由な校風で知られる高校は、私服もメイクもアクセサリーも何でもOKだったが、だからかえってそうなったのか、私を含め、ほとんどの生徒はオシャレに全く関心がなかった。髪を染めた子が一人だけいたが、学校中が大騒ぎになり、次の日には黒髪に戻っていた。素朴なものだ。
でも、近頃の若い子は、そうではないだろう。気楽に遊びたいだろうに、働いて自立するなんてすごい事だ、エライ。
そう言うと、リサちゃんは、横目でチラリと私を見、
「えらくなんてないですよ。私、今は父親と住んでいるんですけど、働いてお金を渡さないと、家を追い出されるんです。食費、光熱費、部屋代はもちろんですけど、他にもトイレットペーパー代やら、洗剤代、シャンプー代、お風呂使用料まで請求されて。払わないと殴られて、出ていけ出ていけって、喚きまくり。貧乏だからなのか、ケチなんですよ、うちの父親」
ケチ?極悪非道だ。まだ成人してもいない娘に、そんな仕打ちはあんまりだ。
その一方で、本当の話かしら、と疑う気持ちもないではなかった。信じられない話だし、大げさに言っているのかも・・・と思ったのだ。そこで、わざと軽い調子で、
「洋服代とか靴代とかも、自分持ち?化粧品なんかも買いたいでしょうに」
と聞いてみると、彼女はなぜかニコニコ笑って、
「私、今風の服は着ないんです。メイクも絶対しません。メチャクチャ怒られるんで」
と、明るく言う。何だか楽しげですらある。その突然の変化に戸惑いつつも、
「あなたのお父さんって、ちょっとひどくない?」
と聞くと、彼女はビックリしたような顔をして、手を振り回し、
「違います、違いますよお。怒るのは、彼氏です、彼氏。父親じゃありませんって」
「へ?」
そんな事も解らないのか、といった調子に加え、いきなり話が飛んだので、一瞬、へどもした。
しかし、その後も、リサちゃんとよく話をするようになると、それが、彼女の喋り方だということが、わかってきた。話が飛んだかと思うと突然戻り、なんの説明もないまま進む。自分が知っている事はみんなが知っている的な感じで、いつも「頭が悪いんだから、やってられないよ」という苛立ちが混じる。実際に私が鈍いのかもしれないが、話を理解するのに時間がかかった。
その時の私は、リサちゃんの父親の話をもっと聞きたかったのだが、なにやら複雑そうな家庭事情より、彼氏の話のほうがしやすいかもしれないと思い直し、
「彼がいるの。まあ、いいわねえ」
そう言うと、リサちゃんはフンッと鼻で笑い、
「安藤さんだって、結婚してるんでしょう?だったら同じじゃないですか。彼氏って言うか、旦那ですから」
「ん?」
彼氏なのか旦那なのか、どの話をしているのか。さっぱり解らない。やっぱり私が鈍いのか。
悪戦苦闘の挙句、なんとか聞き出したところによれば、リサちゃんには同年齢の恋人がいるが、二人とも早く子供が欲しいので、半年後には結婚する予定だ。だから、恋人というより夫も同然なのだ、とまあ、こう言いたかったらしい。
「実は私、本当に本当に子供が欲しいんです。出来るだけ早く、出来るだけ沢山の子供が産みたい。男の子と女の子、その両方で五人か六人。年子でも全然よくて、双子とかもいいかも。とにかくどんどん欲しいんです。安藤さんだって、子供さんいるからわかりますよね?子供がいれば、もう淋しくない。一人ぼっちじゃない。ママと子供は絶対に離れ離れにならないし、子供は私のものだから、ずっと一緒にいられる。子供は私の傍から離れないもの。みんなに囲まれてワイワイして、もう孤独にはならない。でしょ?今の彼は、嫌な所もいっぱいあるけど、子供好きだし、仕事もあるし、家族、作れそうかなって。子供には父親も必要ですから」
リサちゃんは、まるで何かにとり憑かれたかのように、息継ぎももどかしく、ひたすら話し続けた。私は呆然とし、口を挟むこともできなかった。
話し方も不思議だったが、その内容はもっと不思議だ。順序がよくわからない。
若い女性の場合「恋愛して結婚し、セックスして子供を持つ」という順序で将来を語る人が、まだ比較的多いのではないだろうか。いや、昨今の事情を鑑みると「恋愛してセックスし、結婚して子供を持つ」「恋愛してセックスし、子供が出来て結婚する」の順序かもしれない。もちろん「恋愛するが結婚しない」とか「結婚しても子供は持たない」という選択肢もあるし、人それぞれだ。だから、リサちゃんがどういう考えをしようと、それも自由なのだが、それでもやはり・・・。
リサちゃんは、子供が欲しくて欲しくて、ただひたすら子供が欲しい。妊娠する為には男性が必要で、子供の為には父親が必要。だから結婚する、という順序なのだ。どうしてそこまで子供が欲しいのか。尋ねかかって、慌てて口をつぐんだ。リサちゃんがもうすでに、答えを言っているではないか。
「子供がいれば寂しくないから」と。
子供は寂しさを埋める道具じゃない、そんな常套句があわや口から出そうになったが、彼女の思い詰めた必死の表情を見ると、なにも言えなかった。リサちゃんが間違ってるとは決めつけられないし、真摯な気持ちを傷つけることもしたくない。
そこで、子供の話はいったん脇に置いておいて、もう一つ、気になったことを尋ねてみた。
「彼氏は嫌なところもいっぱいある」
という言葉だ。私は、
「彼も子供好きでよかったね。気は合ってるんだ?」
と言ってみた。リサちゃんは突然、サアーッと無表情になり、子供の話の時とはうって変ったコソコソ声で、
「えっと、まあ、あの、そうですね・・・。あ、あの・・・大したことじゃないんですけど、お金の使い方がちょっと・・・。その、彼が悪いんじゃないんで、嫌って言うんじゃないんですけど、やっぱり嫌っていうか、嫌だと思う自分が嫌だっていうのか・・・。でも、大したことじゃあないんだと思うんですけど、気になるっていうのか・・・」
しばらく待ってみたが、それ以上は話が進まない。でも・・・あの・・・の繰り返しで、何か言いたいらしいのに、言葉にならないのだ。それで、つい、
「ギャンブルするとか?」
と聞いてしまい、私は地雷を踏んだことに気が付いた。リサちゃんは、サッと顔を上げて私を睨み、
「彼はそんな事しないって、わかってるじゃないですか!」
と声を荒げた。叱られても、私はその彼とは一面識もないのだが。
言い訳する暇もなく、リサちゃんはプイッと横を向き、貝のように押し黙ってしまった。取りつく島もない。仕方ない。話の続きはまた今度だ。
たいして待つこともなく、次の機会は早くきた。子供を熱望する彼女は、出産や育児、家族について、誰かと話したくて堪らなかったらしい。気分を害したことなど次の日にはすっかり忘れ、暇さえあれば話し掛けてくるようになったのだ。
子供子供と、子供の話しかしないので、他の話題を振るのは楽ではなかったが、辛抱強く話を聞きながら、再度、彼氏の話を持ち出してみた。
「大したことじゃないんですけど」を連発しながらも、リサちゃんはこんな話をし始めた。
「彼って、すごく収入がいいんです。私なんかとは大違い。前はね、彼も色々と職を変えて、落ち着かなかったんですけど、今の仕事は一年以上も続いてる。すごいですよね?だから、月収は十五万もあるんです。十五万ですよ!一度なんか、十七万もらった時もあったぐらい。子供が出来ても安心って感じで、パパにぴったりだと思って。収入の点では文句なしですけど、使い方が心配で。悪い事じゃないんですよ。だから非難できないし」
何とも引っかかる話だ。月収十五万で、五人以上の子供が育てられるのか。彼もまだ十七歳であるにもかかわらず、色々と職業経験があるらしい所も気になる。「一年以上も仕事が続いていてすごい」という言葉も、よく考えればいかがなものか。
でも、まずはリサちゃんが話したがっている事を、聞いてあげなくてはいけない。
「どんな使いかたをしているの?」
この質問、何回目かしら・・・?
「彼、今はまだ実家で、家族と生活しているんですけど、十五万の収入のうち七万は、彼のお母さんに渡してるんです。離婚してお父さんはいないし、弟と妹が六人もいるんで、その子達を食べさせてあげないといけないでしょう?お母さんは、何かの補助は受けてるみたいですけど、疲れやすくて働けないし。すごくお金がなくて困ってるから。彼はもっとお母さんにお金を渡したいみたい。そんな所は、すごいエライなあって思う。でも、私も子供欲しいし、結婚してからが不安で・・・」
うーん。まだ十七歳でありながら、月収の半分を親兄弟に渡すとは、見上げたものである。でも、幸せな家庭と大勢の子供たちを望むリサちゃんが、不安になるのもよくわかる。残り八万円で結婚生活を営むのは不可能に近い。まして、子育てなど。
彼や、彼の母親を恨めしく思っても、責められない。しかし、続くリサちゃんの言葉に、私はまたまた驚かされた。
「彼のお母さん、すっごく好い人なんですよ。私が遊びに行くと、優しく迎えてくれて、オシャベリもとっても楽しいし。食事もおやつも出してくれて。そんな余裕ないのに。弟や妹も、まだ小さくてすごく可愛い。それなのに、とんでもなくボロイとこに住んでて、臭いし汚いし。みんなで頑張って掃除しても、洗剤も足りなくてキレイにならないんです。食べ物は少ないし、服は破れてばかりで、本当に可哀想。だから、お母さんにお金を渡すのは、大賛成なんです。チビちゃん達にも、文房具やオモチャくらいあげたいし。結婚後も、お金はキチンと送ります」
「ほ、本当に?」
ひどくビックリした声が出てしまった。
実は私達夫婦も、子供が産まれる前は、夫の両親に仕送りをしていたのだ。毎月十万。
それに私達の車のローンと貯金で、夫の給料は全部が消えてしまう。私の給料で生活した。長女が産まれ、仕事を退職した時、私はキッパリと送金を止めさせた。多数のローンを抱えた夫の両親を心配しないでもなかったが、子供は全てに優先する。日本では、子供が産まれたその日から、学資を貯め出さねばならないのだから尚更だ。
夫がどう思っていたのかはわからない。ただ、その時々の言葉の端々から、それとなく伝わってくるだけだ。どうも「親にも妻にも子供にも、みんなにお金を与えたいが、それは無理。だったら、自分の子供を優先しなければならない」という考えらしい。
そんな訳で、その十万円は、私達の子供の十万円になった。親不孝よばわりされもしたが、正直、どう言われようと気にもならなかったし、今でも特に悪かったとは思ってない。
そんな私と比べて、リサちゃんはなんて優しいのだろう。心が広い、素晴らしい女性ではないか。とても真似できない。
しかし、彼の母親にお金を渡すのが嫌でないなら、彼女は一体、何に不満で不安なのか。
「実は・・・。私が不安なのは、悪魔祓い師さんの事なんです。それで困ってるんです。わかります?」
わからない。ちっとも。悪魔祓い師って何だ。なんの話なんだ。彼女、なにを言ってるのか。
「悪魔とか、悪霊とか、悪い運なんかを追い払う人のことですよ。安藤さん、そんな事も知らないんですか?」
それは知っている。言葉の意味くらいは知っているが、私が聞きたいのはそこではない。
リサちゃんは、ため息をついた。
「彼のお母さんには、とっても信用してて、何でも相談する女友達がいて。彼女が悪魔祓い師さんなんです。お母さん、もう頼りっきりで、全て、その人に決めてもらうんです。最近、その悪魔祓い師さんが、彼の家族と同居を始めて。それは多分、いい事なんでしょうし、その人もいい人だと思いますけど、でもやっぱり料金はいるんですよ。毎月九万。それがちょっと・・・。悪魔祓い師さんにお金をあげるくらいなら、お母さんにもっと食べさせてあげたいし、弟や妹にも破れてない靴とかあげたい。つい、そう考えちゃう。彼は仕方ないって言ってるんだし、私が怒っちゃいけないと思うけど。私、間違ってます?自分勝手なのかなあ?これって、悪い考えですかね?」
間違ってはいないと思う。私だったら、その悪魔祓い師とやらに「出ていけ」などと、言い出しかねない。
しかし、よく考えてみれば、そうした私の考えこそ、傲慢かつ偏見に満ちているのかもしれない。本当に悪運が祓えるのか、その信憑性は薄くとも、悪魔祓い師がお母さんの心の支えになっているのなら、立派に存在意義があるとも言える。料金が高すぎると思わないでもないが、幸せの尺度は人それぞれだし、すがりたい対象も人それぞれ。料金分の価値があるかどうかは、お母さんが決めることだ。私にはよくわからないが、多分あるのだろう。
リサちゃんは、何度も何度も、繰り返した。
「私、間違ってます?間違ってます?」
私は、首を振った。別に誰も悪くない。リサちゃんも彼氏も、彼の母親も、間違っているわけじゃない。ただ、そうなってしまっただけで、それは受け入れなくてはいけないのだ。何もすべきことはないし、しなくちゃいけないこともない。受け止めるしかない。そう答えるだけで、私はもう精一杯だ。
リサちゃんは、ホッとした様子で嬉しそうに笑い、気が楽になったと言って伸びをした。若々しい伸びだった。
ただ、心の面はそれでよくても、現実面ではどうだろうか。十五万の月収から七万も仕送りして、残金は八万。何度くり返しても、この事実は変わらない。半年後に結婚、五人の年子の子供たちとなると、事は大変厳しいものになる。
彼の母親と同居すればなんとかなるかもしれないが、狭いアパートに六人の弟妹がいたのでは、それも困難だろう。聞いてみるとやはり、リサちゃん達は、実家の近くにアパートを借りるつもりだという。家賃、光熱費、食費、電話代。オムツ代、ベビー服、ベビーカー、ベビーベット。ベビーシャンプーからお砂場セットにいたるまで、子供にかかる数知れない細かな費用。
ダメだ。足りるわけがない。もっとお金を稼ぐしかない。彼氏がキャリアアップするか、リサちゃんも働くか、どっちかだろう。そう考えた私は、
「子供って、とにかくお金がかかるからね。あなたも働くの?」
と尋ねてみた。リサちゃんは、とんでもないとばかりに激しく首をふり、またしてもなぜか声を潜めて、
「働いちゃダメだって、彼が言うんです。今は許してもらってますけど、結婚したら家にいろって。私もそうしたいですし。子供と離れたくない。可哀想。沢山の子供に囲まれて、べったり一緒にいて、わいわい楽しくして、それで・・・」
いつもの話なので、私は耳を貸さなかった。共働きは無理なようだ。では、彼の収入アップはどうだろう。話を遮り、
「じゃあ、パパにしっかり稼いでもらわなきゃね。子供には、衣食住だけ与えればいいってものじゃない。オモチャが欲しいとか、旅行に行きたいとか、習い事したいとか、子供は色々と要求するから。学校だって、公立でもお金かかるのよ」
「いっしょくじゅう?それって何ですか?」
「着るもの、食べ物、住むところって意味。服や靴はすぐに小さくなるし、食べ物はとても高いのにガツガツ食べるし。洗濯やお風呂やらで、水道代だって跳ね上がる・・・」
喋りすぎた。リサちゃんは一気につまらなそうな顔になり、またプイッと横を向く。ワザとらしく頬杖をつき、宙をにらむ。可愛い赤ちゃんとの幸せな暮らし、子供たちに囲まれ、貧しさも寂しさも無い暮らし。そんな彼女の夢に水を差してしまったらしい。
でも、その時の私は、怒るなら勝手に怒ってれば、という気持ちだった。毎日毎日、飽きもせず繰り返される「子供が欲しい。子供がいれば寂しくない。幸せになれる」の言葉に、ウンザリしていたのだ。
リサちゃんの子供への思い、それを非難するつもりは毛頭ない。彼女の言葉には、確かな真心が感じられた。でも、まだ妊娠もしていないのに、彼女の子供への愛は強過ぎはしないか。子供という存在に、自分の求める全てを賭けるのは、健全とはいえない。
イライラし、また妙な不安感に落ち着かなくなって、私もプイッと横を向いた。今はそれ以上、話したくない気分だった。
二人の間にぎこちない沈黙が続く中、なんだかきまりが悪いので、私は仕事をする事にした。休み時間は、ほんの四十分前に終わっていたからだ。顧客の電話番号リストを、やる気もなくめくっていると、耳元でヒソヒソ囁く声がした。
「安藤さん、ちょっといいですか?」
リサちゃんだ。
実を言うとこの社では、勤務中の私語は厳禁、という事になっている。その一方で、私はこんなに喧しく、賑やかな職場を見たことが無い。今も、あっちでペチャクチャ、こっちでキャッキャッ。井戸端会議が進行中だ。お給料を貰って、友達とお茶しているようなものである。能天気な会社である事は確かだ。
もう怒っていない事を示す為に、ニッコリしながらリサちゃんの方を向くと、彼女の顔から、依怙地な表情が消えていた。話したい事は際限なく話すけど、聞きたくない事には耳を塞ぐ。そんな、いつもの固い構えがない。
「安藤さん、本当に八万じゃ、生活できませんか?子供六人、いや、五人でも、持つのは無理ですか?」
心細い顔で言う。可哀想な気もしたが、ここは厳しくすることにした。鎧を脱ぎ、素直でいる時間を無駄にしたくない。
「無理に決まってるでしょう。あなただって、父親に部屋代やらトイレットペーパー代まで払わされて、大変な暮らしをしているんだから、わかっているでしょう!」
思わずキツイ口調になると、リサちゃんはしゅんと俯いて、
「本当は私、わかっていないんです。父親にお金を渡さなきゃいけないってわかってるのに、ついついお菓子を買ったり、友達と遊んだりして、支払いが少なくなって。で、父親に殴られて家から放りだされる。でも、そういう時は、母親の家に転がりこめばいいんです。だから、わかっているとも言えないんです」
リサちゃんの両親は、彼女が幼い頃に離婚したので、小学生の頃から、両親の家を行ったり来たりしながら成長したのだという。
それを聞いて、私の疑問が一つ解けた。経済的に苦しい生活をしてきて、お金の大切さを誰より知っているはずなのに、現実的な経済観念が欠落しているような、アンバランスさが感じられてならなかったのだ。それには、ちゃんと理由があったというわけだ。
その一方で「お菓子を買う」「友達と遊ぶ」そんな当たり前の十七歳のする事ができない、彼女が哀れでもあった。
彼女の母親とは、いったいどんな人なのか。
「生活が心配なら、あなたのお母さんと同居したら?赤ちゃんの世話も手伝ってもらえるわよ」
そんな単純な話では済まないだろうと思いつつそう言うと、案の定、リサちゃんは激しく首を振り、
「ダメですよう、それはダメ。ウチの母親は、お酒ばっかり飲んでて、なんにもしない人なんです。小さい時から、優しく世話された事なんて一度もない。私なんて見えてないみたいで、無視です、完全無視。何も話さないし、体に触れても無反応。まあ、気楽だって言えば気楽ですよ。学校や仕事に行かなくても文句も言われないし、一日ゴロゴロしてても怒られないし、お菓子だけ食べててもいいし。私に目も向けないから、ガミガミ叱るとかも全くないし、楽ですけど。でも・・・ずっとお酒を飲んでるだけで、何か話しかけても、無言でウンともスンとも言わないんですから。私なんかそこにいないみたいに、見えてない。そんなのだったら、殴られてもまだ父親の方がましかなって、また父親の家に帰る。で、また殴られて出る。その繰り返しなんです」
私の顔が、あまりに暗くなったのだろう。リサちゃんは、とってつけたように、急に明るい声になり、
「まあ、そんな珍しいことじゃないですから。友達の親だって、似たようなもんですし」
と笑ってみせた。
確かにそうだ。珍しくない。それこそが、問題なのだ。
以前、私が働いていた会社のアルバイトにも、そんな女の子がいた。当時二十歳で、名前は確か、優衣ちゃんといった。
優衣ちゃんの両親も離婚していて、彼女はパニック障害を持つ姉と、無口な妹に挟まれた真ん中だった。
母親は昼も夜もなく働くばかり。優衣ちゃんが小学生になる頃には、仕事が休みの日も家には帰って来なくなった。週に一度か二度、お金を渡しにくるだけで、すぐに出て行ったという。
優衣ちゃんは、姉妹だけの生活の思い出を、こう話した。
「楽ですよお、ちっとも寂しくなんかないですって。宿題しなくていいし、テストの点で怒られたりもしないし。ごはんは好きな時に好きなもの食べればいい。お菓子は食べ放題、ジュース飲み放題、マンガもテレビも見放題で、ゲームし放題。夜中まで遊んでいていいし、風呂も入らなくていいし。全然、辛くないですよ、もうちっとも!姉がね、発作起こしてすぐ暴れるから、家具は壊れるし、ガラスは全滅ですけど、別に片づけなくていい。姉はよくウンチ漏らしたけど、掃除しろなんてウルサイ人いないし、どうせ部屋はゴミの山でキレイになんかなんないから、ほっとこってな感じ。姉が、何時間も叫び続けることもよくあって、耳が変になりそうだったりしましたけど、そういう時は、布団かぶって寝ちゃえばいい。隣の部屋の人が文句言ってきた時も、布団かぶっちゃいました。そうすれば何も聞こえないし、何も見えないから、平気になれるんです。ここに自分はいないんだって、そう呪文かけるんですよ。目をつぶって、耳を塞いで、どこか余所にいる想像すれば大丈夫ですから。何日、寝てたって文句言う人いないもんで、ずっとダラダラ。楽なもんですよ、ちっとも辛くなかったですってば!」
悲しい話だった。
リサちゃんは、その話をしても全く驚かず
「そんなもんですよね、どこも」
いともあっさり片づけ、またしても、
「だから、私、子供が欲しいんです。本物の、自分の家族が欲しい。子供は私の事、本気で好きになってくれますよね。私も、絶対に良いママになります。子供は沢山、早く持ちたい。ねえ、安藤さん。どうしたら一番いいんですか?」
もうすでに、何をどうすればいいのかわからなくなっていたが、彼女の夢は、もう嫌っていうほど聞いたのだ。今は現実の問題に目を向けたい。
「とにかく、月収八万じゃ困るわ。そうだ、彼・・・いや、ご主人・・・いや、結婚する予定のその彼は、どんな仕事してるの?資格をとってのキャリアアップとか、昇格とか転職とか、収入アップできそう?」
リサちゃんは、私の言葉の半分は意味不明だ、という顔をした。それでも、珍しくふくれっつらはせず、
「彼の仕事は建築関係です。小卒なんで、転職はなかなか・・・」
小卒?小卒って?
「小学校しか通わなかったの?でも、義務教育だから、中学までは行けたでしょ?」
思わず声が高くなったが、リサちゃんは平気な顔で、
「そりゃそうですけど、彼は学校嫌いだったから、行かなかったんです。中学なんか行かなくても生きていけるって。別に悪くないですよね?」
確かに悪くはない。義務教育というのは、教育をあたえる義務が社会にあるという意味で、教育を受けなければならない義務が子供にある、という意味ではないからだ。
「彼は中学には行かないで、施設を出たり入ったり、時々は家出したり、けっこう荒れてたみたいなんですけど、よくは知らないんです。あんまり話してくれないんで。でも、今は落ち着いてて良い仕事もあるし、自分の子供たちも小卒か中卒でいいって言ってます。俺を見ろよ、ちゃんと生きていける。学校なんて必要ないって」
「子供を、高校や大学にはやらないの?」
私自身は、子供をぜひ大学に行かせたいと思っていた。大学の講義には、高校までの授業とは違う、独特の面白さがあるからだ。でも、こんな事を言っては、またリサちゃんを怒らせてしまうかもしれない。
リサちゃんは怒らなかった。不思議そうに首を傾げ、
「大学?大学って何ですか?何する所なんです?」
と聞いてきた。ふざけているのかと思ったが、顔をみると、本当にわからないらしい。
「大学?え・・・えっと・・・その・・・高校の後に行く所で、自分の好きな事を勉強できるの」
たいした答えではないが、リサちゃんはフンワリした表情になり、
「そんな所があるんですね。素敵かも」
と宙を見つめた。リサちゃんは不思議な子だ。彼女の口調は、まるでおとぎの国の事を話しているような調子、現実には存在しない事を知っている、夢の国を語っているかのようだった。
なぜだか分らぬが、突然、私はげっそりし、急に疲れてしまった。
そこで、仕事をするふりをして、さりげなくリサちゃんを締め出した。
私が言うのもなんだが、この職場、みんながみんな、仕事をするフリばかりしているが、大丈夫なのだろうか。潰れていないところをみると、社員の代わりに仕事をしてくれる、親切な妖精でもいるとみえる。
お伽の国の職員に仕事を任せ、私はぼんやりとボールペンを噛みながら、以前、夫から聞いた話を思い出していた。
二年ほど前。夫の職場に、中卒の男性が、アルバイトとして入社してきた。名前は村瀬さん。二十四歳ですでに結婚し、三歳の娘がいた。朝から真夜中まで、ダブルワークをしていたが、アルバイトの収入では生活が苦しく、なんとか正社員になりたいと願っていた。社員になれば、給料は倍近くなり、福利厚生もつく。保険に入れるのも大きな魅力だ。
夫の会社には、アルバイトから社員への登用制度がある。が、高校卒業までの学歴が要求されるのだ。村瀬さんが社員になるには、高校卒業資格試験にパスするしかない。その為に必死で勉強している、と言いたいところだが、現実はそう甘くない。
睡眠時間五時間のダブルワークで、心身共にクタクタに疲れ、勉強するどこらか何をする元気もない。体がいつも重く、あちこち痛み、立ったままはもちろん、自転車をこぎながら寝てしまう始末。会社に遅刻がたび重なり、欠勤も増える一方。当然、収入も落ちていく。
家計が危険水準まで落ち込んだ為、奥さんも働こうと考えたが、運悪く子供が保育園に入れなかった。彼女は両親と折り合いが悪いため、実家にも頼れない。幼稚園など問題外だ。制服代などの入園準備金が、そもそも用意できない。持ち物、例えばタオルだとか上靴入れとか、些細な物を揃えるのにも、結構な金がかかる。給食費だの、設備費だの、延長保育代だので、毎月四万近くの保育料が必要。とても払える金額ではない。現在では保育が無償化になっているが、この時代には、それはまだ無かった。
それでも、村瀬さんは夢を抱き続けていた。いつか社員になり、豊かでなくとも人並みの生活がしたいと、そう願っていたのだが、やがて奥さんが娘を連れて彼の元を去り、それと共に希望も消え失せた。
奥さんが今、娘と共に、どこでどう暮らしているのか、村瀬さんは知らない。調べる気力すら残らなかった。ただ、市町村によっては、シングルマザーに対し手厚いケアを行っているから、自分と暮らすよりマシだろうと、そう考えて心を慰めている。
時々、村瀬さん夫婦の相談に乗っていた夫には、
「あの二人は、憎み合って別れたのではなく、疲れ切って別れたようにみえた」
そうだ。共にまだ二十代だというのに。
村瀬さんは以前、私と夫に、こう話したことがある。
「結局、後から高校卒業の資格を取るのは、とても難しい道なんです。もちろん、出来る人もいるんだろうけど、経済的な助けがなきゃ難しい。中学を出たらすぐ高校に行く、それが一番いいんですよ。僕は、親に金がなくて、すぐ働けって言われた。早く出ていけって。学費が無いんじゃない。食わせられないからで、要するに口減らしです。自分一人ならいいですよ。どうなったっていい。でも、結婚して子供ができると・・・辛いのは、やっぱり子供の事です。まだ、一緒に暮らしていた時・・・」
ここまで話して、村瀬さんは顔も覆わずに泣き出した。
「珍しく休みの日で、娘を大型のショッピングセンターに連れていったんです。その中に、遊技施設があった。ボールプールとかトランポリンとか室内砂場とか、そんなのがある所。おままごとの道具やブロックとかもいっぱいあって。たくさんの子供が遊んでるのが、ガラス越しに見えました。娘も、すごく入りたそうだった・・・。ガラスに顔をピタッとつけて、動かない。瞬きもせずに見つめてるんです。無言で、ただ魅入ってた・・・」
村瀬さんの喉がつまり、声が途切れた。その場の情景が見えるようだ。無心に見つめる子供のひたむきさも。
「僕、娘を遊ばせてやりたかった。本当に入れてやりたかった。でも、ああいう所は有料だ。八百円くらいだったのに、僕には払えなかった。情けないですよ・・・本当に情けない。払えないなんて。せめて、娘が『入りたいよう』とか駄々こねて、引っくり返って暴れたりしてくれてたら。そうしてくれたらよかったのに。抱き上げて、その場から走り去れたのに。娘はねだらないんですよ。泣きもしないで、ただ見つめてるだけ・・・。僕は泣きそうでした。抑えようとしても、目から涙がにじんで」
親にとって、こんなに辛い事はない。他の親達が、子供に幸せな時間を過ごさせている。楽しさや喜びを与えているのを見ながら、自分はそれを与えられず、しかも理由を子供に説明できない。お金が無いからとは、言いたくないものだ。
村瀬さんの苦しみが理解できない人、そんなの大した事ないと思う人がいたとしたら、本当に貧乏した事がない人だ。「八百円くらい」と平気で口にする人もいるが、百円玉が何枚、十円玉が何枚、一円玉が何枚と、小銭をハラハラ数えながら暮らした経験がないだけである。
給料日の前だから節約するとか、躾上、我慢させるとかとは、訳が違う。
子供の喜ぶ顔が見たい。それだけの事が叶わない、その悲しみ。お金のせいでという思いから、お金そのものに対する憎しみが湧き上がる。どこでまたこんな事になるのか、と思うと外出するのも怖い。毎日毎日、これからもずっと、自分の子供には何もないままだろうという暗い思い込み。ダメな親だ、ひどい親だと自分を責め苛む心の声。
わかるだろうか。喉元にグッとこみあげてくる熱い固まり、その苦しさ。目に涙が滲む時、それは本当に痛い。
「公園にいけばいいじゃない。タダなんだから」という人もいる。村瀬さんの絶望感は、やはり同じ思いをした人にしかわからないのだろう。
ボーッとそんなことを考えていたら、仕事の時間はあっという間にたって、休憩時間になった。なんの奇跡か、契約は二本とれていた。うわの空で、マニュアル通りいい加減にしゃべっていた方が、電話セールスはうまくいく。そして、この社の便利なところは、契約さえ取れれば(或いは取れなくても)、社員がどこの世界に飛んでいようと、誰も気にしないところだ。
私は、壁にかかっている、もともとは白かったであろうボードに成績を記入すると、新鮮な空気を吸いに外に出た。巨大なゴキブリが二匹、ドアの前で寛いでいる。次に生まれ変わる時は、ゴキブリになるのも悪くない。
外はムシムシしていたが、風もあり、伸びをすると気持ちが和んだ。建物の隙間から、遙かな空を眺めていると、背後でドアが開き、リサちゃんが出てきた。私を見て、はにかんだ様にかすかに笑った。
「聞いてもらっていいですか?」
と尋ね、答える前から話し出した。
「彼氏の事なんですけど、多分、私が間違ってるんです。でも、ちょっと今、シンドイって言うのか・・・辛いというのか・・・いや、多分、私がいけないんですけど・・・」
そればかり繰り返し、いつも通り、本題が出てこない。私は、青空に雲が流れるのを見続け、さわやかな風を楽しみながら、じっと待った。
リサちゃんの声は、どこか遠くから聞こえてくるようだった。
「彼、とにかく厳しくて。そりゃ、私の我儘なのかもしれないんですけど、なんか辛くて苦しい。やっぱり私がいけないのかなあ。どう思います?」
そう聞かれても、私は何が何だか、まだ取っ掛かりも掴めていない状態だ。
「どう厳しいの?どんな所が苦しいの?何が辛いの?」
十分近くも聞き続け、やっと具体的な話が出てきた。
「まず、私の洋服なんですけど。キャミとかワンピースとか、肌が覗く物は着ちゃダメなんです。ミニスカや短パンも厳禁。ストッキングやタイツも無し。上は、肘まで隠れるTシャツかポロシャツ。下はジーンズかシンプルなパンツ。色も、パステルカラーとかダメで白か黒。柄も女の子らしいのは一切ダメ。お化粧なんてとんでもない話。髪も、パーマやカラー入れちゃいけないし、マニキュアも禁止だし、ピアスも髪飾りもダメ。靴はスニーカーだけで、サンダルもヒールもブーツも全部がダメ。鞄はリュックだけ、そう決められてて」
彼女はヒソヒソ声になり、誰がいるわけでもないのに、周囲をビクビクと見回した。
「次にウルサイのは言葉使いなんです。若い子風の話し方は、絶対にしちゃダメで。どうも、以前に入っていた施設の先輩にそう教育されたみたいで、完全に信じ込んでるんです。彼が正しいと思いますよ、もちろん。でも、あんまりガミガミ言われるとやっぱり辛くて。緊張するし。今はホラ、まだ彼と住んでないし、会わない日もあるから楽だけど、結婚したらずっと一緒。彼のやり方で頑張れるかなあって、心配なんです」
彼のやり方とはつまり、ダメッダメダメ、ダメダメ、ダメだということだ。リサちゃんが、まいってしまうのも無理はない。質素すぎる装いは、経済的な事情によるものだとばかり思っていたが、全く別の理由があった訳だ。
彼女のストレスもわからないではないが、結婚生活では、お互いに我慢も必要だから、ある程度は仕方ない。時間はかかってもその内、上手なかわし方や逃げ方も掴めるものだ。
それに、リサちゃん自身の夢がもし叶ったならば、マニキュアなどする暇があるのか疑わしい。年子で五、六人もの子供の世話する生活では、美容院に行く暇はなし、化粧は汗で流れ落ちる。ネックレスはちぎられるし、ピアスは引っ張られて耳がちぎれる。
可愛いミニスカよりジーンズの方が、子供を追い駆けまわすには、はるかに向いている。やぶ蚊の多い公園で短パンは不快の元であり、ストッキングなど破れる為に買うようなものだ。タイツも右に同じ。
ハイヒールやサンダルも、子供が猫など追いかけて車道に飛び出しそうな時、飛びついて引き戻すのには、何の役にも立たない。やれ、オンブだ抱っこだ、転んだ血が出た、泣いた暴れたという時、ひらひらフワフワ透け透けの服など、ただただ邪魔なだけ。安物だと本当に破れることすらある。
私の知人に、まだ幼い年子を持つ母親が二人いるが、二人とも、抱っこ紐とオンブ紐とを二本使いで、体の前面裏面に子供を貼り付けていた。ベビーカーを嫌がる子供は多いし、その場合この方法しかないからだ。チャラチャラした服など着れないし、着たとしてもどうせ見えない。
オシャレを要求される方が、むしろ辛いだろう。ノーメークで服装は質素に、という夫の方が、子育てにてんやわんやの身としては、有難いはずだ。
そう話すと、リサちゃんは幸せそうな顔をして、おかしそうに笑った。日の光が当たった白い頬が、艶々と輝く。大丈夫、化粧などしなくても、あなたは十分にかわいい。
だが、私はこうも言ってみた。「彼と会わないほうが楽」といった状態で結婚するのは、まあ、間違っているとは言わないまでも、気が早くないか。まだ若いのだし、もう少し結婚を先に延ばして様子を見てもいい。焦る事ないではないか。
リサちゃんは、寂しそうにほほ笑んだ。
「仕方ないんです。私、もうこれ以上、一人ぼっちに耐えられない。がまんできない。淋しんです、本当に。すごく淋しい。心から私を好きでいてくれて、ずっと傍にいてくれる、そんな存在が欲しい。だから子供が・・・子供が欲しい。私を大好きでいてくれるでしょう?私から離れない。もう一人じゃなくなる。家族が欲しい・・・。どうしても、どうしても、家族が欲しい」
リサちゃんはまだ十七歳。彼女自身がまだ幼い。無条件で愛してくれる存在を、心の底から求めている。だが、彼女にはそれが与えられなかった。だったら、自分の手で掴むしかない。
子供は無条件で親を愛してくれる。私が思うに、親の「子供への愛」より、子供の「親への愛」の方がずっと強い。
親の「子供への愛」というやつは、大抵、色々と条件がつく。素直な時は可愛いけれども、駄々をこねると憎たらしいとか、泣き喚かれると捨てたくなるが、寝顔は愛おしいとか。年齢が上がれば上がるほど、条件はどんどん増え、複雑になる。やれテストの点だ、スポーツの成績だ、お行儀だ、才能だの努力だの。
子供の愛情はそうではない。
どんな時でも変わらす、何一つ条件もつけず、ただ信じきり、頼りきり、愛してくれる。親が不機嫌だという、ただそれだけの理由で、八つ当たりされ怒鳴られても、子供は親を愛し続ける。「さっきはごめんね」などと言おうものなら、待ってましたとばかりに「いいよ」と許す。「ママ、大好き」という言葉のおまけつきだ。時々、親を許し愛する機会を、虎視眈々と狙っているように感じることすらある。ここまでの愛情をくれる存在が、他にあるだろうか。
だから、リサちゃんは正しい。自分が本気で欲しいもの、それがどこにあるのか解っているのだ。確かに危うさはあるものの、彼女ならきっと良い母親になれるだろう。
それから、一か月ほどたったある日。
パートの仲間の面々は、昼食の席でまたしても、子供の愚痴を言い合っていた。内容は実に下らなく、それが面白くて皆で笑いあえる。
坂下さんは、昨夜、子供の体が宙を舞って、壁に激突するほどの勢いで、下の男の子を蹴り飛ばした。原因は、彼女が風呂に入っている間に起こった事だ。子供が屑籠をひっくり返し、その失敗を何とかしようと掃除機を持ち出して、そのホースで茶碗を引っ掛けて割った。更にその失敗を何とかしようと、掃除機のスイッチをいれたらカーテンを吸い込み、カーテンレールが壊れる。慌てて掃除機を放りだしたら、その持ち手が食器戸棚に当たって、今度は飾りガラスが割れ、そのガラスを何とかしようと、別の部屋から別の屑籠を持ってきたのはいいが、慌てるあまり転んでしまい、二つ目の屑籠も、あえなくぶちまけられた。
ゴミの中には、一週間前に捨てた粘土屑がたくさん入っていた。カチカチに乾いた細かい屑が、なぜだか知らぬが子供にはアリンコに見えたらしく、思わずアリの巣ごっこなんぞ初めてしまい、そこで坂下さんが風呂から出てきたのだ。下の子だけでなく、見てたのに止めなかったという理由で、上の子も一発くらった。
今西リーダーも、朝からゲッソリとやつれた姿だ。保育園の登園時間が迫る中、お着替えセットにお昼寝セット、水筒、帽子、上履き入れ、オムツの山まで抱え込み、さて出かけるが子供はどこだと見渡せば、テーブルの上に仁王立ちで、なぜかイチゴジャムのビンを、頭上高く振り上げている。
アッと叫ぶ暇もなく、子供は渾身の力を込めて、床にビンを叩き付けた。分厚いビンは、意外なほどにあっけなくバリーンと割れ、そこら中にジャムが飛び散る。
「何やってんのよ」と叫んだところで手遅れなのだし、どうせまともな答えはかえってこない。それはわかっているのだけれども、それでも、無益な事をしてしまうのは人の常。怒鳴りつけられた子供はこけてテーブルから滑り落ち、今度は鼻血をぶっ飛ばす。それはすぐに止まったが、そこでもうタイムアップ。ジャムも血もふき取る時間はなく、そのまま家を出てきた。仕事が終わって帰宅する頃には、乾いてさぞ取れにくくなってるでしょうよ、と鼻で笑う。
工藤さんは、夕べ、ビール(と言うが、実は安い発泡酒)を飲み過ぎた。500ミリリットル缶を二本、三本と飲み干すうちに、どういう訳の訳柄か、長男にムラムラと怒りが湧いてきた。理由はない。長男は入浴中だったのだが、工藤さんはバカヤローと絶叫しながら風呂場に突進。風呂場のドアに、ものすごい蹴りを入れた。古いアパートのチャチなドアは、枠から吹っ飛んで外れ、体を洗っていた長男の頭上に降ってきた。驚愕の叫びをあげる長男。駆けつけて、ドアの下から子供を引っ張り出すご主人。呆然とする二人を尻目に、工藤さんは台所に戻り、もう一本ビール(発泡酒だけど)を飲んだ。
皆、まさに言いっ放し、聞きっ放しで、誰も何も非難せず、何のアドバイスもせず、従って、どんなにしゃべりまくっても何も解決しないのだが、気持ちは確かに楽になる。それだけで十分だ。
笑い声が渦巻く中、リサちゃんは、私の隣でじっと話を聞いていた。ただ、その目は皆を見ておらず、宙の一点を見据えていて、なにか他の事を考えている様に感じられる。
黙り込んでいるリサちゃんを気遣ったのか、今西リーダーが優しく声を掛けた。
「あなたもいずれ結婚するんでしょうけど、子供が出来たら本当に大変よ。毎日がこんな調子だからね」
リサちゃんは、突然、妙な顔つきになり、冷たい目で今西リーダーをジロリと見据えると、叫ぶような唐突さで、激しくこう口走った。
「私、絶対、絶対、子供を虐待しない、そう決めてるんです!」
丸テーブルを囲んだ仲間達は、みなポッカーンと口を開けた。リサちゃんは、一体全体どうしてまた、藪から棒に何を言い出すのだろう。沈黙が下りる。工藤さんの右手は、おまんじゅうを持ちあげたまま、宙に止まっていた。
「えっと…リサちゃん、何でそんな事をいうの?」
いつまでも黙っている訳にもいかないので、私は思い切ってストレートに尋ねてみた。
リサちゃんは、背をピーンと伸ばして座り直し、小さなこぶしをきつく握りしめて、決然とした様子で皆を睥睨していた。
やがて話し出したその声は、細いが断固とした響きを持っていたので、皆、黙って彼女の話を聞いた。
「私の仲間にマリって子がいるんです。いや、もう仲間じゃないですね。遊び仲間っていうのか、そんな感じだったんですけど、愛想が尽きたし、縁切ったんで。マリも、中学出てすぐ親にウチを追い出されて、私と立場似てたから、昔はよく会ってたし遊んでたんですけどね。もうそうじゃない」
昔っていつなんだろう。まだ十七歳なのに。
「マリは住む所がないから、街中をフラフラして、なんとか生きてたんですけど、その内、子供を産んじゃって。男の子で、最後に会った時には一歳になってましたけど。マリは、この子のこと殴ったり蹴ったり、虐待っぽい事ばっかりしてて、私、頭に来てたんです。しかも、その後、子供を施設に入れちゃって知らん顔。ひどいですよ。むっかつく!そう思いますよね」
ちょっと、待って・・・。トロイ私に、リサちゃんの話は早すぎる。尋ねたい事がいっぱいある。顔を見る限り、他の人もそうらしい。
例えば「街中をフラフラしながら生きる」という言葉だ。その一言で全ての説明がつくような言い草だが、実際にそんな事が出来るとは思えない。
食べ物や寝る所はどうするのか?ゴミ箱あさりなんて出来ないだろうし、路上で寝るのは危険だろう。
リサちゃんは、しごく当然といった調子で、あっさり答えた。
「町で声掛けてきた男の部屋に泊まらせてもらうんですよ。こっちで三日、あっちで一週間てな感じで、二週間もいさせてくれたら、超ラッキーですよね。私の仲間には、そうして暮らしている子、結構多いですよ。だって、そうするしかないですもん。安藤さんだって、同じ立場なら、きっとそうすると思いますよ」
そんな生活するくらいなら、死んだほうがましだし、実際の所ひどく危険で、命をいつ落とすかもわからない。幸いにも、同じ立場になったことはないから、偉そうなことは言えないのだが、私ならまず、公的機関に相談するだろう。市役所や福祉事務所、保健所、児童相談所、ハローワーク、もうどこでもいい。中学を出たばかりの子が助けを求めてきたら、まさか、すげなく追い返されることはないだろう。なぜ、マリさんはそうしなかったのだろうか。
リサちゃんは、驚いた顔になり、
「相談って、誰の所に行けばいいんですか?誰も、私達の話なんか聞いてくれませんって。怒られたらヤダし。はあ?って言いたいですよ。もう全然、わかんない。私達みたいなのが、話を聞いてもらえる訳ないですよ。どこ行けばいいのか、全くわかんない」
困った時は、助けを求めてもいいのだという事はもちろん、相談する資格十分なほど困難な状態にある、そのことすらわかっていない。リサちゃんも、世の若者と同様、しょっちゅう携帯電話をいじっているが、本当に大事な事は調べられないらしい。
いくら情報が溢れていても、調べたいという気持ちがなければ役に立たない。どうにかできないだろうか・・・という気持ちあって初めて、豊かな情報は役に立つのだから。
「友達とかさ、先生とかには、相談できなかったの?友達の親とか・・・?」
今西リーダーが、控え目な調子で口を挟んだ。
私は、会ったこともないマリさんの話にはさほどの興味は持てなかった。が、リサちゃんには興味があるし、彼女とマリさんは、本当に似ている立場だ。答えの一つ一つに、リサちゃん自身の思いがこもっているはずだ。
「私達の相談なんて、相手に迷惑ですよ。仲間には、こんなの話せないし」
これほど大事な話もできず「仲間」と言えるのだろうか。
とんでもなく不安定かつ危険で孤独な生活。そんな中で妊娠し、マリさんは不安だったろう。誰の助けも得られない中で、さぞ怖かったのではないか。
「いやあ、悩んでる様子なんてなかったですよ。どうでもいいじゃんってな感じで。だから私、何も聞きませんでした」
「えー?色々と聞きたくない?父親は誰かとかさ、これからどう育てるのかとか、どうしたらいいのかとか、なんだかんだ知りたくない?」
工藤さんが大声を出したが、リサちゃんは「興味ない」「何も聞かなかったからわからない」の一点張りだ。
リサちゃんの関心は、ただ一つ。マリさんが子供を施設に入れ、会いに行くこともなく放置している、ということだけだ。
「マリは、子供がいなくなって、せいせいしたっていうんです。子供がいると、男の部屋もすぐ追い出されるし、ギャアギャア泣いてウルサイ。食べ物もあげなくちゃならないから、男が嫌がるらしいんですよ。子供に構ってたら、私が生きていけないって。その頃、マリは二人目を妊娠中だったんですけど、そっちは、産んだらそのまま施設に入れるって言ってました。本当は中絶したいけどお金がないし、医者にいろいろ聞かれて叱られたら嫌だから、産むことは産む。その後は施設に入れればいいって。ひどすぎ!ですよね?ひどすぎですよ、ね?」
リサちゃんは声を荒上げ、珍しく興奮している様子で、どうやら私達にも一緒に腹を立てて欲しかったらしい。
が、誰の顔にも怒りの色はない。
どうしてマリさんを責められるのか。彼女の置かれた立場では、他に辿るべき道がないではないか。
テーブルの端で、落ち着きなく体をモゾモゾさせていた鹿田さんが、おどおどと口を開いた。
「でも・・・子供の立場から見たら、施設にいた方がいいんじゃないのかなあ・・・」
それもそうだ。落ち着ける家もなく、見知らぬ男性の部屋を転々とし、母親からも手荒く扱われる毎日が、子供にいい訳がない。年齢も幼いし、早急に保護が必要なのだから。
一番いいのは、マリさんも一緒に保護してしまうことだろう。この市では、母子家庭に対し、至れり尽くせりの支援メニューが用意されている。県からの経済的援助もあり、母子寮の利用、母子健康保険の加入、保育園も無料になる。明日、自分の命があるかわからぬ、というサバイバルな生活から抜け出せれば、子供の存在も足枷ではなくなるはずだ。
どうして、マリさんは支援を受けようとしないのか。
皆、固唾を飲んでリサちゃんの顔を見つめたが、彼女の答えは、例によって例のごとく、
「聞かなかったんで、わかりません」
だ。このセリフを聞く度に、妙にイライラするのはなぜだろう。
そんなムードにも頓着せず、リサちゃんは頬を紅潮させて力説する。
「母親と子供は、バラバラになっちゃダメですよ。捨てるなんて最低。私は、絶対に虐待なんかしないし、子供を手放さない。子供がいなきゃ生きていけない。絶対、絶対、自分の手で育てるんですから」
リサちゃんは「子供がいないと生きていけない」マリさんは「子供がいたら生きていけない」どうして、こんなにも追い詰められないといけないのだろう。かわいそうに。
「絶対なんて、言わない方がいいと思う」
工藤さんが呟いた。
その通り。子育てに限らず何事も「絶対」と思い込むのは、時にひどく危険だ。
戸惑った沈黙が下りた。
それから二か月後、リサちゃんは退職し、連絡がとれなくなった。何度か電話したが、留守番電話になるばかりだ。
結局、私は何一つ、彼女にしてあげられなかった。ただ話を聞いただけで、他には何もできなかった。でも多分、それで良かったのだと思う。
リサちゃんのその後はわからないが、ただただ幸せになって欲しいと、それだけを願っている。今頃は、あれだけ望んでいた子供を授かり、バタバタ育児に追われているかもしれない。色々と困難はあるだろうが、母も子も、結構たくましいものだから、きっと大丈夫。今まで幸せの無かったリサちゃん。だからこそ、心から願わずにはいられないのだ。幸せになるまで頑張れと。自分で選んだ道なのだから。
5、
リサちゃんはいなくなったが、彼女の話は、その後も長く波紋を残した。
「しかしねえ、虐待って何なんだろう」
坂下さんが、首をかしげる。
薄汚い蛍光灯の下、電話セールスをしている人は誰もいない。初秋のさわやかな空気が、ガタガタのオンボロドアから吹き込み、なんとも気持ちがいい。こんな日は、隙間だらけのボロボロドアでよかったと思う。ゴミだらけのオフィスは、穏やかな静けさに満ちていた。工藤さんはお茶を入れ、私は新発売のチョコクッキーを配る。一箱百円だ。今西リーダーは頬杖をついて、誰にでもなくニコニコ微笑み、笹原主任は、子供のようにぐっすりと無心に眠っていた。
坂下さんは、一日に少なくとも二、三回は、体が宙に浮きあがるほどの勢いで二人の子供を張り飛ばしているという。近頃では「コラアァ!」と喚くだけで、子供たちは防御体制をとるようになった。座布団を頭に被って、テーブルの下に走りこみ、丸くなる。避難訓練そこのけで、その素早い事といったらまるで野生動物。呆れついでに、坂下さんも、ついつい笑って怒りも消える。
そして、いったん冷静になってしまえば、何が原因でこんなに腹が立ったのかも、よくわからないのだ。お茶をこぼした、うるさく話しかけた、オモチャを片づけない、バタバタ走り回った、お菓子の取り合いをした等々。何もぶっ飛ばすほどのことではなかったと思うが仕方がない。もう遅い。
「わかる、わかる」と工藤さんもしきりに頷く。
先週の土曜日、工藤さんは一番下の子を連れて公園に行ったが、この子が滑り台のてっぺんから飛び降りようとしたので、ひっつかまえて引きずりおろし、頭にガッツーンと拳骨をくれた。危なかったという恐怖で我を失い、つい手が出てしまったのだ。子供は、頭を抱えて派手な泣き顔になったが、何を考えたものか突然、鼓膜が破れそうな凄まじい金切声を出し、
「助けて、助けて、誰か助けてえええ!」
と叫びまくった。
その公園は巨大な市営団地群に囲まれていたから、たちまち大騒ぎになった。あちこちの窓がガラガラと開けられ、幾つものドアが乱暴に開け閉めされ、おじさんおばさん、おじいちゃんおばあちゃん達が、なんと十二人も飛び出し、血相かえて駆けつけてきたのだ。
子供の方は既に泣き止みケロリとした顔だったのだが、工藤さんは、殺気だった人々に取り囲まれて大慌て。
「どうしたっ!何事だ!お前は誰だ?」
と詰め寄られ、怒鳴られ、
「私、母親なんです。怪しい者じゃありません。本当に母親なんです。ね?そうよね?そうよね?」
子供は、面倒くさそうに「うん、そう」と答えたが、工藤さんが開放してもらうまで、なお数分を要した。
穴があったら入りたいとは、まさにこの事。当分、子供を叩く気はしないという。
子供を叩くことは、もちろん決していい事ではない。でも、特に危ないことをした時などには、ついつい手が出てしまうものだ。私自身、夕方のラッシュで車が混みあう中、電柱の陰から突然、車道に飛び出した愛梨にぶち切れた事がある。本当に跳ねられたと思ったからだ。車の運転手も、背筋が凍りついたに違いない。ブレーキを踏んでも間に合わない、そう咄嗟に判断したらしく、ハンドルを切って隣の車線の隙間に飛び込み、ジグザグ走行で間一髪、衝突を何とか回避して、そのまま走り去った。
警笛がけたたましく鳴り響く中、私は飛び出して愛梨を歩道に引きずりこんだが、爆発的な安堵感の後、その反動で爆発的な怒りが巻き起こった。手こそ挙げなかったが、頭の中はマグマのごとくグラグラ煮え立ち、愛梨を叩きたくて叩きたくて、背中がムズムズした。
子育てしていれば、こういう事はままある。わかっちゃいるけど、つい手がでる瞬間。だからといって虐待とまでは言えないだろう。
今西リーダーは、顧客名簿をめくっていたが、突然、真面目な顔になり、髪をやたらとかき上げながら、口を開いた。
「間違いなく虐待だ、通報しようって思えるケースはほとんど知らないけど、もしかしたら、これって虐待なのかなあ・・・そう迷う事は結構あるよね。どっかの会社の社長さんの場合もそうだもの」
みんな、意味ありげな目配せをしてくる。え?ウチ?
まだ二度ほどしか会っていない我が社の社長は、もし髪がフサフサだったらゴリラにそっくりであろうという顔立ち、体は狸、匂いはスカンク、動作はペンギンをイメージさせる、五十代後半の男性だ。
もの静かな人で、私には優しい言葉を掛けてくれたが、同時になんとも言えない陰鬱なムードを漂わせており、こちらからは話しかけにくい所がある。が、みんなの話だと、そうなったのはここ二、三年のことで、それまでは明るく楽しい人だったし、あんなに臭くもなかったらしい。
「歯車が狂いだしたのは、今の奥さんと結婚した頃よ。社長にとっては三度目の結婚なんだけど、奥さんは二十代初めで、初婚。すぐに女の子が産まれたんだけど、これも社長にとっては五人目の子。以前の結婚で出来た子は、前妻たちが養育してて、ほとんど会ってはいないの」
古株の一人である鹿田さんが説明する。前の奥さん達とも散々にモメてきた社長だが、一番ヒドイ状態なのは、間違いなく今の社長夫人とらしい。
「離婚まで秒読み。ただ子供の養育権っていうの?それで揉めて、裁判になるらしいわ。奥さんも社長も、お互いに私立探偵を雇って攻撃材料を集めてるのよ。社長の・・・なんというか容疑は女遊び。そんな暇ないと思うけどね。奥さんの方は児童虐待の疑い。前二回の離婚の時は、争うことなく子供は奥さんに渡してるわけでしょ。でも、今回ばかりは、子供は渡せないって。今の奥さんは子供を死なせかねないからだって」
夫婦仲が最悪になると、そのトバッチリは子供に向かう。でも、この場合はそればかりが原因ではなく、むしろ社長夫人の性格にある、と今西リーダーも言う。
「彼女は、子供が二歳になるまで、一日中、ベビーベットに入れっぱなしだったのよ。オムツ替えは日に一、二回。着替えもさせなきゃ、お風呂にも入れないし、抱っこもしない。かろうじてミルクはやってたけど、そのあげ方もねえ。ベットに寝かしたまま、哺乳瓶をくわえさせて、自分は外出しちゃう。日常の世話のほとんどは社長がしてたんだけど、仕事もあるでしょ。だから子供は、社長が帰宅するまで、ほとんど一人ぼっち。這い這いやタッチの時期がきても、なにも出来ないまま。一日、グッタリ寝ているような状態よ。離乳食も社長が作る夕食だけだから、栄養不足で痩せこけていくし」
かなりヤバい。無理もないが、社長は心配でたまらず、仕事を抜けては娘の無事を確かめに行っていたという。
大事な用事が入って、どうしても社長が見に行けない時、その役目は今西リーダーに回ってきた。家の鍵を渡され、子供が生きているか確認しに行って、また社に戻る。タイミングがいいのか悪いのか、いつも奥さんには会えなかった。
「部屋に入って、ビックリしたわよ。3LDKのマンションなんだけど、どの部屋もゴミの山。臭くて汚いし、ベビーベットの周りに、タバコの吸い殻やらライターやら、鋏、カッター、ドライバーなんかが放りだしてあって。危なくて、ありゃ確かにベットから出せないわよねえ」
奥さんはタバコを吸わない。社長はヘビースモーカーだ。子供への配慮がないのは、どっちもどっちである。
「社長の奥さんはいつもいないって・・・一体どこに出かけてるんですかね」
かなり際どい答えを予想していた私だが、意外にも、
「あちこちの神社にお参りに行ってるの」
という返事。はあ?
「お金持ちになりますようにって、願掛けてるらしいわ。お賽銭代だけで破産しそうだって、社長が嘆いていたもの」
神様もさだめし呆れたことだろう。もっとも、離婚で慰謝料が入れば、願いは叶うだろうが。
子供が二歳を過ぎた頃、事態は悪化。子供は痩せこけ、無表情、無反応。家に寄った社長が、蒼白でグッタリした子供を抱えて車に飛び込み、病院に担ぎ込む姿を目撃すること三回に及んで、ついに今西リーダーは黙っていられなくなり、保育園の利用を社長に薦めた。市役所の担当者に包み隠さず全て打ち明け、助けてもらうように忠告した。最初は恥ずかしいと渋っていた社長も、やはりどこかで救いを求めていたのだろう。わりと早く決心を固め、子供は無事、市立の認可保育園に入園。生活は大幅に改善された。
「社長が泣いて話してたけど、全ては保育士さん達のおかげよ。まず、毎日、園でシャワーに入れてくれたから、汗疹もかぶれも治って清潔になった。食事もね、そもそも食べ物は食べる物だってことが、その子には解かってなくて(!)、最初は給食が食べられなかったのを、少しずつ少しずつ根気よく慣らして、食べられるようにしてくれた。靴を履いて歩くとか、砂場やオモチャで遊ぶとか、手を洗う、歌を歌う、トイレに行く、話をする、そんな事、みんな園の保育士さん達が教えたんだから。大変な手間だったはずよ。すごいわよね」
今西リーダーは、本当に嬉しそうに笑う。
「保育園のお蔭であの子も生き延びて、今年は五歳になるの。この前、ファミレスでね、ウチの家族と食事したんだ。まだちょっと無表情だし、体力ないし、顔色も良くないかな。でも、話が出来るようになったし、笑ったりも出来るようになった。食事もパクパク食べれてて、一安心だわ。園の運動会にも出られるようになったって、社長は大喜び。もちろん、出来る競技は少ないんだけどね。保育士さん達が、気長にゆっくり少しずつって、そう諭してくれてるらしい。社長は、保育園に足を向けて寝られないって言ってたよ」
ただ油断は出来ない。問題の奥さんは、離婚を求めるだけでなく、子供の引き取りも断固として要求しているのだ。なぜだかわからないが。理由がどうあれ、社長はむろん、子供を渡す気はない。という訳で、これはもうヒドイ泥仕合になる。事務所に顔を出さないのも、もはや仕事どころではないからだろう。
私が社長と顔を合わせたのは、二か月前、それも数分だけ。太陽は照っているのに、時折、雨がザーッと降り出しては止む、落ち着かない天気の日だった。社長はじっと雨音を聞きながら、悲しげに笑っていた。
「夕べ、娘がおもらししてね、布団がビショビショになったんです。朝、慌てて干してきたのに、雨が降るとはね。布団、どうすりゃいいんだ。でも変ですよ。こんな事があるとね、その度に俺、娘が可愛いって思うんです。娘がいて良かったなってね。炊事も掃除も頑張ってますよ、俺なりに。あの子は、絶対、誰にも渡さない」
その時は、社長の事情を何も知らなかったから、妙なこと言う人だと思ったが、それでもなぜか、心に残る言葉だった。
「子供は逞しいからね。どんな環境でも、それに合わせて生き抜く力があるのよ」
一か月ほど前に入社したばかりの奥村さんが話し始めた。
彼女は六十代前半。すでに結婚して家を離れた息子二人に、大学生の娘が一人、孫四人。おばあちゃんというイメージに合わない、ほっそりとした上品な人だ。
奥村さんの知人に、とんでもなく綺麗好きな女性がいるという。同年代だが、病的潔癖症とでもいうべき狂気の階段を、てっぺんまで上り詰めたような人らしい。
「初めて、家に遊びに行った時のことは、忘れられないわよ」
奥村さんは、白い指先でクッキーを摘みながら笑う。
「部屋がまあ、じつにキッチリ整理整頓されてて、新築のホテルみたいにピッカピカ。テレビ画面とか、静電気の起きやすい場所ですら、僅かな埃もついてなくてね。それだけなら珍しくないかもしれないけど・・・。私が、勧められた座布団に座るでしょ?彼女は、向かいじゃなくて、ぴったり私にくっついて真横に座るの。言い寄られるのかと思ったわよ。でさ、話をしながら、ずーっと、コロコロローラーっていうの?あのベタベタした、テーブを裏返したみたいな道具。あれを転がして掃除してるの。ずっとよ」
それは、かなり居心地が悪そうだ。
「私の周囲、手が届く範囲全部、座卓の下にまでうーんと手を伸ばして、絶え間なくひたすらコロコロペタペタ。髪の毛が落ちる、皮脂が落ちる、部屋が汚れるって、ブツブツ言いながらね。こっちはもうビックリ」
目に見えないミクロな汚れまで気にしていたら、生きていけない気がするが。
「ミクロどころか、想像上の汚れを気にして怖くなるみたい。お茶を出してくれるから一口飲むでしょ?すると、飛沫が、唾液がとか言っちゃって、消毒剤をスプレーして台拭きで拭き拭き。一口飲んだら百ゴシゴシって感じ?だったらもう、食べ物とか出さないでくれたらいいのにさ、煎餅なんか出すから、一口バリンしただけで、警察に睨まれる悪党になった気分。小型掃除機まで出してきて、ずっと見張ってられたんじゃあね」
聞き手一同、目が点。私達はみんな、決してきれい好きではない。まるで、未知の世界。
「私はいいけどね。彼女と一緒に住んでるわけじゃないんだから。最大の被害者は、やっぱり三人の子供でしょ。それも全員、男の子。黙って座ってたって、部屋汚すイメージだもんね。彼女か子供たちか、両方かもしれないけど、よくも気が狂わなかったものだわ」
事件が起こってもおかしくはなかっただろう。極端に偏った考えも、時には子供を傷つけてしまう。
しかし、驚いた事に、なんの奇跡か、彼女の子供たちは全員、さしたる問題も起こさず成長し、社会人になり、家庭も持って、幸せに暮らしているという。
「まあ、影響があったとすればね、三人が三人とも、すっごく家事嫌いでアバウトな女性と結婚したくらいでしょうね」
心理学者でなくとも、その意味する所は明らかだろう。
こんな話なら、笑い飛ばせるからまだいい。世の中には、身の毛がよだつ話が、他にいくらでもある。
この私も、一度、性的虐待を思わせる状況を、目撃した事があるのだ。
曖昧な言い方で、それは百も承知だ。そもそも、性的虐待とはそういうものだろう。真実を知っているのは加害者と被害者の二人だけなのだから。
それは、電車の中の出来事だった。
一年ほど前、私は愛梨と二人、地下鉄に乗っていた。あるデパートで、ミニSLで遊べるというイベントがあり、電車好きの娘の為にわざわざ出かけたのだ。
土曜の昼間、地下鉄の中はほどほどに混んでいた。空いている席はチラホラで、つり革につかまって立っている人も多い。私と愛梨は、車内中央よりやや右付近に、寄り添って立っていた。私はつり革、愛梨は私につかまっている。
大きな駅に着いてドッと人が下り、またドッと乗り込んでくる。その群れの先頭に、男女の二人連れがいた。
男性の方は、五十代後半から六十代前半くらいか。髪はほとんど真っ白、細面の顔は細かい皺が目立つ。ところが、肌色はピンクで艶々と若々しい。それがなんだか、ひどくアンバランスで不自然な感じだった。がりがりに痩せて小柄な体を、白いポロシャツと、グレーのチェック柄のズボンに包み、白い靴下とスニーカーを履いている。
女性の方は三十代はじめといった所で、飾り気のない白のTシャツに、カーキのスラックス。豊かな髪をショートにしているが、おそろしくボサボサで、目も当てられぬ程に絡まり乱れている。ほっそりしていて、化粧は一切しておらず、一目みただけではとても記憶に残らぬ、ごくごく普通の大人しそうな容貌であった。
最初、私は、二人の事を年齢差のあるご夫婦かと思った。というのも、男性の方が体をひどく斜めにした、妙な中腰の姿勢で、両腕を女性の腰にしっかり回し、すがりつく様に歩いていたからだ。男性の顔は、女性の脇腹にベッタリ摺り寄せられている。
一方、女性の方は、片方の手を男性の脇に回し、もう片方の手を、脱力したかのようにダラリと下げて、男性を引きずる様にして歩いてくる。かなり重そうに見えるが、それにしては変に力の入っていない、無気力な体勢だった。
二人が近づいてくるに従い、両者の顔がそっくりなのが見て取れたので、これは夫婦連れではなく、体の不自由な父親を、娘さんが介助しているのかもしれない、と思い直した。
でも、もしそうだとすれば、今度は歩き方が変だ。やけに早い、ピョンピョンと弾みのある歩調で、その妙に元気な、飛び跳ねる歩き方が、もつれ合った姿勢と全然合わず、不自然極まりない印象を与える。
二人のその動きだけでも、車内の人々の注目を集めるのに十分だった。私も思わず、乗客の体の隙間から、彼らをじっと見つめてしまった。
男女は、中央の座席からやや左よりの空いているシートに、ドサリと倒れこむように座ったが、それから男性が取った行動に、車内中が凍りつくことになる。
女性の左側に腰かけた男性は、座っていても彼女の腰に腕を回したままで、引き寄せるというより、すり寄ってベッタリくっついていた。
そして、空いている方の手で、女性の髪を撫で、頬を撫で、肩を撫で、腕を撫でる。時折、彼女の耳や首筋に唇を擦り付けていた。その間中ずっと、目を半目にボンヤリ閉じたままで、女性の鎖骨に鼻をこすりつけながら、ウットリと眠そうな、それでいて全くの無表情な顔を、彼女の肩に休ませている。
私は、今まで、こんなに奇妙な表情をした人を見たことがない。
これだけでも不気味だが、女性が一度だけ、ごく僅かに顔を背けて、愛撫の手を逃れようとした時の男性の行動には、ほとんど恐怖に近いものを感じた。
無表情はそのままに、眠そうな目をゆっくり開けた男性は、のろのろと数センチ顔を起こし、それに似合わぬものすごい素早さで、女性の顎をガシッと掴んだのだ。彼女の頬が押し潰されてグニャリと歪んだくらいだから、かなりの力が入っていたに違いない。そして、グイッと力任せに自分の方を向かせる。バキッと音が聞こえてもおかしくない程、荒々しい動作だった。そして、まるで何事もなかったかのように、女性の首筋に鼻をこすりつけ、また愛撫に戻る。
徐々に静まり返る周囲を全く無視しての、恍惚としたこの行動は、背筋が寒くなるほど気味が悪かった。
しかし、本当に私を慄然とさせたのは、むしろ、女性の方の反応だったのだ。
私達と彼等の間に立っていた乗客が、三、四人動いた為、私にもやっと、女性の全身が、遮られる事なく見えるようになった。それで初めて、彼女の異様な姿勢に気が付いたのだ。
女性は、カッチカチに硬直していた。それ以外、言いようがない。
彼女の両肩は、やや窄められたまま、僅かに上方に吊り上り、微動だにしない。膝に向かってまっ直ぐ伸ばした両腕は、あまりにピンッと張っているので、内側に反り返っている。ピッタリと揃えられた両膝に置かれた手は、きつくこぶしに握りしめられ、時々、痙攣に似た震えが走った。
不自然極まりない事に、女性の背中は、座席に肩がもたれていながら真っ直ぐにピーンと伸びている。まるで棒を立て掛けているようだ。
両足は、膝からつま先まで、これまたキッチリと揃えられているが、カチカチに力が入っているために、電車が揺れる度、かかとが浮き上がって床をかすっている。プラスチック製の人形が座っている感じ。
見ているだけでも疲れるくらい、凍りついた姿勢でいながら、彼女の顔だけは、ダラリと弛緩しきっていた。
目はポカンと宙を見ていて、何を思っているのか想像もつかない。口をわずかに開け、死人のように無表情。とにかく、異様な姿だった。
女性は、その姿勢をほぼ二駅分、続けていたが、何の前触れもなく突然、ぱっと硬直を解いた。
ゆっくりと体を捻じ曲げて男性の方に向き直り、どこか悲しげで切なげな表情を浮かべる。自分の首筋に鼻を擦りつけ続けている男性の額に、優しく頬を寄せた。片手を伸ばし、男性の髪や腕、手を撫で擦る。
が、男性の方は、女性の行為が気に入らなかったらしい。ものうげに彼女の手を払いのけてから、再度、自分の片手で彼女の両手を乱暴に掴む。その手を下に降ろさせ、ギュッ、ギュッ、ギュッと、三度も強く彼女の膝に押し付けたのだ。明らかに動くな、という意思表示だ。そして自分はまた、ノロノロと愛撫に戻る。
女性は数分間、そのままの姿勢で固まっていたが、いきなり何の前触れもなくサッと身をかがめ、どういう意味があるのか、男性の靴下に手を伸ばして、それを折り返し始めた。丁寧にゆっくり、両方の靴下をクルクルと巻いてしまうと、激しい動作でパッと上半身を起こし、いきなり男性の脇腹をくすぐり始める。甲高い笑い声が女性の口から噴出した。キャアキャア、キャッキャッ、キーキーというそれは、とても三十代の声とは言えず、四、五歳の幼女の笑い声の様。おまけに、彼女の顔にはやはり、なんの表情もなかったのである。
男性の方はその間、ダラリと背もたれに体を預けたまま、ポカンと宙を見つめて声一つ立てておらず、まったくの無反応だった。
一分ほど笑い、くすぐり続けていた女性は、またしても突然、硬直状態にはいる。男性は愛撫に戻る。その一連の動作を何度も何度も繰り返す。
その内、私の前からはますます乗客がいなくなり、二人の全身が遮られることなく、はっきり見えるようになった。ふと、その事に違和感を覚えた私は、周囲を見渡してみて茫然となった。
駅に着いて乗客が降り、人がいなくなったのではなかったのだ。
車内中の人間が、この二人からできるだけ離れようとして、ジワジワと車両の両極に移動していたのである。二人の周囲二メートル程にポッカリと空間が空き、後はギュウギュウに混みあっている。いつの間にか話し声もやみ、車内はシーンと静まり返っていた。
まるで潮が引くように、静かに離れていく人々の姿には、異質なものに対する恐怖が滲み出ていた。その人々の行動もまた、私には恐ろしく感じられた。
男女の二人連れは、それから四つほど先の駅で降りて行った。車内にはすぐ話し声が戻ったが、空いた二つの席には、それからしばらく座る人はいなかった。
あの二人が親子だったのかは、確信が持てない。顔は非常によく似ていたが、それだけではなんとも言えないし、まさか二人を追いかけていって、尋ねるわけにもいくまい。
何も断言はできない。ただ、あの男女には、長きにわたる狂気を間違いなく感じた。離れたくても離れられない、恐ろしい執着のようなものを。
とまあ、こんな話を、私はパート仲間達に話したわけだ。ヘビーな話題で嫌がられるかと思いきや、鹿田さんが、
「自分も性的虐待らしき事を目撃した」
と言いだした。
「親しくしている叔母を尋ねた時なんだけどね。上の階に住む、六十代の男性が四十代の娘に・・・なんでそんな所で・・・びっくりなんだけどさ、あのさ、マンションの裏階段の踊り場でさ・・・あれ・・・つまり、そのものの行為ではないんだけど、それに近い行為っていうのか、それをしてるのを目撃しちゃって。私が見たことは向こうもわかってるはずよ。ばったり顔を合わせちゃったんだし、私は反射的に逃げ出しちゃったんだから。でも、とくに追い駆けてくるとかなかったし、声も掛けられなかったな。それで、そのままになっちゃったんだけど。よく考えたら、ただ逃げ出した私って卑怯だよね・・・。でも、どうすれば良かったの。私に何が出来る?」
なにも出来そうにない。「勘違い、見間違い」と開き直られたらそれまでだ。結局、被害者の女性が助けを求めなければどうにもならないのだが、私にはそれが出来るとは思えないのだ。
性的虐待の被害者と聞くと、誰でもまず、幼い少女を連想するだろう。しかし、子供は、いつまでも子供のままではいない。成長していく。近親者、例えば父親からの性的虐待が、十年、二十年の長きに渡り、その間、誰もそれに気が付かず、誰にも助けを求められなかったとしたらどうだろう。その少女は一体、どんな大人に成長するのだろうか。
6.
あれよあれよという間に、寒風が吹く季節になった。家事育児仕事と、いそがしくバタバタ走りまわる毎日では、秋という季節は見落とされがちだ。過ごしやすくトラブルが少ないので、ある意味どうでもよい季節であり、無視されやすいのである。
「貧乏暇なし」な身にとっては、秋の美しさなど何の価値もない。
金色のイチョウ並木にヒラヒラと葉が舞い散る。こんなバカげた木を街路樹に植えるとは、誰が考えたアイディアなのか、まったくアホな話である。イチョウはものすごい大木に育つし、悪臭漂うベチョベチョの実をまき散らす。掃除も大変だし、子供が触るとかぶれるので注意もしなくてはいけない。今日、私が遅刻したのも、このむかつく木のせいだ。
保育園に向かう途中。愛梨が、自転車を降りて葉を拾い集めると言ってきかず、足止めを食ってしまったのである。「ダメだ」と断ればよさそうなものだが、そんなことをすれば、手に負えない泣き喚きの大暴れを引き起こす。葉っぱなんてどうでもいいだろうに、もっとマシな理由で反抗しやがれ、というのは大人の理屈である。愛梨の希望を聞けば三十分の遅刻で済むが、希望を拒否すれば一時間の遅刻になるだろう。どうせ遅刻するなら前者の方がまだマシ、という、いわば政治的判断である。
両手いっぱいに葉を抱え込み、ご満悦な愛梨を保育園に放り込み、仕事に急ぐ。こういう日は、遅刻など日常茶飯事の会社に勤めていて、本当に良かったと思う。
事務所に入ると、そこは、いつもにも増して賑やかな笑いに満ちていた。
何がそんなに可笑しいのかと聞くと、なるほど、笑うしかない答えが返ってきた。
朝一番に男性が一人、面接に来る予定だったのだが、すでに一時間の大遅刻。どうやら道に迷っているらしく、十分ごとに電話を掛けてきては、道案内を頼んでくるという。
社のメンバーが入れ代わり立ち代わり、親切丁寧に道順を教えるのだが、どうにもうまくいかない。
「北に三百メートル進んでから、東へ曲がって」
とやると、どちらが北かわからないと言う。なら、目印を辿ればいいからと、
「**というコンビニを横に入って、郵便局の角を右に」
と説明すれば、そんなコンビニは見当たらないと、泣きそうな声を出す。
「あなたが見ている景色を話してごらん。ナビしてあげるから」というのもやってみたが、今度は彼の説明がサッパリ要領を得ないのだ。
「信号が見えます」
と言うので、
「なんて地名が書いてある信号?」
と聞くと、何も書いていないという。
「大きな灰色の建物が見えます」
そう話すから、
「何ビル?」
と尋ねると、わからないと答える。
そんなこんなで、とうとう面接予定時間を二時間もオーバーしてしまい、また、ひっきりなしに電話を掛けてくるので、仕事が仕事だけに業務にも差し支える。まあ、それはどうでもいいのだが、ウルサイので腹が立つ。
ついに仕方なく、彼に「その場を動くな」と言い渡し、拙い説明を頼りに現在地を推測して、工藤さんがお迎えにあがる騒ぎとなった。
まるで迷子の幼児扱いであるが、更に呆れるのは、動くなとしつこく念押ししたにもかかわらず、彼が三度もその場から移動してしまい、ますます捜索に時間がかかったことだ。
くだんの男性が、やっと我が社に到着した時には、すでに昼過ぎの一時になっており、全員、ほっと胸を撫で下ろしたものの、午前中は誰も仕事をしないで終わった。こんな事に大騒ぎしてしまう所も、なかなか楽しい我が社である。
さぞかし、へんちくりんな男が現れるかと思っていたら意外にも、彼は、少なくとも外見上は、ごくごくマトモで普通であった。
白いポロシャツにグレーのズボン。髪をキチンと整えヒゲも剃った、さっぱりとした清潔感のある顔立ち。名前は岡野君で、三十二歳だという。
雇われる前から、その社に大迷惑を掛ける人など、普通ならすぐにお帰りいただくのだろうが、ここまで大騒ぎして話をしないのもつまらないと思ったのか、冷や汗をかいている彼が不憫に思えたのか、笹原主任は、
「朝っぱらから、まあまあご苦労さん」
と、なんだがズレた挨拶をして、そそくさと面接に入った。
それだけでも驚きであるが、結局は採用になったのだから、更にビックリである。
みんなの、何か説明してくれ的ムードを感じ取ったのか、笹原主任は、
「まあね、ホラ、雇ってみないとわからないし、ものすっごく優秀かもわからんし・・・固い事を言ってたんじゃあ始まらん。ハハハハハ」
と実に楽しそうに笑い、フラフラとどこかに消えていった。
本気でこの社の運命を心配すべきところだが、なる程、勤め出してしまえば、かれはさほど非常識な人でもなかった。明らかに、方向感覚よりは電話セールスの方が優れている。サボることなく電話の前にじっと座り続け、なめらかな口調で商品を薦める。契約はさほど取れなかったが、そこは皆一緒だから問題ない。いや、問題あるか。
初日を除いては無遅刻無欠勤。朝九時から八時間、毎日、きっちり働いていた。最初の十日ほどは。
その後は、すみやかに周囲に染まり、みんなと同じ働きをみせるようになった。すなわち、十分間だけ仕事して、五十分間やすむ、というより喋るスタイルである。
オシャベリといっても、最初は大抵、自己紹介から始まるものだが、彼の場合もそうだった。
「オレ、ミュージシャン目指してるんすよ」
開口一番、こう言ったので、私は思わず身を乗り出した。知り合いにはいないタイプだったし、そもそも、どうしたらミュージシャンなるものになれるのか、純粋に興味があったのである。
「素敵な夢だね。何系の音楽なの?」
実は私、音楽の世界は全くの無知である。ヒップホップだのジャズだの、聞いてもてんで区別のつかない音楽オンチであるから、答えを聞いても解らないのであるが、相手は詳しいと思ったから、教えてもらいたかったのだ。まさか岡野君が、私に負けず劣らず何も知らないとは予想していなかった。
が、驚いたことに、そうだったのである。
「何系かっていうと、自分もよくわかんないっていうか・・・うまく言えないんですけど、まあエクザイルみたいなの目指してるんですよ。カッコイイ曲を作って踊って、オレ、ボーカルやりたいんです」
エクザイル・・・って誰?聞いた事はある気がするけど。
「じゃあ、もうバンドとかつくってるの?グループ名は何?何人でやってるの?」
私ときたら、まるで幼稚園児の質問である。しかし、例え五歳児であっても、岡野君の答えを聞いたら、クルリと背を向けるだろう。
「まだ作ってないんです。メンバー募集中なんですけど、どうやって集めたらいいのかわからなくて。安藤さんの知り合いに、誰かいませんか?」
私に聞くぐらいだから、本当になり手がいないとみえる。
「今は心当たりがないんだけど・・・。どういう人を探してるの?ギター?それか、えっとドラム?それか、その・・・」
かなり苦しい。ドラムの事を、あやうくタイコなどと言ってしまう所であった。岡野君はニッコリし、
「オレ、全く楽器が出来なくって。ギターは昔ちょっとやったんですけど、訳わかんないし。ドラムなんか、どこで習えばいいんですかね。楽譜も、音符が読めないんで。だけど、ボーカルならなんとか出来そうかなって。楽器に比べて簡単っぽいですから、大丈夫そうでしょう?」
うーん・・・。確かに門外漢の私ではあるが、それでもビートルズのジョン・レノンが、
「ボーカルなら、なんとか出来そうだから」
などと言ったとは、信じがたい。
第一、音符も読めないで、作曲など出来るものだろうか。できたとしても、書き留められなくてはどうにもならない。
「えーと、どんな風に曲を作ってるの?作詞とかも難しそうだし」
率直に尋ねると、彼はアッサリ、
「やっぱり作れないもんで、そういうタイプのミュージシャンじゃないって思うんですよね。だから、だいたいエクザイルとか○○とか××とか歌ってます。今は一人だけど、今にバンド組んで、すごい所で歌いたいですね。それが夢って感じで」
嬉しそうに答える。ちなみに○○とか××とかは、彼が口にしたものの、私には発音が聞き取れず、聞き直す気にもなれなかったグループの名前である。
「どこかで・・・か。そうそう、今度、近くの公園でお祭りがあるの。去年は、地元アーティストが何人も出て歌ってたよ。ああいう所、いいよね。それとも、岡野君は路上シンガーかな?でなきゃ、ホラ、なんて言ったっけ・・・クラブハウスとか?」
私は元気よく持ちかけたが、彼はいささかノリが悪くなり、
「祭りなんて、どうですかね・・・。まあ、歌えっていうなら、歌ってあげてもいいんですけど。どうやって申し込んだらいいかわかんないし。路上は、はっきり嫌ですね。警察とか来そうだし。クラブハウスとかも、なんかイメージじゃないんですよね」
あまり張り切った様子ではない。岡野君の好みではないようだ。じゃあ、なにが好みなのか。まさか、頑是ない子供の様に「テレビに出て歌う人」になりたいのではあるまいか。
彼はまだ話し続けていたが、私はあまり身を入れていなかった。今までに、こんな話をどれくらい聞いたことか。
例えば、以前に勤めていた会社のアルバイト。二十六歳の女性だったが、口を開けば、
「アイドルになりたい。歌も踊りも自信ある」
と言いながら、必ず続けて、
「親や祖父母が金持ちでないと、アイドルにはなれないんですよ。売れるまで時間かかるし、大した稼ぎにもなんない。親やおじいちゃんおばあちゃんが、経済的に支えてくれてるから出来るだけ。テレビに出てるアイドルの子達なんか、みーんな親が有名人。私は親が貧乏で、だからアイドルになれなかった」
と、憎々しげに語る。最初は「アイドルになる」と現在形だっのが、最後は「なれなかった」と過去形になるのが、興味深い。
「日本の社会は、新人を受け入れない。コネがなきゃ、絶対に夢なんか叶う訳ない」
と泣き出した、イラストレーター志望の女性も知っている。ほぼ初対面だった私の前で涙をこぼすのだから、よほど辛い目にあったのかもしれないが、芸術の世界は大変なのだろうし、新人に厳しいのは、なにも日本に限ったことでもあるまい。文句を言っても始まらないだろう。
「宝くじに当たったら俳優になりたいが、当たらないからなれない」
と大真面目に語る、不思議な男性もいた。最初はふざけているのかと思ったが、自分がいかに運がないか、自分のせいではないのにいかにひどい目にあっているか、口角泡を飛ばして語られること二十分に及んで、私はようやく認めた。残念ながら、彼は本気だった。
その一方で、地道に幸せを掴んでいる人達もいた。
お弁当屋さんでパートをしている、同年代の女性。彼女は、イラストを描くのが好きで好きでたまらない。最初は、子供のPTAの書類やおけいこ事のパンフ、発表会のしおりなどに手描きの絵を載せてもらっていたが、だんだんそれだけではもの足りなくなり、最近では、近所のお店のメニューやチラシなどを、手作りさせてもらっている。薄謝を包んでもらえることもあるが、毎回ではない。だからお金を稼ぐ手段ではない。もちろん、有名になりたいとか、話題を撒きたいとかでもない。ただ好きだからだ。描く事ができれば、それだけで幸せ。最近は学校図書館のボランティアも始めたと聞いた。新刊の紹介ポスターなど描かせてもらっているらしい。いつ電話しても彼女は忙しそうで、楽しそうだ。
洋裁中毒の知人もいる。子供や自分の服はもちろん、バッグや水着、帽子、靴下など、友人に頼まれれば何でも作る。謝礼は受け取るが、あくまで材料費のみで手間賃はなし。「好きでやってる事でちっとも手間じゃないから」だそうだ。バザーやフリーマーケットには喜んで出品するが、ネットなどには一切載せない。プロ同然の腕前なのだし、ぜひネット販売すべきだと薦めたが、断られた。その理由が、いかにも彼女らしい。
「自分はネット音痴で使い方がわからない。でも、パソコンの勉強をする暇があるならミシンに向かっていたい」三人の子供を抱えている彼女は時間が無い。なのに手芸店をハシゴしたり、型紙を作ったり、デザインを起こしたり、やりたい事は山積み。作るのに忙しくて売り込みの暇などないし、またそれでいいのだという。
バイクのレースに夢中な、四十代の男性もいた。彼は、一年のうち半年を、不眠不休で仕事する。職場で寝泊まりしているのだから本物だ。お金を貯め、残りの半年でレースを楽しむ。
「プロのレーサー?なれないよ。そんな才能もないし、年齢的にもアウト。レースをするのは、ただただ幸せだから。バイクがなければ生きていけないからなんだ」と話す。
そんなに楽しいものなのかと聞くと、なんと「怖い」という答えが返ってきた。サーキットでは猛スピードが出るので、常に死を意識してしまう。実際、三年前に大クラッシュを起こし、大腿骨が折れて皮膚を突き破る大けがをした。長く入院したが、担当の看護師さんに一目惚れし、退院直後に結婚というオマケつき。「結婚はレースよりもっとイタイ」と苦笑いする。それでも、やめられない。バイク仲間とは強い絆を持ち、鈴鹿のレースなどだけでなく、友人達と自前のレースも楽しんでいる。
そうした人達と比べ、我社の岡野君は、どうにも覇気がない感じだ。キラキラギラギラしたものがない。追い詰められるような、身を焼く情熱がないように思える。ケロリンとしたムードで、フワフワといい加減に夢を語る。本気でミュージシャンになりたいとは思ってないのではないか。
そう思うと、彼の話がつまらなくなり、私は話題を変えて、家族について聞いてみた。さぞ、詮索好きなオバサンに見えただろうが、彼の方も退屈していたらしく、ペラペラと喋り出した。
笹原主任はお昼寝していたし、今西リーダーは子供が熱をだしてお休み。私はもう契約を二本取っていたし、岡野君は取れなくても新人だから叱られない。まあ、新人でなくても叱られないが、つまり仕事はもうしなくてよかったのだ。
他のメンバーも、一人はなんの奇跡かトイレ掃除をし、もう一人はお茶を飲み、後の一人は「大根をいかに安く買ったか」を自慢していた。
岡野君は、ぼんやりと大根を見ながら、
「オレ、親父とお袋と姉三人の六人家族なんです。一人暮らしもしてみたかったけど、ほとんど仕事してこなかったんで、無理ですね。実家は楽だし。ほら、飯とか洗濯とか、お袋がやってくれるから。だけどこのままじゃ、彼女とかできないからなあ。安藤さん、誰かいい子いませんか?」
とニコニコした。私は質問を無視して、
「お姉さん達ってどんな仕事?」
と聞くと、岡野君は顔をしかめ、
「姉達?ああ、三人とも何もしてません」
と答えた。
「家で家事手伝い?」
「ハハハ。家事なんて、絶対にやんないですよ、あの三人。全部、お袋に任せきり。なーんにもしてないんですからね、ホント」
と強調する。
「勉強してるとか、バイトしてるとか、趣味に打ち込んでるとか、そういう事もないの?」
しつこく尋ねると、彼はため息をつき、
「だーかーらー、なんにもしてないんですよ、なんにも。ただ毎日、家でダラダラしてて、時たま遊びに行くだけ」
とイライラし始めた。遊ぶって、そのお金は?何もしなければ、財布の中身も何もない。
「親が小遣い、あげてますから。姉達、遊ぶ金には困ってないですよ。俺も、ずっと小遣いで暮らしてきたし。足りてましたよ。だって、実家だと食費も光熱費もいらないじゃないですか。服とか医者代も親持ちだし、交通費とかケータイ代も親が払いますもんね。楽です、やっぱり」
とそこで、岡野君はフッと真面目な顔つきになった。声も低く、断固とした響きになる。 「でも、オレは姉達みたくしてちゃあいけないって、最近、思うようになったんです。何かしなくちゃいけない、働かなきゃいけないかなって。だって親父はフツーのサラリーマンで、お袋は専業主婦だから、お金が大変だと思うんですよ。仕事を始めて、月に二、三万でも家に入れたら楽になるかなって。一年ぐらい前からそう決心して、働くようになったんです」
月三万では「楽」にはなるまいと思ったが、まあ、心がけは立派だ。彼にとっては大きな一歩だったのだから。
しかし、彼は一か月ほどで「体がしんどい」と、仕事を辞めてしまった。ビックリしたのは私だけで、他の誰も驚かなかった。坂下さんは、肩をすくめ、
「パラサイトが流行ってるねえ」と呟いた。
パラサイトと聞くと、いつも浮かんでくる思い出がある。もう十年以上も前。大学を出て、メーカーに就職を果たした頃。折りしも「氷河期」といわれた就職戦線を勝ち抜いての入社であり、私はかなり鼻高々だったのだが、現実はとてつもなく厳しかった。
どういう訳だか知らないが、おそらく何の理由もなく、私は取引先J社の女性社員に気に入られてしまい、大変に困った羽目に陥っていたのだ。彼女の名前は井出口さんで二十七歳。最初に挨拶に行ったその日から始まって、ほぼ一週間に一度か二度は、やれ飲み会だ、合コンだ、映画に行こうだのピクニックしようだの、こっちの都合などお構いなしに呼び出される。彼女の私的な友達や恋人にまで紹介され、知り合いになりたくもない人達と、友達付き合いしなくてはならなくなっていた。
仕事に厳しい会社だからと、ある程度の覚悟は持って入社したつもりではあったが、こんなたぐいの苦労は想像もしていなかった。
相手が自社の社員なら、まだなんとか断りようもあったのかもしれないが、取引先社員が相手だとそれが難しい。
ましてや、私が入社した頃の我が社とJ社の関係は、極めて悪化していた。
原因は四年前。我が社の営業マンとJ社の部長である篠原さんが商談中、営業マンの発した「ある一言」が、部長の逆鱗にふれたことによる。
その一言とは一体なんなのか、そこが気になる部分であり、当の営業マン本人はむろんのこと、我が社でも数多くの推測憶測が乱れ飛んだが、結局、誰にも突き止められず、真相は篠原部長の胸の内で、いまだ為す術がないらしい。
それからというもの、我が社が提案するキャンペーンやイベント、商品の在庫数から売り方まで、提出する企画は片っ端から篠原部長に撥ねつけられ、握り潰され、たまに採用されても今度は無断で内容を差し替えられ、それがまた、箸にも棒にもかからぬプランであって・・・とまあ、にっちもさっちも、どうにもならぬ有様であった。
皮肉なのは、この妨害で我が社が被った被害は、ごくごく軽微だったのに対し、J社の方は甚大な損害が発生していたという、事実である。
我が社との関係悪化により、J社の売上は、奈落の底に向かって一直線。私が入社したその頃には、遂に前年に対する売上比率が、危険水域の80%を切り、いわゆる「赤信号が灯った」要注意取引先に分類されていたのである。
それならいっそ、取引などやめてしまえばよさそうなものだが、悲しいかな、我が社には「縁はこちらから切ってはならぬ」という、およそ時代錯誤的ポリシーが、役にも立たず存在した。また、J社の方からすれば、取引打ち切りは、奈落の底がポッカリと開き、地獄の底へ転落していく事を意味する。
つまり、篠原部長は、自分で自分の首を絞めているのも同然なのだが、私怨というのは恐ろしいもので、彼は「自分のうっぷんが晴らせるなら、J社が潰れようがどうしようが知ったことか」という必殺の気合いで、嫌がらせ路線を貫き続けていた。
そんなこんなのアホらしい事情は、まだ入社して一年未満の私には何の関係もなかろうと思っていたら、実はこれが大アリであった。
というのも、井出口さんが篠原部長の愛人であるというのは、部長の奥様と井出口さんの恋人以外は、誰でも知っている事実であり、私が井出口さんに可愛がられ始めてから、部長の態度がみるみる軟化してきたというのも、これまたあきれ返った事実だからだ。
バカバカしい。
わかっちゃいても避けられない災難というのは存在するものだ。私は、これからも井出口さんに可愛がられなくてはならず、しかも、井出口さんを嫌うJ社の女性社員、ほぼ百五十人の反感を買ってはならないのである。
残業なしで仕事を終らせ帰宅する。これを成し遂げるには、髪を振り乱してなりふり構わず走り回らねばならないが、それが我が社では容易な事ではない。昨日も先輩に「汗をかくな」と叱られたばかりである。首から下は汗をかいても良いが、首から上は汗をかいてはいけない。我が社の社員ともなれば、どれほど忙しい時でも、「こんな仕事、簡単に出来ますわ~。なんてことありませんわ~オホホ」という顔をしていなくてはいけないのだと、大真面目で長々説教され、結局、残業になった。それにしても、汗をかく場所を、意識的に選んだりできるものだろうか。
新人時代の私が配属されていたのは営業一課。国内では最も大きな金額が動く花形部署である。課員は恐ろしくプライドが高く、一部の取引先からは「態度がでかすぎる」と怖がられていた。
仕事の三分の二ばかりがやっと片付き、残りは出来たフリをして、バレないうちに帰宅してしまえと腰を浮かせたまさにその時、携帯電話が鳴り響いた。怖がるどころか遠慮の欠片も持たない取引先、井出口さんだ。またか?今週はもう二度も呼び出されている。さすがに腹が立ってきた。
それでも新人に選択の余地はない。声だけにこやかに電話にでると、仕事を終らせて(終わってるなら、でなく)、バーに飲みに行こうと誘ってくる。
「私、あまり飲めないので・・・」
抵抗を示したつもりだったが、彼女は聞いていなかった。
「今日、オープンするオシャレなバーがあってね。私の知り合いの知り合いがオーナーなんだけど、盛大なお披露目パーティをするから、大勢あつめてくれって。ねえ、ミーナンも一緒に来てよ」
「はあ・・・」
なにが「ミーナン」だ。こんなみっともないあだ名をつけられた事はない。
この頃には、井出口さんとの付き合いも半年近くになり、彼女の事が前よりよくわかるようになっていた。まずい事に彼女はやり手だった。「J社の中で一番の嫌われ者」であるのは、必ずしも彼女のせいだけではなく、仕事をゲットしてくる手腕への嫉妬もあったのだろう。J社と我が社の関係もすっかり良くなり、お互いに売上を伸ばしている。いまいましい。彼女の誘いは断れそうにない。
「ぜひ伺いたい」と言うと、もう社の前に車で来ているから、すぐ出てこいと言う。行くべきか行かざるべきか、悩む必要はなかったのである。ご親切な事だ
彼女の車はクラウンエステート。買ったのは愛人の篠原部長だが、ガソリン代は恋人に払わせている。彼が浮気をしたので、その償い代である。井出口さんはタフな人だ。
夏の日は長い。昼間の様な明るさの残る街を、車は走り続ける。
ずっとずっと走り続ける。ガソリンの価格高騰を、井出口さんが気にするとは思わないが、それにしても長い道のりだ。一体、どこまで行く気だろう。
予想に反して、車は繁華街を通り過ぎ、賑やかな商店街も走り抜け、どんどん街の灯は遠ざかっていく。すでに一時間近くも経ち、いつの間にかおそろしく静かな住宅街に入りこんでいた。
あちこち乱雑に立ち並ぶ、一握り程のこじんまりとした林。大きくてどっしりとしているが、豪邸とまではいかない家々。街路灯は少なく、コンビニやスーパーなどお店のたぐいは一切見当たらない。バス停もないし、歩行者も対向車もほとんど目にしない。
私は、ハンドルを握る井出口さんをチラチラ見ていた。道に迷うような人ではないが、拉致誘拐などはやりかねないキャラだからである。バカバカしい妄想だと思っても、すっかり日が落ちて真っ暗になった中、淋しい街を走り続けていると、不安がこみあげてくる。シーンという音が耳を打つような、こんな住宅地に、オシャレなバーなどあるわけがない。
しかし、井出口さんは平気な顔で、ずっとしゃべり続けだ。取引先や同僚の噂がほとんどだが、聞いていると消化不良をおこす。「○○さんは父親が自殺した。○○さんは男女両方の恋人がいる。○○さんは上司と部下と同時に不倫。○○さんは会社の金を盗んで夜逃げしてる。○○さんは・・・」
井出口さんの営業成績が良いのは、彼女のオシャベリに相手の頭がおかしくなり「契約書にサインする事で逃れられるなら」とヤケッパチになった結果なのではないか。冤罪の被害者が、取り調べを恐れてウソの自白をしてしまうのと、心理的には近いものがありそうだ。
これはもう一生乗っている羽目になるのかもしれない、というパラノイアに囚われる寸前、車はやっと一軒の家の前で停車した。
やや大きめだが、とりたてて目立った所もない、ごくプレーンな和風の民家だ。庭に大木が三本もあり、こんもりとした影が、すっぽりと家全体を覆っている。明かりはついておらず、人の気配はない。
「着いたよ、お待たせ」
井出口さんはサッサと車を降りて歩き出したが、暗闇の中、どこにどれだけ目を凝らしても、バーらしき明かりも看板もない。キョロキョロとしていると、彼女は「こっち、こっち」と手招きしながら、家の横にピッタリくっついた、四角い箱の様な屋根付きガレージに向かって歩いていく。ここが店?かなり大きいけれども、車庫はただの車庫で、それ以外の物とは思えない。
半信半疑で近づいてみると、普通ならシャッターがあるべき所に、板ガラスの嵌ったドアがあるのがようやく見えた。内側から黒いカーテンが掛けられてて、隙間から白い光がわずかに漏れている。してみると、やっぱり車庫ではないのだろうが、入るのが躊躇われる怪しさである。
それでも、連れがある時にはけっしてドアノブを触らない井出口さんが待っているので、なんとも仕方がない。井出口さんが常に他の誰かにドアを開けさせるのは、決して威張っているのではなく、用心深いずる賢さゆえである。例えば、ドアの内側にお腹をすかせたライオンがいたとしても、食べられるのは自分ではないし、怒り狂った顧客がいたとしても、文句を食らうのはドアを開けた痴れ者で、自分ではない。会社内サバイバルが本能として身についてしまっているらしい。
思い切ってドアを押し開けて、私は店の中に入っていった。暗闇に慣れた目が痛い。天井に取り付けられた細長い蛍光灯が、何の工夫もない白い光を店内一杯に広げていた。
外から見た印象より、ずっと広い部屋だった。車が五台は入るだろう。
店内正面に、ニセモノの木材で出来た、あまり清潔とはいえないカウンターがある。八脚ほどのテカテカひかる黒のスツールが並んでいるが、一つ二つが斜めに傾き、それぞれの高さも揃っておらず、どれ一つとして安心して体重を掛ける気にはなれない。小さなテーブル席が三つほど置かれていて、そこだけは、なるほど店らしかったが、他の部分は見られたものではなかった。
一番の謎は、店のど真ん中、テーブル席が作る三角形の中心に、自転車がデーンッと置かれている事だった。種類はよく解らないが、シティサイクルと呼ばれるタイプでなくて、競輪などに使われていそうなスポーティな形の自転車だ。色は黒とオレンジに塗り分けられていてかなり派手だが、一体なんでこんな所に鎮座しているのか。インテリアなのか?片づけ忘れたのか?やはりここはガレージなのか?それとも誰かかがこれで乗り込んできたのか?どの答えがイエスでも変ではないか?
店全体は、コンクリート打ちっぱなしだが、右手の壁には、果物が皿に盛られた下手くそな静物画と、ポスターから切りとったらしい花とイルカの写真が数枚、テープで張られている。左手の壁には、オーナーの趣味なのか、それとも物置代わりというだけなのか、自転車のヘルメットや手袋、リムから外れたタイヤ、自転車レースの写真などが、いくつもフックで吊り下げられていた。
バーと聞いてきたからには、せめてカウンターの中に誰かが、例えばバーテンなどいてもいいと思うのだが、そこには誰もいなかった。すくなくとも給料を貰う為に働く人の姿はない。油で黒く汚れたつなぎを着た若い男性が二人、シェイカーを投げっこして遊んでいるだけである。
テーブル席の二つは、子供連れの家族に占領されていて、彼らは缶ビールを飲みながら、市販の袋菓子やパンを食べていた。年齢も性別も様々な子供たちが六人、床を這い回ったり、ヨチヨチ歩いたり、泣いたり笑ったり、走りまわったりしている。音楽もかかっておらず、子供たちの声だけがBGM。大人たちの方はそれ程の元気がなく、ボソボソと語り合っているだけ。まるで盛り上がっていない。
客は全部で十七人しかいない。こが、オシャレなバー?盛大なオープニングパーティ?
不満に駆られて反射的に井出口さんを探すと、彼女は、カウンターに一人で座っている男性にべったりとしなだれかかり、盛んに口を動かしている。相手のヤニ下がった顔を見れば、何かしらは下心があるのがわかるが、井出口さんのオシャベリが終わるまで興奮を維持できればの話だ。いままでの所、そんな男性は多くはなかった。井出口さんは、面白がり屋なだけで、バカではないのだ。
彼女はそれなりに楽しんでいるからいいが、私はどうしたらいいのだ。知り合いは一人もいないし、目を向けてくれる人もいなければ、声を掛けてくれる人も誰もいない。落ち着かなかった。この店にいる人達が、みんなただの客ではなく、なんらかの繋がりがあり、私は部外者。余所者。歓迎されていない、場違いな所にいる、そんな気がしてならない。こんなに居心地の悪い店は初めてだ。
ボーッと立っているのも変なので、端っこのスツールに腰を掛けた。長いこと車に乗っていたので喉が渇いていたが、バーテンもウェイターもいない上、もちろんメニューもない。カウンターに何本かの酒瓶と普通のグラスが何個か転がっているが、生のウイスキーを手酌であおるようなマネはごめんこうむる。
途方に暮れて辺りを見回すと、半分ほど残ったコーラのペットボトルが目に入ったので、なんだか薄汚れたグラスに注ぎ、生ぬるくて甘ったるい、茶色の不気味な液体を、チビチビ飲んだ。かえって喉が渇いた。
何をしにきたのかさっぱりわからぬ。そんな私を救ってくれたのは、子供だった。
その日、私はまるで犬の鎖のような、みょうちきりんなネックレスをしていた。店内を走り回っている一年生ぐらいの女の子が、そのデザインに興味を持ったらしい。彼女は、隣のスツールに苦労してよじ登ると、私のコーラを勝手に味見して顔をしかめ「なんで、そんなネックレスしてんの?」とか「その服、毛虫みたいな色」とか「お姉さんって誰なのよ?」とか、子供特有の遠慮のなさで、次々と質問を浴びせてきた。
彼女と、それなりに楽しく会話していると、テーブル席の一つから、その子のお母さんらしき人が、こちらに歩いてきた。ヤンキーお姉ちゃんのような恰好だが、感じの良い、明るい笑顔を浮かべている。
「あんた、お姉さんをうるさがらせちゃあ、ダメじゃない。あっちで遊んでおいで」
彼女は子供をスツールから抱き下ろして追い払い、
「あなた、一人?私達のテーブルに来ない?」
と誘ってくれた。みると、ご主人らしき若い男性が、一歳ぐらいの女の子を膝に乗せて座っている。二十代前半くらいか。灰緑色のつなぎに、髪を金髪に染め、大きな輪のピアスが目立った。
家族の中に入っていくのは、多少、気後れしたものの、ここに一人ぽつねんとしているよりマシだ。好意に甘えることにする。
「だけど、ここのお店・・・何ていうのか、変わったインテリアですよね」
椅子を引いて座りながら、辺りをもう一度見回す。奥さんはクスリと笑い、
「いやいや~。前の二つの店よりはるかにマシって思うわよ。ねえ?」
ご主人の手首をちょんとつつく。ご主人はフンと鼻を鳴らし、
「ビール、まだ冷蔵庫にあるかな。ちょっと見てくるから、あんた、ホラ、これ頼む」
私の膝に、赤ちゃんをドンと乗せて立ち上がった。ええ?そんないきなり・・・。抱っこなんてしたことがない。落としそうで怖かったし、泣かれたらどうしようと不安だったのだが、赤ちゃんは私の腕を叩きながら、上機嫌でグーグー、なにか喋ってる。お姉ちゃんもそうだが、どうみても人見知りタイプではないようだ。
奥さんは、赤ちゃんの髪を、さも愛しげにかき上げてやりながら話を続けた。
「前の二回もバーだったの。今回のは、同じオーナーが作った三つ目の店。三度目の正直ってヤツ?前のはひどかったんだから。テーブル一つと椅子三つ、それにあの自転車があるだけで、他には何にもなかったの。あのカウンターも、今回初めて見たわ。私達はあんまり来なかったんだけど、たまに来てもお客さんなんか一人も無し。仲間が二、三人ウロウロしているだけでね」
「段ボールの中に、まだ少し残ってた」
ご主人が、缶ビールを持って戻ってくる。プルトップを開けて一口飲んだが、
「ぬるい。それに、なんかマズいな」
と顔をしかめた。知らない人も多いが、お酒にも賞味期限がある。切れてなきゃいいのだが。
「俺たちは、サイクリングのサークル仲間なんだ。だから、まあ義理で今日も来たって訳」
それで、店内の男性が、みんなつなぎ姿である理由がわかった。
「前の二軒の店は潰れたんですか?」
「とも言えないけど。続ける気がなくなったってところかな。しばらく店閉めてまた再開。また閉めて再開。それを繰り返してるんだ」
とご主人。ん?
よくわからなかった。前の二つがうまくいかなかったのなら、バーはやめて何か別の店にすればよかったのではないか?
「そう思うけどね。微妙な事情があるから」
奥さんが顔を振り向けると、ご主人は身を乗り出して声を低め、
「ここのオーナーはさ、ずっとプー太郎だったのよ。自転車の部品を買う為に、時々バイトしてたけど、あとは家に籠ってブラブラしてるだけでね。まあ、三十代のうちは、それも許されてた。でも、四十代になったとたん、ヤツの両親がブーブーうるさく言い出したんだ。なにかやりなさいってさ。それで、ヤツはバーを経営したいって言ったワケ。どうしてなのかは、わからんけどね。それでヤツの親父が、自分の家の車庫を改造して、この店を作ってやったの。大企業に勤めてた人で、退職金がたっぷりあったらしいからな」
でも・・・。バーを経営するなら、駅前の繁華街で店舗を借りた方がよさそうなものだ。もちろん、私は全くの門外漢ではあるのだが。
「いやいや、それもダメなのよ」
とご主人は笑いながら、足元のリュックに手を突っ込み、どでかいタッパーなんぞ取りだした。中には、ポテトサラダと豆腐、ソーセージ、おにぎりがいくつか入っている。ご主人、まさかのお弁当持参である。
奥さんはポケットからラップに包んだスプーンを数本取り出し、豆腐を崩して、私が抱っこしたままの赤ちゃんの口に運んでやった。「あたしも食べる~」たちまちお姉ちゃんも現れ、ご主人の膝によじ登る。ご主人は、愛おしそうに子供を抱きしめながら、話を続けた。
「ヤツの親が大反対したんだ。親から離れて、一人で経営なんて出来るわけないって。自分たちの目の届くところでやるって条件で金出したワケ」
私は急にそのオーナーが見たくなった。第一、ご主人の声はだんだん高くなっていて、聞かれでもしたら困るだろう。
「オーナーはどこに?まだご挨拶してないし」
そう聞くと、奥さんは天井を見上げて、目をグルグル回してみせた。
「探してもムダムダ。いないわよ。いつだって店にいないんだから。五分ぐらい顔出すこともあるけど、ビール一杯そそぐわけじゃない。ま、店っていっても、サークル仲間だの、得体の知れない連中だのが来て、タダ飲みしてるだけだからさ。いいんじゃないの、それでも」
ご主人の話ではないが、なんでバーなどやる気になったのか、これではさっぱりわからない。笑い出しそうになったが、続くご主人の言葉には、思わずハッと胸をつかれた。
「時々、嫌になるよね。こちとら、朝から晩までトラック乗って、重い荷物を運んで働いてさ、子供二人を食わせていくので精一杯だ。いや・・・食わせているとも言えないな。高い物は買ってやれないから・・・」
「子供はねえ、メロンとかケーキとか食べたがるじゃない?買えないもの。甘い物っていったら、ウチはいつも一つ九十八円のミカンの缶詰よお」
奥さんは悲しげな顔で、でも優しく子供達に微笑みかけた。子供達も、同じくらい優しく母親に微笑みかける。
「それなのに、ヤツはバーのオーナーでございって顔で、ゆうゆうとしてやがる。初対面の人間には、飲食店の経営者です、なんて自己紹介してるんだぜ。スッゴーイなんてキャーキャー言われて、醒めるよな。なにが経営者だ。何軒店を潰したって、どれだけ赤字出したって、平気の平座さ。どんなトラブルだって、結局は金だろ?金さえあれば解決できる。その金を、ヤツはぜーんぶ、親に出してもらえるんだ。いいご身分だよな。あー、話してたらバカバカしくなったぜ。帰るか」
私も帰りたい。
振り返ると、すっかり退屈そうな顔になった井出口さんと目が会った。店中の男性を袖にし終わったらしく、親指を立ててドアを指している。いいタイミングだ。
帰り際、噂のオーナーが姿を現した。「この度はお招きいただきまして・・・」等モゴモゴ挨拶をしたものの、相手は聞いていなかった。オーナーは脂ぎったボサボサ髪の、ものすごく太った男性で、サイクリングはもちろん、いかなるスポーツとも縁がなさそうな土気色の顔色をしていた。「仲間」でない私がいるのが、お気に召さなかったらしい。恐ろしい目つきでジロリと私を睨み、あからさまにプイと顔を背けて行ってしまった。後にはツンとカビくさい悪臭だけが残った。
帰りの車の中で、寝たフリをしながら考えた。あのご主人の言う通り、オーナーに比べて我が身が惨めに思える時もあるだろう。
それでも、オーナーの様な生活を送るぐらいなら、あくせく働きながら家計簿の赤字を眺めてため息ついている方がましだ。
私の部屋を思い浮かべる。六畳一間のアパート。初任給で始めた一人暮らしだから、何もなかった。あるのは炊事の道具だけ。ソファもテーブルも本棚も、なんと布団すらなかった。フローリングの床に横たわり、コートを毛布がわりにしている。それでもいい。傍からみたら惨めな生活でも、私は自立を成し遂げている。いずれ布団を買える日も来るだろう。
7・
一日がせめて三十四時間ぐらいあればいいのに、と願いながら、一分の暇もなしに走り回り、気が付けば厳寒の季節になっていた。
私はとても暑がりなので、十一月半ばぐらいまでは、半袖で過ごすことができる。従って、季節の移ろいにはとんと鈍いのではあるが、さすがに雪がちらつくようになると「おお、遂に真冬になったか」とわかるのである。
身を切るような風と粉雪が吹きさすぶ日ほど、なぜかみんながサボらず出勤してくる。理由は簡単で、会社の方が家より暖かいからである。
小さな事務所のくせに、床には三つも石油ストーブが置かれ、その上で、昔ながらの金色をした大きなやかんが、さかんにシューシューいっている。お茶をいれる湯は電気ポットから取るのだから、なぜ、三つものやかんに常に水を満たし、沸騰させていなくてはいけないのか、全然わからない。隙間だらけの我が社では空気が汚れたり匂いが籠ることはあまりないものの、大量の水蒸気のせいで、煙幕がかかったように周囲がぼやけ、書類は湿ってシワシワだった。喉をいたわる為の加湿器がわりとしても、いささか度が過ぎている。第一、誰も仕事などしてないではないか。
笹原主任や今西リーダーも含めて、事務所の誰もが半覚醒状態。丸テーブルで湯呑を手で包み込み、ホンワカ微笑んでいる。室内はものすごく暖かく、田舎家の囲炉裏端で、長い冬籠りをしている様なムードである。
誰一人として、電話セールスなんてしていないので、無人のデスクの上には、ゴキブリ達が勢ぞろい。ゆっくり散歩したり、手で顔をこすったり、やはりウトウトしたりしている。
奥村さんが、大きな菓子鉢にもられた饅頭に手を伸ばしながら、
「ああ・・・やっぱりこの職場はいいわねえ。和むわ。空気がノンビリしてて。前の職場がひどかったもの。移ってきて本当に正解だった」
饅頭は一口で消え、次は煎餅に手を伸ばす。
「前はどんな仕事してたんですか?」
煎餅をかみ砕くバリバリという音の隙間から、坂下さんの声がゆったりと響いた。
「パン工場での流れ作業。そんなにきつくはないし、給料も悪くはないんだけど、汚くて汚くて、それが嫌でね。辞めたわ」
顔をしかめ、お茶を継ぎ足す。
「工場が汚いのは、困りますよね。食べ物を作ってるんだから」
今日の朝食はパンだった。やっぱり納豆ご飯にすべきだったか。
奥村さんは、煎餅を二枚掴みした手を、顔の前でパタパタと振りながら、
「違う、違う。工場が汚いんじゃないの。まあ、ピッカピッカという訳じゃあないけど、大手企業の系列だし、それなりに清潔よ。汚いのは、働く人達!作業はぜんぶ機械でやるわけじゃなくて、人間の手をつかう仕事もかなりあるんだけど、そこで働くパートの女の人達、彼女達が汚いのよ」
そういうことか。なんかおかしいと思った。職場の衛生状態にこだわる人なら、今のこの事務所にだって一分とはいられまい。
「その工場ではね、白衣や帽子、マスクや手袋なんかをキッチリ着せて、それで衛生管理しているつもりなのよ。笑っちゃう。それを着る人が不潔だったら、意味ないでしょうが。だいたい、四、五人はそういう人がいるんだけど、ひどいわよ、あれは。体は汗と垢の匂いでプンプン。ツーンと鼻を刺すみたいな、カビくさいような・・・何週間もお風呂に入ってないと思う。髪の毛は油じみてて固まってるし、フケだかシラミだか、白いゴミだらけ。手はがさがさに荒れてるし、爪は何度注意しても切らないで、真っ黒。とにかく、傍にいると悪臭で息が詰まるのよ。マスクなんて何の役にも立ちゃしないわ」
確かに、聞いているだけで食中毒を起こしそうだ。素朴な疑問なのだが、どうしてキレイにしようとしないのだろう。
奥村さんは、顔をしかめた。
「半年くらいかけて、その内の一人・・・鈴木さんって人だけど、彼女から辛抱強く事情を聞き出したの。もちろん、私はパートで社員さんじゃないから、ただの好奇心で。その人達はみんな帰る家がないんですって。理由は話してくれなかったんだけど、まあ多分、家賃を払えなくてアパートを追い出されたとか、夫の・・・何ていうんだっけ、DⅤ?あれで、家はあっても足を踏み入れられなかったりとか、そんな理由なんじゃないかな」
「そういえば、よく聞くよね。ネットカフェ難民とかさ。サウナで寝泊まりしたり、月極めのアパートとか簡易宿泊所で暮らす人達。あんな感じなワケ?」
工藤さんは、煎餅を机に投げ出した。彼女は夫と喧嘩をする度に、子供を連れて家を飛び出し、夜の街をさ迷い歩く。せいぜい三、四時間の超プチ家出だと彼女は言うが、危ないし、子供が可哀想だから止めろと、いつもみんなに叱られている。夫の方が出て行けばいいではないか。男なんだから、さして危険でもないだろう。でも、なぜか「出ていけ」と言われたワケでもないのに、工藤さんが出るハメになる「平気平気」と軽くいなしていた工藤さんだが、先日、ついうっかり本音を漏らした。家にいられず彷徨うというのは、本当に怖いし心細いと。帰っていく場所、居られる場所、つまり家(アパートなら部屋)というのは、どうしても人間が必要とするものなのだろう。
奥村さんは、真剣な顔で工藤さんを見つめた。
「あんたね、真面目に考えてもの言ってる?ネットカフェ難民の人達だって、もちろんすごく大変だと思うけど、まだ屋根の下で寝れるからマシなのよ。サウナとか簡易宿泊所とかだってお金がいるじゃない。鈴木さんみたいな人達は、そんなお金がないのよ」
「でも働いてるのに、なんで・・・?」
「じゃあどこで寝るのよ?」
「子供はいないの?」
「実家に帰れないのかしら?」
一斉に質問が飛ぶ。笹原主任は両手をヒラヒラさせて「まあまあ」とか「一人ずつ順番に」とか「僕だって、たまに家内に追い出されて・・・」とかなにやらブツブツ言っていたが、一顧だにされなかった。
奥村さんは目を宙に向け、板が剥がれてぶら下がったままの、危なっかしい天井を見上げた。
「答えられる事、そんなにないのよ」
とため息をつく。いつかはこの板が、誰かの脳天を直撃するに違いない。
「鈴木さんみたいに、家のない人達はね、勤務時間以外は、だいたい会社の休憩室にいるの。工場は昼勤と夜勤に分かれてて、ほとんど一日中稼働してる。休憩室も二十四時間、開いてるわけ。だから休憩室で眠ってる。というか、暮らしてる。お風呂は無理だけどね、だから不潔になるんでしょう。でも、それがバレると、社員さんに叱られるの。出て行きなさいって。上の人達だって知ってるはずよ。彼女達の事情は解ってるはずよ。でも、帰りなさいって、ただそう言うだけ。馬鹿げてるわ。居着かれないようにでしょうけど、固いベンチがあるだけのあんな場所にさ、もしも帰る場所があったら、誰が空腹抱えてじっとしてる?」
「お腹空かせているんですか?」
働く場所がパン工場なのだ。それはもう拷問に近い。
奥村さんは、痛ましそうな顔で頷き、話を続けた。
「帰れと言われたら帰らなきゃならない。行くべき所がなくても、工場からは出て行かなきゃならないでしょ。でも、そこからが大騒動なの。それが一番、見るのが辛かった」
抵抗しながら引きずり出されるシーンが思わず目に浮かんだが、それは映画の見過ぎであった。本当の話はもっともっと単純で、それだけに悲しい。
「工場から出て、どこかへ・・・そこがどこであれ、どこかに行くにはバスが必要なの。大抵の工場って、町から離れた場所にあるじゃない。まわりに何もないような。町までは、とてもじゃないけど歩ける距離じゃない。でも、彼女達にはバス代がないのよ」
それは妙な話だ。一応、働いているのだし、数百円のバス代がないといわれても・・・。給料は?
「その会社の給与支払いには二パターンあってね。月二回タイプと日払いタイプ。私は月二タイプにしてたけど、それだと一回目の給料から次の給料まで十五日間ある。その間を凌げない人が日払いにするの。日銭を貰わないと、その日の食べ物や寝る場所が確保できない人ね。でも、日銭にすると、よけいに生きていくのが苦しくなるのよ。わかる?」
なんとなくわかる。簡単に言えば、日銭イコールその日暮らしという事だ。そして、その日暮らしは金がかかる。買い食いは自炊より高い。ネットカフェで生活するより、オンボロアパートの暮らしの方が、もろもろ考えると安上がりだ。
家、あるいは部屋がないと、物をしまっておくことができない。持ち歩ける荷物は限られているから、なんでもかんでも、必要な物は必要な時に、その都度買うハメになる。これが意外と高くつくのだ。まずいとわかっていても、必要な物なしで過ごすわけにもいかず、チマチマ使っている内に、一日働いた金は消え、次の日にはバス代もないほど、スッカラカンになってしまう。
「その日暮らしねえ。その言葉がぴったりだよ、ホント。だからさ、工場から帰るバス代さえ、その日働いた分の日払いから出さないと払えないわけよ。それが、事を大きくしちゃうのね。ホント、みっともない!」
「みっともない?」
「あ、いや、彼女達のことだけじゃないのよ。会社もみっともないし、こんなこと放置してる国もみっとないし、もう、何に怒っていいんだか。まあ、聞いてよ」
誰も、何も言わない。ただ、じっと聞いている。
「工場が日払いの給料を渡す時間が、最終バスの時刻の五分前なの。なんの嫌がらせよって思っちゃう。お財布にお金がある人は、もちろん余裕を持ってバスに乗れるんだけど。鈴木さんみたいに所持金ゼロの人達は、日払いを受け取らないとバスにも乗れない。だから、そりゃすごいの。事務所に並んでお金を受け取り、サインしたら一目散にバス停に駆けつける。その光景がねえ、なんて言うのか、もう・・・。ボロボロの服を着て、悪臭を撒き散らす女性達が、集団で工場の通路を走ってくのよ。なりふり構わずに髪を振り乱して、ひきつったみたいな怖い顔して、誰にどう見られようが構うもんかって感じ?ドカドカドカーッと脇目も振らずに全力疾走。私、あれを見るのが嫌で嫌で」
本当に追い詰められているのだろう。お金が無いのも限界に達すると、自分がどう見られようがどうでもよくなる。人の目が気になるのは最初だけで、その内、他人などいないも同然に意識しなくなる。ヤケになって、というのではない。開き直りでもない。ただ、周りの物や風景、人までもが、いまいちリアルに感じられなくなるのである。
自分だけが、別世界に佇んでいるような、妙な現実感のなさ。普通の人達がうんと遠くにいるような距離感。こればっかりは、本当に困った経験の無い人にはわかるまい。
ため息をついてそう言うと、奥村さんは私に指を突き付け、
「その通りよ、その通り。工場でもね、本当に困って苦しんでいそうな人ほど、一人ぼっちなの。さっき私、あんまり質問には答えられないっていったでしょう?知らないからよ、なにも。鈴木さんからだって、あれだけの事を聞き出すのに半年もかかったし、全く親しくなれなかったんだから。心身共に、それにお金の面でもボロボロってな人ほど、ものすごーい壁つくって、誰も寄せ付けないのよね。一日中無言でポツーンと一人でいる。良くないよね、あれは」
よくわかる。今、自分はここにいると自覚し、まだ生きている、まだもう少し頑張れると感じるには、誰かと話をするのが一番だ。
坂下さんが、
「どうしてそんな境遇になっちゃったのかなあ?助けを求めれば、みんな助けてくれると思うのにね。冷たい人とかイジワルなんて、ほんのちょっとしかいないよ。ほとんどの人は優しいし、人に親切にしたい。そうじゃない?」
とみんなを見回す。工藤さんはさかんに、首を傾げながら、煎餅を力任せにかみ砕く。香ばしい匂いをまき散らしながら、屑がそこら中に飛び散った。
「どうかな。そうしたいけど。でも、どうかな。自分が好きな人や、友達なら助けるけど。誰でも助けたいかって言ったら、それはどうかな・・・私、フツーの人だからさ。力になりたいっていったって、やっぱり好意が持てるか持てないかに左右されちゃうな。助けたくなる人、そうじゃない人。いるでしょ?」
「第一、何にも打ち明けてくれないんじゃ、力になんてなれないじゃない。奥村さんも尋ねたんでしょ?話してくれなかったんだよね?」
と鹿田さんも口をゆがめる。奥村さんは、深いため息をついた。
「私もね、頑張ったつもりなんだよ。そりゃあ、お節介だったかもしれない。偽善っぽくもあったかもね。でもさ、いいじゃない?なにか力になれたら・・・っていう気持ちは本当だったんだから。だけど、鈴木さんみたいな人達は、心を開いてくれない。話してくれない。子供はいるの?とか、どこに住んでるの?とか、どんなパンが好き?とか、ただの世間話なのに、全く無視されたよ。何度、話題を振っても、顔をしかめたり、プイッて背を向けたり。それでも、めげずに笑顔でさ、色々と話しかけたんだけど・・・終いには、舌打ちされたり睨みつけられたりして、遂に諦めた。助けが必要らしいのに、本気で助けを求めてないんだって思った。嫌われてるのかなって、落ち込んじゃうし」
「それは仕方ないですよ。勝手にしてくれってなっちゃいますもんね」
助けが必要なのに求めない。あるいは、上手く求められない。そんな人に私も会った事がある。工藤さんの言う通り。私達は聖人ではない。普通のお節介さん。好意が持てない人に、力は貸せないのだ。
あれは、私がまだ高校生だった時。今でいう所のDⅤ被害者に会った事がある。
ある日曜日、困った事に、母がまた「デパート行きたい発作」を起こした。新宿まで行って、私の洋服を買い込むのだという。
私はデパートが大嫌いだ。疲れるし、気持ち悪くなるし、足が痛くなる。図書館や本屋ならいくらでも立っていられるのだが。
第一、新宿までは電車で片道一時間半。帰りも遅くなってしまうだろう。母はいいかもしれないが、休日の家事は私の役目だから、帰宅してから夕飯を作り、茶碗を洗い、洗濯物を畳み、アイロンを掛ける、こっちの立場も考えて欲しい。
せめて、夕飯ぐらいは手伝ってくれと思うのだけれど、私の母は、食事を作らされるなら「キッチンを破壊する」「自殺してやる」と叫んで、マジ泣きするような御仁である。そのくせ、味付けや盛り付けにはウルサイのだ。
電車の座席に母と並んで座りながら、私は憂鬱だった。夕飯なんにしよう・・・ばかり考えてしまう。ババくさい。そんな私の心中を知ってか知らずか、母は久しぶりのデパート行きにウキウキ、ニコニコである。
そこへ一人の女性が乗り込んできた。年は四十代前半くらいか。白髪交じりのショートヘアはボサボサガサガサ。顔色は黄色がかった土気色で、首を不自然に落とし、フラフラした歩き方なので、今にもぶっ倒れそうに見える。痩せているというより萎びた体つきで、ヨレヨレの黄ばんだポロシャツと染みだらけのスラックス姿。異様なのは、首と手首に、ものすごく長い包帯をグールグルに巻き付けている所で、その巻き方がとても変だった。
痛みを止めるにしろ出血を止めるにしろ、包帯というのは、ピッタリ巻かなくては意味が無いと思われるのだが、まるでマフラー替わりにしているみたいにユルユルなのだ。身なりも、マフラーモドキの包帯も、薄汚れていてあちこち破れ、かなり使い込んだ感じであるが、血や痣などは見当たらない。
ガラガラに空いた車内で、その女性はなぜか、母の隣にピッタリくっついて座った。大きなため息をつき、がっくり肩を落として、いきなり泣き始める。声こそ出していないが、大量の涙と鼻水を、さかんに両手の甲で拭っている。
しばらくぎこちない沈黙が続いた。二つほど駅を過ぎたが、彼女は一向に泣き止まない。遂にいたたまれなくなったのか、母は小声で「どうなさったのか」と聞き始めた。母は、時折、首を締め上げたくなる程に子供っぽい女だが、その気になった時にはなかなか優しい一面を出せるのだ。もちろん、好奇心もかなりある方だ。
その女性は、袖で涙をゴシゴシ拭うと、立て板に水のごとく喋りだした。弱々しい声だが、その割にスピードは速い。
彼女は、ひどい暴力を振るう夫から、ここ何年も逃げ歩いているのだという。各地を転々としているのだが、数か月も逃げおおせたためしがない。ホラー映画に出てくるストーカーもどきの化け物のように、かならず夫が現れ、殴られ、連れ戻される。家に戻ると悪夢のような暴力がまた始まり、また逃げる。そして捕まる。それを、延々と繰り返しているのだ。
母は、あっという間に話に引き込まれ、いたく同情しだした。女性の方に身を乗り出し、手を握って、話の続きを促す。何も知らない人が見たら、親友同士だと思っただろう。
女性は、自分の夫の事を何度も「怪物」と表現したが、それはむろん当事者から見てのことで、部外者の私には「どこにでも転がっていそうなバカ男」にしか思えなかった。
そいつは中小企業に勤めるサラリーマンだが、あまり出世はせず、毎年平社員。給料はやや低めだが、生活できない程ではない。しかし、酒の消費率が異常に高く、酔うとひどい暴力を振るう。素面の時は少なくとも何か理屈をつけて殴るが、酒が入った時の暴力の理由は「酔ってるから」というだけのことで、つまり打つ手なしである。
不幸中の幸いにして子供はいない。結婚して十五年、専業主婦として夫にひたすら仕え、我慢し続けていたが、二年前、遂に逃げ出した。今も逃げている所だが、どこかに落ち着いたら最後、夫に連れ戻されるのは時間の問題だろうということだった。 母は涙ぐみながら、一心に女性の話を聞いている。私とてむろん気の毒には思ったが、それ以上に気になる事があった。
なぜ夫は彼女の居場所がわかるのか。なぜ、連れ戻す事ができるのか。
母にそれを耳打ちすると、母はジロリと私を睨み、口をギュッと引き締めて首を振った。これは世界共通の親言語というやつで、その意味する所は「大人の話に子供が口を挟むものではありません」と「耳打ちなんてお行儀が悪い」の二つである。
その一方で、母もその点が気になっていたと見え、女性にまるで同じ質問をした。どうせ聞くならグチグチ言うなと思う。
すると彼女は、住民票から転居先がわかってしまうのだと答えた。
なるほど。妻が現住所からの転出届を出せば、住民票から妻の名は消える。しかし、妻が引っ越し先で転入届を出した時点で、前の住民票(除票という)には新住所が記載されてしまうので、夫はいとも簡単に妻の行方が探り出せるのである。日本の役所には、夫婦といっても他人は他人であり、プライバシーは守られなければならないという観念が無いらしい。
もちろん、今ではDⅤ被害者を保護してくれるケースが多くなってきた。傷や怪我の写真、診断書など証拠になるものがあれば、除票をブロックして、加害者が被害者の行方を辿れなくする。証拠がなくてもヒアリングに信憑性があれば、支援は得られる。保護先や相談先にも事欠かない。だが、二十年前には、DⅤは知られておらず、そういった制度はほとんどなかったのである。
私は再び行儀悪く母に耳打ちし「引っ越し先で転入届を出さなければいいのではないか」と尋ねた。母はそれを繰り返す。
女性は再びグズグズ泣き始め、
「転入届を出さないと、引っ越し先の土地の住民票が得られないし、健康保険にも加入できないし、まともな会社にも入社できない。住民サービスも受けられないから・・・」
と答えた。母は「そうよねえ、そうよねえ」と繰り返し、お前は理解が足りないとばかりに私を睨んだが、私はとてもじゃないが、母と一緒になって「そうよねえ、そうよねえ」と言う気になれなかった。
本当にそうだろうか。何回も同じ事を繰り返していては、なんの進展もない。そろそろ他の方法を試してみたらいいではないか。それが出来ないのは、彼女自身が、徹底的な勘違いをしているからではないのか。
その女性は、
「まるで逃亡者です。転入届は出さないといけないのに、出せば捕まる。どうしたらいいのかもうわからない」
と嘆いている。それは間違った考えではないか?
彼女はとっくに逃亡者なのだ。腹をくくってそう認めなくてはならない。警察に追われるとかそんなものではないが、彼女の立場は犯罪者よりなお悪い。見つかれば殺されてしまう可能性もあるのだから。夫の次の一撃が、もし当たりどころが悪かったら。もし力が入りすぎてしまったら。自分の命がかかっている逃亡なのだ。
子供がいれば、逃げ切るのは容易な事ではないだろう。だが、彼女は一人だ。色々、出来る事はある。
例えば、寮付きや住込みの仕事を探すとか。夜勤の仕事を選び、昼間、公園なり電車の中なりで睡眠を取るとか。疲れが限界に達した時しか家に帰らないようにする。要するに、引っ越し先を突き止められる事は計算の上で、家に寄りつかないようにすればいい。
彼女は、十五年もサラリーマンの夫と暮らしてきたのだ。一週間の内、どうしてもこの日だけは仕事に行かねばならないとか、一か月の内、この週だけは会社がすごく忙しいとか、そうした事情は把握しているだろう。その日を狙えば、家で寝ていても大丈夫だ。
夫の親族や会社に、手紙や電話で訴えるという手もある。今と違って当時は、一方的な暴力も「夫婦喧嘩」と受け取られ、理解は得られない事が多かったし、妻が責められてお終いだったのだが、恥をかかせるだけでも、ある程度の反撃にはなるだろう。思いつく限りの知り合い全員に「外聞の悪い話」をばらまく妻。夫が愛想を尽かしてくれれば、バンバンザイである。
それが、彼女ときたら、いつもいつも、ただ「普通の引っ越し」をしているだけ。それでは、夫に転居先案内を出しているのも同然ではないか。
彼女は逃亡者なのだ。それは彼女のせいではないが、なってしまったからには仕方ない。転入届は出さない。本当はこれに限ると思う。
住民票がなくてもつける仕事はある。だが、アパート探しは、確かにそう簡単ではない。保証人を求められるし、その保証人が親族や親しい友人の場合、そこから夫に情報が洩れている可能性もある。夫に逃亡先を漏らしていたのが、妻の母だったなどというケースは割に多い。娘の命より世間体を気にする親もいるのだ。事実、例え死んでも離婚はするなと公言してはばからない人を、何人か知っている。だからこそ、例えアパートの部屋をゲットしても、それは緊急の場合しか使わない、普段はホームレス状態でいるぐらいの覚悟が必要だ。
それに、私にはもう一つ疑問があった。シンプルすぎる質問なのできまりが悪かったが、遂に自分の口から聞いてしまった。後で母から「何にも知らない子供のクセに生意気言って」と叱られるのは必至であるが、言わずにいられなかった。
「どうしてドアを開けるんですか。ご主人が追いかけてきたら、鍵をかけて締め出せばいいじゃないですか」
母は座席から飛び上がった。アタフタと手を振り回し、女性の顔色を伺いながら、
「あんた、なんていう事を言うの。そんな事、出来っこないじゃないの。子供にはわからないけど色々あるのよ、大人には。そんな事、出来ないのよ。出来ませんよ、ほんとにまあ、この子ときたら」
とオロオロ。その慌てぶりときたら、まるで私が「ご主人を殺してしまえ」とでも言ったかのようだ。
それほど変な事だろうか。缶詰だの水だの溜めこんでおき、ついでに耳栓や非常用縄梯子も用意して、何日でも籠城する、というのも意外に効果的だと思うのだが。どんな甘言にも脅迫にも断固として耳を貸さず、閉じこもること。無断欠勤をして仕事は首になるかもしれないが、知った事ではない。どうせ、崖っぷち労働者にならざるを得ない身なのだから。
一方、夫の方は正社員だ。そうそう何日も、開かないドアの前で粘っているわけにはいかないだろう。
彼女は質問にこそ答えたが、私にはチラリとも目を向けず、母にだけ話した。不愉快とまではいかないが、その態度に私はフッと違和感を覚えた。
「そんな事をしたら、きっとドアの前で大騒ぎをすると思います。怒鳴り続けたり喚いたり、ドアをドンドン叩き続けたり、大暴れして。ご近所に迷惑だし、恥ずかしくて恥ずかしくて・・・。大家さんが来るかもしれないし、警察を呼ばれるかも。そう、警察が来たらどうすればいいんです。怖くて、みっともないし、会社にも知られてしまうかも。それで立ち場がなくなったら、嫌ですし。それを思うと、とても出来なくて・・・」
彼女の話は掴みにくい。主語がないからだと、後で気が付いた。「夫が」なのか「私が」なのか、区別がつかないのだ。
母は、それみろと言わんばかりに私を見やり、よくぞ言ってくれたとばかり女性に頷いてみせたが、私には何もかも、てんでさっぱりわからなかった。大人の事情だと言われても理解不能である。
迷惑な事、みっともない事をしているのは夫の方であって、彼女ではない。なぜ、彼女が恥ずかしがる必要がある?夫は子供ではなく、立派な・・・ではないが、とにかく大人だ。なぜ、彼女が責任を感じるのだ?
大家や警察が来たからといって、それがなんだ。ドアを打ち破って彼女を引きずり出すわけでもあるまいし。むしろ夫を宥めて、引き揚げさせてくれるのではないかと思う。夫の仕打ちを(むろんドア越しに)訴えるいいチャンスでもある。籠城という決死の行動とセットになっていれば、ある程度は真剣に聞いてくれるだろうし、同情してくれるかもしれない。
夫が酔って、非常識な行動を取ってくれれば、それはそれで都合がいい。当時、DⅤという言葉こそ知られていなかったが、酒乱という言葉は誰でも知っていた。被害者であることをアピールしやすくなる。
「夫の」会社に知られて「夫の」立場が無くなるのを「夫が」嫌がっているなら(主語を入れればこうなる)、夫に対して有利なカードを一枚握れたという事だ。もともと大したものでもない社会的立場を、台無しにしてやると脅せばいい。
とまあ、色々と考えたものの、私はそれ以上、もう一言も言わなかった。母に叱られるのが嫌だったわけではない。この女性は耳を貸さないだろうと思ったからだ。母は相変わらず涙を拭きながら、堂々巡りの話にはまり込んでいたが、私は聞いてもいなかった。
有難い事に、それから十分ほどして、電車は新宿駅に到着した。母は女性の手を握りしめて励まし、鼻をすすりながら別れを告げた。
ところが。何回も頭を下げながら、女性が雑踏に消えてしまうと、ナント。母はすみやかに女性の事を忘れてしまったのである。鼻の先こそ赤みが残ってはいたものの、母の頭にはもう、デパートの婦人服売り場の事しかなかった。
可愛らしい顔をウキウキ輝かせている母を見て、そこで初めて気がついた事がある。
母の様な人に悩みを打ち明けても、それはなんの役にも立たないばかりか、かえってマイナスになる事。そして、さっきのあの気の毒な女性・・・彼女は、役に立たない人ばかりをわざわざ選んで、打ち明け話をしているのだという事。
役に立つアドバイスをくれたり、彼女の為に行動を起こす人。そんな人は、耳痛い事も言う。厳しい事も言う。彼女がしたくないと思う事を、やれという。
彼女がしたくない事。それは、夫から完全に逃れる事。逃げ切ってしまう事なのではないか。彼女とその暴力夫は、本当は相応しい夫婦なのだ。彼らは気の合う夫婦として、これからもずっと、どちらかが死ぬまで、二人だけの鬼ごっこを続けていくだろう。
7・
愛梨の保育園に向かって、自転車を走らせていた。お迎え時間まであと十五分。今日の夕飯は何にしようか。お稲荷さんにトロトロ豚汁、アジの開き。お腹がグーグーなった。まだ五時にもならないし、会社ではのべつ暇なしにお菓子を食べているのに、お腹がやたら空く。お稲荷さんと豚汁は昨日の夜に下ごしらえ済みだし、愛梨の好物の枝豆(冷凍)もあるし、今日は楽に美味しいご飯が食べられそうだ。
ウキウキしながら、保育園に隣接した、巨大な市営団地の中庭を横切る。スピードを落した。この団地はなんかこう、ステキな設計なのだ。なぜか心惹かれるものがある。
五階建てで、縦もあるが、横幅はとにかく長々と続いて一棟が巨大である。何棟もある建物の間には広々としたスペースが設けられ、ブランコや砂場、滑り台が置かれているが、遊具の周囲以外に土はない。広場は綺麗な色のザラザラしたタイルが一面に敷き詰められ、あちこちに街路樹が植えられて、春の訪れを感じるこんな季節には、実にいい風が吹き抜ける。
団地一棟にだいたい二つ、巨大なエレベーターホールと大きな玄関があり、十段くらいの、これまた贅沢に広い石造りの階段で上がる仕様になっている。面白いのは、その他にも小さな出入り口が十くらいあって、それぞれ長い階段や短い階段で、各階各部屋に繋がっていることである。中はソフトに迷路状態なのだが、団地の住人に限っては、どんなに幼い子供でも迷う事はない。友達と家を行き来したり、鬼ごっこやかくれんぼをしたり、怒れる親から逃げ出したりするのにはまこと結構な作りで、大抵どの戸口からも、待っていれば子供が飛び出してくる。
夕方になると、なぜかワラワラと人々が外に出てくる。そのほとんどは子供達だ。十七、八歳の、凄味のある顔のお兄さんお姉さんに率いられたグループもあれば、同年代の子供だけで構成されたグループもあり、二、三人の小さなグループもある。元気よく走りまわる子もいれば、兄貴分のバイクを無免で乗り回す子もいる。暗い顔で座り込んでいる子もあれば、その傍にそっと寄り添う子もいる。喧嘩しているのも泣いているのもいる。可愛がられる子もいれば、すぐ苛められる子もいる。相当に喧しいはずなのだが、団地があまりに巨大なので、音はすべてどこかに吸い取られ、全然気にならない。広々としたスペースがあるだけで、人はけっこう寛大になれる。
忙しい大人たちはあまり広場に出てこないが、いつも数人、忙しくないのが壁にもたれて座っている。酒のカップを傍らに置いていたり、地面で寝ていたり、「仕事が見つからねえ」等、独り言をブツブツ言っていて、こちらはあまり近寄りたくないムードがプンプンである。良くも悪くも、なんだかレトロ。不思議な魅力のある場所だ。
保育園へ続く角を曲がろうとして、広場に佇む小林さんに気がついた。玄関前の階段の手すりにボンヤリともたれ、ボーッと無表情で宙を見つめている。何をしているのか知らないが、その事自体がすでにタダ事でない。小林さんは、ご主人と小学四年生の息子と三人でこの団地に住んでいるが、やはりパートでスーパーに勤めており、いつも忙しそうにバタバタ走り回っているからだ。
小林さんは、イタリアの田舎家かなんかで、パスタなど茹でていそうな、丸々と太った明るい人だ。その真ん丸な顔はなかなかの美人でもある。私と同年代だが、実はたいして親しいわけではなかった。時折、「今日、給料日前で卵しかないんだけど」「半パック分けてくれたら玉ねぎあげるよ」「今日は親子丼(肉なし)できるね」などという会話を交わしている。
保育園に電話を掛け、三十分お迎えに遅れると伝えた。それから、小林さんに声を掛ける。誰と立ち話するにも、まず保育園に電話してから。それが働くママのルールである。
小林さんは、私を見るなり泣き出しそうになり、笑い出しそうになり、逃げ出しそうになり、抱きつきそうになり、その全部を一緒くたにやろうとした。遠くからはそう見えなかったが、実はかなり動転していたらしい。
彼女と二人で石段に座り、夕日が団地を染めていくのを見ながら話を聞くまでに、五分を費やした。彼女の第一声は「私のせいだわ。どうしようもないダメ母だわ」であった。
彼女の息子の龍之介君。彼は今年の春、小学四年生になり、ある「壁」にぶつかった。俗に言う「小一の壁、小四の壁」である。
この「壁」の存在は、働く母にとって、まさに悪夢そのものなのである。N市では、保育園児の保護者を対象に「小一、小四の壁対処法」なる勉強会を、定期的に開催しているくらいだ。抜群のチームワークで講師を務めるのは、先輩ママさん、学童保育の指導員、各学校に併設されている放課後スクールの指導員の方々で、そのアドバイスは有益だが、おそろしく厳しい。
「小一、小四の壁」とはなんだ、と訳のわからない方の為、その勉強会で講師から聞いた話を載せてみよう。これがわからないと、小林さんの悩みもわからない。
講師Aさん
「保育園時代の子供は、父親はもちろん母親も働き、自分は預かってもらうことが、当たり前だと思っています。お友達の家庭もほとんどがそうだし、他の生活を知りません。世界中の子供が、自分と同じ立場だと考えているはずです。でも、小学校に入ると全てが変わります。世の中には、働かずに家にいて、家庭を守るタイプのお母さんもいると、突然に気が付きます。それは、大人が思うより大きなショックです」
講師Bさん
「はっきり言っておきますが、低学年の子供の理想の母親とは、専業主婦の母親です。学校からすぐに家に帰れます。お母さんがいつもいて、オヤツをくれ、宿題を見てやり、お稽古に行かせ、とことん付き合ってくれる。そういう母親です。働く母親を『カッコイイ』『生き生きしてる』と感じ出すのは、主に思春期に入ってからで、それまで待つ必要があるのです」
講師Cさん
「子供達の中には、母親の仕事に強く反発し出す子がいます。父親に関してはそういう事はありません。小学校でも、父親が働いている家庭が圧倒的に多く、そういうものだと思うからです。標的にされるのは、だから母親がメインです。『仕事を辞めて』と泣いてすがる子もいれば、大荒れになって暴れたり、物を壊す子もいます。稀に体を壊してしまう子もいるのです。それを『小一の壁』と呼んでいます」
講師Aさん
「そうした時、どうすればいいのか。まずは、愛情と優しさを存分に与えること。これは、みなさんご存知で言うまでもないでしょうが、限られた時間と体力、お金。全てを使って子供と向き合い、あなたはかけがえのない存在だという事を、言葉でも行動でも伝えます」
講師Bさん
「でも、それだけでは十分ではありません。同じくらい大事なのは、あなた自身が自分の心を見つめ直すことです。何が何でも仕事を続けたいのか。専業主婦になるか。時短勤務やホームワーク、パートへの切り替え等など、色々な道を考えて下さい。何度も何度も納得のいくまで根詰めて、自分の人生を見つめるのです。パートナーがいるなら、もちろんその人の考えも聞きます。迷いがなくなるまで考えて、結論が出たら、もう変えてはいけません」
講師Cさん
「結論が出たら子供に話します。パートナーがいるならその人も一緒に。床に正座をし、子供にもさせます。そして、心から真剣に語りかけるのです。相手を小さい子だと思わず、人生を共に生きる者として向き合いましょう。例えばこんな感じに。『パパとママはずっとお仕事をしてきたし、これからも続けていく。あなたに何をいわれても、変えはしない。パパとママが仕事をしている間、あなたは学童(あるいは放課後スクール)で待っているのです。これは決まった事で、あなたはそれに従わなくてはならない』こう話すと、大抵の子は泣きます。話の内容のせいではなく、親子といえども譲れぬ一線がある、と示されたことへのショックでしょう。でも、親には親の信念があり、子供に影響されない部分があるのだと悟る事は大事です。それは子供が思春期になった時に良い効果をもたらします」
講師Aさん
「あなたの心がフラフラしていると、子供はそこを突いてきます。断固とした態度が大事です。子供に動かされて、自分の信念を曲げるような母親には(そもそも信念があればの話ですが)、働く資格などありません。間違いなく、仕事も子育ても失敗するでしょう」
「小一の壁」についての話はだいたいこんな感じで、参加者みんな聞いているだけでフラフラになった。
でも、さすがに厳しい事を言うだけのことはある。私は後日、いくつかの放課後スクールや学童の見学に行ったが、どれもこれも、それはそれは素晴らしいものだった。設備こそみんなボロボロだが、色々な年頃の子供達と指導員達の仲の良さ、元気の良さには驚かされたものだ。
特に遊びの豊かさには目を見張るものがある。ドッジボール、バスケット、バトミントン、卓球といった球技。懐かしの、影踏みや缶けり、鬼ごっこやドロケイ、花一文め。紐で回すコマやけん玉、縄跳び、缶ぽっくりや竹馬。トランプやボードゲーム、おままごとでも盛り上がっていた。
見ていると、子供達には本当に色々なタイプがいるものだとわかる。一人、砂場で黙々と遊ぶ子もいれば、ひたすら駆け回る子もいるし、みんなの様子を眺めて、にこにこ楽しんでいる子もいる。
すぐに誰とでも仲良くなる子もいれば、親友と二人くっついて過ごす子もいる。我儘な子や、イジワル、やたら泣きわめく子ももちろんいるけれど、特に注意したりはしないという。誰にも相手にされないのにそのうち気付いて、自然と態度を改めるようになるからだ。
一輪車なども、人気の遊びの様だったが、親と違って誰も乗るのに手助けはしてくれない為、自分の頑張りと工夫で習得するしかない。高学年の子達や指導員も、応援やアドバイスこそしてくれるが、手で支えたりはしてくれない。何度も転びながら、それでもくじけず粘る子だけが乗れるのだ。その時、子供達には素晴らしい自信がつくという。そして高学年にもなると、後ろ乗り、手をつないだり輪になったりしての踊り乗り、目隠し走行、一輪車でドッジボールするなど、サーカス顔負けの技も出来るようになってくる。おかげで、わたしは一輪車の大道芸など見ても、てんで感心しないようになってしまった。
学童や放課後スクールには、どこかノスタルジアを感じさせるものがあった。近所の子供が数十人も集まって、日が暮れるまで一緒に遊んでいた、古き良き時代を思わせるものが。
私の目には、高学年の子も存分に楽しんでいるように見えたが、やはり低学年に比べてその数は圧倒的に少ない。「小四の壁」のなせるわざである。特にこのご時世、女の子を鍵っ子にするのが躊躇われる私としては、その対処法はぜひ聞いておきたいものだ。
講師Aさん
「低学年の子供が『働く母親』に反発するのに対して、中高学年の子供は『預けられること』に反発する事が多いようです。それまで、喜んで学童や放課後スクールに通っていた子供が、行きたがらなくなります。それが『小四の壁』です。放課後、クラスの友達と遊びの約束が増えることもありますし、一人で留守番できるんだというプライドもあるのかもしれません。でも、親の取るべき態度は基本、一緒です」
講師Bさん
「まず、あなたとパートナーとで、じっくり話し合い、よく考えます。学童や放課後スクールに行かせ続けるのか、鍵っ子に挑戦させるのか。親族や知り合いに預けるケースもあります。子供の性格、交友関係、遊びに行く場所、危険の有無など、細かい所までよく考え抜きます。特に身の安全については、最悪のケースまでもを想定して、よくよく気を付けて下さい。誰か個人に預ける場合、虐待や性的虐待が発生する場合も無くはないのです。子供自身の希望を聞くのは構いませんが、あくまで参考程度に留め、話し合いに参加させるのは止めましょう。少なくとも小学生のうちぐらいは『親の決めた事に子供は従え』という姿勢を貫くべきです」
講師Cさん
「可哀想などと思う必要はありません。まだまだ先は長いのです。中学高校と成長するに従い、徐々に自由を与え、本人の意思による行動を増やせばいいのですから」
講師Aさん
「方針を決めたら、後は一年生だった頃と一緒です。子供に断固として結論を言い渡し、妥協も譲歩もお断りという態度を貫きます。子供も賢くなっていますから、脅し透かしの戦術をとってきますが、流されないように。そこで子供が我を通せば、その場は丸く収まりますが、思春期になると問題行動が起きてきます。言うまでもなく、あなたが子供に尊敬されていないからです」
講師Bさん
「もちろん私達、学童や放課後スクールの指導員も、子供達が楽しく、健全安全に毎日を過ごせるように、全力を尽くすとお約束します。低学年の子供達にはとにかく優しく、仲良くを心掛けています。中高学年の子供達には、むしろ指導員のアシスタントであるかのように接していますね。小さな子供達の手助けは、だいたい五、六年のお姉さんお兄さんがしてくれますし、それも私達より上手ですよ。お片付け、お掃除、宿題など、あまり嬉しくないことでも、中高学年のお兄さんお姉さん達は率先してやるし、低学年はそれを見習います。誰に言われるまでもなく自然にね」
講師Cさん
「高学年の子が、小さい子達に宿題を教える事はよくありますが、うまいもんで、見てると感心してしまいます。式や答えをすぐ教えるのではなく、ヒントだけ与えて後は様子を見る。知らん顔している風を装って、横目でチラチラ、ちゃんと観察してるんですよ。わかっていないなと思ったら、またちょっとヒントを出す。これを繰り返して、少しずつ正解に辿りつけるようにしていくんです。大人には、なかなか出来ない技ですね。学童や放課後スクールならではの良さがそこにあります。年齢の違うたくさんの子供たちと、遊び、学び、時に助け合う。喧嘩も驚くほど少ないですよ」
講師Aさん
「『小一、小四の壁』は、子供の問題ではないのです。あなた自身の問題です。あなたが持つ信念、職業意識、親としての在り方、人生観、全てが問われると思ってください。この機会に、自分はどんな人生を送りたいのか、どんな母親、そして人間になりたいのか、ぜひ見直してみることです」
小林さんは、夫と共によくよく考え、鍵っ子に挑戦させることにした。息子の龍之介くんは友達が多く、外で遊ぶのが好きな行動派である。遊ぶのは、団地内と公園だけに限る事、宿題をしておく事、鍵を掛け忘れない事、オヤツは控え目にする事等、約束をいくつか決め、かなり心配しつつも、夏休み前に決行に踏み切った。
龍之介くんは、約束はちゃんと守った。その点では褒めてやっていいのだが、別の心配が出てきたのである。もちろん、子育てには心配がつきものなのだから、それは仕方がないのだが、だからと言って気が楽になるものでもない。
小林さんがまず気になったのは、彼女が帰宅した時、非常に大勢の子供達が、部屋に出入りした形跡があることだ。お菓子は食べ散らされ、ジュースは空っぽ。グラスが十何個も汚れている。三部屋しかない部屋は、どれもこれもとっ散らかり、床は砂だらけである。それが毎日なのだ。
彼女はおおらかな人なので、部屋の汚れなどは、まったく気にならないという。元気な子供がいれば、どの家庭だってキレイではいられないのだ。心配なのは、部屋が溜まり場になってしまうのではないか、という事だ。
友達が多いのはいい事だし、遊びに来るのが龍之介くん個人の友達だけなら、なんら心配はいらない。相手の名前も住所もわかっているし、保護者とも顔見知りだ。友達の親と、きちんと連絡を取るようにすれば、トラブルはある程度まで押さえられるだろう。
だが、相手がどこの誰ともはっきりしないのは、とても心配である。誰が遊びに来たのか龍之介くんに聞いても、二、三人の名前しか教えてくれない。どうも、友達の友達とか、友達のお兄さんとか、龍之介くん自身もよく知らない子が、遊びに来ているらしいのだ。
難しい問題である。簡単に答えが出せるものでもない。
「お母さんが選んだ子でなきゃ、部屋に上げちゃダメ」
なんて、まさか言えたもんではない。かといって放任すれば、遠からず問題が起きるに決まっている。親のいない部屋で、タバコやお酒、麻薬、不純異性交遊などが行われるかもしれない。怪我や火事なども心配だ。「子供を信じてあげて」などキレイごとを言う母親もいるが「信じる」は「ウチの子に限って」と同義であり、それこそ信じるべきではない。人間はみんな弱いものなのだ。我が子をそこまで信じるのは危険である。
悩んだ挙句、小林さんは子供から鍵を取り上げる事にした。学校から帰ったら、玄関のドアノブにランドセルを掛け、代わりにオヤツと水筒入りのリュックを取る。外で遊びなさいという訳である。雨の日や、トイレに行きたくなった場合は、近所の図書館や学習センターに行けばよい。これでこの問題は一応の解決を見た。だが、子育てにホッとする暇などない。もっと大きな問題が、働く親にとっての魔の期間、そう、夏休みにやってきたのである。
共働き家庭の子供は、平常より夏休み中の方が「一人」の時間が増えることが多い。学校のある日の場合は、子供は一日中、誰かと接している。朝八時から三時くらいまでは学校で先生やクラスメイトと、放課後は友達と二時間ばかり、五時に帰宅したら夕飯、風呂、就寝まで家族と過ごす。一人の時間はほとんど無い。
が、夏休みともなると、親が出勤してから帰宅するまで、一日中、一人で過ごすことが珍しくない。普段は毎日、友達と遊ぶくせに、夏休み中は週に二、三回、それも午後に二、三時間になる。どうしたって朝が遅くなりがちだし、ついついダラケて、家でゴロゴロしてしまうからだ。加えて暑いため、冷房の効いた部屋から出にくくなる。
親しい友達が旅行に行ったり、塾や習い事の日を増やす、あるいは夏休み限定で超インドア派になる、あるいは超甘えっこになって家族と離れないなどという事もよくあることだ。そうなると、ますます「ひとりぼっち」の時間が増えることになる。長期の休みの時だけ鍵っ子を辞め、学童や放課後スクールに行かせる親が多いのも、それを懸念してのことだ。弁当やオヤツも持たせねばならず、大変ではあるが、そんな事を苦にしている場合ではない。
小林さんもむろん、そうしたかったのだが、彼女はそれを子供に命じるのではなく、相談してしまった。これが、彼女の弁を借りれば「失敗のスタート」である。
子供というのは、それがどんな子であっても、まことに交渉上手なものである。親の本心、特に心配をすぐに見抜き、それを自分の要望に結び付けるその手並みは、まさに一流営業マンそこぬけだ。
龍之介くんは、
「もう放課後スクールは卒業したんだから、戻るのは嫌だ。四年生はみんな行かないよ。だからつまらない」
という理屈から始めた。親という生き物は、この「みんな」という言葉に強い反応を示す。自分の子育てに自信がある人などいない為、よその親に比べて自分は子供に負担をかけているのではないか、不憫な思いをさせているのではないかと、それだけで頭がいっぱいになってしまい、真相を調べる事をしないのだ。だから、子供は常にこの言葉を「切り札」として隠し持つ。
更に龍之介くんは
「夏休み中も約束はちゃんと守ってお留守番する。お母さんがいなくても平気だよ。でも、友達と遊べない日があったら、なんか寂しいからゲームを買って欲しい。もうすぐ誕生日だしさ。友達はみんな持ってるよ。仲間に入れないんだもの」
と言い出した。セールストークの始まりである。
「お母さんがいなくても大丈夫」と言われると、母親はとてつもなく不安定な心境に陥る。仕事に理解を持ってくれるという感謝、大人になったなという感激、仕事に支障が出ないという安堵、もう幼い子供ではないのだ、という一抹の寂しさ、さまざまな感情が乱れ飛ぶ。
目の前に現実として存在しているのは、わずか十歳にもならぬ幼い子供なのだから、本当は素直に頷いてはいけないはずだ。「まだ大丈夫じゃないのよ」とはっきり言えばいいのだが、自分で意識はしてなくても、母親の方はかなり動揺しているので、なかなか冷静な態度がとれなくなる。
だいたい、このあたりから、話し合いのテーマもずれてくる。夏休み中の過ごし方について相談したはずなのに、それがいつの間にか、電子ゲームを買うべきかどうかという話になっているからだ。ウチの愛梨のような幼い子でも、ちょっと気を抜くと、この種のすり替えをするくらいであるから、まったく油断できない。
さらに龍之介くんは「ゲームが無いと友達がいなくなる」という様な事を、さりげなく伝えている。これは確実に親を陥落できる、魔法のフレーズだ。
実際には、電子ゲームを持たなくても、仲間外れにされることはあまりないし、もしあったとしても大した事ではない。だが「友達がいない時期があったとしてもいいじゃない」などと言える親は稀である。友達作りはもはや強迫観念になりつつある。なければ死ぬ、ぐらいの勢いだから、親の頭の中にはすぐに、ゲームが無い→仲間外れ→いじめ→不登校→一生が台無し?の、いささか大げさな図式が、パアーッと浮かぶ。むろん、その思考は、子供にだだ漏れだと思っていい。
結局、小林さんは、龍之介くんの要望をほとんどそのまま飲む形になった。電子ゲームも買った。
当然、一時は止めていた、鍵を渡すことも復活する。酷暑の折りに一日中、外にいろというのは無理がある。溜まり場になるのではないかという以前の不安がまた蘇えるが、これといった対策もなく、見切り発車するしかなくなった。あれこれ思い悩むのに疲れてしまったというのが、どうも本音であるようだ。
小林さんは、夏休みの龍之介くんの様子に、かなり気を配った。出来るだけの努力もした。毎日、心をこめて弁当を作り、麦茶を入れた水筒を二本、適量と思われるオヤツも用意。朝はいつも通りに起こし、家族全員で一緒に朝食をとる。仕事から帰ったら、山積みの家事には目をつぶり、一時間は龍之介くんと向き合って過ごした。できるだけ説教めいた話は避け、楽しい会話を心掛ける。土日は土日で、寝ていたいのを我慢して、家族でプールに行ったり、遊園地や夏祭りに出かける。ご主人の方も協力的で、夏休み前より、龍之介くんとの会話もずっと増えた。
言うまでもないだろうが、これらは全て親の涙ぐましい自己犠牲精神によるものだ。子供とオシャベリするのは、とても気が疲れる。なにぶん年齢が違いすぎ、興味の対象も違いすぎるから、むりやり話題を探しても、なんだか盛り上がらない。職場で、気の合わない同僚と休憩室で二人っきりになった経験はないだろうか?あんな感じである。
一緒に遊ぶと言ったって、それも親にとっては正直、苦行以外の何物でもない。体力がついていけないから、ただの日曜サイクリングが、地獄の特訓も同然になる。しかも、次の日はまた朝五時に起きて弁当を作り、仕事に行かねばならない。が、子供を持つなら、このくらいの努力は、いたしかたないのだ。
「溜まり場疑惑」の方は、部屋の様子を見る限り、大丈夫だったようだ。「今日は誰と遊んだの?」という質問で、出てくるのは、同じ団地に住む二、三人の友達の名前だけ。「今日は誰もこなかった」という日も多い。夏休み中は、学校でクラスメイトと遊びの予定が立てられない為、近所の子供しか遊びに来なくなるから、さほど大勢は出入りしなくなる。
こうして、平和の内にやっと、永遠に続くかと思われた夏休みが終わった。小林さんは心身共に疲労困憊したが、まあ、何はともあれ無事に過ごせたのだから良し、と胸を撫で下ろした。
しかし・・・。無事ではなかったのである。全然、無事ではなかった。
子供がトラブルを起こす時には、よくこうしたタイムラグが発生する。まさに「忘れた頃にやってくる」という訳で、ほっと一息ついたその時に、不意打ちを食らわせてくれるのだ。
それは一本の電話から始まった。
新学期が始まって、二か月弱たったある日の午後四時半、小林さんの携帯が鳴った。番号表示を確認すると、学校からだ。ちょうど仕事が終わるタイミングで掛けてくる、この気遣いからして、すでに不穏な気配がする。
龍之介くんの担任は、まだ若く優しい女性教員であるが、彼女は開口一番、
「龍之介くんの様子が心配で堪らないんです」
と言い出した。声が震え気味で、かなりの緊張状態である。仰天した小林さんが息継ぎも忘れて問いただすと、つっかえつっかえ、でも懸命に話し出した。
「夏休み明けの登校日から、なんかおかしいなと思っていたんです。少しダルそうで、いつもの元気がありませんでした。でも、長いお休みで生活のリズムが崩れる子は多いし、龍之介くんもそうかと思ったんです。眠り込みそうな様子だったので、前日、これが最後とばかりに夜更かししたかな・・・と。でも、そうではないようなんです」
小林さんは驚きに声も出なかった。二か月前の事を正確には思い出せないが、特に変わった様子はなかったと思う。
「次の日も次の日も、ずーっと同じなんですよ。いつも元気で明るい龍之介くんが、机に座り込んだまま、ぼーっとしているんです。友達が声を掛けると少しは答えますけど、反応は遅いし、立ち上がって遊びに行こうとしません。無表情で、笑いもしない。授業も聞いてないし、ノートもとっていません。体育の時間なんか、前は張り切って跳ねまわっていたのに、今はものすごくだるそうにノロノロなんですよ。名前を呼んでもほとんど答えなくなって。熱を計っても無いし、お腹が痛い?とか気分悪い?と聞いても、首を振るだけで。それでも残暑が厳しかったでしょう。夏バテなのかなと、その時は思っていたんですけど」
それでもなんか気になった担任は、休み時間も教室に残り、さりげなく龍之介くんの様子を見守ることにした。すると、
「以前は仲良しの子達とオシャベリしたり、校庭に飛び出して遊んでいたんですよ。それなのに、今は疲れた様子で机に突っ伏してるか、ボンヤリ宙を見ているか。お友達も心配して『風邪?』なんて聞いてましたけど、答えないんです。その場にいないみたいな感じで、視線も合わせないし、とにかく表情が無いんです。クラスの子達も気になりだしたのか、この頃は『先生、龍之介くんはどうしたの?』なんて聞いてくるんです」
この時点で、夏休みから一か月半ほど達っていた。そろそろ本気で怖くなりだした担任は、龍之介くんから目を離さず、一日中、気を付けていた。すると、さらにおかしな所が目に付いた。
「以前は給食が大好きで、待ち切れない様子でした。おかわりの常連だったんですよ、龍之介くん。それが、全然と言っていいくらい食べてないんです。のろのろお皿をかき回しているだけで。お腹すかないの?保健室行く?とか聞いても、ウンザリした様子で首を振るだけで、無言なんです。『少しでもいいから食べてみようよ』と言うと口には運びますけど、それがイヤイヤという感じで、苦痛みたいなんです。私、とても心配です。本当に心配です。ご家庭の様子はどうでしょうか」
小林さんは、頭が真っ白になった。手が震え出し、足がフラフラし、自分がどこにいるのかさえ忘れた。それでも懸命に深呼吸し、なんとか落ち着こうとする。パニックを起こしたところで、龍之介くんを助ける事はできない。
ここしばらく、少し元気が無いかな、という感じはしていた。口数が少なくなったようにも思えなくはない。食欲も僅かに減退したかもしれない。土日も家でノンビリ過ごしたがるようになった気もする。でも、そういった事はあくまで「無理やり探せば、そういえば」のレベルの話。大体において、龍之介くんはいつもの龍之介くんで、家庭ではとくに目立った変化はなかったのである。
担任にそれを話したが、彼女は少しも納得した風ではなかった。万が一という事もあるから、とりあえず病院で診てもらった方が良い、と熱心に薦めてくる。小林さんも同意し、電話を切るなり、かかりつけの小児科医に健康診断のアポを入れた。
見上げた事に、小林さんは、龍之介くんに何も問いただしはしなかった。担任から電話があった事も黙って、いつもと変わりなく接するよう努めた。じっくりと観察はしてみたが、やはりこれといって変わった様子はないように思える。だが、担任がウソを言うはずもない。訳がわからない。これはかえって厄介な事態なのかもしれない。
「少し疲れているみたいだから」という理由を龍之介くんにはでっちあげ、引っ張っていった健康診断で、医師は一時間以上も掛けて徹底的な検査をした。身長体重、血圧の測定、血液検査に尿検査。丁寧な触診や問診もあったが、ここで初めて、小林さんは龍之介くんの様子に違和感を抱いた。幼い頃から掛かってきて、わりと懐いているはずの医師の優しい問いかけに、ウンともスンとも答えなかったからだ。今までにはなかったことだった。
小児科の後は、眼科と耳鼻科で検査。近所の整形外科の診断も仰いだ。いずれも何度かお世話になった医師であるのに、龍之介くんは、そこでもずっと無言を通した。
検査結果は、全てが異常なし。小児科の医師によれば「文句なしの健康体」である。
とすれば、龍之介くんの異変は、心の問題ということになる。そこで、今度は学校に紹介してもらったカウンセラーに、週二回、通う事になった。
この時点で、小林さんはパートを辞めた。彼女が働いていたのは暇つぶしではなく、龍之介くんの学費を貯める為だった。毎月八万の収入をなくすのは断腸の思いではあるが、こうなっては致し方ない。
龍之介くんと過ごす時間が長くなった事で、いくつか不自然な所も見えてきた。学校から帰宅後、龍之介くんはぐったりと疲れた様子をよく見せるのだ。昼寝してしまったり、ボンヤリとゲームをすることが多く、友達と遊ばなくなった。団地内の子が誘いにくれば出かけるが、一時間もたたずに帰ってくる。学校での様子も相変わらずらしいし、やはり何かがおかしい。小林さんとご主人の不安は募ったが、原因は相変わらず、わからない。
何一つ進展がないまま、三か月が経った。早寝早起き、栄養たっぷりの食事や手作りおやつ、土日は戸外でノンビリ遊ぶ、など精一杯の努力をしたが、龍之介くんは前にもましてグッタリしてきている。学校でも友達と交流しない。担任の「龍之介くんは、少し体調が良くないのよ」という説明が功を奏したのか、クラスメイトは龍之介くんを労わってくれているが、龍之介くんは誰も近寄らせないのだ。学業の方はどうかといえば、全く勉強している様子はないのに、成績はまずまず良い。こうなっては、みんなただひたすら首を傾げるしかない。疑問符が耳の穴からザラザラこぼれ落ちそうである。
答えを出したのは、忍耐強いカウンセラーであった。どうやって聞き出したのかは知らぬが、どうやら当てずっぽうで振った話題がたまたま当たって、龍之介くんと話が弾み、そこから原因が辿れたらしい。
診断は「電子ゲームのやりすぎ」
真相はこうだ。夏休みの間、ほぼ二か月間に渡り、龍之介くんは土日を除いて平日は一日中、親が出勤してから帰宅するまで九時間近くも、ずーっとゲームをし続けていたというのである。友達が遊びに来た時も、部屋には入れるがゲームは離さない。外遊びに行こうと誘われれば、断ってしまう。誰ともろくに顔を合わせないまま、話もしないまま、ひたすらバーチャルな世界に埋没していた。それが、現実世界での龍之介くんのエネルギーを奪い、無気力な状態に追い込んだのである。
だが、龍之介くんを責めることはできない。子供の集中力というのは、大人とは比べものにならない、それはもう、すごいものだ。おまけに何かに興味を持つと、全てを忘れて全身全霊で打ち込んでしまう、中毒タイプの子供もいる。例えば、ウチの愛梨はビーズ工作中毒で、視界がぼやけるまで一日中でも没頭してる。他にも本中毒で、食事やトイレ、風呂に入る時でさえ本を離さないとか、たった一つのすごろくを、繰り返し二十二回もやる子がいたりとか。そういう子供は、一旦なにかに集中したら最後、時間の観念もなくなるし、なんの音も聞こえていないし、空腹も抱かないし、疲労も感じない。
ゲームというのは、もともと中毒性がある。そんな物を、中毒タイプの子供に与えると「ダブル中毒」ともいうべき状態になってしまい、大人では考えられないような問題を引き起こす。龍之介くんの場合も、まさにそうだったのである。
当たり前だが、カウンセラーは即刻「電子ゲーム絶対禁止」を言い渡した。それだけではない。テレビ、DⅤD、スマホ、パソコン、オーディオにいたるまで、ビービー電子音がするもの全て、龍之介くんの周りから完全に排除するよう、厳命を下したものである。
なんだかんだ文句を言っている場合ではない。小林さんは、憎しみを込めて犯人の電子ゲームを捨て、ついでにカウンセラーの指定した禁止物も全部捨てた。意外な事に、思い切ってやってみれば、暮らしに大した不便は出なかった。
不思議な事だが、あれだけハマっていたゲームがなくなっても、龍之介くんは平気な顔をしていたという。カウンセラーが、うまく話してくれたのかもしれない。
それでも、一度崩れたバランスを取り戻す事は、本当に容易ではない。龍之介くんは、やっと最近、近所の子供たちと少し遊べるようになってきたし、給食も半分くらいならなんとか食べられるようになってきた。嬉しいのは「水泳がやりたい」と言い出して、自らスイミングスクールに通いだした事だ。休む週も度々あるが、まずは楽しく過ごしているという。
でも、すぐにグッタリとするエネルギーの無さや、学校での様子、他人に話しかけず、人を寄せつけない所は相変わらずで、大して目だった変化は見られない。沢山の友達と遊び、生き生きとしていた以前の龍之介くんに戻るには、まだまだ時間とフォローが必要だ。
「今、龍之介くんはオウチ?」と尋ねると、小林さんは放心したような声で、
「スイミングに行ってる。その間に私、魔法の豆を貰いに行くの」
と答える。魔法の何だって?
なんでもその豆は、とても偉い仙人(なんだそりゃ)とやらが気を吹き込んだもので、どんな病気も治してくれるのだそうだ。
「そんなの詐欺よ。やめなさい」
あわや、そんな言葉が飛び出しそうになったが、私はグッとそれをこらえた。小林さんは、カウンセラーや医師や学校の先生と、今も緊密に連絡を取り合っている。本当にヤバい物なら、彼らが止めるだろう。私はもっと別なことを、小林さんに言いたかった。
「辛かったね。苦しかったんだね。可哀想に、大変だったね」ということ。「あなたが悪いんじゃない」こと。「親も子も、人間なんだから間違いはある」ことも。なにより「休める時はなるべく休んで、もっと自分を労わってあげて」という事を。
小林さんは、涙をボロボロ流し「そんなこと言われたの初めてだよ。ありがとう・・・」無理やりそう微笑んで、自転車で去って行った。魔法の豆を貰いに行くのだろう。そうせずにはいられないのだ。
8・
事務所のドアが壊れた。きちんと閉めてしまうと開かないのだ。鍵を掛けてしまうと、これまた開かなくなるのだ。常に半開きにしておかないと、誰も出勤できないし、あるいは出勤したまま帰れなくなってしまう。
オンボロドアなのだから、まあいつかは壊れると思っていたが、よりによって「春一番」が吹いた日にこうならなくてもいいと、私は思う。ゴーゴーいう強風に、遂にトドメを刺されたか。
事務所の中は、それはもう、すごい散らかりようであった。いまいましいドアは、風が吹く度に(つまりは四六時中)バタンバタンと気が違いそうな音を立て、開く度に(つまりは四六時中)、桜の花びらや枯葉、砂やら鳥の羽やら、ゴミやら虫やら虫の死体やらが、竜巻のごとく渦を巻いて飛び込んでくる。
我が社の書類は、その大半が、なくなっても構わない不必要書類であるし、大事な書類はその山に埋もれて見つからないのが常であるので、部屋中を飛び回る紙は、飛び散りっぱなしで誰も捕まえない。ただ、顔に当たると痛いし、なぜかベチョベチョしていて気持ちが悪い。
それにしても不思議な現象である。往来のあれやこれやは、もれなくドアから入ってくるのに、事務所の中のゴミは往来に出ていってくれないのだ。もしかしたらこの事務所、密かに陰圧化に置かれているのかもしれぬ。整理整頓、清潔大好きな日本人としては、ヤケッパチ感から、いっそ爽快さを感じるほどの汚さである。ちなみに、我が国でもっとも愛されている言葉は「除菌」であると、私は信じている。
乱雑さには免疫のある我が社のメンバー達も、さすがにこれはマズイと感じられたのだろう。工藤さんは袖を捲り上げ、
「どこから手をつけようか?」
と問いかけるも、返事はない。笹原主任は困り顔で、
「掃除ってのは、僕の得意分野でないからねえ。片づけようとすればすれ程、なぜか散らかるんだな、これがねえ」
それをいうなら、ここにいるメンバー全員がそうである。しばしの沈黙の後、今西リーダーがハッと気合の声を上げ、結論を出した。
「ドアを修理するまでは、掃除したって結局ムダでしょ。だから、今は何もしない方がいいんじゃないの。それが効率ってものよ、でしょ?」
さすがである。問題はドアがいつ直るのか、はっきりしないところなのだが、それも大した問題ではない。風が吹かない日だって、いつか必ずやってくるのだから。
みんな、いつものように丸テーブルでのお茶会を始めようと、自分のお尻の下にあるもろもろのゴミだけ、脇に押しやって座った。それだけで結構ゴミがまとめられたのが嬉しい。
私がポットからお茶を注いで回ると、坂下さんが、お隣さんから貰ったというクッキーの缶をあける。桜の花びらが、かなり汚いながらもヒラヒラと舞い踊り、なんかお花見をしている気分になる。笹原主任の僅かに残った髪の上に、千切れたティッシュが揺れているのも、なんか可愛い。
椅子を引いて座ったとたん、坂下さんが、
「ウチさあ、この間、上の子にゲーム買ってあげたんだけど。これがもう、大、大、大失敗だったわよう」
と喚いた。私は、小林さんの事を思い出して、少しビックリした。小説や映画ではまずないが、現実ではこういう事が、驚く程よく起こる。赤の他人同士であるのにも関わらず、なんかシンクロするのである。人を動かす特別な何か、目に見えない流れみたいものがあるのかもしれない。
ウチの愛梨はまだ幼いが、それでも近所の子供が持っている電子ゲームには興味津々である「あれは、エベレストに登れた子だけが貰えるのだ」と大嘘こいて誤魔化しているが、騙されてくれるのも今の内だけだろう。ゲームをねだられて困っているのは、どこのお母さんも一緒だから、みんな身を乗り出して坂下さんを見つめる。
「あんまり買って買ってとうるさいから、上の子の誕生日に、携帯できるタイプの小型のゲーム機、あれを買ってやったのよ。もちろん、うちにはそんなお金ないから、実際には私の親が買ったんだけどね。まあ、その時は狂喜して、あんな笑顔を見れるんなら、与えて良かったなと思ってたんだけど、だんだん問題が出てきてねえ。とにかく一日中、ゲームゲームゲームのゲーム三昧。朝起きた時から、夜に電気を消されるまで、一分の暇もなくゲームゲームなの」
坂下さんの子供は、ありあまる元気の持ち主だ。その尋常ではないパワーが、時としてこのように、変な方向に生かされてしまう。
朝、パジャマから着替えるのも、顔を洗うのも、歯磨きするのもゲームしながら。本来はそんなに器用でない子だから、顔なんて濡らしただけである。朝食を食べる時も膝の上。学校から帰ってきたら、ご飯になるまでゲームとまさに一心同体。トイレにも持っていく。ニ十分出てこない。ご飯は味わいもしないで丸呑みし、デザートをねだるのも忘れ、大好きだったテレビに一瞥もくれずに、ゲームの元へと駆け戻る。お風呂から出れば、雫を垂らしながらもうゲームを始めてる。お布団に入ってもゲームをやり続け、怒鳴りつけないと寝ないようになってしまった。以前は楽しんで手伝った料理もしなくなったし、自分の仕事であるはずのゴミ捨てもしない。宿題がランドセルから出てくることはないし、明日の支度もしないから忘れ物だらけ。弟に見向きもしなくなり、それどころか家族の誰をも完全無視で、どうやら存在すら忘れてしまっているらしい。
面白い事に、ゲームにあまり関心を持たない子供も中にはいる。兄弟でありながら、弟の方はそのタイプだそうだ。それだけに、お兄ちゃんがなんで自分を無視するのかが解らず、不安そうにしている。
それでも、飽きれば元に戻るだろう。坂下さんとご主人はのんきに構えていたのだが、その予想は外れた。
なにより困ったのは、友達と遊ばなくなったことだという。
「以前は・・・といっても、二か月前のことにすぎない訳だけど、ゲームを買う前は、家になんかいなかったものよ。一年生がこんな事でいいのかしらって心配だったくらい。学校から帰ったらランドセルを玄関に放りだして、すぐ公園に遊びに行っちゃうの。ただいまって言い切る暇も無しにいなくなる。ただ・・・までしか聞こえないんだから。あんな狭い公園で何をしてるんだか、真っ暗になっても帰って来ないし。夏は水遊びでびしょ濡れだし、冬は泥だらけだし、年中、痣やら切り傷だらけで、虐待されてる子だと誤解されるんじゃないかって、ヒヤヒヤしてたくらい。」
子供の変化は大人とは比べ物にならないくらい、スピーディである。どうしようか迷っている内に、あれよあれよという間に重大な事態になってしまう。
「それが、ゲームを買った途端、友達と一切、遊ばなくなったの。外に全く出なくなっちゃって。仲のいい子が誘いに来ても、ゲームを離さないし、玄関に出て行こうともしない。○○ちゃんが来たよって言っても、聞こえてないみたいで、返事もしないの」
以前の坂下さんは、暴れん坊怪獣のミニ台風キッズである我が子を、心配しつつも少し誇らしく思ってもいた。男の子はこれぐらい逞しくなくっちゃと思っていたし、元気いっぱいで怖いもの知らずな所が、安全志向の自分と違っていて、羨ましくさえあった。それが全く変わってしまったのだ。
「子供の最大の長所を一つ、ゲームに台無しにされた気分」
だという。
「時間とか決めて、やらせればいいじゃん」
七枚目のクッキーをバリバリやりながら、工藤さんが言う。自分でも愚問だとわかっている表情だ。
「もちろん、そうしたんだけど・・・」
答えはこれに決まっている。
さすがにマズ過ぎるだろうと感じた坂下さんとご主人は、遅ればせながら「ゲームは放課後に一時間」と決めた。しかし、これが守られた事はない。
「一時間経ちましたよ~」タイマーがピピピとお知らせする。子供は無視。ジリジリジリと目覚ましも鳴る。子供は無視。坂下さんも止めろと叫ぶ。子供は無視。坂下さんが耳元で叫ぶ。子供は無視。坂下さんが頭を叩いて叫ぶ。子供は無視。坂下さんが蹴りを入れて
叫ぶ。子供は無視。くすぐってもつねっても、もう完全無視。悪意からではない。ゲームに集中するあまり何も聞こえず、何も感じていないのだ。
これを繰り返すこと三日間、坂下さんはついに忍耐の限界を超え、子供に掴みかかって、力ずくでゲームを取り上げようとした。子供は抵抗して、綱引きならぬゲーム機引き状態。両者、泣きわめきながら全力で引っ張るも、一年生ともなれば力も強く、運動不足で筋肉も年取った大人はなかなか勝てない。凄まじい勢いで振り切られた坂下さんが、尻餅をついたその隙を縫って、子供はゲーム機をお腹に抱え込み、ダンゴムシかアルマジロの様に丸くなった。坂下さんは蹴り飛ばしたが、さすがにボールの様には転がらず「伊賀の忍者は石になる」的な姿のまま、不動の構えである。
「そんな体勢じゃあ、どっちみちゲームは出来ないでしょうが。無駄なマネ止めなさい」
声が枯れるほど叫んだが、子供はダンゴムシ(はたまたアルマジロ)体勢を崩さない。なんとそのまま二時間も崩さなかったのだ。大人の常識では計れない展開である。
リストラ中の為、仕事探しに出ていたご主人が腹ペコで帰宅すると、家はまるで被災地であった。泣き疲れて眠っている妻、ボールと化した上の子、現実逃避気味にミニカーで遊ぶ下の子。全員を落ち着かせるのには、深夜までかかった。
夜も明けやらぬ、午前三時。ご主人と坂下さんは、こっそりと布団を抜け出した。イマイマシイ小悪魔の寝息を確かめるが、この時ばかりは天使に変身とばかりに、愛らしい寝顔を見せてグッスリである。
まるで赤ちゃんみたいに、まだ小さく柔らかい子供の手から、そっとゲーム機を取り去る。ご主人は、全ての元凶たるそれを、押し入れの奥、夏物衣料を入れた収納ボックスの底に隠した。逆サンタである。
可哀想に思わなかったといえばウソになるし、後どうなるかも怖かった。それでも仕方ない。まだゲームを与えるには早かったのだ。約束が守れる年になったら返してやろう。
「それで解決したの?子供、怒らなかった?」
今西リーダーが疑わしげに口を挟んだ。坂下さんは力なく微笑んで、
「怒るって・・・?怒るなんてもんじゃあなかった。とても怖い事になったの。本当に怖かった・・・」
翌日は土曜日。坂下さん一家は、咆哮とも言うべき、凄まじい叫び声と、とんでもない騒音で、朝の六時に叩き起こされた。本能的に子供の姿を探し求めるが、二人とも布団にいない。慌ててリビングに飛び込んだ坂下さんとご主人は、とんでもない光景を目にして凍りついた。
上の子が「ゲームがない!ゲームがない!」と叫びながら、食器戸棚を開け、中の物をみんな放りだしているのだ。皿は次々と割れ、グラスが砕け散る。下の子は壁に張り付き、恐怖に怯えた泣き声を絞り出している。
何が何だかわからない両親の目の前を、風のごとくに通り過ぎた子供は、今度は冷蔵庫に襲いかかり、怒涛の勢いで中身を空にし始める。卵が割れ、漬物のタッパーが宙を飛ぶ。牛乳パックが叩き付けられて、白い液体が噴水の様に吹き上げた。製氷皿が壁にぶち当たり、アイスクリームは踏み潰されて粉々。野菜室も、掻き回され、ニンジンやジャガイモが鈍い音と共に転がり、トマトは潰れ、レタスは部屋の端っこまで飛んで行った。
子供は再度「ゲームがない!」と叫ぶや、今度はシンク下の棚を片っ端から開け放ち、これまた中身を放り始める。フォークやスプーンがバラバラと落下し、鍋やボールが凄まじい不協和音を立てる。洗剤が窓にぶち当たり、サランラップの箱が、床の上をツーッと滑っていった。
坂下さんとご主人は動かなかった。動けなかったのである。壁に寄りかかって体を支え、立っているのもやっとだった。
子供は誰の姿も目に入らぬ様であった。ゲームを探しているのだ。「隠したんだ、隠したんだ!」と絶叫しながら、今度は子供達の「遊び部屋」に走っていく。坂下さんとご主人は後を追ったが、腰が抜けた様になっている為、亀のようにノロノロとしか動けなかった。
子供の方は、アドレナリン全開で、本棚の本を片っ端らから引きずり出している最中だった。重たい絵本や図鑑もあるのに、これが火事場の馬鹿力というやつなのか、ぶ厚い本が、次々と投げ飛ばされては壁や床にドシンと落下する。おもちゃ箱も標的になり、ブロックもミニカーも、恐竜のフィギュアもパズルも、床一面に放り出された。
「やめなさい!」
坂下さんは叫んだつもりだったが、声が出ない。ご主人はドア口にもたれてグッタリしている。
子供はドアに突進して両親を突きのけ、今度は寝室に舞い戻っていく。布団をあちこちかき回し、足に毛布が絡み付いて尻餅をつく。アニメの絵がついた常夜灯は蹴り飛ばされ、大事にしていたはずの縫いぐるみは布団の上に叩き付けられる。
坂下さん達夫婦がやっと追いついた時、子供は押し入れを開けようとふすまに飛びついていたのだが、何かに引っかかったのか滑りが悪い。すると、わずか七歳の子供が、なんと隙間から両手を差し入れて力一杯に手前に引き、ふすまを引き倒してしまったではないか。一体、どこにそんなパワーが隠れていたのだろう。
押し入れの中の衣装ケースが引きずり出されてしまえば、隠してあったゲームが発見されるのは時間の問題である。
部屋中に夏物衣料や雑貨品をばら撒いた後、ついにゲーム機を掘り出した子供は、無言でそれを抱え込み座り込んだ。いきなり全エネルギーを使い果たした感じで、全くの電池切れ状態。ぼけーっと頭を垂れたまま動かない。坂下さんとご主人も床にへたり込む。頭がフラフラし、だるい。このまま、眠り込んでしまいたかった。
垂れこめた沈黙が耳を打つ。隣室にいる下の子がすすり泣いているのが微かに聞こえてはくるが、今は何もしてやれない。それどころではない。
坂下さんとご主人は、子供が(もちろん自分達も)落ち着くまでじっと待った。動けるようになるまで、たっぷり三十分以上もかかったらしい。朝、起きたばかりなのに、もう一日が過ぎたような気がしたそうだ。
まず最初に、ご主人がソロソロと子供の傍に這い寄っていき、膝を抱えて隣に座ったが、子供の体には触れないように気を付けた。坂下さんも膝を滑らせ、ご主人の背中に張りつく様に座る。二人とも、ただただ子供を抱きしめてやりたかったのだが、まるで正気を失ったかに見える子供に不用意に近づいて、悪化させたらという恐怖で何もできない。しばしそのまま様子を見たが、何も起こらなかったので、恐る恐る、やっとご主人が声を掛けた。
「健人・・・健人・・・健人・・・」
名前を呼ぶ。健やかな子に育って欲しいという願いを込めた名前だった。何度も何度も、優しく静かに、ご主人は言葉を繰り返した。健人くんは、でもまだ動かない。
そのまま、さらに待つこと三十分。ようやく、健人くんが顔を上げて両親を見た。涙と鼻水が、幼く丸い頬に張り付き、カピカピになっている。すごく眠そうで、まぶたが落ちかかっていた。
「健人・・・ゲームを渡しなさい」
静かにそう言う。驚いた事に、健人くんは何も抵抗せず、伸ばした父親の手にゲーム機を乗せた。疲れ切った様子だったし、もう反抗する気力も残っていなかったのだろう。
「健人・・・このゲームは捨てるよ。それはね、罰じゃあないんだ。お前のせいじゃないんだから。お前は悪くない。ただ、このゲーム機がね、お前にとって良くないものなんだ。だから、もうやめよう。捨てような」
ご主人が優しく、でもキッパリと言い渡すと、健人くんは素直に頷き「いいよ」と呟いた。蚊の鳴くような声だったが、話が出来た事でドッと安心感がこみ上げ、坂下さんは飛びつくようにして健人くんを抱きしめた。健人くんも、赤ちゃんだった頃の様に、懸命に母親にしがみ付き、たちまち眠りに落ちた。
ご主人は、ゲーム機を新聞紙に包み、プラスチック製のゴミ箱の底の底に押し込んだ。ゴミ分別について何も知らず、捨て方が分からないのだが、それは後で調べればよい。とにかく、ゴミ箱に入れてしまいたかったのだ。ゲームなどもう金輪際、二度と子供に近寄らせたくなかったという。
リビングをチラリと見ると、壁に体を押し付ける様にして、下の子もまた泣き寝入りしていた・・・。
「ヒャー!怖いねえ。それで?その後、どう?無事なわけ?」
鹿田さんが身震いし、温かみを求める様に湯呑を手で包みこむ。坂下さんは、照れくさそうに笑った。
「土日は、家の片づけだけで終わっちゃったわよ。ホント、ゲーム買っただけなのに、ただそれだけなのに、こんな事になっちゃってバカみたい。健人?さすがにきまり悪そうにしてたけどね。別に誰も責めなかったし、一眠りしたら落ち着いて、片づけも手伝ったよ。その後も、一週間くらいは退屈そうだったし、物足りなそうにイライラしては弟に当たってばかりだったけど、割とすぐにゲームが無いのに慣れたかな。今は、また外で遊ぶようになったし、暴れん坊怪獣復活だね」
「よかったねえ!」
みんなが、声を揃える。健人くんは、大暴れしたことでかえって、体からゲーム毒を追い出せたのかもしれない。
「それにしても、そんなにゲームって必要なのかねえ」
笹原主任が、珍しく口を挟んだ。丸い頭を両手で撫で回し、
「だってねえ。僕らの子供時代は電子ゲームなんかなかったけど、でも、楽しかったからねえ。今も昔も、子供は子供。変わりないでしょ?」
そう、笹原主任の言う通りだ。「電子ゲームをぜひともやらせたい」などと公言する親は稀であり、どの親も大抵「与えたくないけど、与えなきゃならない」的ニュアンスで、ゲームを買っているのだ。「子供がどうしても欲しがるから」「子供の為には仕方ない」と。でも、本当なのだろうか。ただそう決めつけているだけなのではないだろうか。真実、子供に必要な物は何なのか、心の奥底ではよくわかっていながら、与えられないでいるだけではないか。
みんな、首を傾げて黙り込む。いったん「そんなの常識でしょ」に落ち着いた事柄というものは、深く考え直したりしないものだ。だから、笹原主任の質問にも答えられない。
グチグチ言っているだけでは、何も始まらない。私は答えを求め、ある「実験」を試みることにした。
9・
実験テーマ
子供にゲームは必要か
参加メンバー
知人友人の子供十五人。大人は、安藤とママ友アシスタント二名
年齢
幼稚園児六人(内一人は愛梨)・一年生二人・二年生二人・三年生一人・五年生三人・六年生一人。
人数
女十人・男五人。
場所
安藤家の全部屋。実験後は、かなりの被害が予想される。
内容
出来る限り多様な遊び道具(借り物あり)を用意し、遊びの持続時間から、子供(小学生まで)が好む遊びを推測する。
単独で遊ぶ子もいれば、グループで遊ぶ場合もあるし、一つに集中する子もいれば、次から次へと飛び移る子もいる。イチイチ記録していては面倒くさいので、一人でもその遊びを続けている限り、継続しているとみなす。また、取り合いなどケンカの時間も遊んでいる時間とみなす。入れ替わり立ち代わり、色々な子がやってくる遊びは、もっとも長く遊んだ子のタイムを記録とする。大人は一切口出ししないものとする。
子供が自身で思いついた遊びは<子>と表記する。
実験結果
用意した遊びとその持続時間
一時間以内
携帯電子ゲーム二機(十七分)
<子>手遊び(二十分)
パズル(二十二分)
ビー玉(二十二分)
ミサンガつくり(二十三分)
じゃんけんゲーム(二十四分)
あやとり(二十四分)
アイスクリーム屋さんセット(二十五分)
風船(二十八分)
恐竜フィギュアセット(三十分)
おはじき(三十二分)
オセロ(三十四分)
折り紙(三十五分)
<子>かくれんぼ(三十五分)
塗り絵(三十六分)
お医者さんセット(三十九分)
<子>お姫様ごっこ(四十分)
縫いぐるみ二十三個(四十二分)
コマ(四十三分)
トランプ(四十三分)
すごろくセット(四十五分)
写し絵(五十分)
砂絵(五十一分)
<子>動物なりきりごっこ(五十二分)
卓球(五十七分)
一時間から二時間
プラパン(一時間二分)
絵の具(一時間八分)
<子>手さぐり鬼(一時間十分)
おままごと(一時間十二分)
ゼリーの素でオヤツ作り(一時間十六分)
ミニカー百八十台(一時間十七分)
<子>ソーラン節の踊り練習(一時間十八分)
積み木(一時間二十四分)
着せ替え紙人形(一時間二十六分)
粘土(一時間三十五分)
人形セット(一時間四十二分)
親子丼の材料で昼食作り(一時間五十二分)
二時間以上
将棋(二時間六分)
水風船(二時間十九分)
ビーズ工作(二時間三十六分)
ドミノ倒し(二時間四十二分)
結論
電子ゲームは、一本の紐(あやとり)にさえ、負ける。
注意・大勢で遊んだ場合に限る
10・
春が過ぎ、花粉症のイライラも過ぎて、気の早いセミが鳴き出す頃、私はこの社を辞めた。二人目を妊娠し、つわりがひどすぎて、嘔吐用袋なしでは外出が出来なくなったからだ。
愛梨の時はつわりも無ければ、体重増加も無く、お産もとても軽かった。陣痛が始まって二十五分で産まれたのだから。それなのに、なぜか私は産婦人科医に叱られた。彼曰く、
「あんた、産み方、下手だなあ。もっと上手にいきんでりゃあ、この子、五分で産まれたよ。そしたら、我が医院の歴史始まって以来のスピード記録だったんだ。惜しいなあ。なんで、もっとこう、うまく出来んのかね」
オリンピックじゃあるまいし。そんな事、私に言われても。
でも、この調子では、二人目の子は愛梨の時より大変そうだから、いくら仕事好きとはいえ、今は無理をしないで休んだ方がよさそうだ。まだまだ先は長い。子供が産まれ、落ち着いたら、また仕事に戻ればいい。
社のメンバー達はみな、私の報告を聞くと、なんとも複雑そうな顔になった。子供が出来たのは喜ばしい事だけど、辞めて欲しくないと言う。それを聞いて、私はとても嬉しかった。
今西リーダーは、餞別だと言って、とても可愛い赤ちゃん用靴下の詰め合わせをくれた。坂下さんはよだれかけのセット、鹿田さんは絵本。奥村さんは上品な赤ちゃん用ボレロ。笹原主任は、愛梨の為のパズルをくれた。「赤ちゃん用品ばかりじゃ、上の子がひがむかもしれないから」と。思いやりがある人だ。工藤さんは、子供服のお古を山ほどくれたが、これもとても助かる。
「必ず戻ってこい」「必ず戻ります」と約束しつつ、まるで今生の別れのように泣いてサヨナラした私達だが、結局、本当に今生の別れになってしまった。
それから四か月も経たない内に、夫に他県への転勤の辞令が出て、私が引っ越してしまったからである。同じ頃、この会社も倒産した。親会社が業績不振に陥り、契約を切られたのだ。
社長は失望からか、酒酔い運転をして捕まり、その後どこかに失踪したと聞いた。子供はネグレクト気味の奥さんに育てられることになる。
笹原主任は、運悪くまたしても失業した訳だが、誰にでも好かれる性格が、今度も彼を救った。友人の会社に引っ張ってもらえたのだ。
今西リーダーは、しばらく専業主婦をしていたが、やはり肌に合わない。そこでママと子供の赤ちゃん体操教室を始めてみたものの、参加者が全く集められず断念。今は、ご主人の会社にパートとして入社し、頑張っている。
坂下さんは、ご主人がよい転職先を見つけたので専業主婦に戻り、今は三人目の子供を欲しがっているそうだ。
工藤さんは、ラーメン屋のパートを見つけた。忙しい仕事ではあるが、楽しいらしい。四人の子供も元気でいる。
鹿田さんは、ぎっくり腰になってしまい、コルセットを巻いて療養中。
奥村さんは、今まで実直だったご主人が、なぜか知らぬが、突然「飲む打つ買う」の大放蕩を始めた。誰が何を言っても止められず、あっという間に借金だらけになって離婚。婦人服の店でパート仕事をしながらのオンボロアパート暮らしになったが、意外にも落ち込む事はあまりないという。一人暮らしはそれなりに気楽だ。経済的にはかなり苦しいものの、友達がたくさん出来て、彼等を家に呼んでお茶するのがとても嬉しいらしい。
みんな、散り散り。でも、悲しくはない。そういうものだからだ。
そして、私はどうなったかというと、あれほど嫌がっていた専業主婦の生活に戻ってしまった。でも今だけだ。絶対またパートママに戻る。仕事を始めてみせる。
だから、新しい土地では、愛梨を「預かり保育」付き幼稚園にいれた。月額二万六千円の保育料に五千円の「預かり保育」料金を加えれば、午後六時まで子供を預かってくれる。
まだ産まれてもいないけれど、下の子が二歳になったら、愛梨の幼稚園に併設されている保育園に入れよう。保育園の方は、やはりかなりの倍率らしく、入園は困難が予想される。またしてもあの戦い、就労証明書を取得する為の戦いに戻っていかねばならない。愛梨の「預かり保育」を利用するのにも、この書類はどうしても必要になってくる。
二人目を産んだ時から、すべてはまた「一からやり直し」になる訳だ。つくづく嫌になる。
でも、大丈夫。私は、いつだって大丈夫なのだ。私が今まで出会ってきた多くの人達も。彼等だってそうなのだ。どんな事があっても、毎日をなんとか切り抜けて、みんな生きていっているではないか。
私達は普通の人間だ。有名人でもないし、有力者の血縁でもないし、金持ちでもない。苦労ばかりしている。
それでも、私達は大丈夫。いつだって大丈夫なのだ。
逞しき人々~パート主婦が見た、日本の現実~ ふれあいママ @Fureaimamamasami
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